第312話 15歳のイングリス・王子と王子3
ビュウウウゥゥゥ――――!
耳に飛び込んで来る音は甲高く、頬を叩く風は冷たい。
空模様はどんよりと暗く、少し吹雪いているため視界は悪い。
だが――身を隠すにはいい天気だ。
これならば、本体が見破られる心配はあるまい。
後は物見役として本体が潜む林の上空にいるリーゼロッテが寒さを我慢すればいい。
機甲鳥の機体の大きさ、そして駆動音と比べると、リーゼロッテの奇蹟の白い翼の方が、大きさも小さいし音も立たない。
斥候、偵察としてはより適している。
ならば自分がやる。それだけである。
「……とはいえ寒いですわねぇ――」
出来るだけ服を着こんではいるが、それでも体の芯まで凍えそうだ。
「どうせ来るなら早く来て下さいませ……! 翼まで凍えてしまいそうですわ――」
まあ奇蹟で形成した翼は、この程度で凍り付く事は無いだろうが――
そんな事を言いたくなるくらいの寒さである。
と――
「――っ!?」
舞い散る雪で悪くなっている視界の奥に――
見えた。レアラ峡谷にかかる橋に向かって来ようとする部隊の影。
「来ましたわね――作戦開始ですわ!」
リーゼロッテは敵軍が橋を渡った先の林へと下りて行く。
すぐに目に入るのは――林からこれ見よがしに街道にはみ出している竜の尾だ。
それが三本。
そして尾の根元の部分には、大きな白い塊。
遠目から見たら、巨大な尾とそれに見合う大きさの胴体である。
その胴体が雪と氷に埋もれている、と見えるだろう。
無論外見を取り繕うための偽物である。
リーゼロッテが魔印武具に宿った、吹雪を生む竜理力の力で作ったものだ。
「皆様! 敵影を確認しました! ご準備はよろしいですか――!?」
「リーゼロッテ! お疲れ様――!」
レオーネが雪と氷で作った胴体部分から顔を出す。
中はくり抜いて、人が身を隠せるようにしてあるのだ。
それぞれの胴体部分には、十人以上の人間が潜んで待機している。
「ではラティ王子、作戦開始のご命令を!」
ルーインの呼びかけにラティは頷き――
「よし! みんなやってくれ――! ホントに生きてるみたいに、元気よく頼むな!」
「「「ははっ!」」」
騎士隊の面々、それに住民の中から募った有志達が作戦に取り掛かる。
彼等は胴体の内側、更にくり抜いた尾の内側に入り込み――
ガガガガガガ…………! ズズズズズズズ――!
中に仕込んだ骨組みを人力で左右に動かし、生きているように見せかける。
更に――
「私もッ!」
レオーネは空に向けて、黒い大剣から幻影竜を打ち上げる。
グオオオオオオオォォォンッ!
幻影竜が上げる竜の雄叫びが、寒空の中に響き渡る。
橋の出口の林の中に埋もれて、太い尾をうねらせ、咆哮を上げている巨大な生物――
これを相手方から見た場合――かなりの威圧感を生むはずだ。
◆◇◆
「ウィンゼル様! ウィンゼル様――! 大変で御座います!」
リックレアに進軍中の、部隊の後方――
まだ二十歳を少し過ぎたばかりの若い総大将の元に、慌てた様子で伝令がやって来る。
「どうした、何事か――!?」
ウィンゼルは威厳と自信に満ち溢れた声で応じる。
跨っている馬は、通常を遥かに上回る立派な体躯。
黒に赤い斑模様が混じった異相をしており、たてがみや尾も赤い。
特に尾は、厳密には尾のような形をした炎の塊にも見え、それが触れると実際に地面の雪が溶けだしてもいる。
明らかに普通の馬ではない迫力。
それにウィンゼル自身の年齢に見合わぬ落ち着いた振る舞いもあり、報告に訪れた伝令も、彼を前に頼もしさを覚えた。
「は――っ! 前方の橋を抜けた林に、巨大な魔石獣が潜んでおります!」
「何……!? 魔石獣だと――! よし、見て参る……! 報告ご苦労!」
ウィンゼルは馬を軍の先頭まで走らせる。
その速度は異常とも言える程。
速度だけでいえば、機甲鳥でも追いつくことは難しいだろう。
軍の先頭――レアラ峡谷の橋の手前までやって来ると、決して良くない視界の中にも、向こう岸にたむろする巨大な姿が目に入る。
「……! ほう、相当大型の魔石獣だな――」
丸太を何本も束ねたような巨大な尾。雪に埋もれているが、小山のような巨大な体。
それが起き上がった時の事を考えると――
グオオオオオォォ――――ンッ……!
