第199話 15歳のイングリス・悪の天恵武姫4
「あたしが見たのは、ティファニエっていう天恵武姫さ。澄んだ水みたいな優しい色の長い髪で、目がぱっちりしてて、見た目は本当に可愛らしいんだ。あんたにも負けてない程だったよ。あんたもびっくりするくらい可愛いけどね」
と、女将はイングリスの方を見て言う。
「……ありがとうございます。他に特徴は――?」
「取り巻きに天上人を沢山連れててさ。皆ティファニエ様ティファニエ様って崇め奉るような感じで、ハッキリ言って間の抜けた感じさ。だけどそいつらが、本当に酷い奴等でね……無理やり食料を持って行って、さっきも言ったように歯向かう奴は殺されるか強制連行――それをティファニエって天恵武姫は楽しそうに見てたよ。隙を見てあいつに直接襲い掛かった戦士もいたけど、一瞬でバラバラ……何が起こったのか分からなかったよ」
女将は少し顔を青ざめさせながらも、情報を教えてくれる。
「天恵武姫は魔石獣からあたし達を守ってくれるって言うけど、ある意味魔石獣より恐ろしいよ……ご近所や、知り合いも何人も――」
「なるほど――かなり凶暴な集団のようですね……」
悪くない。ならば遭遇する事が出来れば、かなり質の高い戦いを期待できるだろう。
イングリスの知っている天恵武姫達は、無暗に暴力を振りかざすような人物では無く、それなりの理由が無ければ戦ってはくれない。
黙っていれば襲ってくれそうな天恵武姫など、願っても無い存在だ。こちらが知恵を絞って戦いの理由を作るという面倒な作業をする必要が無いからだ。
こちらの土地の食糧事情は芳しくないようだし、ご当地料理を楽しむという線は望み薄になってしまった。
となれば、本来の目的である戦いのほうは、逃さずに行きたいものだ。
「彼等は、よくこの街にやって来るのですか?」
「ここに天恵武姫がやって来たのは、一度だけだよ。配下の天上人は時々――今までに何度かやって来たね。その度に、誰かが――」
「そうですか――女将さん、最後に一つ……彼等がどこからやって来るかは、ご存じですか?」
「たぶん、リックレアだよ。捕まった人は皆リックレアの監獄送りにされてるみたいだから――」
「リックレアに監獄……!? そんな事、初耳です……!」
イアンが声を上げる。驚いている様子である。
これはイアンが密命を帯び、ワイズマル劇団に潜入してアルカードを出国してからの動きなのだろう。つまりごく最近の動き、というわけか。
「リックレアといえば、確か――」
事前にイアンやラティから得た、アルカード国内の情報によれば――
「ええ……魔石獣によって滅ぼされてしまった、僕の故郷です――」
虹の王らしき魔石獣に滅ぼされたという街だ。
その被害が余りに凄惨だったため、アルカードの国はそれまでの方針を転換。
天上領への依存度を深め、国防のための力を高める方向を目指すようになった。リックレアの街は、その出発点とも言える場所だ。
「あんな事があったのに、今はまた多くの罪の無い人達が集められ、苦しめられているなんて……」
項垂れるイアンの肩に、慰めるようにラティが手を置く。
「ああ――許せねえよ……! なんであそこばっかり――」
「あんたら……リックレアの子もいるのかい? あんな事があって、よく無事だったねえ。せっかく助かった命なんだから、大事にしなきゃいけないよ? それが生き残った者の出来る唯一の事さ。悪い事は言わないから、天恵武姫や天上人に目を付けられるような事はおよしよ?」
女将は心から心配そうにそう呼びかける。
「はい女将さん。辛い事を思い出させてしまって、済みません。お部屋で休ませてもらっても構いませんか? さあみんな、行こう」
イングリスは皆に呼びかけ、部屋に入る事にした。
これ以上女将に色々尋ねても、ますます辛い事を思い出させてしまうし、こちらとしても話せない事もある。込み入った話は自分達だけで、という事だ。
部屋に入ると真っ先に、イアンが深刻そうな顔で呟く。
「さっきの話ですと――僕がアルカードを出てから、事態は随分悪い方に動いているようです……まさか天恵武姫が既にやって来て、人々から食料を奪っているなんて――」
「焚きつけているのかも――?」
「……イングリスさん。それは、どういう事ですか?」
