チビと日曜日
「兄者あああああ」
ドタドタと階段を駆け上がる音と共に、ゆっくりと覚醒していく。しかし起きたくない。騒がしいなと思いつつ寝返りを打つ。それと同時に勢い良く扉が開け放たれ、思い切り飛び込んでくる。
「ぐほぉ!」
「兄者兄者兄者兄者兄者兄者兄者兄者兄者!!!朝でござる陣中にござる日曜にござる!さぁ!某と共にゲームを!…あれ?何を泡ふいてるでござるか?」
白目を剥きながら泡を噴き出す兄者に不思議そうな視線を向ける。普通に考えれば、自分より一回り小さいとはいえ、何十キロもある人間が突然腹に飛び込んで来たのだから、痛いに決まっている。
彼の上から退こうともせず目の前で手を振り見えているかの確認をする。反応がない。
「ハッ!まさかしん…!およよよ…短い人生のおつきあいでござるました兄者。どうぞ安らかにお眠りになって下さい」
「安らかに眠れっていいながら布団を持っていくんじゃねえ。ったく、今何時だ…」
「5時!」
「馬鹿じゃねえのかお前」
「失敬な、これでも学年では7位につけているでござるよ」
「そう言ってられんのも中学のうちだけだ。それに、昨日宿題がーって嘆いてたじゃんかよ。終わったのか?」
「……オ、オワッテルデゴザルヨ」
「終わってねえなよしお前は宿題をしろ。終わったらまた起こせ」
これで一時間は寝れる。また布団を被り直して丸くなった。
「むぅ…ぶくぶく太った豚のようになりおってからに…、このニートー!」
「てめえの小遣いは俺がやってんじゃねえかよ。減額されたくなけりゃ大人しく宿題をやれ」
「やれば増額でござるか!」
「ひとっこともそんなこと言ってねえよなぁおい。マジで減額すっぞてめえ」
「ぐぬぬぬ…、どうせ今日はバイトもないのでござろ?ちょっとくらいかまってくれてもよいではないかー」
「気が向いたらな。とりあえず今は寝かせろ」
「むー…」
頬を膨らませて、手に持ったゲームソフトを残念そうに見つめてからため息をついて部屋から出て行った。
少し悪い事をしてしまったな。布団に潜りながら思うことではないが、後で少し構ってやろうと思う。とはいえ、昨日も遅かったのだ、少しくらいはゆっくりさせて欲しい。
両親共に転勤族、二人を残して各地を転々としており、たまに帰ってきたと思えば二人でイチャイチャイチャイチャ、子供としても恥ずかしくなるくらいべたべたしている。そんな二人を見て育ってきたからか、彼の自立は早かった。
炊事も洗濯も掃除もこなし、こなしながらチビの面倒も見てきた。自分の時間が欲しいかと聞かれれば欲しいが、チビの世話を放棄してまで欲しいとは思わなかった。友達と遊ぶ時にも、許可をもらって連れていくことも多々あったし、彼の友人もチビを可愛がってくれている。
最近はバイトを始めたおかげか、さらに一緒にいる時間も減ってきて寂しい思いをしているのだろう。しかし、たまの休日くらい休まなければ自分の体が持たない。そろそろチビの欲しがるものも値が上がって来る頃だ。今のうちに貯めておけば欲しがられた時に迷わず買うこともできる。
兄として、チビに不自由はさせたくないのだ。
なんて親のような心境で迎える日曜日の朝。二度目の起床である。
「兄者あああああああああああああ!!」
先ほどよりも大きな声で呼ばれる。そして先ほどよりも速いペースで階段を駆け上がる。
ドタン!
上がりきる途中で大きな音がした。飛び起きる。
「おい!大丈夫か!」
「………、あにじゃぁぁあああ…!」
どうやら最後の段で爪先が引っかかったらしい。扉の前で伸びてるチビを見て、急いで抱き起こす。鼻とおでこを打ったらしいが、鼻血もない。ちょっとたんこぶが出来たくらいだ。
「全くお前中学生にもなって…、ほら、血もでてねえから、下行って少し冷やすぞ」
「それは寒いので温めて欲しいでござるの巻」
「どうやって?」
「だっこ」「却下だ」
幼稚園児か、と付け加えて先に階段を下りる。下りながら尋ねた。
「宿題は終わったか?」
「終わりもうした!なので兄者、ゲームをしようぞ!」
「はいはい」
こいつも欲が無いというかなんというか。チビが持ってくるゲームは既に彼が遊び尽くしたゲームなのだ。マゾゲー、とまではいかないものの、難易度も程よくいい感じで、長く遊べるゲームなのだが、なにぶん古いので、新しいゲームに比べれば操作性もグラフィックも大分劣る。
チビが望めば新しいゲームなどいくらでも買ってやる予定なのだが、一向に望む気配も無く、古いゲームをずっと遊び続けている。不思議なものだ。一度、古いゲームばかりで飽きないかと聞いたことがある。その時は
『兄者と一緒に遊んでいられれば楽しいでござるよ』
と嬉しいことを言ってくれたものの、学校で友達がいないのかと不安になる。授業参観には必ず顔を出しているが、その一日だけでは普段の事など分からないものだ。
「その前に飯だな」
「む、そういえば朝ごはんがまだでござった。お手伝いをするぞ兄者」
「んー、簡単に済ませるから、お前は少しかたしておけ」
「うぇー」
机の上の散らかりようを見て苦笑いする。
冷蔵庫の中身を確認する。卵がいくつか、牛乳、納豆、鮭、野菜数種とそれから調味料がちらほら。
(和食だな。味噌汁と焼き魚にしよう)
冷蔵庫から材料を取り出して調理を開始する。机の上を片し終わったチビがゲームの電源をつける。テレビのスピーカーがハードの起動音を爽やかに歌う。チビはこの起動音が好きなようで、たまに電源をつけたり消したりして繰り返し聞いている。
「今日は協力プレイでござる」
「へぇ、対戦はもういいのか?」
「勝てぬ戦はしないのだー!」
ふんす!とご立腹な表情で腕を組む。この間散々ボコボコにされたのを根に持っているらしい。そのゲームが最盛期の時にやりこんでいたのだから、彼の熟練度は相当なもので、どうしてもチビが勝つ事がなかった。
更に二人共負けず嫌いなこともたたって、兄は手加減をせず、チビは無謀な挑戦を続けた結果、チビがリアルファイトを仕掛けてその日はお開きとなった。その日からチビがそのゲームを選ばなくなったのもそれが原因だろう。
それから協力プレイで背中を狙われることが多くなった、というのも追記しておく。
「飯出来たぞー」
「承知ー」
協力プレイの設定をしていたチビがご飯を運びに来る。ご飯を載せたお盆を渡して、残りの皿を運ぶ。
「そういえば今日は何か用事あったりするのか?」
「あー…一応、友達が家に遊びに来るでござる」
「へぇ、珍しい。ゲームすんの?」
「いや…その…」
視線を彷徨わせた。チビが家に友達を連れて来ることは滅多になく、連れてきてもすぐに外に連れ出してしまう。カツアゲでもされてるのかと思えばすぐに帰ってくる。そしてまた、彼とゲームをするのだ。
「兄者に会いたいらしく…故に…兄者にも家に居て欲しいのだ」
「俺に?なんでまた…」
「…鈍いでござるなぁ」
少し安心したような顔で手を合わせた。
「いただきます」
彼も首を傾げながら食事を始める。
「何時から来るんだ?」
「早くても2時3時でござろう。それにあまり早く来られても…某が嫌でござる」
「まぁ、お菓子とか準備しなきゃいけないしな」
そういうことじゃない、チビがむず痒い気持ちで味噌汁をすする。早々に食べ終えた二人は、片付けを終え、並んでテレビの前のソファーに座った。
