6話『読書』
“漫画と本を毎日読むこと。
漫画を毎日描くこと。
文章を毎日書くこと。
定期的に我輩の元に成果を報告すること。
不定期で我輩の講座を受けること。
出来上がった漫画を、必ず誰かに見せること。”
「俺さんよ」
「何だ?」
「投げ出して、いいかな。もういいと思うんだ。十分頑張ったと思うんだ。これ以上、俺に何を求めるってんだよ! もう無理だ、もうやってられるかこんなこと! 大体無茶苦茶過ぎるんだよ、毎日毎日読んでは描いて読んでは書いて、仕事から帰ったらまた読んでは描いて読んでは書いて、サボるといけないから期限まで設けやがって、普通に考えたらできるわけがないだろ、こんなに色々いっぺんに言われて、元々取り立てて漫画が好きなわけでも漫画家に成りたいわけでもないのに、お前もあいつも勝手なことばかりいいやがって! 俺の自由はどこへいった!」
「お前……まだ一日目だろうが。昨日、帰ってタヅカ伝説読み終わって、寝て起きたばかりだろうが。頑張ったもクソもあるか」
「ちっ。バレたか」
勢いで既成事実をでっち上げた風を装えば、なんだかんだで何とかなるんじゃないかと思ったが、気のせいだった。
「まあ、そう身構えるなよ、俺。課題は多いと言っても、漫画読んで本読んで、ちゃちゃっと絵描きして作文すればいいだけだろ。漫画家修行だかなんだか知らないが、見方を変えれば、どれも娯楽の一つみたいなもんだろ。まずはほら、これ読んでみろよ、薄くて読みやすそうだろ。さっきお前が寝てる間に目通してみたら、思いの外面白い上にパラパラ読めて、気が付いたら読破してた」
「俺はね! 三行読むと! 爆ぜるんだ!」
「短歌風に抗議しても全然納得出来ねえから、いいから読んでみろ」
「えー。いやでも、それ本でしょ。やだよ本。めんどくさいよ眠いよ。漫画家目指すのになんで本なんか読むのん? 何で読書という名の拷問に耐えなきゃならんの? マゾなのプレイなの? 大人しく、そっちの漫画から読もうぜ読ませろ」
「おいおい、そんな最初から偏見持つもんじゃないぞ。いいから読め、マジ面白いから、これガチだから、絶対お前もハマるから、世界観変わるから、騙されたと思って、ほら、一ページだけでもいいから、試しに、読んでみろ、五分だけでいいから、お前これ知らないって人生の損失だから」
「ちょ、俺さん、どうした? 大丈夫か、あんたそんなに読書好きだったか、俺の知る限り国語の時間を睡眠時間に数えていた人間だろ」
「違うんだよ、俺。俺が間違ってたんだよ、俺。世の中にはびっくりするぐらい読みやすくて分かり易くて面白い本があるんだ、読み易すぎて面白すぎて、ページ捲る動作が音速に達しちゃうような魔法の本なんだよこれは」
「うそん」
そんな馬鹿なと思いつつ、押し付けられた本を手にとってみる。文庫本だろうか、確かにコンパクトで薄くて読みやすそうだ。何より印象的なのは、その表紙。俺のイメージとしてある“本はこういう装丁”という概念から別位相にまで外れていた。なんと、俺さんに勧められた本の表紙には、漫画調の、とても可愛らしい女の子の絵が鎮座ましましていた。
「この子誰?」
「ハルコちゃんだ」
「ハルコちゃんって誰?」
「女子高生だ。でも自律思考型アンドロイドなんだ。本人にその自覚は無い。自分のことを至って普通の人間だと思って暮らしている。ハルコちゃんは日常に飽き飽きしていて、常日頃から面白いことを求めて色んな事件を起こしている。変人で名を馳せているが、友達はいない」
「そんな人間、現実に居るわけないじゃん」
「現実に居られないから空想の世界に居るんだろ」
「まあ確かに」
