出生〜幼児教室
あなたは、自分が一番不幸だと思っていませんか?違うのならそれは勘違いです。誰しも人生の海を泳ぎ、波に揉まれている。それが高い波か低い波か……。それだけの事。
平成二年、二月二日に加藤達也と雪菜の間に加藤海人が産声をあげた。猿みたいな顔で小さな手をまごまごしながら「オギャーオギャー!」と、泣いている。これは、悲しいからなのか?嬉しいなのか?誰も分からない。
ただひとつ言えるのは、海人という人物が味わう苦痛は、神が与えた試練としては酷く残酷で、無情なものだった。と、いう事だ。
加藤家は三人、東京都のベッドタウン東久留米市の滝山団地に住んでいる。そこでは(と、いうか他を知らないだけだが)幼稚園の前に、【幼児教室】という、幼稚園に入る前の幼稚園みたいなものがあり、海人もそこに入れられた。
海人にとっては初めての事で親から、スタッフに連れて行かれる時、海人は泣きながら、ドアを掴んだ。
捨てられると思ったからだ!
しかし、子供と言うのは極端から極端に移るものだと、しかと思った。
いかがもなにも、これはまだ始まったばかり、しかし、終わりはこない!
加藤海人が死ぬまでは……。