「何のミッション?」
「殲滅でござる。あ、そっちのキャラを使ってくだされ、立ち回りを参考にしたい故」
「はいよー」
それぞれキャラを選び、ミッションが始まる。瓦礫が散乱した町の中をそれぞれのキャラクターが駆け抜けていく。
「じゃああとで出掛けるかー、10時くらいに。飲み物何がいい?」
「某はリンゴジュースでいいでござる」
「炭酸ダメだもんな」
うむ、コントローラーを操作しながら、頷く。
「あとはー…ポテチとかそこらへんでいいか。あ、でも甘いものも幾つか用意しとかねえとなぁ。それからー…」
「あ、強敵!」
「はいよ」
「なるほど、そこでそのスキルを使うでござるか」
「そうそう、硬いからこれで柔らかくしていたぶるわけよ」
「へぇ…やっぱ支援型でござったか」
「そうだな、前に出るには向かないかな。あんまり急な挙動は出来んから。で、あと何食べたい?」
「兄者」「却下だ」
買うものリストを頭の中で組み立てた後で、残りの敵を殲滅していく。お菓子パーティになりそうだが、男しか友達のいない彼には他にどうもてなせばいいのかがわからない。彼女を作ったこともない。それに加え、チビは何故か協力的ではない。
(今日なんかあったっけなぁ…)
カレンダーを横目に見る。日曜日に、しかもこの日にバイトを入れていない理由は何だったかな。カレンダーにはケーキのシール。小さく控え目ながらも、それはしっかりと主張していた。
(そっか、今日はこいつの…)
情けない。自分を叱責する。何故今の今まで忘れていたのだろうか。そして昨日何故遅くなったのか、引き出しに突っ込んでいた小袋の存在を思い出した。
(晩飯は外食にするか。何がいいかな…、こいつの好物は…焼肉、しゃぶしゃぶ、肉ばっかだな。よく太らねえもんだ。んー…、ちょっと遠回りしていろいろ探って見るか)
それからミッションを幾つかこなし、時計を確認する。
「お、いい時間だな。着替えて行くぞ」
「承知したでござる」
それぞれ自分の部屋で着替える。身だしなみにそこまで気を使っている訳ではないが、あまり適当な格好ではチビに恥をかかせてしまうので、慎重に選び取る。とはいえ、服のバリエーションが少ない彼のまともな格好はある程度決まってしまっているのだが…。
ワイシャツに黒のカーディガン、ジーンズ、上着に灰色のジャケットを羽織り、靴下を履く。こんなもんか、と自分の服を上から見下ろし、部屋から出る。同じく部屋から出たチビと顔を合わせる。茶色のもこもこしたセーターにゆったりしたパンツを穿いていた。
「まぁ、こんなもんでござるよな」
「そだなー、今度服買いに行くか」
今度と言わずに今日でもいいのだが、友人が来る為に服を買いにいくような時間が取れるとは思えない。
「気が向いたらそうするでござる」
何だか素っ気ない返事を貰い、揃って外へ出る。冷たく乾燥した風が額を撫でる。少し薄かったか、とジャケットの袖を少し伸ばした。
「冷えるでござるなー」
「そうだな」
「よいしょっと」
腕を絡めてくっ付いて歩き出す。まぁ寒いからな、と何も気にせずに歩く兄とチビ。ちょっと面白くなさそうだが嬉しそうなチビは少し浮かれ気味に歩を進める。行き過ぎず、でも遅れることもなく、二人の歩調はピッタリだった。
近所のスーパーに到着し、買い物を開始する。飲み物はチビが飲むリンゴジュースの他に、炭酸一本、別の味のジュースを一本、それぞれ二リットルずつカゴに入れる。ずっしりした重さが腕にかかる。それからお菓子を数種類カゴに詰めて、レジに向かった。
「あ、昼どうすっか」
「これ以上重くなるのも辛いでござろ、外食で済ますでござるよ」
「ふむ…、そうだな」
晩御飯を外食連れて行く算段が完全に崩れてしまった。友人とお喋りしている間にコッソリとケーキでも買いに行こう。代案が決まったところで、再びレジに向かった。
「兄者、お昼は何がいいでござるか?」
「ん?お前が食べたいのでいいぞ」
代金を払いながら彼はチビの問いかけに答える。
「たまには食べたいものでも教えてくれれば良いのに、某ばかりでは不公平にござるよ」
「そうは言ってもなぁ…、適当なファミレスでいいや。ここからは逆だけど丁度家の前通るし、一旦荷物おいてこう」
荷物をまとめて持つ。流石に重い。お菓子の方はそうでもないのだが、ジュースの方が手に食い込んでいた。
「お菓子の方は持つでござるよ」
「悪いな」
「いやいや、某の客人故本来であれば某が代金を払うところでござる。むしろ払わせてしまってかたじけない」
「んなことねえよ、お前の客人は俺の客人だ。お前はもっと俺に甘えろ」
「………、うむ」
少し間を空けて、チビが頷く。
「………」
その表情に歯痒さを覚えながら、兄としては複雑になる。
(俺も甘えベタだからな…)
幼い頃から甘えることが難しかった彼には、うまく甘える方法を伝えることが出来ない。どうしても、お金での援助だったり、小遣いを増やしてあげたりと、現金な話になってしまう。
どれもこれもあいつらのせいだ、と毒づきながら、来た道を戻っていく。途中、いかにも女の子向けの服屋に目を留めた。いつも通っているのに今まで気づかなかった。やはり、自分の無頓着さもあるんだろうな、と少し反省する。
チビも目を留めていたようで、彼が目を向けると、慌てて目をそらした。
「…やっぱ今度行こうか」
「………任せたでござる」
少し恥ずかしそうな顔でそっぽを向く。チビでも興味はあるんだよな、と改めて実感した所で、一旦家に荷物を置いた。
手を握ったり開いたりしながらもう一度外に出る。
「ファミレス行くかー」
「うむ」
近所の安っぽいファミレスに入る。レトルトなメニューの中からお決まりのパスタを頼む。時間が時間なだけに少し混んで来てはいるものの、二人して携帯のゲームで時間を潰し始めた為、会話も無いままに料理が運ばれて来るのを待つ。
パスタが運ばれてくると、同時に携帯をポケットにしまい、同時に手を合わせた。
「「いただきます」」
黙々と食べ始める二人、そこで彼があることに気づく。
「そういえば、何人来るんだ?場合によっちゃ足りない気がするんだが」
「ん、二人でござる故足りるかと」
「ん、そうか。クラスメイトなんだよな?」
「そうでござるよー、可愛らしい二人でござる」
「へぇ」
あまり興味のなさそうな返事に安堵の表情でパスタをすする。
パスタを食べ終えた二人はまた来た道を戻る。家に着き、玄関に起きっぱなしになっていたお菓子やらをリビングに運び込む。時計を見る。もう13時だった。早ければあと一時間でお友達がやってくる予定だ。
さてあと一時間どうするかな、と考えていると、家のチャイムがなった。
「…もしや」
「かもな」
兄が玄関の扉を開ける。二人組が立っていた。
「あ、どうも、初めまして」
長い髪の子が頭を下げる、それに続いてセミロングの子が会釈した。
「どもっ、お兄さん」
「あぁ、いらっしゃい、あがってくれ」
「二人とも早いでござるな」
「そうね、ちょっと早すぎたかしら」
「そーだった?」
「いや、飯は丁度済ませたところだ」
リビングに二人を案内しながら答える。チビはやはり不服そうだ。
(あんまり仲良くないのか?)
