第227話 15歳のイングリス・悪の天恵武姫32
「ええぇぇっ!? 何あれ、大きな、太い尻尾――!?」
「と、とんでもなくでけえぞ……! な、何かいるのか――!?」
尻尾の部分だけでも、見上げる程に巨大である。
あちこちに研ぎ澄まされた棘の生えた形状は、凶悪そのもの。
そして、表皮の青い鱗は、鏡のような澄み切った美しさでもある。
凶暴さと、美麗さと――全貌は見えないが、尾だけでも凄まじい存在感である。
ラフィニアとラティが圧倒されるのも無理はない。
「な、何だ……!? 何だあれは――!?」
ハリムにもそれは予想外だったようで、驚いている様子だ。
だがそれ以上に一番驚愕していたのは――イングリスだった。
「な……!? ば、馬鹿な――!? な、何であれがこんな所に……!?」
見覚えがあるのだ。
それも、イングリス・ユークスとしてではなく――
この世界において、どれ程の年月が過ぎ去ったかも定かではない過去の記憶――
シルヴェールという名の王国を一代で築き上げた、イングリスという王の記憶だ。
「神竜フフェイルベイン――」
イングリス王が天寿を全うし、イングリス・ユークスに生まれつくまでの時間の経過は定かではないが――
自分にとっては三十年程度前の、つまり晩年に差し掛かった頃のイングリス王の記憶として、その存在ははっきりと覚えている。
この醸し出す独特の強烈な力の波動――見紛うはずがない。
晩年のイングリス王が討伐をした、神竜と称される強大な力を誇った竜の一体だ。
竜は神ではないし、神の眷属でもないが――神にも等しい力を持つという畏怖から、人々は特に強大な竜をそう呼んでいた。
現在では小型のものであってもその姿は見かけないし、伝説やお伽話の中だけの存在である。虹の雨や魔石獣の影響で滅んだものと思っていたが――
竜と人とは相容れない。
お互いの生息圏が重なってしまったならば、滅ぼし合うしかない。
当時はそれが定説であったが、シルヴェール王国辺境に現れた神竜に対し、イングリス王は竜の言葉を聞く事が出来るという巫女を通じて話し合いを持とうとした。
しかし、神竜の態度は定説の通りだった。
結果戦わざるを得ず――シルヴェール王国の騎士団には大きな損害が出た。
当時のイングリス王はもう晩年の域。
王の務めを果たし続けていたための修練不足に加えて、加齢から来る衰えが隠せなかった。結果、単騎で神竜を撃破する事など叶わず、多くの部下、自分より若い前途ある者達を犠牲にして戦わざるを得なかった。
かなり将来有望だった騎士達も何人も戦死しており、あの時は本当に、衰えてしまった自分を恨んだものだ。
王として、多くの部下達の犠牲を出してしまった事が悔やまれ、そして戦士として、そのような強敵を前に、修練不足と衰えで力を発揮できなかった事が悔やまれる。
そんな苦い記憶だけに、強く印象に残っている。
今のイングリス・ユークスとしての生き方に繋がる出来事の一つでもあるだろう。
ともあれ多くの犠牲を払いつつも、イングリス王は神竜をクラヴォイド火山という巨大な火山の地下深くに封印した。
この神竜は強大な凍気の力を持つため、巨大な火山の自然の魔素の力を借りて、神竜の力を相殺し、封印をより確かなものにするためだ。
――そう。火山だ。イングリス王は神竜を火山に封印したのに、何故こんな所にいる。
長い時間が経ち、国名や地名が変わったとしても、巨大な火山まで消え失せるものなのか? この場所にはつい先ほどまで、リックレアの街があったのだ。
神竜が一度封印から目覚め、別の土地でまた封印されたのだろうか?
それとも、神竜はずっとそのままで、何らかの理由で火山が無くなったのか?
