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魔人さん

作者: 雲鳴遊乃実

五歳の頃、私は初めて魔人さんと話しました。

「何か欲しいものがあれば言ってごらん。三つまでならあげるよ」

私の家に突然現れて、指を三本立てて、にかっと笑っていました。その話の内容や、彼の体形から、その頃ちょうど見たばかりだった映画の「アラジン」に出てくる魔人を思い浮かべた気がします。もしかしたら映画と出会いは前後しているかもしれませんが、何せもう昔のことなので、曖昧なのです。とにかく私は彼のことを魔人さんと決めました。

「えっとね、キャンディとチョコと、それから……ポーチ! お母さんが持ってるやつ!」

お菓子を二つ選んでから、間をおいたのは、それなりに理由がありました。甘いものはこのころから大好きだったので、勢いよく選んだはいいものの、このまま食べ物だけで終わってしまうのは忍びないなと思ったのです。食べてしまえば消えて無くなってしまいます。それではなんだか寂しい。それなら最後の一つはものにしよう。そうして思いついたのが、当時母が大切に使っていた真っ赤なエナメルのウェストポーチでした。

五歳の私はエナメルやウェストなどという言葉も知らなかったので、魔人さんに趣旨を伝えるのに大変苦労しました。眉をへの字に曲げながら、何度も耳を傾けてくる魔人さんの姿を今でもぼんやり思い出せます。多分私などより魔人さんの方がよっぽど大変だったと思います。

魔人さんがいなくなり、チョコを平らげキャンディを転がしながら、私はほくほくと赤いポーチを抱きしめていました。腰に巻くものではなく、肩から脇へとかけるもの。形は違っていたけれど、エナメルのツルツルした触感を的中させたことで、私は十分満足していました。それに、色は間違いなく赤でしたから。

やがて母が帰宅して、急ぎ足で私の元へとやってきました。

「それ、どうしたの?」

母の声は鋭くて、胸にドキリと刺さりました。どうしてこんなに怖い声を出すのだろうと不思議に思い、私は口ごもってしまいました。

ポーチはあっという間に没収されてしまいました。その日ほんの数時間だけ、腕に抱えていたポーチ。中にはまだ何も入れていませんでした。ポーチもさぞや無念だったことでしょう。

私は散々泣きました。もう何も取られたくないと思い、そしてこれから先、魔人さんのことを決して母に話さないことを誓いました。


十歳の頃、私は再び魔人さんと出会いました。

学校を早退して、家へと向かって歩いていたら、反対側からやってきたのです。

私と目が合って、魔人さんは目を見開いて、困り顔で顔をきょろきょろさせていました。それでも暫くしたら、ふうと溜息をついて、私の元へと小走りに来てくれました。

「何か欲しいものがあれば言ってごらん。三つまでならあげるよ」

魔人さんはピンと三本指を立てました。いつぞやと全く同じです。魔人さんはやっぱり魔人さんでした。

私は迷いました。さすがに飴やチョコを即答するのはチャンスの無駄遣いだと理解していました。自分が何を一番欲しいかをよく考えてみようとしました。

一つ目に選んだのは、来月発売されるお気に入りの漫画の単行本でした。二、三週間に続巻が出る人気作で、必ず欲しくなるものだから損にはならないと踏んだのです。魔人さんは、「すぐには用意できないけど……」と顔を顰めました。そりゃあ、まだ作者さんが描いていないんだから時間がかかるのはしかたないと納得し、頷きました。

二つ目に選んだのは帽子でした。魔人さんは不思議そうな顔をして、「かわいいのがほしいの?」と聞いてきました。私は首を横に振って、「体育で使う赤白の」と答えました。失くしてしまったから欲しかったのです。魔人さんは時間をおいてから、こくりと重く頷きました。

三つめで、やはり私は悩みました。自分に必要なもの、あってほしいと思うもの……考えて、考えて、ようやく単語が、口からこぼれました。

「友達」

妙に喉が強張って、声が震えてしまったことをよく覚えています。聞き取りづらかったかなと心配して魔人さんを見たのですが、彼は聞き返してきませんでした。目を飛び切り大きく開いて、眼球の黒いところがじっと私を見つめていて、怖くて息が詰まりそうになりました。

魔人さんは、「わかった」と短く答えました。

それから数日後、学校からの帰り道で、一人の女の子と出会いました。背が私より少し高くて、目が合うと、くりっとした目が輝きました。

「これ、届けに来たの」

女の子が差し出した手には、赤と白の体育帽がありました。私が驚いて、どうしていいかわからずにいると、私の腕に帽子がくしゃくしゃと押し付けられました。そのまま彼女は器用に私の手を握りました。