勘ぐりながらもカーペットの上に座らせ、コップを用意する。その間にチビがお菓子を真ん中に置いた。
「好きなものを食べるでござるよ」
「いいの?」
「さんきゅー」
「飲み物もあるでござるよ」
友達の前でもあの喋り方なのか、と少しおかしく思いながらコップを小テーブルに置いた。
「お兄さんもこっち座ってくださいな」
「いや、俺はここでいい。ゆっくりしててくれ」
ダイニングの椅子に腰掛ける。
「紳士ですね、それとも年下には興味ありませんか?」
「まずもって恋愛に興味がねえな。今までする気も無かったし」
長い髪の子は彼を話の中心に据えようとしているようだ。しかしそれでは彼も困る。これからケーキを買いに行こうと考えているのだ。何かしら良い手はないかと会話を続けながら考える。
「そういえばお父さんお母さんはいねーの?今日日曜だろ?」
「うちは基本共働きの単身赴任でいつも二人暮らしでござる。羨ましいでござろー」
「マジか、遊び放題じゃん!」
「流石にそれは兄者に怒られるでござる」
「しっかりしたお兄さんですね」
「ま、親がいねえから代わりにな」
褒めるロング、然しもう一人はお菓子を放り込みながらロングの子に配慮せずチビに話しかける。
(俺に会いたいって方は長い髪の子か)
「お前相変わらず女っ気のない服来てんなー、もったいねえ」
「服なんて着れればなんでもいいでござる」
「あら、そんなことありませんわ。身だしなみは女の子の嗜みですわよ」
「そうは言っても…」
チラリとこちらを見るチビ。ふむ、やはり遠慮が見える。彼は口を開いた。
「丁度良いや、服選んでやってくれないか?俺男だから流行もクソもねえからよ」
「ちょ、兄者!」
「お、いいねえお兄さん。行こうぜ行こうぜ」
「ちょっとあなた!」
「なんだよお前うっさいな。今日の主役はこいつだろ?」
「………、くっ、行きますわよ!」
歯噛みしながら荷物を持って玄関へ向かうロング。セミロングは親指を立てて二人に笑いかけた。どうやら、この子は色々とお見通しだったようだ。
チビが親指で返すと、彼は立ち上がって財布をポケットに突っ込んだ。
「よっし、行くか」
お金の心配はしなくていい。こういう時の為に稼いでいたのだから、むしろパーっと使って欲しい位だ。
玄関で待っていたロングの子は最初に見えたのが彼だとわかると顔をわかりやすく綻ばせた。わかりやすいな、と思いつつも靴を履いて他の面子を待った。
「ヒールとか無いの?」
「スニーカーなら…」
「じゃあそれ履いてけ」
セミロングが指示を出し、おとなしく従うチビは、彼と目が合うと苦笑いした。
玄関を開けて外へ出るとロングは彼と一緒に先行する。チビはそれを見ながら得体の知れぬ不安にかられるが、となりに並んだセミロングのため息でそちらに気が向く。
「だーいじょうぶだよ、お兄さん見てみろ、話聞きながらずっとこっち気にしてる。あいつには悪りいが、完全に脈なしだ。安心しろ」
「…、やっぱり、わかるでござるか」
「んー、何と無くな。あのお兄さんが鈍いせいもあるだろうが、お前、それはそれはわかりやすいぜ」
「ぐ…」
顔をセーターで隠す。赤らめた顔はあまり他人に見せたくは無かった。
そんな顔を見て、セミロングはにっしっし、と怪しく笑う。
「それに、お兄さんも何かしら絶対用意してるから、寂しそうにすんなよ」
「そこまで…!」
「いや、これは鎌かけ」
「くぅぅ…!」
もっと顔が赤くなる。引っ掛けられた。
「でもまぁ、見てればわかるよ。お兄さんに大事にされてんのも、お前がお兄さん好きなのも」
セミロングは先行する彼を見ながらぼそりと呟いた
「やっぱかっこいいもんな…」
「…うむ」
二人してうーん…と悩む。悩むということは…、チビがセミロングを見る。セミロングは視線の意味に気がついたようで、苦笑いした。
「あたしははっきりとはわかんないんだよね。好きとも言えないし、かといってあいつみたいにアクセサリーとして欲しいってわけじゃないし」
また視線を前に向ける。
「多分、年上への憧れかな…。ほら、うちも兄ちゃんいるんだけどさ、あんたのお兄さんほど落ち着きがないから、きっとそうなんだと思うんだ」
チビはそれを聞きながら、一つ、尋ねてみる。
「どうそてそんなに人を分析出来るでござるか?」
「分析してるわけじゃないよ、見てるだけさ。見てるだけでも十分わかるんだよ」
「いや、普通はわからんものでござるよ」
「左様でござるか」
「左様にござる」
二人はお互いに笑いあって、前を向く。
困り顔の兄に取り付くロング。確かに、これは脈はなさそうだ。チラチラとこちらを確認する様は、こちらを気にしているというよりも助けを求めているようにも見えた。
(なるほど、見る、でござるか)
しばらくして大型のショッピングモールに到着する。
「…ここまで来たことあるか?」
「…ないでござるな」
「…こんなとこあったの知ってたか?」
「…知らなかったでござるな」
近所のバス停から三つ程行った所に、バス停の名前がその名を冠するほど大きなショッピングモールがあった。普段から行動範囲の狭い二人にはこのような所があったことすら知らない。チラシもそこら中でばらまかれていたらしい。
ロングはあいもかわらず彼に取り付く。
「あら、知らなかったんですの?大々的に広告が出ていたと思いますけど」
「広告なんてものは見ない」
「とりあえず中入ろうぜ、立ち話はさみーよ」
「うむ」
自動ドアを潜り抜け、温風を全身に浴びながら中に入る。後続を詰まらせぬように足を進めながら天井を見上げた。
「でけぇ…」
「広いでござるな…」
「目的地は別館だな」
「どこで選ぶんですの?」
「わかりやすく女の子らしいっつったら『axexa(アグゼクサ』だろ。似合うぜーこいつ」
