第460話 16歳のイングリス・絶海の|天上領《ハイランド》71
騎士アカデミー、大教室――
この日は朝から騎士科と従騎士科の合同の講義の予定だった。
休暇明けからイングリス達はイルミナスに向かい、残りの生徒達も封魔騎士団の活動でアルカード行きをしていたりして、まともに一回生全員が揃って授業を受けるのは久しぶりである。
「ふあぁぁ~。たまにはのんびり授業受けるのもいいわよねえ、ここの所忙しかったし」
「ラニ、だったら居眠りせずにちゃんと聞いてた方がいいよ?」
ラフィニアは早速、隣に座るイングリスにもたれかかって眠気と戦っている様子だ。
「だってぇ、今日は何だか眠いんだもん。おかげで朝ご飯あんまり食べられなかったし」
「いや、物凄く沢山食べてたようにしか見えなかったけど」
聞いていたレオーネが、思わず口を挟む。
普段からイングリスとラフィニアの食べる量は異常なので、レオーネやリーゼロッテからは、細かな違いは分からない。
「何にせよ、皆様が無事にここに揃えたのは結構な事ですわ。久しぶりに落ち着きますわね」
「ええ、アルカードに行ったみんなも、大きな問題は無かったみたい」
「あ~、久しぶりにプラムとラティの顔も見ておきたかったわね~」
そんな、他愛も無い雑談をしながら授業の開始を待っていると――
「皆さん、おはようございま~す!」
笑顔のミリエラ校長が、教室に入ってきた。
「あれ? どうして校長先生が? 今日校長先生の特別授業じゃないわよね?」
ミリエラ校長自ら授業をするというのは、普段はあまりない事だ。
まだ若いが、これでもれっきとした校長であり、授業以外にもやるべき事は沢山ある立場だ。
入学式後の超重力によるオリエンテーションであるとか、特別課外授業の許可テストであるとか、魔石獣を呼び寄せる状態になってしまったリップルの護衛の指揮であるとか、そういう特別な場面でしか、基本的に生徒を直接指導するという場面はないのだ。
「という事は、何か大きな問題が起きたんじゃないかしら」
レオーネの言う通りかも知れない。
「またですの? 今度はどこに行かされるのでしょうか?」
リーゼロッテは少々疲れ気味のため息をつく。
「わたし、次は教主連のほうの天上領に行ってみたいな……! フフェイルベインを取り込んだイーベル殿とも戦いたいし! あと、天上領の教主様とも手合わせしてみたいなぁ。強いのかなぁ、強いよね? 天上領で一番偉いんだし……!」
「「「はははは……」」」
顔を輝かせるイングリスに、ラフィニアもレオーネもリーゼロッテもに苦笑いを浮かべる。 絶対碌な事にならない、と全員の顔が物語っていた。
「うーん。予定も無く校長先生が授業に来ると、嫌な予感しかしないわねー」
ラフィニアの言葉に、レオーネとリーゼロッテが大きく頷いていた。
それはラフィニア達だけでは無いようで、教室中がざわざわしている。
うげ、とか、ぐえー、とか、嫌なものを見た、とか、色々聞こえてくる。
それを見たミリエラ校長は、心外だと言いたげな表情をしている。
「誰ですかぁ? 重力三倍増しの特別スペシャル訓練の志願者さんは?」
「はい……! はい! わたし! わたしにやらせて下さい!」
イングリスは瞳を輝かせて手を挙げる。
いつもの超重力の魔術より、更に強力な重力負荷をかけられる手段があるのなら、その魔素の動きと配置を学んで、自分の訓練に活かしたい。
「イングリスさんはいいんですよお? 私が来たら喜んでくれたでしょう?」
しかしミリエラ校長は、にっこり笑顔を浮かべてそう言った。
「む……失敗しましたか」
自分も嫌がる素振りを見せれば良かった、と思う。
「コホン。えー、皆さん私が来たら厄介事が起こると思っているようですが、今日はそうじゃないって事をお見せしちゃいますっ!」
ミリエラ校長が一つ咳払いし、笑顔で皆に呼びかける。
「え? 何だろ何だろ? 食堂のメニューが増えるとかかなあ!?」