「遊びにいこ!」

私は彼女に連れられて、街を歩き回りました。「危ないから一人で勝手に出歩いちゃダメ」と母には言われていましたが、彼女と二人だったので私は堂々と歩き、ときには駆けて、休んで、進み続けました。彼女はお金をいくらか持っていて、私にアイスを奢ってくれました。お小遣いがあるのっていいなと感じたのを覚えています。自分でものを買えることがあこがれだったのです。

繁華街にあるファストフード店で、私たちはテーブルを挟んで座りました。周りには自分より年上の人たちばかりで、その中に混じっていると思うと、とてもくすぐったくなりました。私は彼女と話しこみました。彼女の名前が「ミユキ」というのをそのとき初めて知りました。私の名前が「サヨ」というのをそのとき初めて教えました。自分の名前とかの個人情報は大切な人にしか教えてはいけないと母に注意されていたので、ミユキちゃんには言ってもいいんだと考えたのです。

ミユキちゃんは跳ねるように笑って、「これで私たち、友達だね」と言ってくれました。はっきり友達と言ってくれる人なんて今までいなかったので、私はきょとんとしてしまいました。思い出したのは、魔人さんにしたお願いです。そっか、ミユキちゃんは友達なんだ。私は魔人さんに心の中で何度も何度も感謝して、ミユキちゃんとのお話に没頭しました。

時間はあっという間に流れました。私のお母さんがパートから帰ってくる時間だったので、お店を出ました。帰り道、ミユキちゃんは自分が少し遠くの街にいることを教えてくれました。ショックではあったけど、いなくなってしまうわけではなかったので、連絡先を交換して、私の玄関の前で別れました。お母さんはもう帰宅していて、私はまずいと身構えたのですが、どうしてか母のお得意の質問攻めを受けずに済みました。私はほっとして、帽子をくるくるさせながら自分の部屋に向かいました。

「それ……」

と、母がいい、私ははっと口を片手で押えました。回転を止めた帽子が、撓って手のひらにかぶさります。

質問が大好きな母にしては意外なことに、その日の追求はそれまでで、母は私の帽子からすぐに視線をそらしてくれました。私は首を傾げながらも、ラッキーと小さくガッツポーズをして、自室へと向かっていきました。

私は何も知りませんでした。母が見て見ぬふりをしたことも、あの日の母が食事の最中涙ぐんでいたことも、お風呂に私を抱きしめてくれたことも、十歳の私にはただただ不思議でしかなかったのです。

漫画はちゃんと来月に届けられました。受け取ったのは母だったけど、このときもまた、不問にしておいてくれました。

ミユキちゃんとはあれから連絡を取り合って、今でも立派な友達です。


十五歳の頃、私は魔人さんを見つけました。

高校受験のための模試を受け、日の暮れた県庁所在地の街を友達と愚痴りながら歩いていたときのことです。駅の改札に向かう階段を上ったら、設置されている小さなコンビニの中にいたのです。私は息をのんで、まじまじとその人を眺めました。どう見ても魔人さんだとわかると、友達に「用事があるから」と言い残し、手を振って別れました。友達が全員愚痴りあいながら、見えない場所まで行くのを見計らって、私はコンビニへと向かいました。ちょうど魔人さんは会計を済ませ、ビニール袋の中を慎重に眺めながら出口へと歩いているところでした。

外へ出たところで会ってみようと、私は画策していたのですが、間際になって魔人さんと目が合ってしまいました。魔人さんは口を魚みたいにぽかんとさせて、顔を引きつらせていました。私はだいぶ身長も伸びて、顔つきも変わっていましたが、魔人さんにもすぐにわかったようでした。

魔人さんは顔を俯かせて自動ドアを開かせ、すたすたと改札へ向かいました。私も歩きながら身を寄せ、「すいません」と声をかけました。ところが魔人さんは無視しました。顔をつんと反らして、改札へ向けて一直線。意識して避けているのはすぐにわかりました。

「ちょっと、待ってください!」

私は声を張り上げました。周囲からいくらかの目を向けられて、私は途端に気恥ずかしくなりました。そんな思いをしているというのに、魔人さんはすたすた歩きを止めません。なんて酷い人だ、どうして無視なんかするんだ。私はだんだん意地になって、彼の腕を掴みました。

そのとき、彼の顔が見えました。あからさまな困り顔で、気弱そうでした。私は間髪入れずに問いました。

「恩返しさせてください。何か、ほしいものとか、願いとか、言ってください」

五年前に感謝したままとなっていたことが、私の中でしこりになっていたのです。魔人さんを見つけたらこう言おうと、かなり前から決めていたのです。チャンスは、十五歳になってようやくめぐってきたのです。

