8話『不気味漫画』
社寺 誠。
俺のかつての仲間――幼馴染の一人である、現役女子大生。
女子大生。見た目は、普通の女子大生。しかしこれがまた、田塚とは別ベクトルで乙な人格なのだ。
田塚は、その奇行癖から目で見てすぐ分かる変人であるが、誠は逆に、その変態性を内に秘めた、目に見えない変人である。まあ、どちらも話してみれば明らかに変人だということは同じなのだが。……思い返してみれば、俺の幼馴染は変人奇人ばかりのような気がするが、なぜだろうか。類は累々するってやつだろうか。
さて。なぜ、そんな社寺 誠を、俺の自作漫画(田塚から貰ったよく分からん道具でよく分からんまま勢いに任せて描き殴った)の批評者に抜擢したかと言うと、まあぶっちゃけ他にいないからである。消去法と妥協の末である。変人は変人だが、やつとは付き合いも深いし、根幹の価値観が捩れているわけではないから、あわよくばまともな評価も貰えるのではないか、という感じ。
それに、こういう口実でもなければ、会いづらいっていうのもあるしな。
「いよぅ、まこと」
そういうわけで、誠家前にて、チャイムを押すなり、インターホンに向かって陽気な挨拶。
『……』
「いよぅ、まこと」
返事が無いのでもう一度陽気を振りまく。
『……』
「ぃいよぅ、まぁこぅとぅ」
陽気さが足りなかったかと思い至り、巻き舌でジャマイカ感(偏見と独断百二十パーセント)をにじませる。
『……』
「ぃいいよおぅ、むぁあくぉおっっとぅおおおお」
これでもかと、もはやスロー再生ばりの粘ついた陽気さ――陽気か? をにじませる。
『……』
返事は無い。なぜだ。まだ足りないのか。まだ満足出来ないのか。よかろう。では見せてしんぜよう。この俺のジャマイカスマッシュ(偏見と独断二百十パーセント。ジャマイカと巻き舌に関連性があるかどうかも知らん)を、その耳にこびり付かせて夜眠れなくしてやるぜ。
俺は鳩胸の膨らみで天を突く勢いで深呼吸をし、インターホンに向かってゆっくり、
「んんんんぅむうううううぁああああああくぅうおおおおおおおお――」「すみません、職務質問よろしいでしょうかあ」「びゃああ!?」
飛び上がった。
「違うんですおまわりさん! これはつい出来心で、別にジャマイカスマッシュであいつの耳を――……って」
「……」
職務質問の声に言い訳がましく振り返ると、眉間を微妙にしかめて首をちょっと引いた位置で相手を観察するという、そいつ――社寺 誠にとってはスタンダードな佇まないで、社寺 誠は立っていた。
「ぃいよぅ、まぁこぅとぅ」
「人の家の前でなにをやっているのですかあ、あなた」
「いや、全然返事がないから、試されているのかと思って。挑んでた」
自分で言っていて意味が分からない。
「というかあ……」
誠は一歩引いて、しげしげと俺とその周辺――周辺? を観察してから、続ける。
「誰ですかあ、あなた」
「誰って。お前の幼馴染だよ」
「……本当ですかあ? 確かに、私のかつてのクラスメイトに、あなた風の変態が紛れていたような気もしますけどお。あなた、本当にあなたですかあ?」
また妙な問答をしてくる。
が、これこそが誠なのだ。常に皆から引いた位置で、常に相手を疑い、探り、訝しみ、五感で感じるもの全てを信じず、己すらも信じず、その己の疑心にさえも疑いを向ける歩く疑心暗鬼――社寺 誠。
何が変人なのかと言うと、“至って平常の精神で疑心暗鬼である”ということ。普通、疑心暗鬼に駆られている人間というのは、鬱病であったり混乱状態であったり、精神に何らかの負荷を負っているものだが、誠の場合、疑心暗鬼でいることが、そもそも素なのだ。
疑心暗鬼とはいうものの、どういうわけか挙動は普通のため、見た目では分からないが、こうして口を開くとたちまち変質性が顔を出す。
「いや俺俺。見ての通りだろ」
「怪しいですねえ。本物ですかねえ。幽霊さんが化けて出てるわけではないですよねえ」
「いや、全然化けてない。幽霊とか超ありえない」
俺は化けてない。現在の俺は化けてない。
「俺は俺だよ。生きた俺だよ。ほら、触ってみろよ、この麗しき肌を。感じろ、幽霊ではありえない、この生き生きとした質感、生々しき触感。ほら、ほらほら遠慮すんな、触れよ、触ってみろよ、ちょっとだけでいいから触れよう、俺を触れよう、お前を触るぞう、むははは」