「教えなさいよぉ、クリス」
早速ベッドに寝そべっているラフィニアも、聞いて来る。
大きな欠伸をして、少々お行儀が悪い。
夜通し起きていたので、仕方ないと言えば仕方ないが。
「……うんラニ。説明するけど寝ないでちゃんと聞いてよ?」
「当り前よ。ふみゅぅ~」
「…………」
もう既に瞼が重そうなのだが――他の皆も気になるようなので、説明は続けることにする。
「焚きつけるって言うのは、国境にいるアルカード軍を早くカーラリアに攻め入らせたいって事だよ」
「それは、逆に言うと――アルカード軍はカーラリアを攻めたくないという事ですの?」
「アルカード軍は準備が出来たら攻めて来ると思っていたけれど――イングリスはそうじゃないって言いたいの?」
リーゼロッテとレオーネは、きっちりと起きて質問してくる。
二人とも真面目でいい娘だ。ラフィニアにもここはちょっと見習って頂きたい。
「うん。正確にはそうじゃなかった、って所だろうけど――必ずしもアルカード軍は天上領の思う通りに動いてなかったんじゃないかな」
「どうして?」
レオーネは再度、尋ねて来る。
「なるべく自軍の消耗を避けるためだよ。カーラリアの東からは、ヴェネフィク軍が迫ってる。そちらの戦況が有利に傾いて、アルカード側から楽に侵攻できる状況を待っていたんだと思う。そうなれば少ない労力と損害で手柄を上げて、天上領から天恵武姫を下賜して貰えるし」
自分がアルカードの王だとしたら、その位の状況は読む。
ヴェネフィクはカーラリアとは長年の敵対関係にある東の隣国だ。
現在東の国境付近にヴェネフィク軍が迫っており、ラファエルやエリスやリップルが所属する聖騎士団が出撃して、その対応に当たっている。
そちらの戦況がヴェネフィク側に傾けば傾く程、カーラリアは東側の戦線に国内の戦力を傾けざるを得ず、北からの侵攻を考えるアルカードにとっては状況が有利になるのだ。
最も被害の少ない手法で、最大の国益を上げる事を突き詰める。
人々を導くとはそう言う事だ。その前提に立てば、むしろそれが自然な動きだろう。
イングリス・ユークスという従騎士の一個人であれば、最も危険な戦場に真っ先に突入して最大限の戦闘経験を得たい所だが、王や騎士団長などの指導者側に立ってしまうと、それはできない。結論として、やはり出世はするべきではない、という事だ。
「カーリアス国王陛下の暗殺事件も、時間稼ぎの意味もあったんじゃないかな。今そういう工作中だから、少し様子を見たい。国王を先に討ち取ってから戦った方が有利だって言って、出兵を遅らせる口実になるからね」
そうイングリスが言うと、イアンははっとした顔になる。
「そうかも知れません――あの暗殺計画は、大戦将のイーベル様ではなく、国王陛下の周辺から発せられたものでしたから……」
「だけど、天上領側はアルカード側の態度に痺れを切らし始めた。単にイーベル様が亡くなって、方針を転換しただけなのかもしれないけど――天恵武姫を先に派遣して、その対価だって言って住民から食料を略奪させる。そんな事をされたら堪らないから、アルカード軍は急いでカーラリアに侵攻せざるを得なくなる……そうしてカーラリアの土地を切り取ったり、食料を奪ったりして、天恵武姫の行動を止めて貰う――天上領には歯向かえないからね」
「……もしかしたら、ヴェネフィク側の戦況が悪いのかも知れないわね。それで、焦り出したとか――」
レオーネはイングリスの言葉に納得したように頷いてから、そう言った。
「かも知れませんわね」
「そうだね。天上領の情報伝達は、わたし達よりずっと早いだろうし」
「とにかく、アルカードの人達が食べ物を奪われるのも、カーラリアの人達が戦争に巻き込まれるのも、どっちも許せないわ――絶対に止めなきゃ!」
ラフィニアはきりっと眉を引き締め、そう述べた。
「ラニ――別にいいけど……寝転がって枕抱いて言う事じゃないよ?」
ラフィニアの姿勢はイングリスの言った通りだった。
レオーネやリーゼロッテやプラムはきちんとお行儀良く座っているのに――
困ったものだが、それはそれで可愛く見えたりもして、少々複雑である。
「仕方ないじゃない。眠いんだもん」
