第245話 15歳のイングリス・神竜と老王(元)18
「はぁっ!」
イングリスはフフェイルベインの背を蹴って飛び降り、その真正面に着地をする。
そしてたおやかな淑女の笑みを浮かべて、ぺこりと一礼をする。
「ごきげんよう――お久しぶりですね? お変わりないようで何よりです」
可憐な花のように微笑むイングリスの姿を見て、神竜は戸惑った様子だった。
この巨大な竜に表情などは無いが、慎重に窺うように、首を傾けている。
『どういう事だ――この霊素は確かにあの老王の波動のはず……!?』
頭の中に流れ込んでくる声にも、戸惑いの色が。
「ええ。確かにわたしはわたしです――あなたの感覚は、間違っていませんよ? ご心配無く――」
『ならばその姿は……? 我が贄の者共の装束まで――さては、魔術の類や神の仕業でその娘の身体を奪って見せたか……?』
「そんな事はしませんよ。あれから天寿を全うした後――わたしは女神様のお力によって生まれ変わらせて頂いたのです。かつての記憶と、神騎士としての力を残したまま――わたしとあなたが戦ったあの時代からは、もう既にどれ程かも分からない位の長い時が過ぎているんですよ。ですから、封印は結構よくできていた――と。あなたがお目覚めになるのは、あれからこれが初めてなのでしょう?」
『ふん――にわかには信じ難き話よ……』
「それが証拠に、あなたを封じたクラヴォイド火山は跡形も無く、この土地はあなたから浸透した力で寒冷地化しています。世界はすっかり様変わりしているのですよ? 感じませんか? 今のこの世界には、神の気配が失われていることを――」
『――確かに世界を巡る気は、あの頃とは様変わりしているようだな……神は世界を去ったか、あるいは互いに争い共倒れたか――いずれにせよそなたら人間は、庇護者を失った……という事か』
「そういう事になる――のかも知れませんね」
確かに今のこの世界に、神々の気配を感じることはできない。
フフェイルベインの指摘には、イングリスも頷かざるを得ない。
『が――それが何だというのだ……?』
「――と、言うと?」
『長き時が過ぎたから――世界の有様が変わったから――それでかつての事を水に流せとでも言いたいか……? 我との戦いを望まぬと、その装束を纏った贄を使って言伝たように、な――』
「贄ですか……彼女等は神竜を奉る巫女だと」
『そなたらの勝手な解釈だ。我にとっては贄に過ぎん――それはいつでも身を捧げるという証の死装束よ。ある者は喰い、ある者は喰わずにおれば、生きる事に拘り我を前に醜態を晒す者もいる――その恐怖と絶望に満ちた表情が、何より美味でな――』
「なるほど……あなたが戯れに喰わずに置いた者達が、自分達は選ばれし神竜の巫女だと言っていたわけですね――」
『必ずしも間違ってはおらぬ――滑稽だがな』
「そうですか――彼女達には聞かせられないお話ですね」
真実に気が付かないまま、神竜の巫女という存在が歴史から消えたのは、ある意味では良かったのかも知れない。
「この恰好自体はとても可愛らしいので、気に入っていたのですが――」
『くく――それには我も同意しよう……』
「おや、趣味が合いますね?」
『見ればその娘の体は、枯れた老人のそなたなどよりも大層瑞々しい――肉も柔らかそうで、如何にも美味そうだ』
「……確かに、あの頃より今のわたしのほうが美味しいでしょうね。では、わたしを食べるつもりだと――?」
『先程も言ったはず――我が手でそなたを撃ち滅ぼし、あの屈辱を晴らしてくれよう、とな。見るからに美味そうなその姿を見れば、猶更食欲も増そうというもの――目覚めたばかりで我は空腹なのだ。そなたにとっては我との戦いを避けたかろうが、残念だったな……! 逃がしはせぬぞ――!』
グオオオオオォォォォォ――――ンッ!
フフェイルベインが再び大きく咆哮。
空気の振動がイングリスの頬を打ち、長い銀髪を大きく揺らす。
そしてイングリスの表情は、嬉しそうな満面の笑みだった。
「ふふふふ――ありがとうございます。長い長い時が経っても、あなたは変わらずにいてくれて……お礼を言いますよ」
『……?』
「わたしの方は、もうあの頃とは違います。生まれ変わって、違う生き方を楽しんでいる最中ですので――戦いを避けたいだなんて、とんでもない。何があっても、逃げも隠れもしません……! わたしを食べたいならどうぞご自由に――お互い様ですからね?」
こちらはもう既に、存分にフフェイルベインの美味しい肉を堪能させて貰っている。
こちらは散々食べておいて、あちらに喰うなというのもおかしな話だ。
やはり――竜と人とは相容れない生き物かも知れない。
竜にとって人は美味い食料であり、人間にとっても竜は美味い食料だった。
その事を話ではなく、体験してしまったのだ。もう戻れない。
お互いがお互いに美味しい事を理解し合ったのなら――
それはもう、捕食し合うしか道は無いのかも知れない。
強くて美味しい敵など、最高ではないか。
魔石獣は強くていい手合わせ相手なのだが、基本的には食べられないのだ。
『お互い様――? 何のことだ?』
「ふふっ。何でもありません。こちらの話です」
眠っている間に何度も尾を切って肉を堪能させて頂いていたと知られれば、気位の高い
フフェイルベインは怒り狂うだろう。ここは黙っておいた方がいい。
「そんな事よりも、お腹が空いているんでしょう? さあどうぞ、わたしを食べて下さい。ただし、食べられるものなら――ですが」
イングリスは軽く身構えて、にっこり笑顔で神竜を手招きする。
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