ハルコちゃんの突拍子の無いプロフィールについ苦言してしまったが、しかし、漫画も小説も同じ創作物なのだから、別に非現実的でブッ飛んだ設定でも、別に悪くはないだろう。国語の授業でしかまともに小説に触れたことのない、無知な俺には、小説は固くて小難しくて理路整然としたものであるという凝り固まったフィルターが掛けられているのだ。
「分かったよ、俺さんがそこまで言うなら読んでやるよ、今。もしつまらなかったら、即そっちの漫画渡してもらうから」
「おう」
渋々肯定する。
一ページ目を開く。
『私はハルコ。普通の人間。
最近、たまにオイル臭い体液がどこからともなく滲み出てきたりして困っているの。
これが噂に聞く生理なのかな、随分遅いなと思っていたから不安だったけど、これで安心ね。
でも、この話をお父さんに話したら、なぜか泣かれてしまった。
残り二週間か、とか呟いていたけれど。
意味が分からない。
そうそう、最近と言えば、妙にネジやナットが美味しそうに見える時があるの。
これもお父さんに話したら、また泣かれてしまって、部品不足がそこまで深刻になって来ているのかとか呟いていた。
意味が分からない。
けれど、そんな、どこの家庭にでもあるありふれた日常なんて、私はどうでもいいの。
私はこんな普通の私なんか嫌いなんだ。
当たり障りの無い世界に飽き飽きしているんだ。
宇宙人も未来人も超能力者も異世界人も自律思考型アンドロイドもいない、こんなつまらない世界、いっそ消えて無くなってしまえばいいのに。』
「これ、ハルコ寿命間近じゃね?」
「さあ、どうだろうな。ふふふふふ」
なんだその意味深な笑い方。うぜえ。
斜め後ろで俺を観察しながらニヤニヤしている俺さんに居心地の悪さを感じながらも、ページを捲る。
ふむふむ。
確かに読みやすい。読みやすいというか、凄い改稿の量だな。句点と改稿の数があまり変わらない。
しかし読みやすいというのは確かだ。するすると内容が頭に入ってくる。
どんどんページを捲る。
ぺらぺら。
ぺらぺらぺら。
お、おお? え、ヤバくないかこれ。ハルコちゃんが字倉君に殺されそうになってる。ていうか字倉君、宇宙人だったのか。先に言えよ、びっくりしちゃうだろ。こら字倉、勝手に触手伸ばしてんじゃねえよ、誰の許可とって伸ばしてんだよ。
おお、長斗さんが助けに来た。というか君も宇宙人だったのか。何で皆先に言わないんだよ、びっくりしちゃうだろ。というか君も出せるのか触手。俺も練習したら出せるかな。
ぺぺらぺらぺら、
ぺららぺらら、
え、おい、お前、超能力者だったのか。コズミック五木、超能力者だったのか。確かにこいつだけ異彩を放ってたからな、名前からして。何かありそだなとは思ってたけど。
大丈夫か、手から超巨大熱々たこ焼きなんか出して大丈夫なのかコズミック五木。いや違うから、コズミック、誰もお前の心配とかしてないから、そんな巨大な熱々たこ焼き無造作に撒き散らしたら、周りの被害が尋常じゃないだろ、家屋がたこ焼き臭くなるだろ、あーあ、ほら言わんこっちゃない、お前のせいで巨人がたこ焼きまみれに。
ぺらぺららぺら、
ぺらっちょぺらっちょ、
そんな……俺は、君だけは信じていたんだぞ、夜比奈さん。君だけは普通の人間だと。まさか過去人だったなんて。道理で語尾に御座候とか付けてると思ったら。ていうかなんで過去なんだよ。なんで過去にタイムマッシーンがあるんだよ。
え、イス人? 夜比奈さんイス人なのか。なにそれ、椅子好きの国の民? 違う? 人類が生まれるはるか昔に存在していた超古代文明? で、人類の未来よりも遥かに発達した超科学文明? そこからやって来たで御座候?
御座候は時代劇の影響で御座候?
ふざけんな!
ぺらんむぺらんむ、
ぺらっぺらぺらりんこ、
う、嘘だろ……。
ハルコちゃん、君だけは俺を裏切らないと思っていたのに……お前だけ普通の人間かい!
