第383話 16歳のイングリス・新学期と新生活5
「……お嬢様、ご気分でもすぐれませんか? であれば別室でお休み頂いて……」
と、リーゼロッテに声をかけてくれたのは、二十代中頃ほどの、気品のある女性だ。
アールシア公爵家が抱える、シアロト騎士団の騎士団長ライーザだった。
実際の年齢は見た目より上と聞いた事もあるが、正確な年来は本人が教えてくれない。
リーゼロッテにとっては、武技を教えて貰った師匠でもある。
リーゼロッテがアールシア公爵の護衛を買って出たのは、ライーザとも一緒にいられるからでもあった。
「いえ、大丈夫ですわ。ありがとうございます」
笑顔でそう応じてから、議論の様子に再び意識を向ける。
カーリアス国王やウェイン王子は戦争に前のめりな様子ではないが、ヴェネフィク攻撃に乗り気な東部諸侯の意見を抑えられるのだろうか。
リグリフ宰相の意見に賛同する声だけが、次々と上がって行くのだ。
「……いや、私は反対する」
と、そこでその場の盛り上がりに冷水を浴びせ掛けるように口を開いたのは、他でもない、父アールシア公爵である。
それまで無言で議論を聞いていたアールシア公爵に、その場の視線が一気に集中する。
「アールシア公爵! 西端を治める貴公には他人事のように思えるやも知れぬが、こちらは実害を被っておるのだ! ヴェネフィク共に目にもの見せてやらねば収まらん!」
リグリフ宰相がアールシア公爵を睨みつける。
「左様ですぞ、アールシア公爵!」
「我等東部の者のために戦費や兵を出すのが惜しいと仰るか!?」
「それでは余りに、薄情というもので御座いますぞ!」
東部の諸侯は、一斉にリグリフ宰相の肩を持つ。
「貴公らシアロト領の者の戦力など期待せぬわ! 我がリグリフ公爵家の騎士団が討伐軍の中核を為す! それを聖騎士団や近衛騎士団に支えて頂ければ結構!」
「「「おお……リグリフ宰相! 流石に御座います!」」」
多数を向こうにしても、アールシア公爵は冷静に言い返す。
「今回の事態における東部所領での被害は、虹の王によるものであってヴェネフィクによるものではない。ヴェネフィクによる純粋な被害で言えば、突撃軍による強襲を受けた王都のそれが当て嵌まる。当然のことながら王都は王家の直轄地。その被害についてどう捉えるかは、国王陛下やウェイン王子のお考え次第ではないか?」
「ぬ……!? では貴公は我々に泣き寝入りをせよと申されるのか!?」
「……そうは言っていないが、貴公らのその態度は不遜だと指摘させて頂く」
「何ィ……!?」
「「「どういう事で御座いますか、アールシア公爵!」」」
「声高にヴェネフィクへの出兵をせびる前に、諸君らの所領を素通りするヴェネフィク軍を見過ごし、王都にまで到達を許した失態を恥じ、沙汰を待つ態度を見せるべきではないか? 国王陛下は一歩間違えば命を落とされる所だったのだ。主君のお命を危機に曝した罪は、軽くはないと思うのだが?」
「ぬ……!?」
「「そ、それは……」」
「「確かに、我等の……しかし……」」
アールシア公爵の鋭い視線と指摘に、強硬派の諸侯は意気消沈する。
「「確かに……アールシア公爵の仰られる事も最もですね」」
「「虹の王の侵攻があったとはいえ……由々しき事ですな」」
アールシア公爵の意見に賛同する声は、東部以外の諸侯達が多い。
「よい。それはもう、過ぎた事……我はこうしておる。不問に致す」
「……臣下を代表し、お礼を申し上げます。寛大な処置をありがとうございます」
アールシア公爵は深々とカーリアス国王に頭を下げる。
「……勝手に代表するでない! 陛下! 誠に申し訳ございませんでした!」
「「「申し訳ございませんでした!」」」
リグリフ公爵や東部諸侯もそれに続いていた。
「よいよい。常に我等が見つめるべきは、これまでの事よりこれからの事よ」
カーリアス国王はそう大らかに述べて、皆の謝罪を受け入れていた。
対ヴェネフィクの方針についての話し合いを続ける構えだが、先程までとは空気は一変していた。
一気に戦争に雪崩れ込みかねなかった流れを一瞬にして変えて見せたのは、間違いなく父アールシア公爵の手並みによるものだ。
父親の仕事ぶりを間近に見て、リーゼロッテとしては凄いと思ったし、誇らしかった。
やはり戦争はしたくないし、それを止める側にアールシア公爵が立ってくれて嬉しい。
「その上で申し上げますれば、私としては今は国内の被害の復興に努める時であり、派兵には賛成いたしかねますが……ビルフォード侯爵の意見も頂きたい所ですな。仮にヴェネフィクへ出兵するにしても、リグリフ公爵家の騎士団を主力とするにしても、その他の兵力の派兵も免れません。特に此度の虹の王会戦で武功を上げた者達の参戦は外せぬ所でしょう。その力を使わぬ理由がない。となると、彼等の大部分はビルフォード侯爵家に連なる者達で御座います」
