第18話 慎吾じゃなくて、俺を選んで
「髪の毛、触らせてくれない?」
「……今度は美容師の役なの?」
唐突な発言に、住子はすこし考えてそう返す。
しかし林太郎は、頭を振って否定した。
フォレストの二人で、シャンプーのCMをやることになったという。男性用ではなく、女性用の商品で、いってみれば擬人化だ。
しっとりタイプ、さらさらタイプの二通りの商品、それぞれに扮したリンとシンが、登場する女性にシャンプーをする。
キャッチコピーは「きみはどちらのタイプ?」である。
「実際にちゃんとシャンプーをするわけじゃなくて、まあ、振りではあるんだけど。同じモデルさんに、俺とシン、それぞれがシャンプーして、『どっちが好き?』みたいなことをやるわけ」
「はあ……」
「負けられないでしょ」
「バカなの?」
「なんでだよ」
相方と張り合ってどうするのか。
競合他社商品ならともかく、同じ商品のCMに出演するのだ。一方が秀でては、意味がないだろう。
どちらを選択するかは髪質によって決まるし、メーカーによってまったく違う。髪に合う合わないは、実際に使用してみないとわからないのが、難しいところだ。
髪の量が多い住子は、重たくなるのを避けるため、しっとり仕上げるタイプは避ける傾向にある。
今回、シャンプーの特性をキャラクター化して、女性に人気のアイドルを起用することで、購買欲を高めている。
林太郎は「しっとりタイプ」を担当するそうで、モデル女性にひたすら甘く柔らかく対応する役どころだ。慎吾はクールにさらりと対応することで、差異をつける。
「住子ちゃん、買うならどっち?」
「さらさらのほう」
「なんでだよ!」
「だっていつもそうだもの」
「慎吾じゃなくて、俺を選んで」
「いや、だから、シャンプーの話でしょ?」
「そうだけど、せっかくなら俺のほう使ってほしいじゃん」
「髪がもったりするの、嫌なのよ」
「意味がわかんない。とりあえず、触っていい?」
不満顔でそう言った林太郎が、こちらに問う。断られることをまるで考慮していない言動に住子は嘆息し、ヘアゴムを取った。
髪をおろした途端、なんだか重みが増したように感じてしまう。
横髪を耳にかけても、耳の上で膨らんで落ちてしまう。剛毛の嫌な部分だ。
「髪の毛染めたこととかないの?」
「ない」
「だと思った」
「じゃあ、訊かないで」
「美容師さんとの会話じゃん」
背後から聞こえる声とともに、林太郎の指が髪の毛をさらう。男の指が地肌に当たり、妙な緊張感に襲われた。
かかりつけの美容院は、女性スタッフが担当してくれる。男性美容師とかかわったことはないので、そういった会話が一般的なのか、判断がつけられない。
「会話はほとんどしない。雑誌読んでる」
「そっか。話しかけられるの苦手って人もいるしね。――あ、俺の櫛、使ってもいい?」
「山田くんがいいなら」
答えると、カバンをさぐる音がして、次に髪を梳かれる。
身だしなみを整えるため、いつも持っているのだろうか。
なんとも林太郎らしいと、住子は思う。
「痛かったらごめん」
「べつに平気」
「メイクさんにやってもらうことはあっても、人にやってあげるのはじめてだよ」
言いながらも、髪を梳く手は止まらない。
櫛が通るたび、わずかに引っぱられてのけぞりそうになるため、ぐいと前のめりに力をいれる。
林太郎の手が首に触れると、ぞわりとなにかが背中を這い上がった。
「シャンプーの振りってことで、頭皮マッサージやっていい?」
「できるの?」
「それっぽいこと適当やるだけだって。痛かったら言って」
指が差し入れられ、頭皮に触れる。一応、遠慮しているのか、こわごわといった触れ方で、逆にくすぐったさを感じる。
次第に慣れてきたのか、指先に力が加わり、指圧される。
適当というわりに心地よさがあるのは、やはりそういった処置を普段から受けているせいなのだろう。どのあたりを、どういうふうに押すのかを心得ているのだと、思われた。
やがて、穏やかな声色で話しかけてくる。
「気持ちいい?」
「まあ、わりと」
「疲れてるんじゃないの? 住子ちゃんは、気を張りすぎなんだと思う」
「べつに、ふつう」
「本当にがんばってる人にかぎって、そう言っちゃうんだって」
角度が変わり、今度は両側からゆっくりとした力が加えられる。
「君の助けになりたい。俺に君を守らせてくれないか?」
背中から感じる温度と、手のひらから伝わる熱。
囁かれる甘い言葉は、どこかで耳にしたことのあるもの。