前から着せてみたかった、と言いながらチビと一緒に歩き出す。
その背中を見ながら後ろを歩く。辺りをキョロキョロと見渡しながら、小さく物珍しそうな歓声をあげる彼に、ロングはくすりと笑った。少し恥ずかしい所を見せたか、と頬をかきながらも、興味の視線は止まらない。
男性モノの服にも目を止め、女性モノの服にも目を止め、靴、カバン、時計など様々なものに目を止めるが、足は止まることは無かった。
(欲が無い方なのかしら。足を止めてくだされば離れる口実にもなりますのに)
かといっていろいろと楽しそうに眺める彼に横槍を刺すような真似はしたくなかった。渡り廊下に差し掛かり、眺めるものがなくなると、彼の方から話しかけて来た。
「こういうところにはよく来るのか?」
「そうですね。他に遊べるような所といえばあの商店街くらいですし、どうしてもこっちの方が品も多いですから」
「だよなぁ、これだけ広けりゃいろいろあるだろうし…。今度チビと一緒に行くかぁ…」
「チビって呼んでるんですの?」
「ん?あー、うちでは基本そうだな」
「それはダメです」
先程までとは違うモノの言い方に、思わず顔が向く。真っ直ぐ彼を見ながら言った。
「彼女だって一人の女の子なんですよ。それを、そんな呼び方してたら、女の子の扱いをしてませんよって言っているようなものです。そんなんだから、彼女はあの格好なんです。服を買うのも遠慮してしまうんです。女の子であろうとしないから、そうあることで、あなたに負担をかけさせたくないから。あんな喋り方で、女の子であることを意識させてないんです。全部、あなたの為なんですよ」
度肝を抜かれる。今まで確かにチビを女の子として意識したことはなかった。妹だから、ということもあったし、彼に今まで女っ気が一つもなかった事も原因なのかもしれない。
彼が何も言えずにただ見ていると、ロングはため息を吐いた。
「全く、何を言っているのかしら私…」
こんなはずで彼に近づいたわけではなかった。もともと彼女とチビは仲が良いわけではない。授業参観で彼を一目見てから、欲しいと思うようになったから近づいたのだ。
おそらく、いやとっくにバレてはいることなのだろうが。
それも、今のでぶち壊しだ。
前を歩く二人に向けて駆け出す。
「何チンタラしてるんですの?!サッサと行きますわよ!」
「うおっ、なんだよいきなり」
「痛いでござる!いたいでござるー!」
二人を引っ張りながら進む彼女に、彼はまた、引き出しの中身を思い出した。
(名前…呼んでみるかな)
彼女達が足を止めた店は、少しゴシックな感じのする服屋だった。暗い色に映えるようなブラウスなども置いてあり、目立ちはするものの、全体を見れば落ち着いている。
確かにこれなら…、ファッションに疎い彼ですらそう感じられるほど、その服屋の雰囲気はチビとあっていた。
チビを挟んで中に連行される様子を見送り、彼は辺りを見渡した。自分が入れそうな場所はない。一緒に入るのも気が引ける。店の前で尻込みしてしまう。その彼の腕をロングが引っ張る。
「ほら、財布も入りますわよ」
「え、ちょ、居ずらいって」
「良いから、貴方が良いなって思ったものを買ってください」
「お、おう」
勢いに押し切られ、店の中に入る。ゴシックに加えてメルヘンな雰囲気が合わさり、少しダークに見えてくる。息が漏れる。最近の女の子はこんなもの着てんのか、と思いながら、また珍しそうに周りを見渡した。
服だけでなく靴や小物も置いてあるようで、窓際の棚に置かれているのが目に付く。
「今日のあなたはマネキンですからね。拒否権はありませんわ」
「うぇえっ!」
「ほい、早速これ持って試着いってこーい」
服を押し付けられ店員にパスされる。店員もノリが良かったのか服を持ったままおろおろしている彼女を試着室まで連行する。見送ってから、二人とも次の服を探し始めた。
「次スカートな。今抵抗少なめのパンツ渡したから」
「短いパンツでも良いのでは?オーバーオールに見立てたモノは結構好きですわよ」
「いいね。でも今さみーからなー、タイツ履いてねえだろうし…いやいっそタイツも穿かせるか。お兄さんニーソとタイツどっちがいい?」
「えっ…と…、た、タイツで」
しどろもどろになりながら答える。正直違いがあまりわからない。
「わかってない顔ですわね。両方はかせてから考えましょう」
看破。
顔に出ているのだろうか、と横の鏡を見てみる。見事に出ていた。わかりやすいほどの困り顔である。
(ホントに…居場所がねえ…)
女性の買い物に付き合ったことの無い彼は戸惑うばかり。しかし店員が彼女を連れて来た時、息を飲んだ。
「おー、やっぱいいじゃん。こういう服もっと買えよなー」
七部丈のジーンズに赤から黒にかけての色味を使ったチェック柄の袖の長いシャツ、クリーム色のベスト、恐らく店員の勧めであろうモコモコの帽子をかぶっていた。
確かに、とても似合っている。
「これなら…まだ大丈夫でござる」
「ござる禁止。お兄さん、いかがですか?」
「…あぁ、すごい…似合ってるぞ」
名前を口に出そうとして、喉が干上がった。長らく呼ばなかった名前に、緊張が先走る。
「…妹よ」
(日和ったな)
(日和りましたわね)
じっとりとした視線を送る二人に反して、妹、と呼ばれた彼女は頬を赤らめる。その顔を帽子で隠すもにやけた口がはみ出てしまっている。
(それでいいのかお前…)
(まだ名前も呼ばれてませんわよー)
こちらにもじっとりと視線を送る。
「あり…がと」
ボソッと言ったのを聞き届けた所で、新しい服を押し付ける。
「次これな。タイツとニーソで二回見るから二回出てこい。あとこれ買いで」
カゴに服を入れる。チラッと値段を見る。
(一着、七千円…だと…!)
