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死して響けブザービーター  作者: 竹の子物語
第1章【漫画家になろう】
9/9

9話『フハッ。てめえのためにやってねえっつうのトンチキマンボウめ。嬉々とした表情浮かべて、何を勘違いしてんのか知らねえが、きめえんだよ豚があ! ヒャッハハハハハハハハハハハ』

「――ということがあったんだ」

 とある日の、とある怪柔マンションの一室にて。俺は田塚に、先日、自作漫画を旧友である社寺 誠に見せたこと、そしてその反応と、漫画の内容を説明した。

「ふぷうむ。どむんどむん」

 田塚は話を聞くと、頷きながら俺の漫画――件の不気味漫画に目を通しはじめる。手持ち無沙汰に所作を眺めるが、田塚の均整の取れた無表情から、心中は伺い知れない。

 ていうか、不気味漫画とか、今更ながらどんなジャンルだ。いくら熱中していたからと言って、人をただ全力で不快に貶めるだけの漫画を嬉々として描き殴るか普通。

 と、振り替えってみると思うものの、そういう、知らず知らずの内に何かのタガが外れてしまい、誰も意図しない方向へ突き進んでしまうということは昔から茶飯事だったりする。むしろこれでも、自制心がより未熟であった過去とは比肩するべくもないほど落ち着いているのだが。


「むんば。これなるは、我輩をして不気味と弁ぜざるを得ぬ」

「うん。俺もそう弁ぜざるを得ねえ」

「面白き兆しであるがな。ぬふふ」

「え、こんな不気味な漫画でいいのん? こんな呪物を人の目に触れさせていいのん?」

「ぬめん。このような呪物を世に出せるわけはないが、“経験の一過程”として、これは実に興味深いのである。創造力の成長判断など曖昧なものであるがな」

「じゃ、次もまたこんな感じの描けばいいのか」

「でゅん。そうは言っていないのである」

「えー。でも面白いっつったじゃん」

「面白いとは言ったが、あくまで“経験の一過程”としてと言ったであろう。これなる漫画をではなく、何某本人を評価しているのである」

「おお。そう言われると、ちょっと嬉しくなっちゃうのもやぶさかではないぜ」

 しかし、作品自体はまともな評価に値しないものであるにも関わらず称賛されると、なんだか釈然としない気分だ。


「何にせよ“突き抜けた行動”からは通常では得られない経験が得られるものであるし、どれだけ努力しても凡愚として終わってしまう人間であれば、それは容易なことではないのである。だから吾輩は、愚劣極まる反面、“突き抜けた作品”でもあるこの怪作を、これだけの短時間で生み出した何某に期待しているのである」

「ほっほう。俺って本当に天才の器だったり?」

 普通に冗談のつもりで天才を自負してたんだけど。

「……自惚れるなよ。確かに興味深くはあるし、吾輩は何某の成長に期待しているが、だがそれだけである。吾輩の見解など一意見に過ぎぬし、そもそも“突き抜けたもの”とは、人の気を引き付けると同時に、危うく脆いものでもある。“注意”も“興味”も、“引き付ける”も“惹き付ける”も同一ではないであるかして、何某の突飛さが吉凶どちらに転ずるかは、誰も知る由が無い。得体が知れないだけで、実体はただの奇形の石ころである可能性は無くならない」

「ふうん。そう簡単な話じゃないってことな」

「むさっは然り。良くも悪くも、これからの愚直の何某次第である。……そもそも、吾輩が当初見込んだ性質とは異なるのであるが」

「? ま、大丈夫だろ。プロの敏腕漫画家に直接、念入りに指導してもらえんだからさ、田塚センセ」

「にゅふん。確かに吾輩は、吾輩の方法論に自信はあるが、しかし単純に吾輩の言葉を鵜呑みにはしない方がいいのである。どれだけ優れた客観性も主張も、発信源が人間である限り、究極的な元本は“独断”であるからして――認識が認識である限り、限りなく正解に近い解答を認識出来たとしても、正解そのものを認識することは不可能なのである。認識と事実は交わらぬからして」

