第184話 15歳のイングリス・ふたりの主演女優37
普通、術者が倒されれば魔術も崩れ、異空間は消滅し元に戻るはず。
だが、その気配が無いのだ。という事は――
「……驚きました――この『封魔の檻』の中では、魔印武具やそれに準ずる力は効果を封じられるはず……天上人の技術で造られた今の僕の体ならばその影響を受けず、だからこそこれは必殺の罠であり、最高の防御手段のはず……! それが、あんなにもあっさりと……! ……そうだ、ひょっとしてイーベル様は僕を騙して……!?」
何もないどこか遠くから、イアンの声が響いて来る。
やはりまだ――仕組みは分からないが健在のようだ。
「あの方の名誉のために言っておきますと――効果はありますよ?」
まあ既に亡くなってしまった人物なので、名誉も何もあったものではないが。
それにそもそも、それほど褒められるような人格でもなかった。
「では何故……!? あなたは鉄を殴って砕くような怪力なんですか――? そんなにすらりとした美しい方なのに――まるで想像できません」
「……出来ないとは言いませんが――要は天上人にとっても未知なるものは存在するという事です。彼等が何もかもを知っている、万能の存在というわけではありません」
確かに地上の人々から見れば、そのように感じるものかもしれないが。
「それから――一つお知らせしますが、イーベル様はもう亡くなりました。彼と約束した取引は、無駄になるかも知れませんよ?」
「ええ、こちらに来て噂で知りました――ですが計画は続行です……! もしかして、あなたがイーベル様を……!?」
「馬鹿な! そんな事わたしにできるはずがありません……!」
やや力を込めて、イングリスは言う。
これも出来ないとは言わないが、する理由が無い。
人間性は褒められないが、イングリスは彼が結構好きだった。
それは有り余る自尊心からか短気で喧嘩っ早く、自らの地位や身分もかなぐり捨てて、一対一で戦ってくれるからだ。
その実力は確かだったし、イングリスにとっては、非常に有り難い存在なのだ。
だから、見えなくなる程遠くまで蹴り飛ばしておいて何だが、命は助けたかった。
討ち取るなんて勿体なくて出来ない。
腕を磨き直して力を増した彼と、何度でも再戦したかったのだ。
なのに黒仮面の手によって――あれは本当に、残念で不幸な事故だった。
「……いずれにせよ、あなたは危険です。放っておけば僕達のアルカードにとって、致命的な存在になりかねません――!」
「買い被りだと思いますが――」
実力以前に、イングリスにはその気が無いのだから。
世のため人のためには働かない。
だから、逆にどこかの国を亡ぼしたりするために戦う事も無い。
「ですが、そう思って全力でかかって来て下さるのは歓迎します。早く決着をつけて、ラニの所へ行きたいので」
「「「「「そう冷静でいられるのも、今のうちです――!」」」」」
その声は、前後左右のあらゆる方向から――
何重にも折り重なって、合唱のように聞こえた。
そしてイアンが姿を見せる――
その声が響いて来た通り、前後左右のあらゆる方向から。
全く同じ姿のイアンが、何人も何人も何人も――
その数は2、30になるだろうか。
「な……!? これは――!」
流石にイングリスも驚いた。
これも天上領の技術か?
