どうしてこうなった?
俺の幼馴染はいわゆる中二病というやつだ。
現実の中で生きていながらも幻想に憧れている。
一般的な感覚からするならば、おそらく美少女の部類に入る。
教室で休み時間に読書に耽るその姿は、一見すればお淑やかな美少女と見えるだろう。
手にしている書籍には必ず布製のブックカバーが施されており、クローバーだったり薔薇だったり鳥だったり、と、いくつものバリエーションのあるそのブックカバーが彼女の手作りだと知られているからその評判はあがるというものである。
基本的に雑食な彼女の読書の好みゆえに、読みふけるのは文庫から料理本、時には専門書と方向性はバラバラで、ついでに言うならサイズもばらばらである。そられ全てにあわせたサイズに作成したブックカバーは、各サイズごとに種類があるわけで、おそらく本人以外全種類見たことはないに違いなかった。それぐらい種類が豊富なのだ。
そして彼女の特技は手芸に限った事ではない。
彼女の場合、家庭科全般は得意分野である。
つまり、料理も含まれるのである。
腕前はプロ級ではないが、家庭料理としては充分な域に達している。
齢十四にしてこうある事に彼女の両親は喜んでいるらしい。
共働きの夫婦が帰宅すれば美味しい食事が待っている。
自分達が率先して行わずとも家は清潔に保たれており、洗濯かごに放り込んでいた汚れ物は綺麗に洗濯され、必要ならばアイロンがけも済まされてクローゼットへ。
一連の家事が両親から『そうするようしつけられた』ものではなく、『自らしたい』と率先しての行動なのだから喜びは増すのだろう。
いい子に育ったと喜ぶばかりの彼女の両親は、彼女が火事に全力投球する理由を知らない。
繰り返すが、幼馴染である美少女は中二病なのである。
はた目にはお淑やかな美少女も、俺の視点に切り替えればその印象は随分と変わっていた。
女子力の高さを披露しているブックカバーのその中は、料理本である事もあるが大抵は小説だ。
ライトノベル。
それも日常にちょっとしたファンタジー要素が加味されるようなものではなく、がっつり異世界なファンタジーモノが好きなのである。
そういう設定のモノならば、世界が中世ヨーロッパっぽくても、西部劇風なアメリカっぽくても、ピラミッドを建設していた頃のエジプトっぽくても、キョンシーが跳ねまわるような中国っぽくても、果ては十二単に身を包む女性が登場する日本っぽくても許すらしい。
一部おかしいのは、彼女が好んでいる小説の内容である。
中華風ファンタジーの全てでキョンシーは跳ねまわったりしない。闊歩しない。そもそも登場が必須ですらない。普通。
代わりにファンタジーに必須なのが剣や魔法だろう。
異世界を舞台にしたミステリー小説とて、見せ場としてアクションシーンなどは存在するのである。
彼女はちょっと、夢見がちな性格をしている。
つまり何が言いたいかといえば、いつか自分の身にもそのような事が起きるかもしれないと期待しているのだ。
来るべきその時の為に備え、彼女は努力を惜しまない。
地球には魔法というものは存在しない。
だから、その熱意はそれ以外に向いた。
中学の部活動に所属していない彼女が小学生から今も週に一度通っている剣道は、そのままズバリ力を得る為だ。
トリップした異世界で戦渦に巻き込まれても生き残るために強くなっておく必要があるらしい。出来るなら無双できるくらい。
………礼節を重んじる剣道教室の師には、決して言えない事である。
――因みに現在習得を諦めている魔法は異世界で使えるようになってから学ぶ予定らしい。
そんな彼女が自発的に行う家事。
当然ながら、来たるべき異世界トリップに備えての事だ。
地球――というか、現代社会日本程に文明の機器が無い場合を想定した生活力を身に着けるため。
料理は、その中でも特に力を入れているものだ。掃除や洗濯といった自らとその周囲を清潔にすることは、料理と異なって人間の三大欲求に直結しない。だから、料理に比べて重要度が劣るのである。
まあ、気にするべきはやや蔑ろにされがちなそちらではなく、料理の方だ。
異世界で地球の料理を作る事―――これは当然らしい。
勿論地球と異世界では得られる食料は違うだろう。そこは代わりになる食材を探すそうだ。とりあえず調理法はしっかり頭に叩き込んでいる模様。
そこまでで満足する幼馴染ではないのである。
満足に道具がない場合でも料理ができるようにと野営料理(一般的なアウトドア料理とは異なるらしい)に関する書籍を読み漁っていた時期がある事を俺は知っていた。
鳥を捌くような実地まではさすがにしないが、燻製や果実酒といった保存食については粗方マスターしたらしい。特に果実酒の方は本人が未成年である上に彼女の両親があまり好まない(彼女の父はビール派。母親は飲めないわけでは無いが強くないらしく、普段からあまり飲まないらしい)ようで、持て余した物が我が家に幾度も差し入れられていた。
あと、包丁さばき。
たとえ世界が違っても、食材にそのままかぶりつくという事は無いだろう、という考えからだ。
これはきっと驚かれる、と中でも技を磨いているのが飾り切り。
シイタケのかさに切り込みを入れるのだとか、ニンジンを花の形に切る程度のものだと思っていたが、なかなかに奥深いものなのだという。
中世ヨーロッパっぽい世界ならきっとこれが一番受けが良いと言いつつ披露されたトマトで作られた薔薇は、確かに綺麗だった。
他にも蒸気機関やカメラや製紙など、専門書を読んで原理を理解しようとしていたりもする。トリップ先で活用する気満々だった。
性格的にもタフだし、本人が希望している事もあるが、異世界トリップによる環境の変化にも難なく適応する事だろう。
完璧、と言ってしまうのはどうかと思うが、結構備えられてはいると思う。
もしも本当に異世界トリップが起こっても、彼女は大丈夫に違いない。見た目通りではない性格の持ち主だし、図太くやっていけそうだ。
……そんな風に思考に耽るのも、そろそろやめにするべきだろうか?
現実逃避していた俺の目の前には――――俺の知る知識の中で最も近い姿かたちをしている名詞を上げるなら―――リトルグレイ。
青い空に浮かぶ、紫色の雲。太陽と思わしき恒星はなぜか緑色をしていたが、それよりも気になるのは、立ち尽くしている俺を見上げるリトルグレイと、その手に掲げられた板のようなもの。どうやらメッセージボードらしく、灰色の板には黄色の曲線がいくつも踊っていた。
ミミズののたくったような線の下に浮かぶように見える文字は『おいでませ、聖女様』。
俺は別に異世界トリップなんて欠片も興味がなかったというのに。
……どうしてこうなった?