第446話 16歳のイングリス・絶海の|天上領《ハイランド》57
「ごちそうさま――」
ラフィニアが、綺麗に骨だけになった魚をお皿に戻す。
「も、もういいの? ラフィニア」
「まだ一人分しか食べていませんわよ?」
レオーネとリーゼロッテが、心配そうな顔をする。
いつものラフィニアの食べる量からすると、不自然なくらい少ないのだ。
あれから、もう五日が経つ。
シャルロッテの降伏勧告をヴィルマが受け入れ、ヴィルマは教主連側に去るヴィルキン第一博士に連れられて、イルミナスを後にする事になった。
その際、降伏の条件として彼女が申し入れていたように、ヴィルマ以外の天上人達も、望む者は教主連側に同行する事が許可された。
そこで、マイス達避難民の選択として、約七割が教主連に向かう事になり、残りの三割が崩壊したイルミナスに残る事になった。
ラフィニアとレオーネとリーゼロッテも、残りの三割の人々と行動を共にしている。
現状、残る陸地は中央研究所周辺のごく一部で、地下部分はほとんど水没。
中央研究所の建物自体も半分以上が斬り倒されて、無くなってしまったが、何とか風雨を凌ぐ事は出来た。
食料は今皆で食べているように、周囲の海で獲れる魚だ。
そうして凌ぎながら、同じ三大公派の勢力の救助を待つのだ。
セオドア特使に連絡がつくのなら、カーラリア本国に救助を要請してもいい。
「ちょっとお魚ばっかり食べるのにも飽きて来ちゃったから……今日はこのくらいでいいかな。あ、あたしちょっと散歩してくるわね」
そう言ってラフィニアは、中央研究所の建物から出て行ってしまう。
「え、ええ……行ってらっしゃい」
「気を付けて下さいね」
「うん、大丈夫よ」
その微笑みにも、いつものラフィニアの溌溂とした活力が無い。
少なくともレオーネとリーゼロッテには、そうとしか見えなかった。
食べる量がいつもより大分少ないのも、魚に飽きたからだけではないはずだ。
「……食べるだけじゃなく、夜もあまり眠れてないみたい」
普段はよく食べて、よく寝るという言葉がぴったりと当て嵌まるラフィニアにしては、異常な事態である。
「仕方がありませんわ」
「ええ、そうよね――」
ラフィニアの気持ちは、レオーネもリーゼロッテも理解しているつもりだ。
言葉だけの理解だけでなく、実感も出来ている。
なぜなら自分達も、辛いから。
最初は『イングリスならば』という感覚もあったが、流石にこれだけの日数が経つと、もう――生存の可能性を信じる気持ちがどんどん挫けて行くのが分かる。
ラフィニアの前で自分が泣く事なんてできないが、レオーネもリーゼロッテも、一人になれた時に涙を流した事は、一度や二度ではない。
イングリスはどんな状況下でも間や空気を読まずに強敵と手合わせしたがり、その結果自分が強くなる事しか考えない異様な性格だが、その実力や言動は、逆に言うと頼もしかった。
どんな絶望的な状況も、イングリスがいれば、経緯はともあれ最終的には何とかなるような気がしていた。
そしてそれだけの、レオーネやリーゼロッテから見ると異常な強さを誇っているのに、偉ぶるようなところは一切なく、ラフィニアだけでなくレオーネやリーゼロッテや周囲の人々にも優しかった。
戦いの事しか興味がない素振りだが、時々何でこんな事が思いつくんだろうと思うような、含蓄のある事を言い出したりもする。
自分達よりずっと年上の、大人の包容力を持っていると言えばいいのだろうか。
なぜそうなのかは分からないが、いてくれるととても安心できる存在だった。
それを失った気持ち――
自分達でこれだけ辛いなら、生まれた頃から一緒にいるラフィニアの気持ちは想像を絶する。
だから一人になりたがるラフィニアを止める事は出来ないし、見守る事しか出来ない。
きっとラフィニアも、一人になって泣きたいのだ。
その姿を見せないように、レオーネやリーゼロッテに気を遣ってくれているのだろう。
「結局何も出来なかったわ。イングリスもエリス様も失って、イルミナスもこんな状態で……」
「ヴィルマさんに助けられましたわね……感謝をしませんと」
状況的にはほぼ負けていたと言わざるを得ない。
ヴィルマが降伏を受け入れて、他の者達の身の安全を要求してくれなければ、残った天上人達の住民や、リーゼロッテ達もどうなっていたか分からない。
そしてそもそもそれも、降伏を提案したシャルロッテの温情があってのものだ。
あの状況なら、シャルロッテ達は力づくでヴィルマを拉致し、他の者達を殲滅する事も出来た。
恐らくマクウェルやティファニエだけが指揮官なら、そうしていたに違いない。
マクウェルはカーラリアの目下の敵国であるヴェネフィクの将軍であるし、ティファニエは以前北のアルカードで退けた事のある敵だ。
ヴェネフィクの将軍としてはカーラリアの戦力を少しでも削ぐことが望ましいし、ティファニエもこちらへの恨みがある。
シャルロッテが彼等を抑えてくれたがゆえの、今の状況でもある。
ヴィルキン第一博士も、シャルロッテの提案を止めなかった。
ああ見えてヴィルマの事は第一に心配していた様子だから、素直に従ってくれてほっとした様子でもあった。
そしてシャルロッテはイルミナスを去る前、リーゼロッテに対しても「おまえは、どうしますか?」と尋ねていた。
レオーネはまだ気を失っていたし、ラフィニアは取り乱していたから、あまり覚えていないだろうが――
要は自分と一緒に来ないか、という誘いなのだが、リーゼロッテとしてはラフィニアやレオーネを見捨てるわけには当然いかないし、帰る場所もカーラリアにある。
だから一緒には行けないと断ったのだが、リーゼロッテの返答を聞き少し残念そうにしているシャルロッテを見ると、やはり他人のような気がしなかった。
その名といい、容姿といい――
そしてリーゼロッテを殺さずに済むようにヴィルマに降伏を勧告する温情を見せ、自分の元に連れ帰ろうと、声もかけてくれた。
シャルロッテの振る舞いは、リーゼロッテとしてはそのように感じられる。
そこに、母の愛のようなものを見てしまう。見たくなってしまう。
ともかく無事に帰って、この事を父であるアールシア公爵に報告し、話を聞いて見なければ。
そしてもしシャルロッテが自分の母親のシャルロッテならば、父にも会わせてあげたいと思う。もし家族三人で再会を喜び会う事が出来る日が来れば、言う事はない。
「とにかく無事に帰らなきゃ……この事を報告できる人もいなくなるわ」
レオーネの言葉には、リーゼロッテも全くの同感だ。
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