五月十一日
休日というものは人をとことん無気力にさせると思う。特に、何もすることがない中で布団の中にくるまっている時は、何処までも人を陥れる魔力が込められているのではないかと疑ってしまう程だ。別段やることもない為、僕はこうして布団の中でスマートフォンを適当に弄っていた。アプリをやったり、インターネットサーフィンをしたりする。動物園にパンダがやってきていたり、交通事故で大学生が植物状態になってしまったり、某国の大統領が経済制裁を行ったり。そうした後で、意味もなくアドレス帳を見る。そうして僕は、先輩の名前を見つけた。
「先輩……」
何故かポツリと呟いてしまったが、その意味を理解することは出来なかった。自分の思考の癖に、秘められた意味や理由を見出すことが出来ない。
僕はスマートフォンを操作した後、ジャックに端子を差し、イヤホンを両耳に着けた。
「先輩、今お暇ですか?」
『あぁ、暇だよ。休日に君から電話が来るなんて奇遇だね』
聞こえてきたのは、聞き慣れた先輩の声。相も変わらず聞き手の耳を癒し、胸を弾ませることが出来そうな声だ。
「やることもないなと思って。少しお話しませんか?」
『私でよければ相手になろう。君の相手として十分であればよいのだが』
「何言ってるんですか。意味もなくこうした会話を出来る相手なんて、先輩位しかいませんよ」
『光栄だな。君との会話の応酬は本当に楽しいものだ』
「まったくです。僕も楽しいですよ」
布団の中で寝返りを打ち、その後で会話を進める。
「以前先輩との会話の中に、『愛』って言葉が出てきた気がしましたので、今日はそのことについて軽く議論してみたいなと思いまして」
『ほう。これまたロマンチックな話題だな』
「そんなんじゃありませんよ。もっと単純な話題です。複雑すぎる恋愛感情を対象にしたものじゃありませんよ。『愛』そのものについての議論です」
『そっちの方が余程難しい気がするがな。いいだろう』
『恋愛』は『愛』の一種でしかない。本で例えるならば、大項目の中にある小項目の内の一つなのだろう。それに、今更恋愛に対して大きな興味を持つこともない。そこまで僕の心は感傷に浸っているわけでもない。
『宗教によっても愛の解釈は大きく異なってくるが、そう言った物を論じたいわけではないのだろう?』
「まぁ、キリスト教における四つの愛や、仏教や儒教における愛の概念を今更議論したいわけではありません。僕達は宗教家ではないので、その辺りの話をしたところで不毛になるだけだと思っています」
『懸命な判断だな』
「だからこそ、僕は愛の『対象』に焦点を絞りたいと思います」
『対象、とは?』
「人間は何に対して愛を注いでいるのか、ということです」
『なるほどな』
凡その目的を理解してくれたようだ。
キリスト教における四つの愛――『家族愛』『性愛』『隣人愛』『真の愛』。仏教解釈内における『愛と慈悲』の関係。儒教における『愛を情、仁を性と見る』考え方。今更これらについて議論した所で、僕にとって何の生産性もない。そもそもこの会話自体、意味があるのかと問われれば、正直自信を持って『ある』と答えることは出来ない。ただ、したいからする。それだけで始まった僕の自己満足に過ぎないかもしれない。
「そもそも、人間が愛しているのは、外見なのか中身なのか、というから僕は疑問を抱いています。愛は他者がいて初めて成立するのは自明の理ですが、動物に対する愛と、人間同士の愛はまるきり違うように見えます。しかし、世の中には本気で動物を愛する者もいれば、無機物を本気で愛する者だって存在するわけです。つまりそれは、外見を愛していることに他ならないのではないかと思いまして」
『つまり君は、愛が向けられる先は、内面ではなく外見でしかない。そう言いたいのだな?』
頭の回転が速いと、僕の言いたいことをぴたりと言い当ててくれるので助かる。ただし、少しだけズレが生じている為、先輩の思考を直さなくてはならない。
「少しだけ違います。確かに人間は外見で物を判断し、外見を愛する者もいるでしょう。しかし、時には内面を愛すると訴えかける者がいるのも確かです。内面と外面を総合して愛を注いでいるといえるでしょう。その割合の中でも、外見を愛する者が多いのではないかとは思いますが」
『第一印象で決まるとも言うからな。確かにその考えもあるのかもしれない』
人間のほとんどは第一印象で決まると言う。いくら内面がよかったとしても、外見が悪ければ好転することは少ないだろう。一方、外見が良くて第一印象が良いと、内面が多少悪かったところで、悪評が極端に広まることはそこまでない。同じ行動をとった際に、外見が悪い方がより悪く見えてしまう。それだけ、外見の重要性は強い。愛もまた同じなのだろう。
「だから僕は時折思うわけです。もし、ある日突然相手が人間から犬に変わったり、まったく別の存在に変わったりしたら、同じだけの愛を注ぐことが出来るのか、もっと言うと――」
『人間が機械。人間が人工知能に変わった瞬間、その人に対して同じだけの愛を注ぐことが出来るのか、ということか』
先輩の言い換えは正しかった。僕が本当に欲しかった議論は、そこにある。
「流石です、先輩」
『相変わらず君は回りくどいことをする。本題を最初に持ってきた方が会話はスムーズに運ぶというのに』
「いいんですよ。少しでも長く語りたいだけですから」
『それは誠に嬉しい言葉だよ』
本心だった。今回の議題に対する答えを見つけたいと思う気持ちがあれば、今こうして先輩と会話している時間を楽しみたいという気持ちもある。根本的に違う感情ではあるものの、同時進行で行いたいというのが本心である以上、仕方のないことなのだと勝手に解釈した。
「どれだけ精巧に記憶を引き継いだとしても、その人物は完全に同一人物ではありません。人間から他の動物、もしくは人間から機械にすり替わった段階で、別の何かだと認識せざるを得ないわけです。だから――」
そこまで言い切った後で、僕は迷ってしまう。そう、どれだけ同じ記憶を保持しようとも、相手が『私は本人である』と称したとしても、結局のところ他人。他の生物。他の何か。代用品にしか過ぎない。そう考えているのは事実である。しかし、そのことを僕は『先輩』に指摘してはいけないような気がした。いや、より正確に言うと、これから僕が論じようとしていることを、『先輩』を相手に進めてはいけない気がしたのだ。それはつまり、先輩の行動を否定することと同じ。僕が、先輩を否定することと同じ。
『どうかしたのかね?』
「……何でもありません。そろそろご飯食べるので」
そう言って、僕はやり取りを一方的に切った。