第174話 15歳のイングリス・ふたりの主演女優27
アリーナを送り届けた先は、ノーク大通りからいくつか奥に入った裏路地にある古屋敷だった。
ノーク大通りは王都で一番商店が多い界隈で、イングリス達が稽古している王立大劇場もここに面している。
大通りは華やかなものだが、その光の裏には、同じだけの影もある。
アリーナは大通りに面した商店主の所で下働きをさせられながら、暮らしているようだ。
帰って来たアリーナに、店主らしき男は開口一番怒声を飛ばした。
「仕事もせずどこをほっつき歩いてやがった、てめえ!」
間髪入れずに平手が飛ぶ。
ばしっ!
それがアリーナを叩く前に、イングリスが手首を掴んで止めていた。
「やめてあげて下さい」
「ぐっ……!?」
「アリーナちゃんを連れ回していたのはこちらです、申し訳ありません。叩くならばわたしをどうぞ」
「……ちっ。お姉さん方のその服は、騎士アカデミーのやつでしょう? 未来の騎士様に睨まれたくはありませんや」
男は舌打ちしながらも矛を収めた。
今思えばアリーナを誘った時、彼女が一瞬躊躇ったように見えたのはこういう事情があったからだろうか。
それでもどうしても機甲鳥に興味があり、この機会を逃せば次はないかも知れないと考え、付いてきてしまったのだろう。可哀想なことをした。
「……あたしは、もう睨んでます」
じとーっ、とラフィニアは突き刺すような視線を男に送っている。
人買いをするなんて最低! と罵り出したりしない所は、まだ冷静さを保っている方かも知れない。
アリーナの事を考えれば、あまり目の前で騒ぎ立てるのも良くないだろう。
「あの、ご主人。少しお話を伺いたいのですが?」
「何です? 早くして下さいよ」
「その前に、アリーナちゃんはもう戻っても?」
「ああ。ほら中入ってさっさと寝ろ! 明日も早いんだぞ……!」
「は、はい……! おねえちゃん達、今日はありがとう。お休みなさい――」
と、アリーナは建物の中に入っていく。
奥のほうに、アリーナと近い年頃の子供たちが、遠巻きにこちらの様子を窺っているのが見えた。
あの子たちも、アリーナと同じような境遇の子だろうか。
前に、星のお姫様号の見た目をダサいと言っていた子もいるように見える。
どうやら、前はあの子達が外に出てお使いか何かをしている時に遭遇したようだ。
「あ! 待ってアリーナちゃん……!」
と、ラフィニアは何かを思い立ったようにアリーナを呼び止める。
「どうしたの、おねえちゃん?」
「あのね、これ――」
明日から王立大劇場で行われる公演のチケットである。
ワイズマル伯爵が、イングリス達にそれぞれ配ってくれたものだ。
ビルフォード侯爵と母二人の分を残しても、まだ手元に残っていた。
「明日から王立大劇場でやる舞台ね。騎士アカデミーが協力してて、あたし達も舞台に出るの。良かったら見に来て?」
「ええっ……!? おねえちゃん達が出るの? すごい――」
アリーナは目を輝かせるが、ラフィニアが差し出そうとしたチケットは、男に取り上げられて突き返された。
「そいつは、必要ありません」
「……何でよ!? ちょっとくらい、休ませて息抜きさせてあげてもいいじゃないですか……!」
男ははあ、とため息をつく。
「んな事は、あんたに言われんでも分かってます」
と、懐に手を突っ込んで取り出したのは、ラフィニアがアリーナに渡そうとしてものと同じ、公演のチケットだった。
結構な枚数がある。アリーナや、子供達全員分あるだろうか。
「あ……! それは――」
「言ったでしょ? 他に欲しがってるやつがいたら、そっちにやって下さい」
「ごめんなさい――」
しゅんと小さくなるラフィニア。
「おらお前ら! さっさと部屋に戻って寝ろ! いいな!」
男が怒鳴り散らすと、子供達は一斉に散っていく。
「おねえちゃん達、頑張ってね! 楽しみにしてるから!」
最後にアリーナが一言残していく。
「……で? 話を聞きたいって、何です?」