「つっても、それは極論じゃん。どっかキリの良い深さで割り切って決定を連ねるしかねえだろ。適当に、適当に。……掘り下げ過ぎた先の空虚さは、人間として気持ちの良いものではないしさ。それに、大味な信頼ってのは、その愚かさ以上に気持ちが良い」

「然るは然り。尺度の個別性こそ価値観の違いであるからして。ドロムンドロムン、もげらもげら」

 真面目な話が謎の言語で台無しだが、敢えて触れずにいよう。触らぬドロムンに前ならえ無しという。


「というかさ、漫画を一人で描くってすげえ大変なのな、パラパラ漫画作った時も思ったことだけど。あれだろ、普通はアシスタントってのが数人がかりで手伝ってくれるものなんだろ?」

 俺の場合は一応、未来の俺さんが手伝ってくれるから、不気味漫画は一人で描き上げたわけではないのだが。

「ギギギぎっちょん!」

 例によって例の如く前ならえされる。脛に。しかも死角から。

「……ん? ――ああ。こら、妙にスマートで迅速な前ならえを、死角から繰り出すんじゃありません。しかも脛に。あまりに意表過ぎて、一瞬何をされたか分からず、素で微妙なリアクションしちゃっただろ」

「若輩も若輩である現段階の何某がアシスタントなどと、尚早にしてのぼせ上がりなのである。若輩期の苦難は甘んじて受け入れろ、むしろ奪ってでもしろ。一般的な受苦からすらも快楽を見いだせるようになることが、世紀の大御所への一歩であるからして」

「えー。めんどくさ」

 なにやら眠い話をし始めたぞ。本来モチベーションなんか大して無いのになあ、俺。

「でもさあ。未来の大御所である人間がトーン貼りとか、時間の浪費のようにしか思えねえんだよな」

「あまり舐めた口を聞いていると、その口を縦に引き裂いてぶっ殺すぞ。何某が大成する保証などそもそも微塵も無く、そして大御所作家とは、往々にして、不毛と思えるような苦労をも大いに経験しているのである。むしろ、不毛をただ不毛とせず、そこから何か得られぬか詮索する気概を持て。不毛と思えば――“それ”を“それだけ”と思えば、それはそれ以上のものには成りえないのである。無駄を省きたくば、思考を――試行を怠るな、存分に錯誤しろ」

「うへえ」

「ま。トーン貼りを含め、今時デジタルでも絵描きは可能であるのだが」

「うそん。それを先に教えろよ、そして寄越せそのデジタルとやらを」

「むるんば断固。確かに吾輩は、何某に最低限の道具は貸し付けてやったであるが、吾輩の役目はあくまで何某が自力で歩けるように機会を提供することであり、手を引いてやることではないのである。からしてからして。それに、デジタルがアナログを、必ずしも上回るわけでもないであるしな」

 自分で買って、自分で調べて使いこなせるようになれとのことらしい。

「してして、味の方はいかがなものであるかな?」

 田塚が唐突にもしゃもしゃと俺の不気味漫画を食べ始めた。

「むっぱぱいや! 不気不気」

「どんな味がする?」

「不気味である! 不気味である!」

 今日の垂直連続飛びは真に迫る躍動感だなあ。


◆◇◆◇


 さて。

 漫画家修行を本格的かつ具体的に始めてから数週間が過ぎた。日々終わることのない膨大な作業に追われていて余裕が無いため、数週間と言っても、詳細にはどれだけ経っているかはうろ覚えだ。

 いやはや、まさか、漫画読んで小説読んで、ちょこっと文章の練習して絵を描く作業が、タイムテーブルに隙間なく敷き詰められるとここまで過酷なものなのかと辟易する。想定していたよりずっと辛い。俺は元々、作家なんて好きなことして好きに生きてる楽な輩と、なんとなくイメージしていたのだが、とんでもない。むしろ、確証が無く、不安定でふわふわな道というものが、ここまで“歩きにくい”ものであるとは知らなかった。そう、創作という観念は、無間とも言えるその可能性から、携わる自分の位置が実に判然としないものなのだ。無間――無制限と表してもいいかも知れない。制限が無さ過ぎて、自己主張を規定する制限すら無い。自分の実力が今どれだけのものなのか、どういった方針の物語を描けばいいのか、考えればいいのか、どう工夫すればいいのか、何は避けた方が無難なのか、読者は何を求めるのか、何を求める読者がどれだけ居るのか、エトセトラエトセトラ、考慮する余地があまりにも膨大過ぎ、手に余る。

