第127話 15歳のイングリス・天恵武姫護衛指令35
「ふん、狙い通り鼠が罠にかかったか――」
イーベルも外の様子を一瞥し、事態を把握したようだ。
砲撃をバラ撒きながら出現した血鉄鎖旅団の戦艦からは、既に多数の機甲鳥が飛び出し始めている。
それを見る限り、セオドア特使の特使専用船と連携した聖騎士団と遜色無いような軍備である。
一国の騎士団にも相当する水準だ。単なるゲリラ組織の域を遥かに超えていると言えるだろう。
しかもかなり素早い展開であり、飛空戦艦の運用にあちらの人員が慣れている事が窺える。
イーベルが乗って来た飛空戦艦や、周辺警備の近衛騎士団の部隊からも、迎撃のための機甲鳥が飛び立ち、俄かに空の光景が慌ただしくなって行く。
「あの――まさか、あちらが現れたので手合わせは中止と仰ったりは……?」
「しない! あれは鼠だが君は何者か分からないからね! だが後もある事だし手短に済ませよう――全力で来い!」
「ありがとうございます! ではお望み通り全力で――」
イングリスは再び霊素殻を発動する。
そして少し身を沈め、いつでも踏み込めるように身構えた。
その視線はイーベルを真正面に捉えている。
――真正面から行く。
単純に真っすぐ突進して攻撃。それでいい。
何の工夫も捻りも無いが、ただし全力で。
それをイーベルがどう受けてくれるか――楽しみにしていよう。
「行きますっ!」
ドガアァァンッ!
イングリスが地を蹴った瞬間、足元の床が爆発したように弾け、石畳の石が飛び散った。
イーベルの目には、それがハッキリと見えた。見えてしまった。
――イングリスの姿を見失って、それしか見えなかったのだ。
「……! 消え――!? いや……っ!」
肌が感じる風圧。ちらりと視界に移った影。
そして戦士の勘ともいうべきものが伝えて来る、本能的な危機感。
イーベルが身を仰け反らせた次の瞬間――イングリスの蹴り足が目と鼻の先を通り過ぎていた。
「おぉ――避けるなんて、凄いです……!」
確かな手応えを感じ、イングリスは目を輝かせる。
霊素殻を発動して全力攻撃をすれば、天恵武姫のシスティアですら一歩も動けなかったのだ。
その攻撃を、イーベルは回避して見せたのだ。
イングリスもあの時のイングリスではなく、騎士アカデミーに入って訓練に訓練を重ねて成長している。
それなのに避ける。さすがは上位の天上人の戦士だ。
「ぐぅっ――!? 馬鹿な……!」
何とか初撃は避けたイーベルが、殆どただの勘だった。
それがたまたま当たったに過ぎない。
迎撃の手は考えていたのに、それを出す事すら出来なかった。
イングリスの速さに、反応が間に合わなかったのだ。
笑顔が美しかろうと、豪快に振り抜いた足が艶めかしかろうと、関係ない。
やはり脅威だ。底知れない――
「ならば……ッ!」
イーベルは強く地を蹴り、大きく後ろに跳躍する。
そうしながら鋭く意識を集中し、魔術を発動。
指先や手刀に宿していたのと同じ光が、球体状の壁となってイーベルを包んだ。
大きく飛んでしまえば、姿勢の制御はし辛い。
イングリスにとっては、イーベルの動きを捉えて攻撃を加えるのは容易だろう。
だが構わない。それが前提だ。そのために全身を光の壁で覆った。
イーベルの得意とする魔術は、あらゆるものの存在を消し去る『消滅』の魔術だ。
通常の魔素では起こし得ず、魔素精練が可能とした魔術的現象である。
その力を込めてそっと撫でるだけで、人体などはあっさり斬り裂くことができる。
正確には、その部分が消滅するので、切断されたように見えるのだ。
この光の壁は、あらゆる属性の攻撃を消滅させる効果となる。
下手に剣で斬ろうとすれば刀身が消滅をするし、拳で殴ろうものなら拳自体が消えて無くなるはずだ。
相手がイーベルの想定の範囲内であれば――だが。
イングリスはイーベルの常識の範囲外の存在である。
あの身を覆う青白い光が何なのか、それすらもイーベルには分からない。
イーベルの感覚では、全く力を感じられないのだ。
そういう相手には本来であれば、最大限の力をぶつけるべきだ。
はじめは、掌の先に力を集中してイングリスの攻撃を受け、腕や脚を消滅させてやろうと狙った。
が、そもそも攻撃を受けようにも速過ぎて反応が間に合わない。
壁の面積を広げれば一点一点の力は落ちてしまうが、背に腹は代えられない。
全身を壁で覆うのが、次善の策だった。
さあ、来い――! イーベルはそう心の中で念じる。
「…………」
しかし、イングリスは動かなかった。
隙だらけのイーベルの姿をじっと見つめて、絶好の攻撃の機会を見逃したのだった。
「……どういうつもりだ!? 舐めているのか? 今僕は隙だらけだっただろう!」
「――あなたのその魔術の力……恐らく、触れたものを消し去る『消滅』の効果ですね。もし直接殴りでもしたら、その拳が消し飛ばされてしまうような――」
「…………!?」
イーベルは戦慄する。
何故、それが分かる――!?