魔人さんは一瞬無表情になりました。困り顔の「困り」が消えて、ただの魔人さんの顔になりました。別にかっこいいわけでも、取り立てて目立つわけでもない顔でしたが、私は彼の顔をよく覚えました。なぜだかとても強く記憶に刻み込まれたのです。

電車が到着して、魔人さんは私を振り切って開いたドアに飛び込んでしまいました。私は空中をふわふわ掴みながら、しばらくぼうっとしていました。魔人さんが通った道筋に、じっくり視線を動かしながら。

電車が行ってしまって、私は次の電車で自分の街に向かいました。模試の前に高校受験用の参考書をパンパンに詰め込んだカバンを立ちながら腕に提げていたので、目的地についたころにはくたくたになっていました。家路をとぼとぼ歩いていると、懐かしい記憶が蘇りました。五年前に魔人さんと出会ったこと。帽子を捨てられちゃうくらいの標的だった私が、ミユキちゃんとの出会いから次第に前向きになったこと。早退もしなくなって、こうして勉強にもついていけるようになったこと。

家の門の前に立ち、我が家を眺めました。ごくマンション部屋で、中にはパート帰りの母が待っています。

屋根の上に瞬く星にまで目が向かったところで、私は、魔人さんと初めてであった五歳の頃の記憶を思い出しました。まるで流れ星のように、ひとつのアイデアが私の頭の中で閃きました。


二十歳の今、私は魔人さんの家に乗り込みました。

魔人さんの正体は五年前に突き止めました。母を追求したら、思いの外簡単に明かしてくれました。隠していたことに不満がなかったといえば嘘になりますが、母の気持ちを考えればそれは仕方のないことだったのだとも思います。

十五歳の頃の私の心境は複雑でした。板挟みで、どっちつかずだったけれど、とにかく今は勉強だと切り替えるようにして、高校受験と大学受験を勢いで乗り越えました。魔人さんのことは頭から追いやられていて、その間人生観の変わる出来事が何度も何度もありました。中学生と大学生の間の溝はとっても深いし、入り組んでいるのです。

そしてその複雑さを落ち着いて分析できるようになった今、それを思いっきり魔人さんに話してぶつけてやりたい、と考えているのが今の私なのです。

インターホンを押すと、扉が開き、女の子が現れました。

「久しぶり!」

やや落ち着きを得た声でしたが、十分に快活さの漲った声。懐かしい親友を前にし、私は嬌声を上げました。

私の初めての友達、ミユキちゃんは、にこやかに私を自宅に招き入れました。

「そういえば、ミユキちゃんって初めから私と友達になるためにあの道で待っていたの?」

ミユキちゃんの部屋で待機しろと言われて、しばらくしてから私は彼女に質問しました。彼女は「いいや」とあっさり否定しました。

「ただ帽子を渡せと言われただけだよ。私が渡すから、きっと友達になれるって考えたんじゃないかな」

「へえ~、すごい。合ってる!」

私が手を叩くと、ミユキちゃんは気まずそうに頭を撫でつけていました。

「そりゃまあ……親だし」

なるほど、と私は納得しました。


玄関のインターホンが押されました。夜の七時頃のことです。

「帰ってきた!」

ミユキちゃんはすぐさま立ち上がりました。「いくぞ、サヨ」

「うん」

私たちは部屋を出て、廊下をわたり、玄関で並んで立ちました。

外で鍵が回されて、ゆっくり扉が開かれます。

私の心臓が、大きく強く脈を打っています。緊張しているからでしょうか。

状況は複雑です。でも、今はもう目の前に着ています。ここまで来たら会うしかないのです。


「あ……」

ドアを開いた魔人さんは、私を見て思わずそう発音しました。うっかり出してしまったという様子で、口元を片手で押さえています。

私は思わず噴出しました。心臓がリラックスしてくれて、おかげでじっくり微笑むことができました。

そして、一言。

「ありがとう、お父さん」



それから私は魔人さんと、長々話し込みました。

聞こえの良いこと、悪いこと。知りたかったこと、知りたくなかったこと。いろんな内容が混ざり合って、私も魔人さんも、ときには笑って、ときには怒って、それでも途切れることなく話を続けました。

やがて、魔人さんの目じりが垂れ、煌めく雫が現れました。

それを見たとき、私は確信しました。

五年前、言わなかった、いや、言うわけにいかなかった魔人さんの願い。それが今、叶えられたのだということを。


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