風に乗って怖ろしげな咆哮が、こちらまで響いてくる。
「お、おおお……? な、何だあの巨大な魔石獣は――!?」
「あ、あんなものがいたら――このまま行軍すれば襲われるのでは……!?」
「だが迂回しようにも、他に道は……!」
グオオオオオォォ――――……!
再び咆哮。
「「「ひいぃっ!」」」
兵達は完全に怯えていた。
元々のアルカード軍の体質でもあるが、この部隊も魔印武具を装備した騎士の数は少ない。
全軍を魔印武具所持者で固める部隊編成など、大国カーラリアや軍事国家ヴェネフィクでもなければ難しいだろう。
アルカードの国柄は、土地柄に見合った清貧――そんな余裕は無いのだ。
カーラリア領内への侵入を窺う、いわば人対人の戦いを想定した部隊であれば、魔印武具が無くとも構わないのだが――
魔石獣に、通常の武器による物理的攻撃は通用しない。
特に、魔印武具を持たぬ兵にはあれは恐ろしいだろう。
ましてウィンゼル自身もこれまで目にしたこともないような、巨大な魔石獣である。
「落ち着け――! お前達大切な兵に、魔印武具も無しにあれに突撃せよなどと無茶を言うつもりはない! 全軍停止! 風雪を避け、あちらの林の中で野営の準備に移れ!」
ウィンゼルは橋の手前の林を指差し、命を下す。
これで橋を挟んで、巨大な魔石獣とこちらの部隊が対峙する形だ。
「あんなものが三体も潜んでいるとはな――ラティめ、やはり国内の魔石獣の増加が天上人による偽工作だなどと、やはり俺を謀ったか……?」
元々このアルカードは虹の雨も少なく、比較的魔石獣の被害も少ない土地だった。
それが、リックレアの街が魔石獣によって滅ぼされてからは――
ウィンゼルの養父である現国王は、それまでより魔石獣への防備を高める方針に切り替えた。
だが元々国力に余裕のないアルカードに、天上領側に献上する物品に大幅な上積みをすることは難しい。
ゆえに献上する事になったのは、人の力――労働力。
アルカード軍をカーラリアに向け、ヴェネフィク軍と連動してカーラリアに攻め入るという策謀への強力である。
その条件を呑む呑まないに賛否はあるだろうが、ともあれ国としては呑む事になった。
だが自らが真っ先に矢面に立ち、戦端を開くのは下策。
カーラリアへの領土的野心が元々強く、侵攻にも積極的なヴェネフィク軍側の戦局が優位に立つのを待ち、カーラリア領内に踏み入るつもりだったが――
それは天上領側には面従腹背の煮え切らない態度に思えたようで、前借りだと称して天恵武姫のティファニエが天上領にやって来た。
その彼女が、隣国カーラリアで言われているような、天恵武姫は地上を護る女神であるという評判通りであれば良かったのだが――
そんな事は全くない。アルカードに仕える臣下の者達を勝手に篭絡し天上人へと変えてしまったり、貧しい人々から生命も財産も巻き上げるような暴虐の限りを尽くした。
何よりウィンゼルにとって腹立たしく、嘆かわしかったのは――
幼い頃から親交が深く、共にこの国のために力を尽くすことを誓いあっていたはずのハリムまでティファニエに篭絡され、その片腕のようになってしまったという事だ。
それを許す事は出来ない――
余程ティファニエが根城にしていたリックレアの跡地に攻め込んでやりたかったが、国境に布陣していたウィンゼルの部隊の目の前には、カーラリア軍が出張って来ていた。
思ったより素早い動きで、流石の動員力と言わざるを得ず、そちらへの備えを放棄してリックレアに向かう事は出来なかった。
下手に退く所を見せればそれが相手方の攻め気を誘発し、国内へ侵攻されていたかもしれない。そうなれば国が滅びる。
ティファニエの暴虐よりも、もっと多くの民の生命や財産が奪われる事になるだろう。
今リックレアに部隊を差し向ける事が出来るようになったのは、睨み合っていたカーラリアの軍が退却したからだ。
しかも愚直にもその理由をこちらに通知して来た。
曰く虹の王が復活し、カーラリアの王都方面に進行中。その対応に当たるため、カーラリア軍は退却する。虹の王は全ての国の人々に対する脅威ゆえ、志あるならば追撃は遠慮願いたい――との事だった。
そう言われては、その背中に飛びついて襲うなどできない。