だとしたら天上領の兵士は資材さえあれば無限に作れるという事か。
「イ、イアンが……!?」
「こ、こんなに沢山……!? わ、悪い夢を見ているみたいです――!」
「人魂を模造する天上領の秘儀――それぞれの僕はあなたより弱くても、力を合わせれば強くなれる……! イーベル様が僕に与えて下さった力です――!」
「なるほど……いい趣味ですね」
「だ、だけどイアンくん……そんな事したら――しちゃったら……! もう誰が本当のイアンくんか分かりませんよぉ――!」
「プラムの言う通りだぜ、イアン……! もうお前がお前だって誰も分からなくなって……! それって自分で自分を殺したのも一緒だろ!? それで良かったのかよ……!?」
ラティとプラムは、大量のイアンの存在に、嫌悪感を露にしていた。
そして哀しそうに表情を歪めている。
それを見ながら、イングリスはぼそりと呟く。
「でも一人か二人なら――わたしもわたしが欲しいかも……」
きっとお互いがお互いを理解し、いい競争相手として毎日手合わせを繰り返す充実した日々が送れるだろう。自分と互角なのだから、最高の訓練相手だ。
そしてそれは限られた人の一生という時間の中で、最も高みに昇り詰める手段となるのは間違いない。
イアンのように上からの命令や要求で自分を複製されて、それを利用されるような状況は無論我慢ならないし嫌だが――
自分の意志で自分のためだけにもう一人の自分を生み出すのは悪くないと思う。
むしろ自分もやりたい。
アルカードに行けば、イアンをこのようにした設備があるのだろうか。
一度見てみたいのだが――
「何を馬鹿な事言ってんだよ……! イングリス!」
どうやらラティに聞かれていたらしい。
「え? でもほらわたしがもう一人いたら最高の稽古相手だし、結局強さって訓練の質と費やした時間と才能の掛け算みたいな所もあるし、最高効率で強くなれそうだと思わない?」
「知るかっ! 俺は真面目に人の尊厳の話をだな……! いやもういいから、とりあえず話の腰折るなよな!」
ラフィニアみたいなことを言う。
つまりラティも、正義感の強いいい少年だという事だ。
「ラティ君、プラムちゃん――僕もイングリスさんと同じですよ。何とも思っていませんし、満足しています――確かに、存在を模造される事は仲間も皆嫌がって、志願したのは僕だけでしたけれど……」
「そりゃそうだぜ! そんな、気味の悪い……! 何でお前は……!?」
「力が欲しかったからです――! 僕も元々、ラティ君と同じ無印者――故郷が魔石獣に襲われて滅びた時も、無力な僕には何も出来ませんでした……だけど、今は違います……! 亡くなった家族や、領民の皆さんのような悲劇を二度と繰り返さないために……! 僕らの愛するアルカードが、国を守る力を得る手助けをする事が出来るなら――! 僕の体など必要ありません! 人としての尊厳もいらない! 自分が自分で無くなってもいいんです!」
熱弁するイアンの姿。ラティは正視が出来ずに俯いてしまう。
「イアン……! だけど、だけどさぁ――こんな事……!」
「ご、ごめんなさいイアンくん……そんな時に私達、側にいてあげられなくて――!」
プラムは涙を浮かべて、身を震わせていた。
「……ラティの言ってた通りの人だね」
「あ、ああ……そうだな――やり過ぎだけどな……」
ラティはイアンの性格なら、領地が滅ぼされて王都にまで大きな被害が出たのなら、残って復興を手伝うはずだと言っていた。
これもその一環――国のため、人々のため。むしろその最大限の形なのだろう。
それはこちら側の国からすれば、国王暗殺を狙うという最悪の行為だが。
戦争とは、正義と正義がぶつかる場所においてこそ起こるものなのだ。
「だから僕は、イーベル様の実験に志願しました。そして特別に『封魔の檻』を操る力も授かりました。沢山の僕達が、潜んでおけるように――」
――という事は、これを扱えるのは彼等の仲間ではイアンだけという事か。
しかし、いずれにせよ――
「さぁイングリスさん……! 戦いはこれからです――! 今度こそ……!」
「いいえ、お断りします。ラニの所に急ぎますので」
ここに見えるイアンを倒したところで、また次があるかも知れない。
そうしているうちに、時間はどんどん過ぎる。構っていられない。
ならばもう――空間を破壊して無理やり外に出るまでだ。
恐らく破壊の余波が外に溢れて、劇場が大変な事になるとは思うが。
だからやりたくなかったのだが、こうなっては仕方がない。
イングリスは掌を天に翳し、そこに霊素を収束させた。
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