「だったら嬉しいけど、わざわざ校長先生が伝えに来る事じゃない気がするね」
その答え合わせは、すぐに行われる。
「はい、という事で転校生を紹介しまーす!」
「転校生!? へえぇぇ~、そんな事あるんだ、どんな子だろ?」
ラフィニアは明らかに興味を引かれている様子だ。
「では入って下さ~い! どうぞ~!」
ミリエラ校長に呼ばれて教室に姿を現したのは、淡く水色がかった銀髪をした、気品のある顔立ちの少女だった。
「あっ!」
「あの人は……!」
「ヴェネフィクのメルティナ皇女ですわ!」
そう、格好こそ騎士アカデミーの制服だが、リーゼロッテの言う通りの人物だ。
先日セオドア特使達とグレイフリールの石棺に入った際、エリスとメルティナ皇女が入った装置を調査したセオドア特使は、エリスはそのまま処置が終わるのを待てば問題なさそうだが、メルティナ皇女はすぐに装置から出した方が良いと判断したのだ。
イングリス達は協力してメルティナ皇女を装置から引き出したのだが、メルティナ皇女はその場では意識が戻らず、王城に運ばれ療養する事になった。
こんなにすぐに動けるようになったのは喜ばしい事だが、まさか騎士アカデミーに編入してくる事になるとは――
「こちらメルティナさんで~す! 皆さん仲良くしてあげて下さいね! 特にイングリスさん、ラフィニアさん、レオーネさん、リーゼロッテさん。彼女の事をよろしくお願いしますね~」
ミリエラ校長がにこにこと、そう呼びかけてくる。
「わぁ~! お姫様だ、お姫様だ、本当のお姫様だ……!」
「ラニ、あんまり大きな声で言わない方がいいよ?」
「え? どうして?」
「校長先生も、そういう風には紹介してないでしょ? 皆に知られすぎると、良くない事だって起きるんだよ。ラティだってお忍びみたいな感じだったでしょ?」
「ああ、そう言えばそうだったわね」
「でも、ラティはアルカードの人だったから、まだいいんだよ」
アルカードは伝統的に、カーラリアと友好的な関係にあった国だ。
ヴェネフィクと共にカーラリアを挟撃する構えは見せたが、結局それは実行されず未然に防がれた。
そしてその事を正式に謝罪し、真っ先にウェイン王子の封魔騎士団構想に賛意を示し、実際にその活動を受け入れてもいる。
そういう関係だから、ラティの素性が生徒達に広く知られてしまっても、特に大きな問題は起きなかっただろう。
だがメルティナ皇女はヴェネフィクの姫君だ。
ヴェネフィクはアルカードと違い伝統的なカーラリアの敵国である。
元々人々の印象はアルカードとは随分違うし、先日は直接攻撃を受けたばかりだ。
虹の王の侵攻を、ヴェネフィクのせいだと考える者もいる。
メルティナの素性が知れれば、良からぬ事を企む者もいるに違いない。
それを言うならロシュフォールやアルルもヴェネフィクの人なのだが、アルルは人々にとって国を守る女神たる天恵武姫だし、ロシュフォールは特級印を持つ図抜けた実力者だ。
反感を覚える人間もいるのだろうが、それを実力で黙らせている感はある。
メルティナ皇女にそこまでのものがあるかというと、そうでは無いだろう。
「わたし達は元々知ってるから。だから校長先生がわたし達によろしくって言うんだよ」
無論ロシュフォールやアルルが手助けはしてくれるだろうが、生徒側として、メルティナ皇女を見守って欲しいという事だ。
「なるほど……今、色々揉めてるもんね、ヴェネフィクとは――」
先日もイルミナスでヴェネフィクのマクウェル将軍と一悶着起こしてきた所だ。
彼のあの能力と力がカーラリアへの侵攻に使われれば、あの氷漬けの虹の王と同じくらいの被害をもたらすかも知れない。
「まあ、校長先生が来たら厄介事が起こるって言うのはあってるかもね? ふふふ……わたしはそれでいいけど」
メルティナ皇女だけで無く、マイス達イルミナスの天上人もボルト湖に迎えることになったし、身近に火種が沢山増えた、と言う事だ。
「「「よくないっ!」」」
