第454話 16歳のイングリス・絶海の|天上領《ハイランド》65
「クリス……っ! クリスううぅぅ――っ!」
一目散にイングリスに駆け寄り、抱きついてくるラフィニア。
殆ど体当たりする位の勢いだった。
抱えているグレイフリールの石棺が滑り落ちてしまいそうなほどだ。
「ラニ、ごめんね? 大丈夫だった?」
後ろからイングリスに抱きついたラフィニアは、何も言わずに強く首を振る。
正確には言えないのだ。
肩が震えて、細かくしゃくり上げる声にならない声が聞こえる。
そしてラフィニアが顔を埋める首元が、涙で濡れる感覚が伝わってきた。
大声を上げて泣き出さないように、必死で堪えているのだろう。
今はまだ、泣いている場合ではないと考えているに違いない。
子供の頃のラフィニアなら、イングリスが暫く行方不明になり帰ってきたら、大声で泣きながら抱きついてきただろうが、成長したものだ。
「……反省するね? ラニを泣かせる相手は許しておかないはずなのに、わたしがそうしちゃったんだし――従騎士失格だね」
「あ、あらしはにゃいてにゃひし!(あ、あたしは泣いてないし!)」
しゃくり上げていたのが収まらず、ちゃんと言えていない。
「レオーネ、リーゼロッテ、状況は?」
イングリスはレオーネ達を振り向いて問いかける。
「ヴィルマさんが連れて行かれて機竜が動かないから、皆イルミナスから移動できないの! そこにマクウェル将軍達が引き返してきて、襲ってきたの!」
「海の悪魔……虹の王と、それから虹の雨もですわ!」
どうやら中々に、込み入った状況のようだ。
とりあえずグレイフリールの石棺で殴打しておいて正解だった。
「……賑やかで、楽しそうだね?」
「「楽しくないっ!」」
声を揃えて窘められた。
と、そこに大きな声が遠くから響く。
「ハハハハハハハハッ! あの程度ではやられんぞ! 今度こそ決着をつけてやる! イングリス・ユークスうぅぅぅぅッ!」
波の向こうから聞こえる声は、虹の王に跨がって帰ってくる無貌の巨人の姿だった。
「な……っ!? 何よあれ!」
ラフィニアも一気にそちらに意識を奪われる。
「虹の王に乗ってる!?」
「む、無茶苦茶ですわ! あんなもの、乗りこなせるはずが……!」
「お見事なお手前です」
イングリスは、たおやかな微笑みを無貌の巨人に向ける。
「ですが一言申し上げておくと……あなた達のおかげで、わたしはラニを泣かせることになってしまいました」
グレイフリールの石棺を下に置くと、ずん、と重い地響きを起こした。
「だから……許しませんよ?」
イングリスの声が危険な低さになり、巨人を刺す視線に殺気を孕む。
「うぬっ……!?」
無貌の巨人がビクンと身を震わせ、一瞬固まる。
マクウェルの動揺が伝わったのか、虹の王まで停止していた。
と、イングリス達の足下のイルミナスの陸地が細かく振動し始める。
そしてガタンと大きく震えて、海岸部分が一段深く、海の中に沈み込んだ。
「な、何っ!?」
「まずい、もう一つだね」
「えっ!?」
「沈んでる……多分このままだとイルミナス全部が。これ持って来ちゃったからかな?」
イングリスはグレイフリールの石棺の石壁をぺしぺしと叩く。
見上げるほどに巨大な石棺だ。その重量は想像を絶する。
それをいきなり乗せられた手負いのイルミナスが、支えきれずに沈もうとしているのだ。
「ええぇぇぇぇっ!? ダメじゃない! 今すぐ捨てて!」
「いや待ってラフィニア! その中にはエリス様が!」
「ヴェネフィクの皇女様もですわ!」
「あ……! そ、そうだわ、そうよね! じゃ、じゃあどうしよう! どうすれば!」
必死に考えている様子のラフィニア。
「ど、どうする!? 虹の雨は止まらないし、イルミナスの沈没も止まらないわ!」
「や、やはりわたくし達はマイスさんを連れて、避難を!?」
