第419話 16歳のイングリス・絶海の|天上領《ハイランド》28
「奴隷はダメで、魔素流体にして利用するのはいいなんて、おかしいわよ……! そんなの……! 絶対……!」
ラフィニアは肩と声を震わせながら、イングリスの横に再び座った。
もう最初の勢いがどこかへ行ってしまっている。
「うん、そうだね。ラニ」
イングリスはその背中を優しく撫でながら声をかける。
割と観光気分で天上領を楽しんでいた所に、思い切り冷水を浴びせ掛けられたような感じだ。衝撃も大きかったのだろう。
「その点については、私も全く同意見ですね。我々地上の人間から見れば、欺瞞もいい所でしょう……腹立ちすら覚えますね。ただ魔素流体は魔導体にする事も出来れば、都市機能の動力源とする事も出来る。非常に便利な素材のようなのです」
「奴隷のように目に見える所にいれば心を痛める事もありますが、目に入らなければ心は痛まない。目に入らないものは無いものと同じ……そう言う事でしょうね。そのあたりは天上人の方々も、地上の人間とそう変わりませんね」
イングリスがそう言うと、ユーバーは苦笑していた。
「ははは、それはそうかも知れませんが……あなたは本当にお子様ですか?」
「実は訳あって子供の姿ですが、16歳です」
「ほう、それは……しかし16歳にしても深い見識をお持ちだ。普通の16歳なら彼女らのようになっても不思議ではないのに……」
ラフィニア達はそのユーバーの言葉に返す元気もない様子だった。
「皆いい子なんです。わたしだけあまり深く物を考えていませんので……」
事実を突きつけられて、揺らぐ正義や信念を持ち合わせていないから。
物事の善悪を判断するつもりは無い。それはこの時代の人々が行っていくものだ。
あるのは強いか弱いか、そして手合わせしてくれるか否か。それだけだ。
ただしラフィニアの言う事は何でも聞くし、したい事は助けるが。
「ふふふ。皆さんが良い方だと言うのは納得しますが、あなたが深く物を考えていないというのは納得致しかねますね?」
「そうでしょうか?」
微笑んで、はぐらかしておく。
「ともかく私から一つ言えるのは、地上の人間にとって理想的な天上領などあり得ないという事です。このイルミナスが地上に優しい良い場所などと考えておられるならば、大きな誤りです。我々の一番の得意先はここですよ? それがどういう事かお判りでしょう?」
つまり一番、地上の人間の身柄を買い取っているという事だろう。
確かに魔素流体化の技術があれば、奴隷として使うよりもその奴隷を食わせる必要が無くなる分、維持費が安いだろう。
即ち大量に受け入れても大丈夫、という事だ。
「他の天上領にその技術はない、と?」
「ええ、私の知る限りでは。特に教主連合側ではこういう技術を許さないでしょうから、大々的には普及しないでしょうね。今のところイルミナスだけの専売特許……つまりここが、一番恐ろしい天上領だと私は思いますよ? だからこそ上得意なわけですが」
「なるほど……情報ありがとうございます」
イングリスはぺこりと頭を下げる。
「いえ……どこまで行っても、我々は天上人にとって家畜のようなもの。それが我々の命を召し上げるのは、我々が飼育している牛や豚を食するのと同じこと。対等な関係などあり得ませんし、我々としては自分の番が来ない事を祈りつつ、彼等に阿るしかありません。皆様も十分ご注意なされた方がいい……知っていますか? 魔素流体化を行った後の炉には、不純物が残留します。言わば鍋の灰汁のようなものですが、つまりは溶けた肉や骨。それを寄り固めると合成肉が出来るそうですよ?」
「……!?」
もしそれが本当だとすれば、イングリス達が食べさせて貰った食事の中にも――
「「「うぅぅ……!」」」
ラフィニア達の顔が真っ青になり、吐き気を催して体を震わせている。
「おや? ひょっとして……?」
「もうやめて下さい! それ以上聞きたくない!」
ラフィニアが悲鳴のような大きな声を上げる。
少々涙目になってしまっているようだ。
「……あまりラニをいじめないで頂けますか?」
イングリスはユーバーに微笑みかける。
ほんの少しだけ、少しだけだが怒りの感情が混じってしまったかも知れない。
「……っ! まあそういう話を小耳に挟んだだけですが……真偽のほどは分かりません」
ユーバーは一瞬息を呑むような、気圧されした表情を浮かべる。
別に怖がらせるつもりはなかったのだが。
ただ一つ思うのは、それが事実を並べただけだったとしても、ラフィニアにこんな顔をさせるのは問題である。
「……ではそろそろ失礼します。ご馳走様でした。さあラニ、レオーネ、リーゼロッテ、帰ろう? ちょっと休んだ方がいいよ? 皇女様の事はまた後でヴィルマさんに聞いてみよう?」
そろそろ、ヴィルマが封鎖した通路も開いているはずだ。
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