 そして、毎日毎日漫画漫画漫画読書漫画漫画読書と来ると、いくら娯楽物でも、必要に迫られ、立て続けに集中して読み続けると、いい加減気疲れしてしまう。元々文字を読むのが好きならまだしも、俺のように、長時間黙って座って目を動かすことに耐性の出来ていない人間には、かなり厳しい。さらに、読んでいて身に染みて分かったのだが、どの作品がどれも面白いわけではないのだ。これも当たり前と言えば当たり前なのだが、つまらない作品というのは、面白い作品の数以上に膨大であり、さらに言えば、名作とされるものや高く評価されているものであっても、人の趣向と嗜好品の多様性が毛細血管のように枝分かれしている昨今においては、その全てを受け入れるというのも無理のある話であり、“田塚チョイス”がいくら現役人気漫画家の慧眼によるものであっても、限界はある。

 王道バトル漫画とか、ぶっちゃけ飽きた。確かに面白いは面白いジャンルなのだが、あまりに出回りすぎていて、ここまで大量に読まされるとパターンと構造が頭に刷り込まれてしまい、正直次の展開が読めてしまう作品が多い。本当に多い。大筋のパターンが同じでも、アイディアや一つ一つのネタが面白ければそれはそれで楽しめるし、秀でたものが何かあれば許せるのだが、そうでもない作品というのがびっくりするぐらい多い。特にキャラクターがめっちゃくちゃ被っている。“あれ、このキャラ、あのキャラに似ているな”という印象は、まだ易しい。“またお前かよ、製造番号は何番だ”と突っ込んでしまいそうになるキャラクターが蔓延っているのだ。“面白くないバトル漫画”とは、実に多様性に欠け、登場人物のほとんどが“どこかで見たキャラクター”であり、一つ一つの展開が“どこかで行われた二番煎じ”であり、構成要素がコピーの切り張りだけで成り立っている。「人気のジャンルやるのはいいが、やるなら本気でやれ、真面目にやれ、工夫しろ、考えろ、つまんねえんだよ舐めんなふざけんな。そんなにコピーする仕事がしたいなら、手堅く素直に会社員になっとけ、わざわざ危険を冒してまで漫画家に拘る必要ないだろ」と田塚にぶちまけたところ、「ぎゅむうぶ。言いたいことは分からぬではないが、愚直の何某よ、それは少し愚直な発言である――コピーを作る側も全員が全員好んでコピーを作るわけではないし、誰もが誰も己を殺さず生きていくことは出来ぬし、誰もが誰もコピーに頼らず面白さを創造することも、また出来ぬであるからして。そもそも、劣化コピーとは言うが、コストパフォーマンスとしては成り立つのであるし、溢れていると言っても、それは需要と供給の関係がきちんと分かりやすく成立しているからである。読者層も、“作品から明確に経験を得ようとしている”ある種目の肥えた輩ばかりではないというのもある。――商品は売れなければ、作者は売らなければ、話にならぬし、商業において労力は少ない方が理屈に合うのであるからして」と反論されてしまう。「ぬばあん。己でこれなる結論に至ることを待望し、凡愚たるバトル漫画を含み貸し付けていたのであるが。遺憾である。遺憾である」少しがっかりされてしまった。

