第185話 15歳のイングリス・ふたりの主演女優38
舞台のクライマックスである、マリアヴェールとマリク王子のキスシーン。
観客席にいるラフィニア達は、食い入るようにそれを見つめていた。
「おお……来る、来るわよ――!」
イアン演じるマリク王子が、イングリス演じるマリアヴェールの髪と頬にそっと手を触れようとしている。
盛り上がって来た――! 見ていてドキドキしてくる。
もしかしたら、イアンや何者かの手による妨害や破壊工作があるかも知れないとイングリスは言い、その備えはしてきたが――これまで何も異変は起きていない。
決闘シーンで力の入り過ぎたイングリスとユアが劇場の壁や天井を少し破壊したが、それは異変ではなく予想された事態だし、むしろその位で住んで良かったとも言える。
ただ、ユアがいきなり倒れて決着がついてしまったのはイングリスにも予想外だっただろう。
誰よりも綺麗で可愛いのに、誰よりも男の子に興味を示さないイングリスは、自分がキスシーンを演じるのは嫌がっていた。
恐らく、手合わせを楽しむだけ楽しんだら勝ちをユアに譲って、いいとこ取りを企んでいたのだろう。
が――ラフィニアは思っていた。そんなに上手くいくのか、と。
戦いの事になると、つい調子に乗ってやり過ぎてしまうイングリスを、ラフィニアは幼い頃から散々見ている。
だから、この事態はあり得ると思っていた。そして望んでいた。
本気で恥じらうイングリスを見てみたかったからだ。
頬を赤らめて俯いて、少し震える声で台詞を言う今の姿が、まさにそれだった。
「いいわ、可愛い……! 可愛いわよ、クリス……!」
「本当ね……見ているこっちが――」
「ええ、ドキドキしますわね……!」
並んで座るレオーネとリーゼロッテも、目を輝かせていた。
「ああしていると、本当に絵になって可愛いんですけどねえ、イングリスさんは――」
一列後ろに座っているミリエラ校長も、楽しんでいる様子だ。
何かあるかも知れないと警戒していたのが、取り越し苦労であれば結構な事。
ここまで来たら、イングリスのキスシーンを見たい!
そしてこれを機に、また女の子として一皮剥けて、少しは男の子に興味を持って貰いたい。将来的にラファエルと結婚して、ユミルの侯爵夫人になるための第一歩を刻むのだ。
それにこの話をラファエルにすれば、ラファエルの方を焚きつける動機にもなる。
諸々いい事づくめである。だからさあ行け――最後まで!
実は恥じらっているように見えるしおらしいイングリスの姿は、キスシーンが嫌で仕方なく、目の前のイアンを殴り倒しそうになる衝動を必死に堪えていただけなのだが――
そんな事はラフィニア達には伝わらない。
もはや言葉も無く、舞台上の可憐なイングリスの姿にじっと注目して――
キスする寸前で、イングリスが顔を逸らしてしまった。
「あぁっ……!」
と思った瞬間、視界の中のイングリスの姿が消失していた。
「えっ……!?」
ガシャアアァァンッ!
乾いた破砕音が響くと共に、目の前がかなり暗くなった。
イングリス達が破壊した天井の穴から光が入るので、完全に見えない程ではないが。
これは劇場内の照明が落ちたのだ。こんな演出は台本には無い。つまり――
「ラフィニアさん! レオーネさん! リーゼロッテさん! 手はず通りで! 後は頼みます!」
流石は校長先生だけあって、反応と切り替えがラフィニア達より一歩早かった。
持っていた杖型の魔印武具を振り翳すと、その姿が歪んで消えて行った。
突然の事にざわついていた、他の多数の観客達も一緒に。
「はい!」
「分かりました!」
「お任せください!」
三人の声が、一気に人がいなくなり、しんとした客席に響く。
しかし、その声を聴く者が、他に誰もいないというわけではなかった。
「こ、これは……!?」
その声は、客席の中央通路近く――丁度カーリアス国王の席があったあたりから響く。
栗色の短髪で、武骨そうなかなり大柄の男。
寒い季節ではないが、首から下がほぼ見えないような厚着。
間違いない。昨日アリーナを送り届けた後に見かけた、ディーゴーという男だ。
それにその周囲にあと二人、似たような格好の男達がいる。
一様にキョロキョロと、一瞬にして人が消えた周囲を見回している。
「な、何が起こった――!?」
「くっ……! 王はどこへ消えた――っ!?」
どうやら、混乱に乗じて闇討ちをするつもりだったようだ。
しかし肝心の標的――カーリアス国王の姿は既にそこには無い。
ミリエラ校長が魔印武具の力で創り出した異空間に隔離されたからだ。先日の事件では、リップルが呼び寄せてしまう魔石獣を周辺への被害を抑えて倒すための隔離に使用したが、今回は安全確保のための避難用だ。
レオーネの持つ黒い大剣の魔印武具も同機能を持っており、本来の役割としてはレオーネがやるべき事なのだが――
現状のレオーネの力では、効果範囲内の全員を転移に巻き込んでしまうのだ。
それではその中に賊が紛れていても、一緒に異空間に転移してしまう事になり、避難が避難にならない、という事が起こり得る。
更に言うと、客席全体を巻き込む事が出来る程の効果範囲も望めない。
その点、特級印を持ち一段上の実力を誇るミリエラ校長ならば、客席全体に届く効果範囲と、賊とそれを排除するための要員であるラフィニア達だけを残して転移する事が可能だった。
だから、不測の事態への対応を検討する上で、何か起きた場合の安全確保役はミリエラ校長にお願いする事になった。
誰が賊かという見立ては、最初の五人での舞踏シーンで、イングリスが客席近くまで飛び出した際に行っていた。
元々の脚本には無いあの行動は、観客へのサービスではなく、怪しい者が紛れ込んでいないかどうかを探るためだったのだ。
判断基準はイングリス曰く『魔素の流れが普通じゃない人』だそうだ。
それでぴったりとあのディーゴーという男も排除されているし、他の者も明らかにカーリアス国王を狙っていた様子であるし、イングリスの見立ては正しかったのだ。
「残念だったわね、国王陛下は安全な所よ――! あなた達、諦めて大人しくお縄につきなさい!」
ラフィニアは愛用の弓の魔印武具――セオドア特使から授かった新しい光の雨を構え、高らかに宣言する。
「ラフィニアおねえちゃん……!?」
別の所から、聞いた事のある声がした。
「……!? あ、アリーナちゃん……!?」
どうやらアリーナもまた、客席の中に取り残されていたようだった。
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