クレジットカードを持っていて良かった、と心底ホッとした瞬間だった。また次の服を見始める二人を見ながら、試着室から聞こえてきた声に耳を傾ける。
「タイツあったかいなりぃ…」
そういいながら、試着室から妹が出てくる。モノトーンチェックの膝丈のスカートに明るい色のシャツ。シャツの襟と袖に刺繍が入っており、小洒落たデザインになっていた。タイツの光沢が目に付く。
「悪く無いな、お兄さんどうよ」
「あぁ、いいと思う」
「これですと靴も変えたいですわねぇ、でもとりあえずニーソに変えましょう」
試着室に押し込む。あいつも大変だな、と思いながら、ふと視線を横に向ける。手近にあったスカートを手にとってみた。肩紐付きのスカート。長さからして、腰で穿くものだろうか。
「次はそれ着せてみます?」
「ハイウェストスカートってやつだね。ブーツで合わせるといい感じだけど、スニーカーでもいっか。そしたらタートルネックとストッキング?」
「彼女が耐えられるなら素足で良いと思いますわ。今見てましたけど、羨ましいくらいスタイルがいいんですもの」
「わかるわー。やらせてみるか、生足」
すまん、妹よ。兄はお前に試練を課してしまったようだ。
すぐに出て来た妹を見てその謝罪も吹き飛ぶ。
「や、やっぱりスースーするでござる…」
「ござる禁止っていったでしょう。でも…」
三人が揃って親指を突き立てる。
「「決まりだ」」」
あぁ、素晴らしき絶対領域。健康的な太腿は人の脳髄を溶かす最高の麻薬なり。
「はい、じゃあ次はこれ。お兄さんが選んだスカートですわ」
「え…、兄者が…?」
「あー…、うん、目について、ちょっとな」
「ついでに、生足で頼む」
「えぇっ!」
驚きの声をあげつつも、視界の端に映る彼を一瞥した後、こくん、と頷いた。
「が、がんばる」
(何この子可愛い)
(健気ですわ健気ですわ)
カゴに服を入れる。さて、いくらになることやら。別の方向に意識を向けていた彼の脇を二人の肘が突く。
「全く、お兄さんも罪作りだねぇ」
「ほんと、可愛い妹で良かったですわね」
「そう…だな。今の今まで意識してなかったんだけど…やっぱり女の子なんだよなぁ…」
「まぁ、男としては触れにくい事もあるだろうしねぇ…」
「所で、プレゼントは用意してありますの?」
「あぁ、家に置いてある。ちょっと奮発したんだが…喜んでもらえるかどうか…」
「因みに何を…?」
「ネックレスだよ。女の子らしいものを、って思ってな。ちんまりしてるが、ダイア付きだ」
それを聞いた二人は、目をパチクリさせた後で、片方はニヤつき、片方は呆れたようにため息を吐いた。
「お兄さん…それは…」
「言うな言うな。もうちっと後で教えてやろうぜ。その方がおもれえ」
「…はぁ、お兄さん、今度ダイアモンドの石言葉を調べることをお勧めしますわ」
「…?わかった」
少しして、試着室から妹が出て来た。
「こ…これ…みじか…い…」
膝上十センチ程の短い黒のハイウエストスカートに、灰色のタートルネック、スカートから覗く真白く長い足。まるでモデルだな。彼はそう思いながらも、口を開くことは無かった。いや、開けなかった。彼の視線はネックに隠れた顔に釘付けになっていた。
本当に自分の妹なのか、それすらわからなくなってくる。後ろで一つに結えられた長い髪が揺れる。
その髪も、セミロングによってほどかれる。サラリと流れる髪が艶やかに網膜に焼きつく。
何も言えない彼を見て、二人は頷いた。
「これでいっか」
「えぇ、このくらいにしておきましょう。ほら、お兄さんいうことはありませんか?」
「あ、えと…うん。綺麗だ、とても」
こういう時に限って、うまく口が回ってくれない。もっと褒めてやりたい、もっともっと。彼女がちゃんと、女の子でいたいと思えるように。そうでなくても、可愛く、綺麗であろうとしてくれるように。
それを許さぬ自分の口に、湧き上がる不安に、巻き起こる欲に、噴き上げる怒りが生まれていく。
唯一動いた手は、彼女の頭を撫でるにとどまってしまう。
「あ…にじゃ……?」
「…?」
何か言おうとする口が、途中ですぼまり引っ込んでしまう。お互いにヘタレだな、と心の中で苦笑いした。そのまま首を振った妹の頭から手を離して、カゴを持った。
「選んでくれてありがとうな。助かったよ」
「いいっていいって。んじゃ、あとは二人でごゆっくりー」
「今度遊ぶ時には、どれか着て来てくださいね」
行っちゃうのか、と声をかけるまえにそそくさと二人はいってしまった。妹と二人で首を傾げながら、レジに向かう。
「そちらの服はそのままお召しになってお帰りになりますか?」
「あ、いえ、着替えます!」
試着室に飛び入り、元の服に戻ってしまった。少し残念そうな彼の顔を見て、妹は小さく言った。
「ま、まだ恥ずかしい…から」
いつになったら恥ずかしくなくなることやら。口には出さずに、黙って頷いた。
会計を済ませた後で、本館に戻る。地図を眺めていると、洋菓子店の名前を見つける。
(デリカシーもクソもねえけど、聞いてみるか)
同じく隣で眺めていた妹に声をかける。
「ケーキ何がいい?まだ用意してねえんだ」
「んー…、じゃあ、一緒に作りたいでござる。スーパーで材料を揃えましょうぞ」
「いいのか?」
「何がでござるか?」
「いや、もっと美味いケーキとか売ってるだろうし…」
「良いんでござるよ」
妹が真っ直ぐこちらを見る。
「一緒に作りたいから、それでいいの」
言った後で、あっ、と口を押さえて地図を指差した。
「ほ、ほら、行くでござるよ」
行ったり来たりする口調に微笑ましさを覚えながら、その言葉を噛み締める。自分の友達と居るよりも、自分と居ることを選んでくれていることを、今改めて嬉しく感じる。
行くか、と声をかけ、歩き出す。その隣にピッタリとくっついている妹はなんだかむず痒い顔をしていた。どうかしたのかと尋ねる前に、妹が袖を摘まんだ。足を止めさせるような引き具合ではなく、ただ、自分の存在をそこに主張させるだけの、小さな重みだった。
ただ袖を摘まんだだけだというのに、彼女の顔は和らぎ、嬉しそうな潤んだ瞳でその袖を見つめるのだった。
袖を摘まむ手が、彼女にとってどんな意味を持つのか、彼は理解することができない。別段、人の機微に疎いわけでは無い。空気が読めないわけではない。しかしそれでも、彼女の気持ちを察することはできなかった。