 飽きたジャンルと言えば、劣化コピーバトルに並ぶ、もう一つの巨塔がある。そう、御存知の方は御存知、“劣化コピー萌え”である。

 萌え。それは(おのこ)が、愛らしい女の子の仕草や言動に、思わずハートがきゅんとしてしまう、神聖かつ神秘的な現象を指して使われる言葉である。健常な(おのこ)は大抵、この“萌え”の前に心を動かさずにはいられない。どれだけの理論武装をもってしても、“可愛いはジャスティス”という魔法の概念はあらゆる障壁を打ち砕き、厚い面の皮を装っても、たぎる本能と俯瞰する理性の乖離には限界がある。そう、男の子は皆、女の子に弱いという属性を古来から内包している。だからこそ、その弱点を巧みにあざとく突く“萌え”なる技術は、日本全土にわたるパンデミックを引き起こしたのだ。それはライトノベルなる媒体を介してなされた。いまや、萌え要素を意識せず作られたライトノベルは散見する程度のものであり、ライトノベル業界全体が萌えを主砲として戦っている。“作れば売れる確証”は、捌き手を魅了してやまない。ここ最近、始めて書店のライトノベルコーナーなる場所を訪れたのだが、一面に広がる美少女の海原に圧倒――もとい、ちょっと引いてしまったほどである。「ポルノ市場?」という愚言が溢れてしまったのは内緒の話。そして他ならぬこの俺も、『安泥目田ハルコの鬱憤』のハルコちゃんや長斗さんを筆頭に、数多の美少女にハートを鷲掴みにされた。

 “あ、あんたのためにやったんじゃないんだからね!” とか……はあ!? ふふふふざけんな、俺だってあんたのためになりたいんだからね! とか思っちゃう。

 “お兄ちゃんって呼んでもいいですか?” とか……ええ!? どどどどいうことだそれは、全然意味がわからないが、そんなこと言われたら守ってやらないわけにはいかねえだろ! とか思っちゃう。

 “実は私、男の子を部屋に入れるのって、初めてなんだよね”とか……あああ!? さささ誘ってんのか狙ってんのか確信犯なのか、なんだその上目遣いはけしからどぼろげしゃあ! とか思っちゃう。

 もう、甘甘のきゅんきゅんである。なんなんだあいつら。どんだけぐいぐい来るんだよ。なんであんなモンスターどもが、主人公以外の狩人から全然狩られてねえんだよ。

 しかし、しかしだ。

 あまりにも似たような言葉とシチュエーションを繰り返されると、さすがに食傷気味というものだ。飽きる程度ならまだいい。飽きても美味いものは美味い。問題なのは、胸焼けしてしまうほど繰り返されることだ。多くの者がチョコを嗜好品として進んで食すが、あれだけ味の濃いものを吐くまで食わされればたまったものではない。もうしばらく見たくもないという心境に陥るのもやぶさかではない。

 例えばこんな感じ。


 第一段階。

 “あ、あんたのためにやったわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!”

 え? またその台詞? 前にもどこかで見たような……まあ可愛いから許す。いいじゃないか、まだまだいけるよツンデレ、各地で辟易されまくってるって聞くけど、俺は好きだよ。まだ。


 第二段階。

 “ふん。あんたのためにやったわけじゃないから。勘違いしないでくれる?”

 ……あれ? 既視感が凄い。あれ、なんでだろ。この子からは初めての台詞なのに、全然初めての気がしない。確実に似たようなことを以前何度か言われている気がする。同じシチュエーションで。というか、明らかに確信のある事実を無根拠に勘違いだと指摘されても、何を無意味に強情な態度取ってんの、めんどくさとか思えてきちゃうけど、まあいいや、とりあえず可愛いから許す。今回も、まあ、ギリギリ、一応許す。


 第三段階。

 “あなたのためにやったわけじゃないっつうの。ななな、なに勘違いしてんの? き、気持ち悪いなあ、もう”

 …………あ? ちょっと待て、それはどういうことだ、あ? 勘違い……気持ち悪い? ……ああん!? 貴様が何を勘違いしてんだこら、こちとら幾度となく貴様のような見え見え狙いまくりツンデレの相手して来てんだよ、勘違いなわけあるかバカ野郎、わざわざ動揺している風をそこまで分かりやすく装っておいて、勘違い気持ち悪いだと、男舐めとんのかワレ。


 第四段階。

 “フハッ。てめえのためにやってねえっつうのトンチキマンボウめ。嬉々とした表情浮かべて、何を勘違いしてんのか知らねえが、きめえんだよ豚があ! ヒャッハハハハハハハハハハハ”