「そ、それしかないの……!? ねえ、クリス!?」
ラフィニアが救いを求める目でイングリスを見る。
イングリスとしては、可愛いラフィニアにこんな目で見られたら、応じないわけにはいかない。
そして応じられる力が、今の自分にあって良かった。
その事に感謝したいと思う。
イングリスはラフィニアの肩をぽんと叩き、笑顔を向ける。
「大丈夫だよ、ラニ。わたしに任せておいて?」
「本当!? 何とか出来るの!?」
「うん。じゃあラニ、レオーネ、リーゼロッテ、空は飛ばずに、必ず地面に足を着いててね? 他の皆さんも、必ずイルミナスから離れないように! お願いします!」
イングリスはそう皆に呼びかけてから、地面に片膝を着き手を触れる。
グレイフリールの石棺は、外から入り口を開く事は出来るが、内側から破壊したり、出口を開く事は不可能。
それは事実で、イングリスはグレイフリールの石棺を破壊はしていないし、出口を開いてもいない。
だから石棺は今も何事もなく全くの無事で、イングリス達の前に鎮座している。
破壊せず、出口も開かず、イングリスがグレイフリールの石棺から出た方法――
グレイフリールの石棺の中で修練に修練を重ね、それを身に付けた時、イングリスの身体は元の16歳の大人のものに戻っていた。
いや、正確には戻ったのか分からない。
幼児化はそのまま直らず、幼児の身体のまま身体が成長し、元の年齢に追いついただけかも知れない。
それ位長い時間をかけた修行で、身に付けたものを今、見せる!
ヒイイイィィィィィィィィィンッ…………!
イングリスが地面に触れた手から、地を這う光の輪が広がって行く。
まるで水面に波紋が広がっていくかのようだ。
それが小島になってしまったイルミナス全体に広がって行き、島全体が眩い輝きに包まれて行く。
「あ……!? こ、これって!」
見覚えがあるようで、ラフィニアがそう声を上げている。
確かにラフィニアは何度か目にしているはずだ。
ただ、イングリスが一人の状態では初めてだろうが。
「虚仮威しだ! 天誅ううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!」
水中から高く飛び上がった虹の王と無貌の巨人が、美しい弧を描いて飛びかかってくる。
「済みません、とても名残惜しいですが――ごきげんよう」
イングリスがたおやかな微笑みを虹の王と無貌の巨人に向けると同時、視界がグンと歪んで、一気に切り替わった。
ばしゃあああああああああぁぁぁぁんっ!
そしてイルミナスの周囲全てから、大きな波が巻き上がる。
いきなり水の中に大きな物体を投げ入れた結果だ。
大きな波が岸辺を乗り上げて、道を水浸しにし、浮かんでいた船を大きく揺らす。
水がかかってしまった住宅には、少々申し訳ない事をしたかも知れない。
大きく倒壊するような建物はないように見えるので、許して貰おう。
「わああぁぁぁぁっ!?」
「な、何がどうなって!?」
「あ、ここは……!?」
一瞬で視界が切り替わったのは、イングリス達だけではない。
イルミナスにいた全員がそうだ。
そして、皆が今見ているのは――
「あ……!? ここ、ボルト湖! 王都のボルト湖よ!」
「ほ、本当だわ! 機甲鳥ドックも騎士アカデミーも見えるわ!」
「で、では、シャケル外海から王都まで、一気に移動したんですの!?」
「うん、そうだよ」
神は居ながらにして世界を見通し、そこへ行こうと思えば、どこにでも瞬時に赴くことが出来る。
世界の中で速く、強い一歩を踏み出すのではなく、世界の理を書き換えて、自分の一歩を無限大に速く、強い事にしてしまう。
それが神の移動法――神行法だ。
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