気持ちのすれ違い、いや、段違いとでも言うべきだろう。彼女が彼を見る気持ちと、彼が彼女を見る気持ちには、大き過ぎる段が有った。そしてその段を狭めるモノを、先程自分が彼女に対して持っていたことに彼は気づいていない。
そのモノを彼が持ったことに彼女は気づくことはない。
スーパーに辿り着くと、適度な混み具合に胸を躍らせる。人がいる、賑わいがあるということは、それだけ良いものがあるということだ。タイムセールに自ら飛び込む彼の気分は幾分か高揚していた。
しかし目的がある。この時間にタイムセールをやるようなことはないし、そもそもここにタイムセールがあるのかすら知らないのだが、品の数が彼の高揚を維持していた。
「クリームも結構種類あるんだな」
「絞り袋があるといいでござるな」
「そうだな、味は?」
「普通のでいいでござるよ。あとはイチゴでござるな」
「イチゴは…あっちか。結構大粒のが売ってるな。二三個買ってくか。スポンジスポンジ」
転々と移動していくと、ケーキスポンジなるものを発見する。二段に別れた綺麗な円形の生地は、間に挟めるようになっている。それを一つ手にとって、レジに向かった。買ったお菓子や飲み物は未だ大量に余っている。
「よし帰るか」
「わーい、ケーキにござるー!」
はしゃぐ妹の後ろをついていく。
とそこへ、聞き慣れた声がかかる。
「お、朴念仁、ここにいるなんて珍しいな。チビちゃんも久しぶり」
同級が声をかけてくる。後ろに後二人程見えることから、三人で遊びに来たのだろう。彼がまぁな、と適当に返す。妹は礼儀正しくぺこりと頭を下げた。
「買い物?」
「あぁ、今日は…」
チビの誕生日なんだ、そう言いかけた所で、何とも言えない感情が沸き起こる。
「もう帰るんだけどな」
妹が不思議そうに彼の顔を覗き込むが、同級は気にせずに塞がった両手を見た。
「ま、そんだけ買ってれば帰るわな。じゃ、今度遊ぼうぜ。じゃな、チビちゃん」
「あ、はい、また今度」
軽く手を振って別れる。
なんだったのだろうか、なぜ言わなかったのか、自分でもわからない。妹も声をかけてくる。
「なぜ詰まったでござるか?」
「…わからん。とりあえず帰ろう」
二人揃って同じ方向に首を傾げながらバスに乗り込んだ。
家に着くと、二人はくたくたになっていた。何のせいかと言えば、怒涛の服選びのせいだろう。慣れないことをしたものだから、いつもより疲労を多く感じていた。
「ちょっと休憩してからにするか…」
時計を確認する。まだ5時だ。夕飯には少し早い。頷いた妹とともに、リビングに入る。台所に材料を置き、服を椅子においた後で、二人してソファにドッカリと座り込んだ。背もたれに身を預け、目を閉じる。隣から妹が大きく息を吐いた音が聞こえる。それから布が擦れる音と共に、肩に重みがかかる。ふわりと鼻をくすぐる香りに少し惹かれる。
(…なんか、いい匂いだな)
薄くなる意識が体を動かす。いい匂いの方へ、頭が傾く。そして何かに触れた瞬間、ビクッ、とそれが動いた。
「ぁ、兄者…?何をしてるでござるか…?」
「…んぁ?」
目を開くと、目の前には妹の頭が有った。
(あれ?俺何してんの?)
呼吸の度に、鼻腔を抜ける香りに、少し、痺れてくる。
そのまま口に出した。
「いい匂いだな」
「ふぁっ?!」
今まで何故気付かなかったのだろうと思い返して、今までこんな事をしたことが無かった事に気づく。いや、それ以前に、自分が彼女を女として意識して居なかったのだな、と気づいた。
何故か冷静に自己分析をする兄に対して、妹の思考はぐっちゃぐちゃだった。
(良い匂いっっ!良い匂いって言われた!お兄ちゃんに頭かがれてるって事?ちょっと待って今までそんなことしたこと無かったじゃんお兄ちゃん今しかも今日やるとか反則!あ、でも嫌じゃない…、お兄ちゃんって匂いフェチ?私の匂いが最適解?Yeah!Brother!愛してる!あ、違う愛してるけどその愛じゃなくていやそっちでもいいんだけど私たち兄妹だからあぁぁぁあああもう神様死ね!兄妹じゃなかったら…いやでも兄妹だからこうやって一緒に…でもその先まで行けないじゃんどうしてくれんのぉぉぉおおおおお!あぁ、あああ!またかがれてる…!いいよ!お兄ちゃんにならいつでも!かぎたいだけ!どうぞ!ボーダー越えちゃっても良いんだよ!いつでも越える覚悟はしてるよ!リアルファイトかける勇気はもう無いけどね!かけて来てくれて良いんだからね!あぁ!素晴らしき!お兄ちゃん!いつでも獣になっていいからね!)
それから少しして、彼が頭から離れる。大きく息を吐くと、頬をかきながら言った。
「なんか、急にすまんな。目も覚めちまったし、ケーキ作るか」
「そ、そうでござるな」
そそくさと離れる妹を見て、彼はやはり嫌だったのかなと少し反省した。でも良い匂いだった、と感想を残すのであった。他の女性の匂いを嗅いだわけでは無いが、でも、彼女は少し、特別な気がしてしまう。
(思い違いだろ。さてと、分担ぶんた…)
「ふぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!」
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャ………!!
「………」
凄まじい勢いで生クリームを泡立てる妹に唖然とする。確かに、昔から泡立てるのは最初は彼女で疲れたら彼に渡るのが常であったが、このような奇声を上げるのは今回が初めてだった。しかも異常なまでの速さに加え、一滴もボウルから零さない正確さに、兄としては負けていられなかった。
(しからば俺は、イチゴをカットする!)
キュッとエプロンを結び、ザッとまな板と包丁を準備する。手早くイチゴを洗い、ヘタの位置を合わせながら横一列に並べる。
「ッ!」
スパッとヘタだけが綺麗に切り離される。そして半分を縦にカットしていく。
トントントントン…、と規則正しいペースでイチゴが割られる。出遅れたにもかかわらず、仕上がる速さは同格か、それ以上。
「「あがりッ!」」
まな板とボウルが対峙する。綺麗に出来上がったその二つに、お互い、不敵な笑みを浮かべた。
「腕を上げたな、妹よ」
「兄者こそ、次は同じセリフが吐けないと思えでござる」
フッ、と笑い、彼は隠していた手を出す。
「はい、余り」
「ん、あむ」
咄嗟に口を開けてイチゴを受け取ってしまった。
「使うイチゴの数まで把握するとは…不覚…」
「まだまだよのぉ、妹」
(お兄ちゃんから手渡し!あーんされた!!)