ともあれ、イングリスがかなり深く大地を抉ったとはいえ、こんな浅い場所に神竜がいたのなら、その強大な凍気が土地に流れ込み、周囲を寒冷化させてしまうかも知れない。
それが困るから、イングリス王は神竜と対峙せざるを得なかったのだ。
リックレアだけでなく、このアルカード全体の気候にも神竜の力が影響しているかも知れない。
アルカードはカーラリアから見て確かに北方ではあるが、さらに北にも土地や国はあり、そこは別にアルカード程の雪国ではない。
高い山が多く寒くなりやすい地形というのは確かにあるが――それ以上に、実はこの地下に埋まっていた神竜が影響を及ぼしているかも知れない。
それにリックレアが浮上した跡地に、こんなものが埋まっているのは偶然か?
ティファニエは計画自体はイーベルが立てたものだと言っていたが――
ティファニエはこれを知らなかったように思う。本人は気を失っているようだが、部下のハリムはこの光景に驚いている。
だがイーベルが何も知らなかったとは考え辛い。他の者には秘密で、何かをしようとしていたのか――彼が亡くなった今では、知る由も無いが。
――ともあれこれだけは確実に言えることが一つ。
イングリス王が生きていた世界と、イングリス・ユークスが生きているこの世界。
それは確実に同じものだという事だ。この神竜の存在がそれを確信させてくれた。
今までは余りにも見る影が無さ過ぎて、同じ世界ではない可能性も疑わざるを得なかったのだ。
そしてもし、神竜が途中で目覚めていたのなら――
イングリス王が去った後、世界に何があったかを知るまたとない好機である。
イングリス・ユークスに生まれ変わってから、初めて掴んだ前世の時代への手がかりであると言っていいだろう。
そして、イングリス王が敵わなかった強敵と相まみえる好機でもある。
そしてもう一つの大切な理由も――
これは絶対に見過ごせない、見逃せない。他の誰かに譲るわけにも行かない。
――事情が変わった、と言っていいだろう。
ラフィニアにも止められていた事だし、ここは――方針転換せざるを得ない。
「クリス――? あれが何か分かるの?」
「ん……? いや、後で話すね。今は――」
と、ラフィニアに答えてから、イングリスはハリムに向き直る。
「……やはり交渉に応じる事にしましょう。プラムと、それからあちらの――リックレアに残る生き残りの人々を全て返して下さい。そうすれば、ティファニエさんは解放しましょう。人さえ返して頂ければ、浮上したリックレアの街への追撃も行いません。それで、天上領への名目は立つのでは?」
ティファニエの口ぶりでは、リックレアの街の浮上と天上領への献上が作戦目的だったはず。
元々の指揮者のイーベルがこの神竜フフェイルベインの存在をどう認識していたのか、どうするつもりだったのかは謎だが、イングリスの提案した条件なら、あちらの目的も達せられ、最低限の手柄にはなるだろう。
「ど、どういう風の吹き回しだ……!?」
ハリムが戸惑ったような顔をする。
イングリスの出した条件は受け入れるに足るもので、それが逆に何かの企みを疑わせたからだ。
「別に――いつも力押しばかりなのもどうかと思いましたので」
「「「「はぁ?」」」」
「…………」
ハリムがそう言うのはまだ頷いてもいい。敵対している勢力の相手なのだから。
だが、ラフィニアやラティやプラムまで、満場一致で首を傾げる事は無いだろう。
――イングリスは再び、右手の掌に霊素を集中させ始める。
霊素弾の前準備だ。
「すぐに返答を。さもなければ、ティファニエさんを――」
「……! ティファニエ様っ……!?」
ハリムの顔色が露骨に変わる。
「……結局力で脅してると思うんですけど――? それを力押しって言うのよ」
ラフィニアがボソリと言っていたが、イングリスはそれを無視して話しを進める。
「さぁどうします? 3――2……1――」
「わ、分かった……! それでいい! すぐにリックレアの生き残りも引き渡そう――」
ハリムは慌てて頷き、そして――
◆◇◆
「ラティ王子……! お助け頂き、ありがとうございます――!」
解放されたリックレアの生き残りの中にはアルカードの騎士もいたようで、彼等にはラティの素性は容易に見抜かれてしまった。