「はいはい。じゃあ早く話を切り上げなきゃだね。とりあえず、この先どうするかだけど――先にアルカードの王都に向かうか、真っ直ぐリックレアの監獄に向かうかかな」
イングリスの見立てでは、ラティの父であるアルカード王は、国の損失を最小限に止めるように振舞っているように思えるし、ある種の覚悟もありそうだ。
話は出来る相手だろう。会談してみる価値はあるかも知れないが――
不調に終われば、無駄足となる可能性もある。
それ所か、アルカード王がこちらを拘束しようとしたり、ラティやプラムはともかくカーラリアからの潜入者であるイングリス達を殺そうとするかもしれない。
リックレアの解放に向かえば、噂の天恵武姫や天上人達と対峙する事になりそうだ。
そして、そうなればほぼ確実に戦闘を期待できるだろう。
早く監獄に囚われた人々を開放すれば、その分多くの命を救う事にもなる。
しかしアルカード王との合意も無しにそれを行った場合、政治的に禍根を残す事になりかねない。魔石獣への防衛力を高めるため、アルカードにも天恵武姫を招聘しようという目的を、断りも無く横から叩き潰す事になるからだ。
「……ちょっと悩ましいね。どう思う、みんな?」
と、イングリスが問いかけると、レオーネ達は意外そうな顔をする。
「意外ね。イングリスなら真っ先にリックレアに突撃して天恵武姫と戦いたいって言うと思ったわ」
「ですわね。お腹でも痛いのですか?」
「逆じゃね? 腹減っておかしくなったんじゃねえか?」
「ちょっとラティ、イングリスちゃんに失礼ですよ」
「そ、そうですよ。真剣にアルカードの事を考えて下さってるんですよ」
「ふふふ――」
そんな皆に、イングリスは謎めいた笑みを浮かべるだけだった。
「甘いわね、皆――」
それを見ていたラフィニアが、じとーっとした瞳でイングリスを見ている。
「クリスはね、先に王都に寄った方が一悶着あって結果的にいっぱい戦えるかも♪ とか考えてるだけなのよ……!」
「……そ、そんな事ないよ。ないない――」
「ウソね。ほらほっぺたがぴくぴくしてるもん! これは嘘をついてる時の動きよ、分かってるんだから――!」
むぎゅー。っと頬を引っ張られる。
「ちにゃうりょ……! ちりゃうにょ――!」
まあ確かに、冷静に考えてどちらのほうを優先しても一長一短ありそうなので、ならばそこに自分の利益も混ぜ込んでよいだろうという話だ。
先に王都に向かってアルカード王に話をつけようとするものの、受け入れられずに処刑されそうになり一戦闘。
その後、リックレアに引き返し人々を苦しめる天恵武姫を撃退し二戦闘。
更にその頃、回り道をして時間をかけ過ぎたために、国境付近のアルカード軍が動き出してしまい、急いで追い付き進軍を止めるように呼びかけるものの、情報伝達の不行き届きもあり受け入れられず、やむを得ず止めるために三戦闘。
これが、実戦経験の面では最良の展開である。
先にリックレアから行った場合、後の政治的な不透明感は高いが、そこは主にこの国の王子であるラティが担う領域となり、戦闘自体は一戦闘で終わってしまう可能性が高くなる。
ラフィニアの言う通りでもあるのだが、あくまで優先度はこの状況の解決を第一とはしている、とは強く主張しておきたい。自分もそこまで人でなしではないのだ。
「ま、まあどっちにしろ、王都もリックレアも途中までは道は同じだから、向かいながら考えるって事でいいんじゃねえか?」
と、ラティが提案した。
「そうですね。進めばまた新たな情報が得られるかも知れませんし」
イアンも同調する。
「どちらにせよ、急がなきゃですね」
プラムも頷いていた。
「じゃあ、ここで仮眠を取ったら、すぐに出発ね」
「ええレオーネ。そうですわね」
話がまとまりかけたが――
「待ってみんな。確かに急がなきゃいけないけど、あたし達はやれる事をやらなきゃ……この街の人達のために!」
ラフィニアだけは決然とした表情で、そう述べるのだった。
ここまで読んで下さりありがとうございます!
『面白かったor面白そう』
『応援してやろう』
『イングリスちゃん!』
などと思われた方は、ぜひ積極的にブックマークや下の評価欄(☆が並んでいる所)からの評価をお願い致します。
皆さんに少しずつ取って頂いた手間が、作者にとって、とても大きな励みになります!
ぜひよろしくお願いします!