「うむ……道理だな。ラファエルもラフィニア嬢もイングリス嬢も卿の縁者だ。どう思うか是非意見を聞かせてくれ」
ウェイン王子が大きく頷き、ビルフォード侯爵に発言を促した。
「は、はは……っ!」
急に話が振られるとは思っていなかったのか、ビルフォード侯爵は少々慌てた様子だった。畏まった話し合いというのは少々苦手なのかも知れない。
何となくだが、ラファエルというよりはラフィニアに似ている感じがする。
会議前にも少し挨拶させて貰ったが、明るい雰囲気の人だった。
「我等ユミルの者は、王家の忠実なる僕で御座います。国王陛下と王子殿下のご決定ならば、無論ヴェネフィクとの戦場に立ちましょう。その事に嘘偽りはございませぬ。ただ……彼等の親として申すならば、皆魔石獣との戦いに臨む覚悟は常に御座いましょうが、敵兵を討ち領土を切り取る戦いは教えてはございませぬ。その点は少々心配では御座います。ラファエルはともかく、娘達は……」
それを聞いていて、ラフィニアは確かに割り切れるか心配だろうが、イングリスには心配ないだろうとリーゼロッテは感じた。
が、直後に気が付いて思い直す。
心配と一言に言っても、色々な意味があるのだ。
ラフィニアは確かに、こちらからヴェネフィクを攻撃しに行く戦いを割り切れず、傷つく心配があるだろう。リーゼロッテが抱える不安と同じだ。
が、イングリスの場合は、逆に割り切り過ぎてやり過ぎる心配がある。
どちらもまた、心配と言えば心配である。
ビルフォード侯爵がどういう意味で言っているのかまでは分からないが、間違っていないのは確かだ。
言葉というものは奥が深い。
「何より、虹の王会戦で激戦を潜り抜けた者達は、まだ疲れておりましょう。いずれにせよ今暫く休ませてやりたい、というのが正直な所で御座います」
「うむ……卿の見解は良く分かった。魔石獣の発生でも、攻め寄せる敵兵を食い止めるのでもない。こちらで決める行動であればこそ、配慮は必要であろうな」
ウェイン王子は、ビルフォード侯爵の言葉に頷く。
それを見て、リグリフ宰相の方は悔しそうに歯噛みをしている。
「……が、リグリフ公爵領をはじめ、東部の民に被害が出た事も事実。彼等に何かしらの希望を……少なくともヴェネフィクの脅威は取り払われたと感じさせてやりたいと願うのは、領主として決して無理からぬこと。先の王都への突撃軍を見過ごしてしまった不名誉を挽回したいという気持ちもあろう。それもまた、忠誠の現れ。私としては、嬉しく思う」
「さ、左様でございます、ウェイン王子! 何卒我々の忠誠をお汲み取り下さいませ!」
ウェイン王子の慮った発言に、リグリフ宰相が少し勢いを取り戻す。
「……父上、如何なさいましょう。差し支えなければ我が考えを述べさせていただいて構いませぬか?」
ウェイン王子はカーリアス国王に呼びかける。
「よかろう。申してみよ」
「は、まずリグリフ宰相にはヴェネフィク討伐軍の編成に着手して貰います」
「「「おお……!」」」
リグリフ宰相をはじめ、東部諸侯から声が上がる。
「決して焦る必要はありません。ゆるりと、規模を何倍にも見せかけるように工作も交えつつ準備致します」
「ふむ……」
「一方でヴェネフィク側と交渉の場を設けます。有期の相互不可侵の約定を最低限とし、アルカードと共に進める予定の共同防御の試みにも参加を促します」
「ヴェネフィク側がそれに乗って来なければ、攻撃も止む無し……か」
「血を流さず、東部の民を安んじることが出来るならばそれが一番。それが叶わなくば……リグリフ宰相の申す事も、一理御座いましょう。私はセオドア特使とも緊密に連携し、ヴェネフィクとの交渉を試みたいと思います。何卒ご許可を頂ければ幸いです」
これは強攻と和平を両睨みにした折衷案だと言えるだろう。
リグリフ宰相ら東部の諸侯の意志を考えれば、これが一番丸く収まるのかも知れない。
彼等には準備をさせつつ、それが必要なくなるように、ウェイン王子は全力で動こうとしているのだ。
またある種脅しにも取れる軍事的な動きが背景にあれば、交渉事も通りやすくなるのは否めない所だろう。
「……なるほどな。では、今日はもう夜も更けた。只今のウェインの案を持ち帰り、皆それぞれに一晩考えて来るとしよう。無論他に妙案があれば、明日聞かせて貰おうぞ」
カーリアス国王が一旦休会を宣言し、その日の会議は解散となった。
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