第438話 16歳のイングリス・絶海の|天上領《ハイランド》47
「やりますね! 素晴らしい手応えです!」
だが、心配事が一つある。
それは、天恵武姫の武器化の代償だ。
天恵武姫は使い手の生命力を吸い上げ拡散し、命を蝕む。
長い時間を戦えば、マクウェルの命は尽きるだろう。
しかし例外は存在する。
ロシュフォールがアルルを武器化した時は、ロシュフォール自身が死病に冒され、もういつ亡くなってもおかしくないような、半分死人のような状況だった。
そうなると天恵武姫も吸い上げる生命力が無くなり、ロシュフォールは武器化したアルルを意のままに扱っていた。
無い袖は振れない、という事だ。
天恵武姫の武器化の機能自体に、必ずしも使い手の生命力が必須ではない事の証明だ。生命力が無い使い手でも機能はするのだから。
あれは天恵武姫と特級印を持つ騎士が、天上領に牙を剥く事を抑止するための措置だ。
天上領からすれば、当然の話ではある。
自分が下賜したもので自分が倒されていては意味がない。
とはいえ、地上最大の脅威である虹の王に対抗できない程度の力であれば、地上は虹の王の手によって荒廃してしまう。
そうすれば、地上の食料などの物資を調達できなくなり、天上領の存続も脅かされる。
つまり現状が丁度いい落とし所、というわけだ。
自身が使い手たる聖騎士の命を奪ってしまう事に罪悪感を抱える、エリスやリップル達天恵武姫の苦悩は無視されているが。
いずれにせよ、目の前のマクウェルの手応えはかなりのもの。
再戦を楽しむためにも、無理はさせられない。
こうしている間にも、マクウェルの命は徐々に削り取られて――
「ん……? いや、違う!?」
無貌の巨人の胸元に埋もれているマクウェルをよく観察すると、生命力を吸い上げられている気配を感じないのだ。
その代わり、マクウェルと巨人が接合している部分から、蒸発するような湯気が上がっているのが見える。
これは――
「そうか、魔素流体! こんな手もあるとは……!」
マクウェルの命の代わりに、巨人の体を構成する魔素流体が消費され、蒸発して行くのだ。
魔素流体は、人間そのものを原材料とした禁忌の液体だ。
そこには人間の生命力と呼ぶべきものが、まだ残っているのだ。
武器化したシャルロッテは今、そちらを消費しており、マクウェル本人には影響を及ぼしていない。
つまり魔素流体が残る限り、マクウェルは天恵武姫の代償の影響を受けずに戦えるわけだ。
今のところ蒸気が上がるような現象が見えるだけで、巨人の体に異変は無い。
あれだけの質量であるから、魔素流体も相当長持ちするだろう。
気兼ねなく戦ってよい、という事である。
魔素流体は人の形と意志を失った死骸であるため、不死者を操る奇蹟で意のままに操ることが出来、人の生命力の成分だけは残っているため、天恵武姫に対する身代わりとすることが出来る。
マクウェルはこれらの魔素流体の特性を読み切って、無貌の巨人と一つになって見せたのだ。
イングリスやあの血鉄鎖旅団の黒仮面のように、神の力たる霊素で上から押さえつけるわけではなく、人間が人間の力による創意工夫で天恵武姫の代償を乗り越えた結果だ。
魔素流体自体が、製造過程で多くの人間を犠牲とするものだという事を除けば、己の能力と手元にある素材を最大限に活かした妙手だ。
「見事なものです! 魔素流体という物が物だけに、手放しで賞賛する事は出来ませんが……!」
「そんなものはいらああぁぁぁぁん! 貴様の命を寄越せええぇぇぇぇぇっ!」
巨大な斧槍の斧頭が、イングリスに向けて振り上げられる。
「はい、どうぞ! できるものならば!」
腰を落とし、両の拳をぐっと握り、それを合わせると剣を鞘から抜くような動きで、竜理力と魔素を重ね合わせる。
グオオオォォォ……ッ!
そして拳の間に生み出された氷の剣は、竜の牙や爪を模し、竜の唸り声を上げる。
竜魔術、竜氷剣だ。現状イングリスが独力で生み出せる、最強の武器だ。
これであの斧槍を、真っ向受け止めてみたいのだ。
武公ジルドグリーヴァと打ち合った時は、それで武器化したエリスが損傷してしまったが、これなら人に迷惑はかけないし、何の気兼ねも無い。
「消え去れ! 失せろ! 消滅しろおおおおおぉぉぉっ!」
「はあああああああぁぁぁぁっ!」
シャルロッテが変化した斧槍と、竜氷剣が真っ向からぶつかり合う。
パリイイイイィィィィィィィィィンッ!