生地を取り出し、下の段の上にイチゴを並べていく。それを埋めるように生クリームを塗っていく。ある程度塗れたところで、もう一段を重ね、またクリームを塗っていく。さらに周りにもうすく塗り、余りを袋に入れた。
「ほい、絞って」
「承知」
もうそれ程残っているわけでは無いが、平らな丘に起伏が追加されていく。幾つか頂上ができた所で生クリームが切れる。少し中途半端だが、それも手作りの醍醐味だ。
頂上にイチゴを乗せ、さてと、と手を伸ばした所でハッとした。
「ろうそくが…ない…」
「あ…」
二人揃って忘れていた。でもまぁいいかと持ち直す。
「とりあえず、完成ってことで」
「そうでござるな。あ、そうだ、少し待っていて下され」
椅子の上の服を掴んで二階へ駆け上がっていく妹。その間に、兄も自分の部屋へ。そして妹が出て来る前に一階に戻ってきた。手には小袋が持たれていた。
しばらくして、妹が降りてきた。彼が選んだ服を来て、少し頬を赤らめながら俯きがちにはにかむ。
「あに…お、お兄ちゃんが選んでくれた服…だよ?」
「あ、あぁ。やっぱり似合ってるよ」
手に持っていた小袋を机の上に置き、中身を取り出す。漆黒のケースを開き、ハートの飾りがついたネックレスを取り出した。そのハートの中心には、控えめながらもしっかりと輝きを放つダイアが誂えられていた。
「お兄ちゃん…それ…」
「誕生日プレゼントだ。女の子らしいアクセサリーつけて欲しくてな。一応、ちっこいけどダイアも付いてるからな。大事にしてくれよ」
妹に歩み寄り、前から抱きしめるような形で首にネックレスをつける。が、なかなか上手くいかない。彼の手に反してその留め具があまりにも小さい。
(あとちょっとなんだけどな…)
(あぁぁぁぁあああああ!近い近い近い近い近い近い近い近い!!!ホントにプレゼントあったぁぁぁああああ!しかもネックレス!!束縛したいって!!さらにダイアつき!!永遠の愛!!やっぱり愛してるよお兄ちゃん!!ハートのマークだしそういうことで良いんだよね?ね?あ、でもお兄ちゃん石言葉とかネックレスの意味とか絶対わかってないよね…。でもいいのお兄ちゃん、私はいつでもお兄ちゃんに首ったけだから!いつまでも縛られてていいよ!束縛プレイとかしたことないけどいいよ!今度ネクタイ贈るね!使い所見当たらないけど贈るね!お兄ちゃん意味知らないと思うけど!私の気持ちだよ受け取ってね!)
「できた。悪いな、手間取って」
「ううん、大丈夫」
一歩下がって、ネックレスをつけた妹を見る。胸元で光るネックレスを見て、頷く。これでやっと、いや、服を変えただけでも十分だったが、さらに女らしくなった。買ってよかった、と胸を撫で下ろしながら、口を開いた。
「似合ってるよ」
「ありがと、お兄ちゃん」
軽く首を振って、ケーキの方へ歩き出す。
「あ、私も手伝う」
「いや、いいってぅおあ」
お互いの足が絡んでもつれ込む。咄嗟に彼女を抱きかかえ体を捻る。背中に鈍い衝撃、肺から空気を吐き出しながら呻き声を上げる。
「いっつ…、大丈夫か、智恵」
「うん、だいじょう…ぶ」
(あれ、今名前で呼んだ?)
(あれ、今名前で呼ばれた?)
何かを確認する様に、お互いの顔を見やる。思ったより近くてすぐにそらしてしまう。
兄を下敷きに、妹が上から覆いかぶさる様に倒れこんでいた。妹は逸らした顔をもう一度、彼に向けた。
(こんなに…近くに来たの初めてかも…。凄く…いい匂いがする)
彼の胸元に顔を埋める。
「ち、智恵…?」
戸惑いを隠せない彼は恐る恐る彼女の背中を叩く。自然と口をついて出る彼女の名前に、また戸惑う。一度言ってしまえば慣れてしまうのだろうか、そう思いながら、胸元に顔を埋めたままの妹の頭頂を見つめる。
深呼吸をする様な呼吸音が耳に付く、二三繰り返した後、その顔を上げた。
「智恵?」
どこか痛かったのか?そう聞こうとした口が動かなくなる。彼女の赤く蒸気した頬が、何かを求める様に潤んだ瞳が、浅い呼吸を繰り返す柔らかそうな唇が、彼の胸元で波打つ黒く長い髪が、ゆっくり、ゆっくり、眼前に迫る。彼の顔の横に手をつき、長い髪を胸元から引きずり、また彼に迫る。
それは、何を選択させるような、脅迫めいた決定を迫っているようにも思えた。
やがて、呼吸の湿りが唇を濡らす。閉じられた瞳から、表情を読むことはできない。彼もまた、彼女から視線を外すことができない。
良いことではない、わかっているはずだった。
感触が脳を揺れ動かした瞬間、彼の頭の中で、想いが巡る。
(どうして…俺は…)
一人は寂しくなかった。なかったが、それは強がりだとも知っていた。一人でいること、独りで居ること。幼稚園に一人で通いながら、送迎に駆けつける他人の親を見ながら、自分は何故一人なのかと考えた。結局答えなど出なかった。いや、あまりにもわかりきった答えに、目を向けられなかった。
(…一人じゃなくなったんだろうか)
小学校に上がってしばらく、帰ってきた母親が女の子を抱いていた。たしか2歳かそこらの年だったと思うが、母親は笑顔で言った。
『これで独りじゃないわよ』
それから、彼の子育てが始まった。近所の同級生の母親に教えを請いながら、保健室登校でその子を学校まで毎朝おぶって行く。並の小学生にはあり得ない光景だったに違いない。しかし、独りではなくなった。その事実だけで、彼は満足していた。
五つ違う、妹なのかそうでは無いのかさえわからないその子の為に、彼ができることはすべてやった。さもなければその子でさえも自分を置いて何処かに行ってしまうのではないか、そう考えるとなおの事必死になった。それはもはや、依存と言うに等しかった。
そのおかげか、あるいはそのせいか、彼女は彼を慕ってくれた。勿論、連れて来られた記憶などほとんど無い中で、彼女の彼への扱いは『兄』であったことは間違いない。間違いは無かったはずなのだ。だからこそ彼は彼女を妹とし、テレビや友人の聞くように、いつかは自分の下から去る存在として、彼女を確立させていた。
そうすることで、彼は依存から脱却し、兄妹として生きてきたのだ。
そして動かない選択をした事によって、今、たった今、それは呆気なく崩れ去ってしまった。
彼は思い出す。
彼女は、妹ではない。
家族ではない。
他人。
それなら、この行動は許されるのか?