変質者過ぎる図であることに気付いたのは後からである。
「いやあ、もういいです分かりました。あなたのような変質者はあなた以外有り得ません。なので触れないで下さい、いやほんと近寄らないで下さい、極上にキモいですう」
分かってくれたようだ。
「めちゃめちゃ久しぶりですねえ、グモッツさん」
グモッツは俺のあだ名である。本名ではないのであしからず。
「なんのようですかあ? 私の家の前でジャマイカスマッシュなんてかまして楽しいですかあ」
「お前に用があってさ」
◆◇◆◇
誠家にて。
「マンガカ? はあ」
「そう。俺、漫画家になることにしたから」
「はあ。……はあ?」
「だから俺、漫画家になることにしたから」
「え、ちょっと意味が分からないですう。なんですかマンガカって。新しいスポーツですか。こわ」
「漫画家は漫画家だよ。漫画を描く仕事だよ」
「グモッツさんが漫画家? はあ、……え……それはつまり、どういう魂胆ですか。私の意表を突いてどうするおつもりですか。こわい。貧乏ですよ? 私凄い貧乏ですよ? 隙を突いても金など出ないですよ。……それとも体ですか? 貧相ですよ、私凄い貧相ですよ」
「別にお前の隙を突くつもりはない。突いているつもりもない」
「じゃあ何を突くんですか。どこを突いた冗談ですか」
「別にどこも突いてねえよ。俺だってさあ、別に漫画家になりたくてなるんじゃねえんだよ。でも目覚めちゃったんだよ才能に、仕方ねえの」
「いやあ、本当に意味が分からないですう。意図が見えないですう。こわい。才能とか意味が分からないですう。あなたに才能があったら誰でもエジソンだと思いますう。頭大丈夫ですか? やっぱり偽物のグモッツさんですか?」
「問題無い。俺には才能があるんだよ。本当だっつってんだろ」
「はあ。……ところで、私の好きな食べ物はなんでしょうか」
「エビの殻」
「正解ですう。……やっぱり本物のグモッツさんなんですかねえ?」
「偽物ぶったつもりは一度もない」
「はあ。でも私の知っているグモッツさんは、まかり間違っても自分から漫画に興味を持つような人間では無かったはずなんですけどお。おかしいのは私の記憶でしょうかあなたでしょうか世界でしょうか」
「何もおかしくない。俺、成り行きで漫画家になることにしたから」
「はあ。……ところで、私の誕生日はいつでしょうか」
「八月八日」
「正解ですう」
「認めるか? 俺が本物のグモッツだと」
「いやあ、まだ怪しいですねえ。……では、これならどうでしょう。立て続けに、三秒以内で答えて下さい。答えられなかったら、あなたをグモッツさんとは認めません。成否より、あなたらしい答えを求めます。そうすれば、グモッツさんを装うなにかではなく、本物のグモッツさんだと認めましょう。お題は算数。3×3は?」
「ミサンガ」
「9×9は?」
「小なり小なり」
「ここには?」
「フナムシフナムシ」
「111×111は?」
「裏がない」
「いいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよいいよ、さていくつ?」
「憎むよ」
「戦時日本風の例題を一つ述べて下さい」
「19×32×19+4=11556」
「……」
「……」
「もしかして本物ですかあ?」
「最初からそう言っとろうに」
「ふむう。いいでしょう、認めましょう。あなたを私の知っているグモッツさんと仮定しましょう」
仮定かよ。
「しかし謎ですう。あなたが漫画家になるなどとのたまう日が来るとは。こわい」
「人間色々あるんだよ。お前だって、唐突にメジャーリーガーになりたいとか思う時あるだろ」
「皆無ですう」
「うん。俺もないかなあ」
「謎ですう。こわい」
あからさまに引いている誠。
通常運転だな。俺もこいつも。やはり時が経っても変わらないものは変わらない。
「で、用って言うのはさ。俺の描いた漫画を見てほしいんだよ」
鞄から、汗と手垢と才能の結晶である自作漫画を取り出す。テーブルの向かいに座る誠が身を乗り出し、まじまじと観察してくる。
「はあ。……何でしょうか、この紙束は」
「だから、漫画」
「触れたら汁とか飛び出したりしませんかあ?」
