第12話 6歳のイングリス3
イングリスは『洗礼の箱』の中にそっと右手を入れる。
ラフィニアの時のように、『洗礼の箱』が光に包まれ、何か小さい共鳴音のようなものを発する。
『洗礼の箱』の機能が動き出したのだ。
実際に触れてみると、その意図するところ、機能がイングリスには伝わった。
(これは――魔素の流れを固定化し、刻印するためのものか)
この時代の人々は、殆どが魔素を操る魔術を扱う感性を持っていない。
ただ、魔素が無いわけではない。
それらを活用する技術を忘れてしまったという事だ。
この『洗礼の箱』により魔印を刻めば、自動的にある一定の魔素の流れが備わるようだ。
つまり、握っただけで自動的に魔印武具に魔素を注ぎ込むという流れだ。
魔素の活用という点では魔術と同じ。
しかし現代の人々はその技術を持っていないため魔印で補助をするという事だと解釈できる。
(しかしこの推測が正しいとすると――)
と、イングリスは結果を予測する。
その時、『洗礼の箱』の光が消えた。
「終了しました。お手をご覧になって下さい、イングリス様」
「ええ――」
イングリスは『洗礼の箱』から手を抜き、手の甲を見る。
そこには、何の魔印も出現していない。元の綺麗な手のままだった。
当然である。
神騎士は、神の気を纏う半神半人の存在だ。
身に纏うのは魔素ではなく霊素だ。
魔素の流れを刻印する程度の機能で、神騎士をどうこうできるわけがない。『洗礼の箱』が何かしようとしても弾いてしまう。
そもそも神騎士に魔素は無いのだ。
しかし特級印など押し付けられなくて済んで、一安心だ。
「……何も起きませんでした」
イングリスは少々ほっとしつつ、皆に手を見せる。
「「「なっ……」」」
それに色めき立ったのが、父リュークやラファエルにビルフォード侯爵だった。
「馬鹿な! イングリスが無印者だと……!? そんなはずがない!」
普通であれば、魔素が弱く魔印の刻印に至らないものをそう呼ぶのだろう。
イングリスの場合は、理由が全く逆で神騎士の力が強過ぎて魔印の刻印が不可能という事だが。
理由は全く別だが表の現象は同じ。面白いことだ。
「そうです! クリスに限ってそんな――! 何かの間違いです!」
「『洗礼の箱』に問題は無いのか? 確認してくれ!」
納得行かずに、老神官に詰め寄っている。
「は、はあ……しかし、ラフィニア様の時は動作していましたが……?」
「直後に壊れたという事もあるだろう。とにかくもう一度試させるのだ」
ビルフォード侯爵がそう命じる。
「で、ではイングリス様……」
まあ、納得いくまで付き合うことにしよう。
自分ではなく父達の――だが。
それから四、五回は同じことを試しただろうか。
はじめは鼻息の荒かった父達も元気が無くなってしまった様子だ。
失望させてしまったのは、少々申し訳ない気もするが。
「そんな……魔印が無ければ正式な騎士にはなれん……許されるのは見習いの従騎士までだ、イングリスに騎士団を継がせることはできないのか……」
「父上。がっかりさせてしまったようで申し訳ありません」
イングリスがそう言うと、父リュークははっとして頭をぶんぶんと振った。
「いや……! いやいやそんな事はない、今のは何でもないんだ! 気にしないでくれイングリス!」
娘が気にして傷つくと思い至ったのだろう。
それがちゃんと出てくるあたりは、良識のある父ではある。
ただ、それを思わず見せてしまったのは未熟さでもあるか。
本当は内心どう思っていても、それをおくびにも出さない方がいいだろう。
「魔印が無くとも、出来る事はあります。わたしはそれをしたいと思います。ラニは立派な騎士になれるでしょうから、その従騎士として側に仕えようかと。魔印武具は無くとも、この身をラニの盾にすることはできます」
イングリスは微笑を浮かべながら言った。実際に嬉しかったのだ。
魔印がなければ、見習い騎士以上にはなれない。
逆に言えば、ならなくていいのだ。
下っ端の見習い騎士の立場なら、ずっと戦場で何ら問題が無い。
出世をせずに最前線で腕を磨き続ける事が出来るなんて、素晴らしい!
だがそのイングリスの態度は、周囲から見れば、懸命に堪えて前を見ようとする健気そのものの姿に映っていた。
「そうだ。そうだな……」
「ラフィニアを頼むぞ、イングリス」
父リュークとビルフォード侯爵は感じ入って大きく頷いている。
母や叔母は何も言わないが、涙ぐみながらこちらを見つめている。
「クリス……! クリスは立派だね、本当に……!」
ラファエルは、涙を流しながらイングリスを抱きしめていた。
情の深い性格である。
「クリス、あたしは嬉しいよ。ずっとクリスと一緒にいられるんだよね!」
ラフィニアだけは、笑顔を見せてイングリスを励まそうとしているようだった。
こうして、ちょっと後ろめたい思いもしつつ、イングリスの洗礼の日は終わった。
そして数日後、ラファエルは王都の騎士学校に通うために出発して行った。
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