それにウィンゼルとしても、リックレアに向かうには都合がいい。
事を済ませた後に、カーラリア国内に攻め入る事が可能な情勢であれば、その時はまた後の動きを考えればよい。
虹の王によってあちらの状況がどうなるかは分からないのだから。
リックレアからの知らせでは、ティファニエは撃退したとあったが、それは怪しいものだ。そもそも天恵武姫を撃退できるほどの戦力は、このアルカードにはない。
恐らく、ウィンゼル自身を除いては――だ。
もしそれが本当であればそれはそれで問題で、何の力もない無印者であるラティにそんな真似ができるはずがない。
彼にいつもくっついているハリムの妹、プラムは上級印を持つ有能な騎士だが、一人で天恵武姫を撃退できるかと言われれば否だ。
他にもかなり強力な手が加わっているはず。
それは間違いなく、ラティが留学していたカーラリアの手の者だ。
状況を説明する手紙にもそう記されていたが――
それはカーラリアの軍門に下るのと何が変わるのだろうか。
これ以上傷口が大きくならないうちに、そして自分が動けるうちに、禍根は断っておかなくてはならない。
そしてラティにももう二度と、この国の土は踏ませない。
これからの混迷する状況に、無印者であるあの義弟では付いて行けないだろう。
いや無印者であるなしに関わらず、劣等感に苛まれてか何か知らないが、国に向き合う覚悟を示さず、他国にふらふらとしているような人間には国を任せられない。
現国王は恐らく遠からず退位をすることになるだろう。
健康状態も思わしくないし、もしカーラリアと和睦をするならば、謝罪に退位でもせねば収まらないだろう。こちらはカーラリア国王に暗殺者を放ってしまっているのだ。
その時になってから騒動が起きるより、今のうちにはっきりとさせておくべきだろう。
大恩ある養父を悲しませることは、なるべく避けたい。
もしまだティファニエがリックレアにいてラティを意のままに操っているようなら、彼女の手から助け出した上で国外に放逐。
本当にカーラリアの手を借りてリックレアを解放していたのなら、カーラリアの軍門に下るような真似をする愚考を諭した上で国外に放逐。
国を出てもちゃんと暮らせるように、ある程度の資金は渡してやらねばなるまい。
それも用意してある。
ウィンゼルとしては、そこまでラティに恨みがあるわけでもない。
ただ、ハリムをはじめこの国の将来を担っていくはずだった若手の騎士や役人の多くが、ティファニエに篭絡され取り込まれてしまったのは、ラティの態度に問題があったのは否めない。
彼等の中では、次の王がラティになるのは周知の事実。
王に近い位置にいて、その意向に常日頃から触れて来たからだ。
ところがラティは国に真摯に向き合う態度を示さず、国内外を取り巻く環境は動乱を始める。
ハリム達はこのままではこの国はどうなるのかと、不安を覚え始める。
現国王は高齢な上、自分の王の地位を賭して天上領の企てに乗りカーラリアに対抗する道を選ぼうとしている。
そしてその後継たる王子は、あまりにも頼りない――
結果、ならば先に天上領の手先となってしまえ――と。
彼等を篭絡したティファニエは、ハリム達を天上人にしたり、自分に下ったものには手厚い待遇をしていたようだ。
取り込まれた者が多かったのも分かる。
彼らのしたことは決して許されるものではないが、そのような動きを助長してしまったラティもまた、許されるものではない。
アルカードがこれまでも、これからも平和であるなら、劣等感に苛まれて自分探しも悪くなかっただろう。
実際上級印を持ちこの国一番の騎士と言われていたウィンゼルと比較され、辛かった面があるのは分かる。
だが――それで腐って努力を怠るのは違う。逃げるのは違う。
ラティが何を得たというのか――
自分は生まれ以て与えられた上級印に胡坐をかかず、更なる努力を続けて来たのだ。
それによって、得たものもある――
「……今までの行いの責任を取れよ、ラティ――」
それが、兄として出来る最後の事になるだろう。
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