第455話 16歳のイングリス・絶海の|天上領《ハイランド》66
これを以てすれば、遠く離れた大海原からここ、カーラリア王都のボルト湖までイルミナスごと転移してくる事も造作も無い。
距離も重さも無意味だ。世界の理そのものを書き換えてしまうのだから。
それを扱うイングリス自身が、自分達がどこに向かうかさえ分かっていればいい。
武器化したエリスやリップルを手にした時、彼女達の力によってイングリスの霊素は強化、増幅され、神行法を可能とする真霊素にまで昇華した。
グレイフリールの石棺の中でのイングリスの修練の目的は、それを独力で起こせるようになる事、だった。
如何に出口が無く破壊も出来ないとされるグレイフリールの石棺でも、神行法による神の移動は防ぐ事は出来ないからだ。
自身の霊素を細かく、隙間無く、精緻に編み上げ、恐ろしいまでの手間と時間を掛け、完全な美術品を創りあげる事を目指すような、気が遠くなるような修行だった。
その甲斐あって、十分な手間暇さえかければ独力で真霊素を生成する事が可能になった。
ただしエリスやリップルを手にした時のように、握った側から即時に真霊素を操れるほど便利ではなく、あらかじめ真霊素を練り上げて溜めておき、それを必要に応じて解放するというような使い方になるが。
今は神行法でグレイフリールの石棺から抜け出す事と、イルミナスごとボルト湖に転移する事で、練り上げた真霊素を殆ど使い果たしてしまった状態だ。
また独力で神行法を使うためには、暫く霊素を練り上げて溜める作業が必要になる。
ばしっ!
子供の身体の服を胸元に巻き付けただけで、剥き出しになっている背中を叩かれる。
満面の笑みのラフィニアに悪気はないのだろうが、ちょっと痛い。
「ありがと、クリス! さすがだわ! もう虹の雨も降ってないし、イルミナスも沈んでないし、マイスくん達は助かったわ!」
イルミナスが沈んでいかないのは、イングリスの力では無く、単に元の場所ほどは水深が深くなく、底面が湖底に着いているからだろう。
ともあれ飛びついて抱きつかれると、当然悪い気はしない。
ちょっとした背中の痛みなど、完全に忘れてしまう。
「ううん、こちらこそ……だよ」
「?」
ラフィニア達にとっては数日だろうが、グレイフリールの石棺の中でのイングリスの時間は何年も経っているのだ。
いい修行ではあったし、エリスやリップル達のおかげで、真霊素と神行法という明確な目標は見えていたが、想像を絶する難易度と、それに取り組む長い一人きりの時間は辛くなかったかと言えば嘘になる。
イングリス・ユークスとして転生して以来、こんなにも長くラフィニアと離れた事は無く、正直言って寂しかった。
だが逆にイングリスを支えてくれたのも、ラフィニアに早くまた会いたいという気持ちだったように思う。
それが、恐らくイングリス王では完済させられなかった修行を完成に導き、こうしてグレイフリールの石棺からの独力脱出を可能とさせたのだ。
「本当に久しぶりだね、ラニ。もっとよく顔を見せて?」
「ん……? はい、どうぞ!」
ラフィニアが改めて、満面の笑みを向けてくれる。
――とても、可愛らしい。まるで心が洗われるかのようだ。
イングリスも満足そうな微笑みを浮かべ、二人で笑顔を交わし合った。
やはり、これでいい、これがいい、そう思えた。
だがやがて、イングリスはふうと一つため息をつく。
「みんな無事なのはいいけど、虹の王もあの巨人達も置いて来ちゃったのは、惜しい事したなぁ……戦いたかったなぁ……」
偶然か何か分からないが、虹の王を自分の馬のように乗りこなす様は圧巻だった。
マクウェルと無貌の巨人はイングリスも目を見張るほど能力の応用と進化の範囲が広く、無限の可能性を秘めていると感じた。
ひょっとしたら虹の王とも化合して全く別の何かに進化してくれるかも知れない、それをイングリスとしては見たかった。そして戦いたかった。
「嫌よ、あんなの! もう顔も見たくないし!」
それを聞きつけたラフィニアが、ぶんぶんと首を振る。
「私も暫く見たくないわね。特に、あの鎧が……」
レオーネはティファニエに強制的に装着され、身体を操られてしまったらしい。
イングリスも一度、ティファニエから受けた攻撃だ。
イングリスをグレイフリールの石棺に押し込めるために、ティファニエはレオーネから離れたが、その後も無事でいたようで、何よりだ。
「あの虹の王……海の悪魔は仕留められるなら仕留めておくに越した事はありませんでしたが……仕方がありませんわね」
リーゼロッテのシアロトの街では、過去あの虹の王によって沈められた船も少なくないのだろう。
あれが倒されれば、シャケル外海の航海の安全性がぐっと増す。
シアロトの領主であるアールシア公爵の娘として、それは心残りなのだ。
イングリスとしても、出来ればすぐに元の地点に戻って虹の王やマクウェルやティファニエや無貌の巨人と手合わせしたいが、残念ながら暫く時間をかけて真霊素を練り上げないと、神行法は使えない。
天恵武姫がいてくれれば話は別だが、エリスはグレイフリールの石棺の中にいて動かせないし、アルルは封魔騎士団の活動でアルカードへ向かっているはずだ。
ならばリップルは――もし王都にいてくれたら、シャケル外海に戻れるかも知れない。
だがともあれ、今は他に言うべき事がある。
「レオーネ、リーゼロッテ、二人とも心配かけてごめんね?」
「ううん! 無事で良かったわ!」
「お帰りなさい、イングリスさん!」
ラフィニアだけでなく、レオーネもリーゼロッテもイングリスに抱きついてくる。
――ラフィニアは家族だし従姉妹だし、本質的には孫娘のようなものなので、抱きつかれても可愛くて嬉しいと思うだけなのだが、レオーネとリーゼロッテに抱きつかれるのは少々気まずい。なんとなく罪悪感を感じる。
そう感じるのは自分にもまだ男性の意識が残っているのであって、少々安心感を覚えるかも知れない。
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