(そんなわけも無い)
そう、彼女は兄妹ではないと彼女自身は知らないのだ。それでも、彼は知ってしまった。いや、思い知らされてしまった。今まで、兄妹として確立した、そのあり得るはずもない感情を、彼女が彼に抱いていることも。
(違う、わかってたんだ。わかってたのに、俺は見ない振りを貫き通してきたんだ)
故に、彼は兄妹であることを確立しながら、彼女を女の子として扱うことを避けた。男ばかりの彼の友人の中に放り込み、女の子らしい遊びが何かとも教えず、それこそ彼女が女の子になれる機会を葬ってきたのだ。もちろん体の仕組みが違うことや、様々な生理現象によって段々と彼女自身が女であるという自覚が芽生えて行くのはしょうがない。
そして段々と慕う気持ちの変化によって、彼女の行動が、兄妹の交流、スキンシップから、アプローチに変わった事にも、気づいていた。それこそ、わかりやすいものだった。
それも構わず黙殺した。黙殺してきた。そう続けて行くことで、彼自身の性質も変化した。彼女の為に全てを行ってきたそれは、必要最低限のみを行い、彼女の気持ちに、ハッキリとした確信を持たぬよう、感情を鈍くした。
己が築いた牙城は、強固なはずだった。
(クソ、あのロングのせいだ)
忘れていたはずだった。忘れていようと思っていた。本来であれば服を買いにいくことなどなく、ネックレスを渡して、終了、なはずだった。
(…買いに行こうっつったの俺だ)
逆に、忘れていたことが仇になった。
建てたのも自分なら、崩すのも自分だったようだ。
(自業自得…、この結果も、俺が招いたこと)
ただ、後が怖い。この後は、どうすれば良いのだろう。行き着くところまで行ってしまえば、逆に吹っ切れるにだろうが、流石に中学生に手を出す程、飢えてもいない。
(いつも通りで、いいか)
妹の、彼女の肩を優しく叩く。
「………」
反応がない。
揺すってみる。反応しない。
隣に転がす。顔を真っ赤にして目を回していた。
「…やれやれ」
どうやら知恵熱でも出して軽く飛んだらしい。抱きかかえてソファに寝かせた。
「………」
手に残った感触と、触っていた場所を見る。艶かしい生足に目を奪われるも、サッと目を逸らし、毛布を掛けた。
困った事に…
「俺が先に惚れたんだよなぁ…」
翌る日、冷蔵庫に入れたケーキを朝食にもっしゃもっしゃと食べながら、二人は無言でテレビを見つめていた。天気予報や昨今のニュースが流れていく中、彼女はチラチラと落ち着かないご様子だ。
「なぁ、智恵」
「な、何でしょう!」
意外と大きな声に苦笑いする。
「帰ったらゲーム一緒にやるか」
綻ぶ顔は、太陽にも見えた。眩しくて、暖かい。
「やる!あ…、あの…」
「ん?」
「昨日の事…何とも思ってない…?」
「んー…」
牙城をもう一度作る気にはならなかった。
「まぁ、前から知ってたし、仕方ないとは思っちゃいるけど」
「そう…なんだ」
フォークを置き、真っ直ぐ彼を見る。
「私、お兄ちゃんが好き。兄妹でこんなのおかしいっていうのもわかってるんだけど、でも、どうしようもなくて…。お兄ちゃんは…どう…かな。私のこと、気持ち悪い…?」
「んにゃ、全く。だから、知ってるって言ったろ。それにな…」
「ぐっもーにん我が家!たっだいまー!」
玄関が思い切り開け放たれる。間が悪い。
リビングの扉を開けて入ってきたのは、黒髪をなびかせ、キャリーバッグを手にした彼らの母親だった。
「お、おう、おかえり」
「おかえりなさい」
「なんだよテンションひっくいわねー、お母さんよお母さん、何ヶ月ぶり?覚えてないからいいや。ダーリンは夕方着くそうよ」
「そーかい」
二人はまたあのイチャラブを目の前にしなければならないのかとげんなりしながら、席を立つ。
「いこ、お兄ちゃん」
「おーにーちゃーん?」
不思議そうに二人を見る母親に、首を傾げる彼女、まさかと息を飲む彼。
「いってなかったっけおっかしいな。あんたら血繋がってないわよ?」
「えっ?!」
「…はぁ」
「何ため息ついてんのよ京也。俺この子と一生暮らすーとか宣ってやがったじゃない」
「ええっ?!!」
「ちょ…!」
自分から言うならまだしも、他人に言われると恥ずかしさがこみ上げてくる。それを払拭する為に口を開いた。
「い、いや、血繋がってなくても養子縁組とか…」
「そんなめんどくせーの組んでるわけ無いじゃん、籍にもいれてねーわい。今の今までこの子はずっと別の籍で宙ぶらりんよ」
「はぁ?!」
衝撃の一言。
「だ・か・ら、あんたら別に私達みたいにイチャイチャちゅっちゅしてていいの。どうせお前ら好きあってんだろー、お母さんにはお見通しだぁ!」
「そうなの?お兄ちゃん」
「ちが…いや、そ…ん…こ、く…確かにそうだけど…!」
支離滅裂な脳内から苦し紛れに出た言葉は図らずも肯定の言葉であり、それを聞いた彼女はじっ、と彼を見つめる。
「お兄ちゃん」
「なんだよ…」
「結婚しよ」
「っ?!!」
「許す!」
「っ??!!!」
トントン拍子で進む話についていけない。
ずっと、あり得ないと、叶わないと思っていた事が、今目の前を超スピードで通り過ぎている。
「決まりだね、お兄ちゃん」
いや、と首を振って、口を開いた。
「これからよろしくね、京也!」
チビでも、妹でも無くなった彼女は、朗らかに笑う。
「…あぁ、そうだな」
通り過ぎた方向へ、ゆっくりと歩き出す。今はまだ、道ができたばかりなのだ。焦る必要は無い。
腕時計をチラッと確認してから、彼女の顔を見る。
「とりあえず、学校行くか」
「え?あぁ!!もうこんな時間!」
「おー、いってらーさい。私はしばらく寝てるわ」
「あぁ、行ってくる」
「いってきます!」
仲良く飛び出す二人を見送って、母親はソファに沈んだ。
「飛び切りの誕生日プレゼントだ。持ってけドロボー」