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アイの行く先  作者: 風並将吾
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五月十日

「いらっしゃいませー」

 スーパーの中に響き渡る青年の声。というか僕の声。商品を載せた荷台を押しながら、聞きもしない客達に向けて声を出し続ける。夜の時間帯でもう直ぐ閉店する時間ということもあり、元々そんなに人は多くない。定期的に流れている店内放送。時々聞こえる、客が商品を取る音。様々な環境音が聞こえる中、荷台に載せられた商品を陳列棚へ並べていく。

 今僕がいるのはグロサリー部門。一般食品・雑貨部門のことであり、お菓子やレトルト製品、日用雑貨のことである。学生の身である僕がやるには十分な給料と時間帯であった為、このバイトを選んだのだ。スーパーの品出し、実に体力勝負な仕事である。時折飲み物を陳列しなければならないが、その時が一番体力を使う気がする。

「木村さんー、それ終わったらビールの陳列お願いします」

 木村さん、とは僕の苗字だ。名前は健太。合わせて木村健太。何処にでもある普通の名前だ。大学では健太、バイトでは木村と呼ばれることが多い。

 そして今僕に指示を出してきたのは、このスーパーの店長を勤めている(とどろき)大介(だいすけ)さん。中肉中背で、黒縁の眼鏡をつけているのが特徴の男性。今年でちょうど五十歳らしい。子持ちの父であるが、小売業の正社員の宿命で家にはあまり帰れていないとのこと。もし就職活動をすることになっても、スーパーの正社員にだけは絶対になりたくない。

 大介さんはよく店内を見渡しては、指示を出すだけではなく、気付いたことを自分でも色々作業するタイプの人だ。例えば、陳列していたお菓子の中に別の種類が混じっていたら元の場所に戻すとか。POPがイマイチ目立たなかったら、自分で作り直してより集客効果のあるPOPを貼り出したりとか。挙げ出したらキリがないが、それだけ有能なのだから他の職に活かせばいいのにと考えてしまうのは僕だけではないだろう。とあるパートのおばちゃん(推定年齢五十代前半)は『あんなにいい人だから、本社の人にいいように使われてないか心配だわ』と、頬に手を当てて心配そうに言ってきた。僕に言っても正直あまり意味はないが。

「さて……」

 荷台に載っているものを一通り並び終えて、一度店の裏へ戻る。冷蔵室からビールを数パック持ち出し、荷台に載せる。

先ほど載せられていたお菓子類の入った箱よりもかなり重い為、押すのも一苦労だ。確かにこの時間帯は駆け込みで酒を買いにくる客もいる。正直コンビニで買った方が早いのではないかと思うが、コンビニよりスーパーの方が、若干値段が安いと感じる人もいるのかもしれない。少しでも節約したいと言う気持ちは分かる。僕ももし社会人になったら同じことを考えるに違いない。そもそもお酒自体あまり飲まないから意味のない考えかもしれないが。

「こんばんは、いらっしゃいませー」

 店内に戻る時にお決まりの台詞を響かせる。そのまま反応を特に気にすることなく、向かう先は酒が入った冷蔵スペース。引いている荷台が、載せられている荷物の重さで小さく悲鳴を上げている。上げたいのは僕の方だと言うのに、随分と気楽な奴だ。

 そんなに広くない店内だから、目的地に辿り着くまでそう時間はかからない。だけど、その先で僕は、今とても会いたくない人物ナンバーワンに遭遇してしまった。

「おや、これは奇遇だね。君のバイト先で買い物をすることになるとは。いやぁ偶然というのもあるものだね」

 何処までも真っ直ぐな笑みを浮かべながら、副島(そえじま)(あい)先輩が僕に向けて言葉を投げかけてきた。手入れが行き届いてダメージなど皆無な黒い髪は、何処までも真っ直ぐに背中までさしかかっている。丸みを帯びた眉は、細い目の上にしっかりと存在していて、鮮やかな瞳はまるでガラス玉のように透き通っている。鼻は高く、唇は炎のような紅。色白の肌は、副島先輩の持つ美しさを存分に引き立てている。今にも折れてしまいそうな繊細な身体つきをしていて、美人であることをこれでもかと強調しているのに、そんな身体を包み込んでいるのはオール黒ジャージ。あまりのアンバランスさに少しだけ目を見張るも、この手の遭遇は何も今日に限った話ではなかった。

「冗談言わないでくださいよ、副島先輩。僕のバイト先を知ってからほぼ毎回じゃないですか」

「今日たまたま私が買い物しようと思ったのと、今日たまたま君がここでバイトしていたことは、まさしく偶然ではないか。私としては、ここ以外にも買い物をする場所というのは存在しているわけだし」

「言葉遊びですね。たとえ選択肢を用意していたとしても、先輩ならどうせここに来ますよね?」

「ほう? それはどうしてだい?」

 尋ねてくる先輩の表情は、いつも通りの楽しそうな笑みだ。こうして先輩は、いつも僕との会話の応酬を楽しんでいることだろう。いや、そう感じているのは僕だけなのかもしれないが、事実僕は楽しいと思っている。もちろん相手が美人だからということもあるのだが、それ以上に会話の内容が濃いのだ。

 とはいえ、おそらく僕と先輩のキャッチボールに深い意味などないだろうし、なかった所で何ら困ることもない。しかし、それでは人生というのは面白味に欠けることだろうし、何より先輩は、こうして僕と会話することそのものにも意味を見出している筈なのだ。

 だからこそ、僕はビールを並べながら答える。

「先輩の家からこのスーパーまでそんなに距離は離れていない筈ですし、何なら僕がバイトに来る前からほぼ毎日このスーパーで晩酌の為のビールを買いに来ていますよね? 店長からよく聞いていますよ。あの人、定期的に来る客のことはよく覚えていますから」

