第485話 16歳のイングリス・二色の竜
ゴゥン――ゴゥンゴゥン――
夜中に目が覚めると、独特の振動音が耳に入る。
飛空戦艦が空を飛んでいる際の船内には休む事無くこの音が響いている。
と同時に、グゥという音がそれに混じる。
何かというとメルティナ自身のお腹の音だ。
「……困りましたね」
メルティナは寝台から身を起こしてお腹をさすり、一つため息を付く。
食事の時間はまだだが結構お腹が空いてしまっている。
今はヴェネフィクの皇女ではなく、カーラリアの騎士アカデミーの学生として神竜の調査に同行させて貰っている身。
離宮での暮らしは自由も無く友人もおらず、それに比べればイングリスやラフィニア、レオーネやリーゼロッテ達に囲まれて過ごす今の学生生活のほうが絶対にいい。
自分を友人として受け入れてくれる存在が、こんなにも嬉しく尊いものだという事を教えて貰ったと思っている。
とはいえ好きな時に好きなだけ食べられるわけでは無い、という事だけが少し不便だ。
メルティナは寝台から立ち上がった。
「ん……」
そして、伸びをして凝ってしまった体をほぐす。
壁に備え付けただけの簡易的な寝台だ。固いので寝て起きた後は体が凝ってしまう。
部屋には他にもその備え付けの寝台が合計で四つ。
それだけで部屋の殆どが埋まってしまうくらいには狭い。
単に寝るためだけにあるような殺風景な様相である。
ここは軍艦でもあるし多くの乗組員がいる。
部屋で寝られるだけでも有り難いと言えるだろう。
リーゼロッテも寝る時はこの部屋を使うのだが、今はおらずメルティナ一人だ。
二人で交代しながら隣室のロシュフォールの様子を看ているのである。
体をほぐしたメルティナは、そのまま扉へと向かう。
何か貰えるか飛空戦艦内の配給所に行って聞いてみようか、と思ったのだ。
同じような部屋の扉が並ぶ通路を、船尾方向に向けて歩いて行く。
ここは艦内の右前方部だ。そして配給所は船の最後尾部分にある。
何人かの乗組員の騎士達とすれ違い、そして――
「メルティナ様。どうかなさいましたか?」
途中でそう声をかけられる。
「あ、ラファエル様」
メルティナに声をかけてきたのは、ラファエルだった。
「こんな時間にどうかなさいましたか?」
「あ、いえ何も問題はないんですが……」
と少しお腹を押さえるような仕草をするメルティナを見ただけで、ラファエルは察したようだ。
「ああ。なるほど、じゃあ行きましょうか」
ラファエルは微笑むとメルティナを先導して歩き出す。
「あの、お忙しいのにそんなお手間を取らせるわけには……」
今の自分はヴェネフィクの皇女では無く騎士アカデミーの一生徒だ。
聖騎士団を預かるカーラリア最高の騎士であるラファエルがただの生徒の夜食を案内するなどあり得ない話だ。
「いえ、いいんですよ」
ぐうぅぅ~。
それはメルティナのお腹が発したものでは無かった。
「僕も行き先は同じですから。ははは」
ラファエルはそう微笑みながら後ろ頭を掻く。
「まあ……ふふふっ。ではご一緒させて頂きますね」
ラファエルとメルティナは並んで船尾方向へと歩き出す。
「ロシュフォール殿の具合はどうですか?」
「あ、はい。特に変わりはありません、元々が元々ですからとても容態が良いとは言えませんが……」
「そうですか。ラニやクリスやアルル様達が彼を救おうと頑張ってくれています。何とか皆が帰ってくるまで頑張れるように励ましてあげて下さい」
「はい、勿論です! ラファエル様はロシュフォール先生と戦場で戦ったと伺っていますが……その相手をそんな風に慮って頂いてありがとうございます」
「私怨があるわけではありませんから。ロシュフォール殿もそのはずです。それに今では騎士アカデミーの教官としてラニやクリスがお世話になっていますし、よくして貰っているとも聞いています。身内の者としては、良い教官には元気になって頂きたいですよ」
「ふふふ、はい。ロシュフォール先生はとても良い先生だと思います。元々将軍だったのが信じられないくらい板に付いているというか――放課後の自主訓練までよく見て下さいますし」
「クリスがよく戦闘訓練に付き合わせていると聞きました」
「ええそうですね。私はその横で基礎訓練ですが、先生は文句は言いますがちゃんと付き合ってくれます」
最近の日常の光景を思い出して、メルティナはくすくすと笑う。
肉体的には本当にきつくて毎日体が筋肉痛だが、精神的には本当に心が安まる幸せな日々だと思う。
「……出来れば僕達魔印を授かった騎士たる者は、人同士の争いでは無く虹の雨や魔石獣から人々を守るためだけに戦いたいものですね。決して悪い人では無い人とも戦わざるを得なくなってしまいますから」
「はい、そうですね……本当にそうです」
ラファエルと話していると、言っている事の一つ一つが本当に腑に落ちる。
ラフィニアと話していても似た印象を受けるのは、やはり兄妹だからだろうか。
ラフィニアは明るく元気よく溌剌としていて、ラファエルは穏やかで上品かつ大人の包容力を感じるという違いはあるが、どちらも本当に素敵な兄妹だと思う。
特にラファエルとは、話していて何だかどきどきとしてしまう。