それは、かつて林太郎が出演していた、恋愛ドラマの主人公の台詞だった。彼自身は脇役だったけれど、覚えていたのだろうか。
やわらかく、寄りそうように繰り返される睦言は、どれもこれも、引用台詞ばかり。
林太郎自身のものであったり、別の誰かの台詞であったりするけれど、古い作品も多い。芝居に関する記憶力は、本当にたいしたものだ。
労わりの気持ちがないとはいわない。
けれど、向けられるのは仮初の言葉で、そこに本物があるかどうかなんて、わからない。
今のこれだって、要するに「練習」なのだ。
しっとり、甘やかに囁く役づくりの一環として、林太郎は住子に囁きかける。
感じる温度とはうらはらに、住子の心はなぜか冷ややかだった。
◆
背の高さが違うため、住子を上から見下ろすのはいつものこと。いつだったか、一緒に傘に入ったときも、こうして背後に立ったことがある。
体勢としては、そのときと同じであるはずだが、今日のうしろ姿は妙に艶めかしい。
いつもはきっちりとしばっている髪がおろされると、印象が変わるのだ。
うしろ髪が首に沿って流れ、細いラインをあらわにする。襟ぐりの広いシャツからチラリと覗く背中――、その先を想像してしまう己は友人失格ではないだろうか。
櫛を通すと、艶やかな髪が指に絡む。指先が住子の体温を拾うたび、動揺が走る。
それでいて、触ることがやめられないのだから、困ったものだ。
練習練習。
念仏のように呟きながら、林太郎は役に専念することにした。
今の自分は山田林太郎ではなく、フォレストのリンであり、女性を癒し輝かせる美容用品。
そう振る舞うことで、邪念を逃がそうと思ったのである。
「したらさ、それはあのドラマの台詞だ、とかって、ぜんぶ受け流しちゃうの。採点厳しいと思わね?」
「…………」
「俺としては、せいいっぱい甘くあまーく言葉をかけたつもりなのに、全然つれないの。まあ、住子ちゃんらしいといえば、そうなんだけどさー」
練習とはいえ、それとこれとは別問題。
美容師の真似事をする練習であり、それ以外は普通の会話。
疲れている友人を元気づけようと声をかけているのに、住子はそれを受け取ってくれないのだ。
身勝手だとわかってはいても、悔しいし、腹が立つ。
「おまえ、アホだな」
「なんでだよ」
出番待ちの楽屋で、黙って話を聞いていた慎吾が、嘆息とともに断じる。
飲み物を置いて、怒りの声をあげる林太郎に対して、慎吾は口を開いた。
「おまえが言った台詞を、どのドラマのものか言い当てたんだろ?」
「そう。おまけに正解率高い。ちょっと驚いた」
「ってことは、大きい小さい関係なく、おまえが出ているドラマを見てくれてるってことだろ」
「――へ?」
ダメだしをされたせいで気づかなかったが、たしかにそういうことになる。
そこそこの視聴率を叩き出した春ドラマですら「見てない」と言っていたあの住子が、自分と出会ったあとに、作品を見てくれたということなのだろうか。
過去に見たドラマもあったかもしれない。
しかし、林太郎が俳優業に力を入れはじめたのは、ここ数年だ。それまでは、役名はあっても、毎回出るわけではない脇役が主だった。
あの日つらねた言葉の中に、それらの作品もあったはず。
そんな昔の小さなドラマでさえ、住子は見てくれた、ということなのか。
じわじわと、あたたかいものが胸にこみあげる。
顔がゆるむのを止められない。
「そっかー。そうだよなー」
「ま、たまたまって可能性もあるけど」
「いやいや、だって住子ちゃん、ドラマとか見ないって言ってたし」
「まさか、見ろって強要したのか?」
「してねーよ。公式サイトは見てって言って、パソコンにショートカットは作ったけど」
「……おまえ、他人のパソコンになにしてんだよ」
動向をチェックしてくれたらいいなと思ったことはたしかだけれど、そのうちメールや電話をするようになったため、あまり気にしなくなっていった。
公式サイトにはあげられないスケジュールもあるし、重大なことは公表の日時も決まっている。さすがにそれらは黙っているが、ドラマ撮影などは「練習」をお願いしていることもあり、ほぼ筒抜けである。
どんなことをしているのか知らせている理由は、自分を尊敬してほしかったからだ。
フォレストを知らない住子に、自分が有名人であることを知らしめて、ちょっとだけ特別扱いしてほしかった。
表面には見えなくとも、ちゃんと「リンの仕事」を気にしてくれていたのだと知り、林太郎の胸は躍った。