勿論、イングリスに説明などしていない。
少し見ただけで、イーベルの魔術の肝を見切ったというのか――
ひょっとしてこちらの心や思考を読むとか、そう言った力を持っているのか……!?
「フン――だから怖気づいて攻撃を躊躇ったか!? 意外と小心者だな、君も!」
「まさか。そうではありません」
イングリスは静かに首を振る。
「見た所全身を覆ったために、力が拡散していますね。一点集中すればもっと効果は上がるはずです」
「……だからどうだと言うんだ!」
イングリスの指摘は全く正しい。
少し見られただけで、見抜かれてしまうとは。
イーベルは内心戦慄しながら応じる。
「不完全な力しか出せていない相手を叩く気はありませんので。さあ構えて、一点に力を集中して見せて下さい――わたしはそこに攻撃をします」
戦いとは、相手の全力を受け止めた上で勝つもの。
それが、最も自分が成長できる方法なのだ。
「ははははっ! 馬鹿か君は!? 馬鹿正直にそんな事をしたら、違う所を攻撃するつもりだろう!?」
「そのつもりがあるなら、先程追撃をしていますよ」
「…………」
「信じて頂けませんか? 先程のお言葉をお返しします――天上人の大戦将ともあろうお方が、意外と小心者ですね?」
「……ふん! いいだろう――やってやるさ!」
イングリスの性格を見極めておく機会でもある。
こういう事を言って人を欺くような性格なのか、そうでないのか――
それも一つの、重要な情報だろう。
「うおおぉぉぉぉっ!」
足を踏ん張り、両手を胸の前で重ね合わせて構える。
そのイーベルの掌の前に、手鏡ほどの大きさの壁が現れる。
小さいが激しく光り輝き、濃厚な力の凝縮具合だ。
「いいですね……! 昇華した魔素が一点に集中して、とても力強いです!」
「さあ来い! 君が卑怯者でない事を祈っているよ!」
「もちろん! 行きますっ!」
次の瞬間――再びイングリスが地を蹴る爆音が響く。
その姿が、イーベルの視界から消えた。
「はああぁぁぁっ!」
イングリスは再び全速でイーベルに突進。
光の壁に向けて、思い切り体を捻り、蹴りを繰り出した。
確かにイーベルの魔術が生み出した壁は、触れたものを消滅させる恐ろしいもの。
だが霊素を伴った打撃で、魔術の構成そのものを破壊すれば――!?
バヂイイィィィィィンッ!
イーベルの光壁が、激しく歪み、撓み、そして弾け飛んだ。
「何いぃ……っ!?」
その顔が驚きに歪む。
イングリスの蹴りの威力はイーベルの腕を弾き、そして――
ドゴオオオォォォォーーンッ!
イーベルの体にめり込み、弾丸のような勢いで吹き飛ばした。
「ごあああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!?」
その体は石壁に激突し、めり込み、大穴を開けて突き破り、遥か彼方へ飛んで行った。
一体どこに墜ちたのだろう。もはや、目で見ても追えないほどの距離である。
「……しまった。捕まえるはずが、どこに行ったか分からなくなっちゃった――」
イーベルに煽られて、やり過ぎてしまっただろうか?
「「「…………」」」
カーリアス国王やレダスや配下の騎士達は、呆気に取られてただただ絶句していた。
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