「なるほど。事実を基にした根拠を述べてきたわけだね。感情論をそこまで強調しない方向での働きかけは実に見事だ」

 そう言いながら、僕が並べたばかりのビールを手にとって、カゴの中に放り込む先輩。他にも、よく冷えているビール缶を数本手に取り、カゴの中に入れていた。既にチョコレートやケーキと言った甘味系が入っていることからも、先輩は今日も夜遅くまで作業をするつもりなのだろう。

「思考は十分に感情が混じったものですよ。楽をしたいというのも立派な感情です。人間の思考というのは、理性と本能が入り混じったものである以上、そこに感情という不純物が混ざらない訳がないんですよ。混ざらないのは機械だけです」

 他の動物と違い、人間は『理性』が強い。『強い』と称しているのは、少なからず動物にもそういった類のものは存在するだろうと僕が考えているからだ。正直、主観的や客観的、理性的や本能的などの言葉に、そこまでの差はないと思っている。『客観的に考えて』と称しながら自己評価を語るその姿は、結局のところ主観に基づいた論説になる。少なくとも『感情』が強く働いている人間というのは、『客観的に判断』された『否定的な意見』を隠す傾向にある。『客観的に』並べられた事項の中から、『主観的に』選択しているのだ。そもそも、『客観的な意見』というのは、誰かが『主観的に』語っている意見に他ならない。本来通りの意味で『客観的な意見』であり、『感情を排除した意見』を言えるのは、人間ではなく機械だけであるだろう。零と一で構築された電子世界の中では、感情という不純物は存在しない。故に、人間には感情論を抜きにした問答は出来ない。

「私が何を研究しているのかを知っていて、今の意見を述べたのかい?」

 可笑しそうに笑いながら、先輩は尋ねてくる。先輩が研究している内容は『AI』について。人工知能の限界に挑戦しようというものである。もちろん、学生の身で見出せる答えに限界があることなど理解しているだろうが、この先輩は生涯をかけて本気で取り組むことだろう。

 だからこそ、僕が今投げた意見を打ち返してきたのだろう。

「えぇ。人工知能が進んだとしても、根本は機械ですから。機械である以上はデータに基づいた答えが出てきます。打ち込んだ情報以外の解答が選択されるケースはそう多くありません。そもそも、そうなった段階でバグが生じているのですから」

「その情報をインプットしているのも人間だよ。人間が作り出している以上、そこに感情が宿らないということは無いと思うけどね。まして、人工知能は自分で思考する。『思考』というのは感情が働くものだと認識しているよ」

「機械は『思考』しません。人工知能が行っているのは『演算』ですよ。だから――」

「機械は人を愛せない、と?」

 驚きのあまり、僕は言葉を失った。いや、分かり切っていたことだったのだ。この先輩は、機械に心が宿っていると本気で信じ、その上で研究のテーマを『AI』に絞り込み、限界を試そうとしている。故に折れることはない。自身の意見に絶対的な自信を持っている。

 対する僕は、『思考』は生物の特権であり、感情を持つ者が行える娯楽のようなものだと考えている。無機物である機械には感情がない為、人工知能もまた『思考』せず、『演算』をする他ない。先輩とは真っ向から相反する意見だ。本来ならば分かり合うことが出来る筈のない二人なのに、それでも尚先輩が僕と関わり、僕が先輩と関わるのは、互いが互いに持っていない意見を持っていて、いつまで経っても交わることのない討論に対して、恋愛感情にも近い何かを感じ取っているからなのかもしれない。少なくとも、僕はそうだ。

「えぇ。機械に人は愛せません。逆ならまだ有り得る話ではありますけどね」

「君は二次元に生きる人だったのかい?」

「否定はしないだけで、僕自身の興味はきちんと三次元に傾いていますので安心してください。もちろんそれなりの知識はありますし、理解もしています。ですが、機械は二次元ではないので、先輩の言葉は正しくありませんね」

「確かにそうだったな。機械は間違いなく三次元だ。平面世界の存在ではない。これは失敬した」

「先輩ともあろうお方が理論を履き違えるとは思いませんでしたよ。心底驚いています」

「その割にはビールを陳列している手を止めることもなく、驚いたような表情を見せていないな。別に感情を表に出さない人間ではないだろうから、本当は何も驚いていない筈」

「流石です。先輩がわざと言っているのだろうなということも十分理解していました。機械に対して本気の貴女が、そんな間違いをする筈がありません。愛する者に対する理解を違えることと同じですからね」

「御明察。まぁ、それと同じくらいに酒も愛しているのだがね」

 ここで先輩は会話を打ち切り、購入予定の商品が詰まったカゴをわざとらしく僕に見せつけながら、レジの方に視線を向ける。全然並んでいない上に、ほとんど店員が帰ってしまっている為、眼鏡をかけた女性店員が欠伸をしながらボケっとしている姿があるだけだった。

「あぁ、もうすぐ閉店時間ですからね。そろそろ精算しないと店を追い出されてしまいますよ」

「それもそうだね。君の仕事の邪魔をするわけにもいかないし、会計を済ませてくるよ」

 僕に背を向けて、先輩はレジへと歩みを進める。その後ろ姿をじっと見つめる僕。本当、美人なのに惜しいことをしている人だと思う。残念美人という言葉があるのだとしたら、きっと先輩のことを指すのだろう。

 そんな余計な思考をしつつ、荷台に残された酒を冷蔵ケースに陳列した後、店の裏へと戻っていく。その時の足取りは、自分でも心なしか軽かったことから、やはり先輩との会話は楽しいものだったのだろう。


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