第一話 不審船
20XX年 8月1日未明
尖閣諸島 魚釣島
周辺海域を警戒していた海上保安庁の巡視船「よなくに」が、魚釣島に近づく国籍不明の船舶を発見。気圧が急激に下がり、風雨が強まり海面が荒れていたため、朝になり治まってから不審船の立ち入り検査を行うことにした。
朝になり天候と波も治まったため、不審船への立ち入り検査を行ったが、船員たちは夜のうちに魚釣島へ上陸したようだった。海上保安官数名が島へ上陸したが、連絡が途絶えた為、特警隊(特別警備隊)が上陸したが、不審船の船員達と思われる集団から自動小銃による銃撃を受け、数名が負傷して撤退した。
「魚釣島に上陸した不審船の船員達によって、海上保安官数名が拘束されたものと思われます」
東京の首相官邸の地下にある危機管理センターで、内閣総理大臣・佐藤久正をはじめとする国家安全保障会議のメンバーが詰めかけ、国土交通大臣の矢島邦彦より状況が説明された。
「銃撃があったと聞きましたが、犠牲者は出たのですか?」
佐藤が聞く。
「いえ、特警隊に数名の負傷者が出ただけで、犠牲者は出ていません」
矢島からの説明が終わって、警察庁長官の宇佐美が言う。
「現在、沖縄県警の機動隊を動員し、特殊部隊SATも海上保安庁のSST(特殊警備隊)と共同で魚釣島に潜伏する不審船の船員達の制圧と、拘束されている海保隊員達の救出の準備を進めています。ですが、海上保安庁からの報告からすると、島に上陸した船員達は軍用の自動小銃の取り扱い方に熟知していたということで、極めて高いレベルで訓練された特殊部隊の可能性があり、島でゲリラ戦を行われたら、短時間での制圧は難しいかと思われます」
宇佐美からの説明を聞いて、佐藤をはじめ主要閣僚全員の顔が引きつる。
「一体どこの国の人間がこんなことを」
佐藤のつぶやきに、官房長官の篠塚慶が言葉を重ねてきた。
「大方、東亜国じゃないのか?前々からあの辺りの領有権を強く主張していたからな」
防衛大臣の井之上和彦も頷く。
「確かに、魚釣島を含めた尖閣諸島などの沖縄周辺の離島の領有権を強く主張し、ここ最近も領海侵犯を繰り返していましたから、その可能性はありますね」
2010年9月に起きた東亜国漁船衝突事件以来、東亜国の漁船だけでなく、東亜国海軍の軍艦による領海侵犯が相次ぎ、中には海上自衛隊の護衛艦に対して東亜国海軍のフリゲート艦が火器管制レーダーを照射するという事件もあった。
井之上が佐藤に対して言う。
「総理、すでに海上警備行動を発令してあり、護衛隊群が魚釣島へ向かっています。到着次第、海上保安庁と連携して事態の収拾にあたらせます」
「分かりました。よろしくお願いします」
海上警備行動とは、強力な武器を持っている不審船が日本の領海内に現れ、海上保安庁だけでは対応できないと認められた場合に、防衛大臣が発令できるもので、これによって自衛隊の出動が可能となる。
「防衛出動を出すべきじゃないのか?」
篠塚が声を上げ、その言葉に佐藤は思わず顔をしかめた。
海上警備行動では緊急避難か正当防衛が認められた場合のみ武器の使用が可能となるが、防衛出動ではその制限が取り払われることになる。発令できるのは自衛隊の最高指揮官でもある内閣総理大臣ただ一人だけだ。
「官房長官、失礼ながら御存知かと思いますが、防衛出動が発令できるのは相手が国、あるいは国に準ずる組織に限られており、今の時点では魚釣島に上陸したのが東亜国の特殊部隊であるというのは確定していませんので、海上警備行動が妥当かと」
井之上の説明に篠塚が反論する。
「そんなことは分かっている!だが、東亜国に対してもこれ以上勝手な真似をさせないためにも、今こそ我が自衛隊の能力を見せつける時じゃないのか」
タカ派の急先鋒としても知られている篠塚の強気な発言に、主要閣僚の全員が言葉を失う。立場上総理である佐藤が上だが、佐藤よりも若干年上である篠塚の発言力は与党内でも強かった。
「待ってください。官房長官」
井之上が口を開く前に、佐藤が言う。
「井之上大臣の言うとおり、東亜国が関与している確たる証拠がないので、今の時点での防衛出動はまだ早すぎます。不法上陸者たちの国籍と目的を特定することが急務です。矢島大臣、宇佐美長官、今の時点では警察と海上保安庁で対処できるのですね?」
矢島と宇佐美が同時に「はい」と答える。
「では、自衛隊には引き続き海上警備行動の範囲内での活動を続けさせます。石田大臣、当該各国への確認と国連への提訴の準備をお願いします」
「分かりました」
外務大臣の石田二郎が答える。
「官房長官、これでよろしいですね?」
「はい。異論はございません」
渋々という感じだが、篠塚も従うしかなかった。
「総理、先程はありがとうございました」
会議が終わり、一旦解散となった後で井之上が佐藤に礼を言う。
「いえ、井之上大臣の意見は最もです。今はまだ防衛出動を出す時ではありません」
自衛官出身であり、自衛官の息子を持つ佐藤自身、本音を言えば防衛出動を出したくはなかった。もし篠塚の言うとおりに防衛出動を発令してしまえば、敵味方双方に多数の死傷者を出す可能性が増し、戦闘がエスカレートしてしまえば、国民にも多数の死者が出ることにもなりかねない。それだけはできれば避けたかった。
「ところで、魚釣島に向かった護衛隊群というのは?」
「は、小笠原諸島近海で訓練中だった『あまぎ』護衛隊群です」
「『あまぎ』?!・・・ということは」
「そうです。空母『あまぎ』です」
「そうですか・・・」
(よりにもよっていきなりの『あまぎ』とは・・・)
最新鋭のステルス戦闘機『F35BJ』を搭載する空母『あまぎ』の建造は、日本近海における領土・主権を巡る緊張が高まる中、国防のためには空母はどうしても必要だと確信する佐藤の悲願でもあった。
無論、佐藤や井之上のような空母を持つことに賛成する人間もいれば、「攻撃型兵器である空母の建造と保有は、必要最小限の戦力としての専守防衛を定めた憲法に違反する」と激しく反対する人間もいて、政治と国民、両方で世論が二分する大きな問題となった。
そんな『あまぎ』が今、魚釣島へと向かっている。海上警備行動の範囲内での活動とはいえ、再び嵐のような議論が巻き起こるに違いなかった。
(できれば武力を行使する事態だけは避けたいが)
海上を進む『あまぎ』護衛隊群を想像しながら、佐藤は最悪の事態にだけはならないでほしいと願った。