「出るかバカ野郎」
「怪しいですう。このペラペラな部分とか超怪しいですう。こわい」
「逆にペラペラでない部分なんてあんの? 紙に」
「グモッツさん、ちょっと毒見して下さいよお」
「しねえよ」
「毒見してお腹壊したらこれを本物の紙束と認めましょう」
「そりゃ壊すだろうけど」
相変わらず面倒くさい。
やきもきしてきたので、俺は漫画を自分でペラペラと捲り、安全確認をする。
「ほら見てみ、トラップなんか何もねえだろ」
そもそも危険性を疑う必要が無いのだが。
「いやあ、百歩譲って紙自体に危険が無いとして、しかし明らかに呪いの類としか思えない、人間の精神を確実に抉ってくる絵が見えたんですけれどお……こわい」
「いいところに気がついたな、誠。まさしくその通り、これこそが俺のスタイル。不気味漫画さ」
「うっわ……え、あの、冗談でなくおっしゃっているのなら、その……うっわ。……本気でこわい」
「そうだろ。田塚から教わった“最初にインパクトを与えて印象を残す手法はエンターテイメントの鉄板”という論に乗っ取って、俺なりに考えた結果なんだぜ。こわいだろ、不気味漫画。残るだろ、印象に」
「いやあ、私はどちらかと言うと、これだけエゲツナイ絵をこれだけの分量描いたあなたに恐怖を抱いているのですけれどねえ。ほんこわ」
誠は昔から大げさなやつである。
「疑心暗鬼を性質とする私でなくとも普通に引くと思いますよお」
「えー。でも印象には残るじゃん」
「はあ。印象には残るんですけれど……お金と時間を消費してまで、こんなもの記憶に残したくないですう。なんなんですか不気味漫画って。新ジャンル開拓とかそういう話以前に、ただただ薄気味悪いですう。燃やしていいですか?」
「だめ」
「いやあ、でもこれは供養しないと、この先の人生が不安なんですけれどお。絶対呪われますよお、これ」
「えー、そこまでか? そこまでのものを俺は生み出してしまったというの?」
「なんで本人があまり自覚無いのでしょうかあ」
「実を言うと、自分でも驚くぐらい夢中になってたから、描いている途中の意識が薄かった。でも“インパクト! インパクト!”って頭の中で小さな俺が叫んでたのは、よく覚えている」
「あなた、つかれてるんじゃないですか。敢えて字は変換せずに、というニュアンスでえ」
「まあまあ、そう疑心暗鬼になるなって。とりあえず読んでみろって。面白いかも知れないじゃん、奇跡的に。この天才が保証――保証? 保証する」
「奇跡が起きないと面白くない漫画を描いた自覚がありつつ天才を自負する精神がこわいですう」
「いいから読め。ちょっと不安になってきちゃうだろ。読むまで居座り続けるから。通報しても、いずれ舞い戻ってくるから」
「いよいよ言動が犯罪者じみてますねえ、グモッツさん……そこまで言うなら読みますけれどお」
思い切りしかめっ面で、危険物でも取り扱うような慎重さでもって、誠は漫画のページを捲る。と、さらに表情が渋くなる。目を動かす。捲る。目を動かす。捲る。みるみる誠の顔色に影が差す。
しばらくして、パタン。
「不気味!!」
そこまで感情を込めて言われると、不気味漫画冥利に尽きるというものだ。
「何ですかあ、これ!? 絵はもとより、中身が想像だにしない不気味さなんですけれど!? え、これ本当に呪いの類ですよねえ、私を呪い殺す魂胆なんでしょう、そうでしょう、違うとは言わせないですよ!?」
「落ち着け落ち着け。そんなに人を疑ってばかりいて楽しいか?」
「こればっかりは悪くないような気がするのでけれど私。……こわい」
しかし、思っていた以上に効果覿面だな。ここまで相手を不快にさせるのであれば、これはこれで、胸を張って、そういう方面の才能があると言ってもいいんじゃないのか。
「いえいえいえ、これ才能じゃないですう。災能ですう」
「天才か?」
「纏災ですう」
「そう? 照れるなあ。漫画界に一石を投じれるかなあ」
「投じれはするでしょうけれど。是非控えて下さい」
「ふはは、そんなに凄いのか俺の才能は。どれどれ、一体どれだけ不気味な内容だったかな――――」
……。
これ、は。
………………。
「ごめん誠。俺が悪かった。投じるのは、よそう。まだ見ぬ誰かのために」
「冷静になりましたかあ。いい子です」
◆◇◆◇