ラフィニアとレオーネとリーゼロッテに、揃ってそう言われてしまう。
「はい、じゃあメルティナさんは、あそこに~。ラフィニアさんの隣に座って下さいね~」
そうしているうちに、ミリエラ校長に促されたメルティナ皇女がイングリス達の側にやって来る。
「皆様、その節は本当にお世話になりました。私の命をお救い頂いて……本当に感謝致します」
メルティナ皇女は深々と頭を下げ、丁寧にお礼を述べてくる。
「い、いえ、他の人は……助けられなくてごめんなさいっ!」
ラフィニアがそれに負けないくらい、深々と頭を下げていた。
ずっと気にしていたのだ。
優しい子だ。こういう所を見ていると、イングリスとしては微笑みを禁じ得ない。
やはり自慢の孫娘、である。
「お気になさらないで下さい、そもそもの私の力不足が原因なのです。彼等に生かして貰ったと思って、この命、大切にします」
メルティナ皇女はそう言って微笑む。
「私は強くなりたいんです。もう二度と、私の前であのような事を起こさせないように、身も心も強く……そのためには、こちらで多くの事を学びたいと思っています。どうか色々教えて下さいね?」
「勿論ですっ! ね、クリス?」
「はい、安心してこちらで過ごせるよう、尽力させて頂きます」
メルティナ皇女は、ヴェネフィク内の政争で敗れ天上領に身柄を売り飛ばされているような状況だった。
助かったからと言ってヴェネフィクに帰る場所は無く、事情を聞いたカーリアス国王やウェイン王子が騎士アカデミーのミリエラ校長に身柄を預けることにしたのだ。
ヴェネフィクとの今後の状況次第では、メルティナ皇女が重要になってくる場面もあるかも知れない。
例えば、カーラリアからヴェネフィクに侵攻する際、メルティナ皇女を形式的な総大将とし、カーラリアからの侵略では無くメルティナ皇女による、ヴェネフィク現体制の打倒、解放であると謳い、ヴェネフィク国民の反発を抑える、とか――
カーラリア側からすれば、保護する価値のある人物だ。
全てを失ったメルティナ皇女に騎士アカデミーの安くはない学費を負担する事は出来ないだろうが、それを全部負担しても安いもの。
人一人にかかる経費など、たかが知れている。
もしイングリスがカーリアス国王やウェイン王子の立場だとしても、同じような対処をしていた。
「私達もできる限りの事はします、何でも聞いて下さい!」
「色々驚かれる事もあるかも知れませんが、そこはお覚悟を……」
「……それは間違いないわね」
「「?」」
頷くレオーネに、きょとんとするイングリスとラフィニア。
多分早速お昼休みに、メルティナ皇女は度肝を抜かれる事になる。
そう思って、リーゼロッテは親切心から言ったのだが、いくつか授業を終えた数時間後のお昼休み――
「ん~! 今日も美味しい~♪ ねえメルティナ、これがAセットね!」
「はい、美味しいですね」
「こっちはCセットだよ、わたしこれ好きなんだ」
「ええ分かります、美味しいですよね」
ばくっばくっばくっばくっ!
喋りながらも凄い勢いで平らげられていく料理の数々。
限りあるお昼休みの時間の中で、どれだけの食べ物を摂取できるかの戦いのようにも見えてくる。
「あああぁぁぁぁ、野菜が足りない!」
「肉も足りないよっ!」
「卵もっ! パンも! 全部足りないっ!」
――特に、厨房で料理をするために動き回っている、食堂のおばさん達の方は。
いつもイングリスとラフィニアの胃袋と戦って、鍛えられているはずなのに。
「よしラストスパートよ! AからEまでもう2周!」
「じゃあ、わたしも」
「では、私も」
メルティナ皇女はイングリスに続いて、平気な顔をしてそう言うのである。
「ふ、増えてる……!?」
「る、類は友を呼ぶ、ですわねぇ――」
レオーネとリーゼロッテは、逆に度肝を抜かれて顔を見合わせていた。
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