こんな感覚は初めてかも知れない。
とても美しいラファエルの横顔を、つい目で追ってしまう。
そんな風にしながら、メルティナとラファエルは船尾の配給所へと辿り着く。
「やあご苦労さま。済まないが何か食べられるものはあるかい?」
ラファエルはそこで働いている白い調理服の男性に声をかける。
「ラファエル様。またですか」
若そうだが恰幅のいい係の男性はそう言ってため息を付く。
「いやあ済まない。お腹が空いてしまうと頭も回らなくなってしまってね。片付けなければいけない事務仕事はまだまだあるんだけれど……」
「リップル様に手伝って貰えばいいんじゃ無いですかね? それで寝る時に寝て頂ければ、食料のやりくりが逼迫することも少なくなるんですが」
「いやぁ、リップル様はそういう仕事は苦手だからね。エリス様なら手伝って頂けるんだけど……お戻りになるまではね」
「なるほどそういう事なら仕方ありませんなぁ。まあ味より量という事で、いつものこれですがいいですか?」
と、取り出されたのは人の頭程もある大きなパンだ。
皮が厚い堅焼きのパンだが、表面に砂糖をまぶした上で火で炙っており美味しそうな焦げ目が付いている。
「もちろんだよ。それに僕はこれ、美味しくて好きだよ」
「そいつはありがとうございます。作り置き用ですが一応私の手作りですからね」
「ただ、申し訳ないんだけどもう一つ貰えるかい?」
と、ラファエルはメルティナの方を見ながら言う。
「ん? ああ、その子ですか。なるほど分かりました」
メルティナの顔を見ると納得され、もう一つラファエルのものと同じ大きなパンが出て来た。
「ありがとうございます」
メルティナは丁寧にお辞儀をしてそれを受け取る。
「まさかラファエル様に匹敵するくらい食べる女の子がいるとはねえ。それも他にあと二人も……積み込んだ食料が食い尽くされるかと思いましたよ。今度からこの子達も乗る時は事前に言って下さい」
「いやあははは。済まなかったね。じゃあ頂くよ、ありがとう」
配給所には壁から引き出す形の椅子がいくつも備え付けられており、ラファエルとメルティナはそこに座る事にする。
そこでラファエルもメルティナも貰ったパンを一口する。
「あら。外はしっかりした皮なのに中がふっくらして柔らかいですね。それにお砂糖の焦げ目も香ばしくて……」
「そうでしょう? 味より量なんて彼は言いますが美味しいんですよ」
「本当ですね。焼き加減が凄く上手なんですね」
と、美味しく夜食のパンを食べていると――
「ラファエル様……! こちらにおられましたか、お食事中失礼致します」
騎士の一人がラファエルを見つけて駆け寄ってくる。
その様子を感じ取り、ラファエルは表情をやや鋭くする。
「いえ。何かありましたか?」
「実は、夜警の担当の者達が何名か行方が知れぬのです。それでご報告に――」
「えぇっ!? では何者かの襲撃が……!?」
「それも分からぬのです。私と他数人で探しましたが、争ったような跡も遺体の類いも見当たりません」
「襲撃の形跡は無い? ですが姿も見えない、と?」
「はい。左様です」
「気になりますね。では、念には念を入れましょう。もっと人数を集めて艦内全体の捜索を。何かがあってもここは空の上ですから退路もありません。僕も行きますから、現場に案内して下さい」
「はっ。こちらです」
「メルティナ様も十分お気をつけて。リーゼロッテさんと合流して、周囲を警戒しておいて下さい。ロシュフォール殿の事もありますから」
「はい、分かりました」
ラファエルは急いでパンを頬張りながら、報告に来た騎士と共に立ち去っていく。
もう少し話してみたかった気もするが、事情が事情であるため仕方が無い。
メルティナもその場で急いで残りのパンを平らげ、そして先程の配給係の人にお礼を言っておこうと配給所の奥のほうを覗き込む。
「あの、済みません――」
返事は無い。静寂の中に、遠くから響く飛空戦艦の駆動音だけがやけに響く。
「あれ? どこかに行って……?」
だが配給所から出て行くところは見えなかったが――他に通路があるのだろうか?
分からないが、姿が見えないものは仕方が無い。
「ありがとうございます。美味しかったです」
メルティナはそう声だけかけて、一礼すると艦内の通路を右前方方向に戻る。
ロシュフォールが療養している部屋はメルティナが眠っていた部屋のすぐ近くだ。
今はリーゼロッテがロシュフォールに付いていてくれている。
ラファエルが言ったように自分もそちらに合流しようと思う。
「集合……! 第一隊から第三隊は船底格納庫へ――!」
「侵入者の疑いがある! これより艦内全体の捜索を行う」
慌ただしくなり始めた艦内の様子を感じながら、メルティナはロシュフォールの部屋の扉を開く。
「リーゼロッテ。ロシュフォール先生のお加減は……」
ビュウウウウウウウゥゥゥゥッ!
しかしそこにいるはずのリーゼロッテの返答代わりに聞こえてきたのは、猛烈に吹き荒れる風の音だった。
部屋の外側の壁に大穴が空き、外の空気が流れ込んできているのだ。
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