「王子自ら動いて頂けるとは、何たる光栄――!」
「本当にありがとうございます……!」
「命の恩人です! このご恩は必ずお返しいたします――!」
熱烈な様子な彼等に、ラティは戸惑っていた。
「あ、いや――俺はそんなに大した事はしてな――」
と言おうとするラティに、イングリスは遠目から首を振って制止する。
ここから先、ラティが前面に出て行かなければならないのだ。
余計な事は言わなくていい。下手な謙遜や謙虚さは、必ずしも人々の上に立つ王のためにはならないのである。
とりあえず、あちらはラティに任せておいていいだろう。
プラムも無事に戻って来た事だし、これからだ。
そのプラムだが、先程話を聞いた所では、あの日の夜眠っていたら、気付けばリックレアの街に連れて行かれていたそうだ。
そこにはハリムがいて、ハリム自身もプラムを見て驚いていたらしい。
つまりハリムの手引きではなさそうだという事だ。
それを行ったのは、やはり状況的にイアンしかいないのだろうが――プラム自身はイアンを見ていないため、何も分からないそうだ。
だが心配をかけた事を、プラム自身はこれでもかと言う程に謝っていた。
結局イアンの目的、行き先は不明なまま――だが、リックレア方面で姿を見せないという事は、王都方面に向かったのだろうか?
分からないが、今は後回しにするしかない。目の前に大きなやるべき事があるのだ。
「……これでよかったのよね?」
ラフィニアは、空に遠ざかって行くリックレアの街を見つめながら言う。
「うん。こっちも重要だからね」
イングリスは、跡地のクレーターから突き出た神竜の尾に視線を向ける。
もう、あちらに構っている余裕が無くなったのだ。
今も時々地面は振動し、唸り声のようなものも地下から響いて来る。
正直、いつ地盤を突き破って神竜が地上に出て来るか分からない。
「いつ地上に出て来て動き出しても不思議じゃないから――今すぐ戦いになるなら、余力は残しておかないとね」
正直、ティファニエとの闘いで相当に消耗をした。
予想以上の事態だった。想定してもいなかった攻撃方法だった。
おかげで得たものも大きいが――
あそこからティファニエを消滅させるほどの攻撃を繰り出せば、もはや完全にイングリスの余力は無くなり、すぐには戦えない状況になっていただろう。
ここに神竜がいる事が分かった時点で、ティファニエに止めを刺す選択肢は消えたと言っていい。
「結局何なの? これ――? 魔石獣じゃない――わよね? 虹の王でもないし……」
「竜だよ。多分凄く古い時代の――ね」
「竜……!? それっぽい形の魔石獣はいるけど――それとも違うの?」
「うん。あれは要は蜥蜴の魔石獣だからね。これは本物の竜だよ。それも多分、魔石獣で言ったら虹の王みたいな、最強の存在……きっと単体で言うなら、天恵武姫よりも手強いよ」
「……それって、もっと強いのを見つけたから、前の相手は追い払ってこっちと戦いたいって事――!? はぁ、ほんとクリスは戦う事しか考えてないんだから……!」
と、ラフィニアは呆れたようにため息を吐く。
「ま、まあ、プラムも生き残りの人達も助けられたから、悪くはないと思うけど……」
「逆に天上領の指揮官を討ち取ってしまえば、天上領との関係を決定的に悪化させる可能性もありますし――この方がいいのかも知れません」
レオーネとリーゼロッテが、続けてそう述べる。
確かに、神竜との戦いにも大きな興味はある。
更に、前世の時代から、この世界に何が起きたかを知る大きな手掛かりでもある。
そして、更にあえて言うと――
「……まあそれもあるけどね。ところでラニ――知ってる?」
これは、ラフィニアにとっても重要な事である。
「ん? 何を?」
「――竜の肉って、すっごく美味しいらしいんだよ?」
イングリスがそう言った瞬間――予想通りラフィニアの目がキラリと輝いた。
「……それは仕方ないわね!」
「「食べる気っ!?」」
悲鳴に近いような、レオーネとリーゼロッテの声がその場に響き渡った。
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