そして砕けたのは、こちらの竜氷剣だ。
ただの一度も受けられずに、そのまま砕け散った。
「……っ!」
上から落ちて来る斧槍の斧頭は、身を捻って何とか紙一重で回避する。だが、その攻撃が地を撃つ衝撃からは逃げられない。
イングリスの体は大きく吹き飛び、宙に舞った。
「ふふふふっ……! 凄まじい威力です! それでこそですね!」
長持ちはしないにせよ、何合かは打ち合えることを期待して竜氷剣を繰り出したのだが、一撃持たずに粉々だった。
神竜フフェイルベインから貰った鱗で作った竜鱗の剣ならどうだっただろうか?
竜氷剣は竜鱗の剣には及ばないものの、その六、七割の強度と威力はあると見立てていたが、という事は竜鱗の剣でも暫く打ち合えば破壊されていたかもしれない。
アルルを武器化したロシュフォールと戦った時は、竜鱗の剣は全く破損する気配はなかった。つまり武器化したアルルよりシャルロッテの方が強力だ、という事だ。
シャルロッテは今までイングリスが見て来た天恵武姫達より一枚格上の天恵武姫だ。
それが武器化すれば、その威力も他とは一枚違う威力になるようだ。
嬉しそうに笑いながらも、イングリスの体は強烈な勢いで中央研究所の壁へと吹き飛んで行く。
このままでは激突する。
更に、吹き飛んだイングリスを追って巨人が突進して来ている。
「はぁっ!」
身を捻って体勢を立て直し、壁を蹴って方向を変える。
「そおおおぉぉらあああああぁぁぁぁぁっ!」
紙一重の差で、中央研究所の壁に巨人が振りかぶった斧槍の斧頭が叩きつけられる。
それは壁に喰い込み、そのまま突き進み、中央研究所の建物全体を斬り倒してしまった。斬り飛ばされた上半分が崩れ落ちて、盛大な轟音と埃を巻き上げる。
「すごい……!」
巨体ゆえの、圧倒的に大規模な攻撃。
イングリスでもこの巨大な中央研究所を一撃で崩壊させる事は難しいだろう。
「逃がさあぁぁぁぁぁぁぁんッ!」
「そんなつもりは、ありませんっ!」
そう応じながら、イングリスは自分の身体を指先でなぞっている。
竜理力は、自分の体に沿って動く。
魔素と重ね合わせるには、体の動きを合わせる必要がある。
イングリスの指が伝った部分から、竜の意匠の蒼い装甲が具現化して行く。
グオオオォォォ……ッ!
完全に具現化すると、鎧は竜の咆哮を上げる。
竜魔術、竜氷の鎧だ。
竜氷剣は一撃もたずに粉々になった。
同じ強度のこの鎧も、攻撃が当たれば砕けるだろうが、この竜魔術は霊素殻に似た身体能力を引き上げる効果もある。
その威力自体は霊素殻に及ばないが、重要なのは両方を同時に発動しても問題がない事である。
天恵武姫を使わない独力では、この霊素殻と竜氷の鎧の重ね掛けの状態が、一番力が出る。
「さあ! もう一度お願いします!」
「おあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
再びイングリスの頭上から、巨大な斧槍の斧頭が振って来る。
「はああああぁぁぁぁっ!」
バチイイイイイィィィィィィンッ!
イングリスは斧頭の刃を両手で挟み込み、白羽取りの姿勢で受け止めた。
「ぬううううううぅぅっ!?」
巨人の胸に埋もれたマクウェルが、目を見開く。
「ふふふ……! いい手応えです!」
一瞬でも力を抜けば、押し切られて叩き潰される。
そのくらいの強烈な手応えを感じる。
これは武公ジルドグリーヴァに匹敵するだろうか。
いずれにせよ、イングリスがこんな強敵と戦っていると知れば、彼は羨ましがるに違いない。
また再戦する時のために、この無貌の巨人はこれ以上ない相手である。
負けて彼の妻になる事を要求されてはかなわない。
こうして実戦の修行で力を高め、次は確実に勝てるようにしておかなければならない。
「ぐギギギギギギ……!」
拮抗していた斧槍が、少しずつ押し戻されて行く。
武器同士のぶつかり合いはこちらの完敗だが、単純な力比べならば話は別だ。
「さあ……もっと力を出してください! 頑張りましょう!」
「ガががががががッ!」
ブシュウゥゥッ!
マクウェルの周りに、一気に煙が噴き上がる。
あれはマクウェルの命の代わりに、魔素流体が消費されている証だ。
「む――!」
少し巨人の背が縮んだだろうか?
魔素流体の消費が激しいのだ。
「大丈夫なのですか……?」
しかしマクウェルは、にやりと笑みを見せる。
「ハッ! いらぬ世話だっ!」
シャルロッテの斧槍が、眩い輝きを放った。
「……っ!?」
イングリスは膨れ上がった輝きに、思わず目を細めた。
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