「いえ、何でもありません。済みませんでした」
本当はアリーナを身請けしようとすれば、いくら必要か聞こうと思っていた。
つまり、それなりの対価を払ってアリーナを自由にしてあげるという事だが――
それを聞くのはまだ早い、という気がした。
「……じゃあ俺から一つ」
「何でしょう?」
「ウチは確かに他所の土地ですがあいつらを買って来て、働かせてます。ですけど、行くとこに行きゃあ、あいつらの親から子供を売ってくるんですよ? 買ってやらなきゃ口減らしだって殺されててもおかしかねえんです。魔石獣に殺されるのも、貧乏に殺されるのも一緒ですよ? まあ騎士アカデミーの生徒さんは貴族のお嬢様方が多いでしょうから、想像もつかないかも知れませんが――そこんとこ、ちゃんと分かっといて下さいよ?」
つまりは必要悪だ、と言いわいわけだ。
それをどう捉えるかもまた、個人個人の主観による。
頷いて黙認するもよし、それでも悪いものは悪いと断ずるも良し。
「貴重なご意見を有難う御座います」
イングリスの場合は無論――聞き流す、である。
自分は戦い以外の事は、ラフィニアに合わせるのみだから。
主義も主張も善も悪も、イングリスには不要だ。
ただ強い敵と、美味しいご飯と、綺麗な服と、それから側にラフィニアがいればいい。
「……ありがとうございます」
ラフィニアは不満そうな顔はしているものの、それ以上の言葉は飲み込んだようだ。
「じゃあ帰ろう、ラニ」
「うん。そうね――」
再び星のお姫様号に乗り込んだ。
「……はあぁぁぁ~。なんだかよく分からなくなるわね――」
二人きりになると、ラフィニアは大きくため息をついた。
「そうだね。青春の悩みだね」
ラフィニアにとっては憂鬱かもしれないが、イングリスとしては今日の出来事は歓迎したい。きっと、ラフィニアの人間的な成長に繋がると思えるから。
「あたしの知ってる青春と違うわ――」
「現実とは辛く厳しいものなんだよ。とりあえず、気を取り直して明日から頑張ろう? アリーナちゃんを楽しませてあげないとね? 母上や侯爵様も伯母上も見てくれるし」
「うん、そうね――」
ゆっくりと星のお姫様号を屋根の上の高さに浮上させると、下の方から聞こえる声が耳に入った。
「そんな……あの方を見捨てるって言うんですか、ディーゴーさん……!?」
「そうではない――我々は我々の使命を果たすのみ。それ以上もそれ以下もない」
「ですが……!」
「では問おう、この好機を逃してどうする? 何のために我々はここにいる。我々に許された時間は、決して多くはないぞ」
片方の声に、聞き覚えがあった。
最近よく聞く、柔らかくて上品さのある少年の――
「あ、あれ……イアン君――?」
ラフィニアが、その人物に気が付いたようだ。
「――ほんとだね」
「ここで間借りして下宿とかしてるのかな――? あ、だから公演のチケットを配ってあげてたのかな……?」
「かも知れないね」
王立大劇場も近いし、そうであっても不思議ではないが――
話している相手は、栗色の短髪で、武骨そうなかなり大柄の男だった。
寒い季節ではないが、首から下がほぼ見えないような厚着だ。
「ですから事情をお話してご理解頂いて――!」
「それは危険だ。承服できん」
「くっ……!」
「今更狼狽えるな。覚悟を決めろ」
「そんなもの、とっくに決まっています……! あの日から、ずっと――!」
「ならばもう、話す事はあるまい」
そう言うと、男はその場から去って行った。
「……な、何の話なんだろ……よく聞こえなかったけど揉めてたわね。劇団の話かな?」
「盗み聞きは良くないよ?」
「でも、何か只事じゃなさそうだったわよ? 大丈夫かな?」
「……まあ、とりあえず帰るね」
イングリスは星のお姫様号の船首を騎士アカデミーの寮へと向けた。
――そして翌日、公演の本番の日がやって来る。
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