 お前は新鮮でちょっと面白いな。合格。


 という感じ。

 末期に至っては、微塵も萌え要素が無いというか、完全に逆を突き進むキャラの台詞に対し、なぜだか合格を与えてしまう始末。別に綺麗でまとまりのあるものでなくとも、いや、綺麗でなくまとまりがないからこそ、時に人の心をくすぐるということも、ままある。あくまで、それも一要素だが。


 そんなこんなで、俺の目は大分肥えて来た――悪く言えば、感覚が慣らされて来た。最近では、作品の完成度云々より、むしろ目新しさを優先して追い求めている気がする。まあ、人気のある作品には、大抵何かしら目新しい要素が入っているし、その上完成度も高いから文句は無いのだけれど、評価や読者層が小規模な漫画などに関しては、例え似たジャンルで似たような売上の漫画同士でも、より変テコな方を贔屓してしまう。“無難な凡作”より“難解な怪作”を、“まるまった愚作”より“とがった愚作”を、気が付いたら欲している。なんだこれ。病気か? 田塚病か? 真面目に、“田塚チョイス”の影響によるところは大きい気はするが。

 それにしても疲れる。心から楽しめるということが、明らかに減ってきている。本来娯楽であるはずの漫画と小説だが、学校の課題のように、強制されて読んでいるという感覚が芽生えてきている。正直、眠い。物理的に普通に眠い上に、精神的にも非常に眠い。

 今の俺の一日のパターンを簡潔にまとめると、次のようになる。

 朝、起床して飯食ったら、頭を働かせるためにも、すぐに小説を読み始め、キリの良いところで今度は漫画読みに移行し、それを終えたら、次は漫画の簡易な習作を描く作業に入る。この大雑把なサイクルを、アルバイトの時間が来るまで繰り返す。これは、一つの行動に長時間固執することは、“視野の範囲”に対し少し危険を孕むからだそうだが――、一つのことを固執して追うのも勿論メリットはあるし、必要な経験ではあるのだが、今の何某にはとりあえず規定を守れるようになることを吾輩は優先させたいのであるからして、と田塚は補足もしていた。

 で、アルバイトが終わり帰宅すると、就寝前までに、必ず何かしらの文章を書くことも定められている。“何かしらの文章”というのもなかなか曖昧な表現だが、とにかく日記でも小説でもエッセイでもポエムでも、なんでもいいから作文をしろという話。これは、文章力の向上は勿論であるが、それよりも思考力そのものを直接向上させる目的が大きいらしい。ここで言う思考力とは、物事を順序立てて組み立てる力を指していて、いわゆる“国語力”と言い換えてもいいもので、その定型は――概念や事物の枠組みを構成する類の理論全般に言えることであるが――やはり曖昧であり、容易な鍛錬では足りず、ただなんとなく日常を送っていてもなかなか上達しないものらしい。で、作文という行為は、思考や思想、または理屈を構成する行為であり、それはそのまま“思考”の擬似性を持つため、考える力を養うのに打って付けというわけだ。そして根本の思考力が備わっていなければ、面白い発想や整った構成は、まず難しいとのこと。

 インプットとアウトプット。アウトプットとインプット。来る日も来る日も出して入れて出して入れて。おかげで、これだけ短期間の内に、俺の脳内は数ヵ月前に比べて、実に充実している。

 誠にも、定期的に出来上がった習作を披露しているのだが、段々とまともな評価をもらえるようにもなって来た。

 といっても未だ“面白い”の一言は引き出せておらず、着実に自信は失われつつあるのだが――そりゃあ、早々から面白いものが描けるのであれば苦労はしないのだろうけど、それでも、感情的な問題はまた別である。

 知識と技術が蓄積される中、されどフラストレーションも着実に積載され続ける。

 そんな日々。

 そんなある日。

 ついに俺は爆発した。


「ああああああああああああああああああばばばばばばばばああああああ、めえええええええんどくせええええええええええええよおおおっ、あばばばばばばばばばばばばばばひゃひゃひゃひゃひゃ」


 そしてはちきれた俺の、サボりんぐライフが幕を開ける。


◆◇◆◇



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