何だったんだよ、あのマッドサイエンティスト的父親は、何だったんだよ、これまでの盛大なアンドロイドアピールは。無意味にネジやナットの前で涎垂らしたりするんじゃねえよ、無秩序にオイル関連の豆知識挟んでくるんじゃねえよ、ウィーンウィーンとか適当に口ずさむんじゃねえよ、本当にアンドロイドだと思ってたわ。ていうか、これを見越して嘘付いてたんだな、俺さんは。
え? ちょちょちょ、おま。どうしたハルコちゃん。何言ってんの、この世界を消すとか、何言い始めちゃってんの。
こら、危ないだろ、無闇にいっぱい巨人を呼び出したら。こらこらハルコちゃん、巨人に変なこと吹聴するんじゃありませんっ、信じちゃうでしょ、彼ら純粋なんだから。こらこらこら、巨人も簡単に人の言うこと鵜呑みにするもんじゃありませんっ、考えれば分かるだろ、人に向かって殲滅砲発射しちゃいけないことぐらい、街並みがさっぱりしちゃうほどの威力を人に向けるなよ、どこか公園で遊んで来なさいよ。
ぺれっらぺれりぺられ、
ぺらぺらぺら、
う、うおおおおおおおおお!!
えええええええええ!!?
マジで!? キョヌ男、お前が真の主人公かよ、ただのハルコちゃんのストーカーじゃなかったのかよ、そしてどんだけミラクルなタイミングで伏線回収しまくってんだよ、ていうかアンドロイドアピールの全てが別々の伏線かよ、さらにハルコちゃん、普通の人間は普通の人間でも全事象の軸に位置する普通の人間って、つまりどういうことなんだってばよ、すげえなおい!
ぺららららららららら、
ぺらぺらぺら
ぺら、ぺら……、
パタン。
「……」
読み終わった。
読み終わっちまったぜ。
「どうだった?」
「か――――神!」
咄嗟に出た言葉はその一言だけだった。そしてその一言が、この作品のクオリティの高さ、完成度の高さ、面白さ、満足感を物語っていた。
「これ神作品過ぎるだろ俺さん! この『安泥目田ハルコの鬱憤』」
本の題名を高々に告げる。
「一見、冗談のような設定を闇鍋のごとく不用意にぶちこんだ怪作品かと思いきや、それぞれの要素がリアリティある心理描写とそれに相反するデタラメな設定のギャップを伴いながら進行し、次第に一つの指向性を持ち始め、思わず唸ってしまうような結末にまとまる、と見せ掛けて、あらゆる読者とキャラクターの思惑を裏切り、前代未聞の超ウルトラC的ラストを迎えるなんて」
細かい書評を述べようとすると、自分の舌の足らなさに言い知れぬもどかしさを感じてしまう。俺などでは役不足だ。
「コミック版もあるぞ」
感動冷めやらぬ内に、ここぞとばかりに俺さんが『安泥目田ハルコの鬱憤』のコミック版を、スと差し出す。
俺はそれを音速の動作で読破する。
文章単独とはまた違った、視覚描写による人物像や状況を認識することにより統解度がより鮮明に刷新され、俺の中にある『安泥目田ハルコの鬱憤』ワールドが深みを増す。
「ふーむ。漫画としても自然に成立するのかあ」
「まあ、それはコミカライズした漫画家の手腕もあるんだろうが」
「他にも無いの? “こういう類い”の小説」
ちなみに、これは後から田塚から教えてもらったことだが、“こういう類い”の小説のことを、総称してライトノベルというらしい。意味はそのまま、軽い小説というニュアンスで、俺のように普段小説を読まない若輩ユーザーでも楽しめるようにと配慮されていて、“軽く簡単明快”が売りとのこと。中には軽くも簡単でも明快でもない、内容も外観も重厚長大なライトノベルの名に相応しくないライトノベルもあるにはあるようだが、『安泥目田ハルコの鬱憤』はライトノベルらしいライトノベルで、中でも選りすぐりの代表作の一つだと言う。
「まだまだあるっぽいぞ、“そういう類い”の小説。と言うか、『安泥目田ハルコの鬱憤』の続巻が十まである」
「嘘!? この世はでっかい宝島か! 寄越せ!」
「ダメ。二巻は今俺が読んでるんだ。お前はそっちの、妙に趣のあるなんだかよく分からん漫画でも読んでろ」
俺さんが卓袱台の上に乱雑に積まれた読み物の一つ、『火の鶏』を示す。
「えー。やだよ、こんな、よく分からん趣のちょっと古風な漫画、全然興味湧かねえよ、いいから俺のハルコちゃんを返せ」
「嫌だ。これは俺のハルコちゃんだ」
言って、『安泥目田ハルコの鬱憤』二巻を持って、天井近くまで浮遊する未来の俺。小賢しいな幽体。
「くそ、こうなったら、この『火の鶏』をビックリするぐらい堪能してやるもんね、舐めるように堪能するもんね」
俺は意地になり、微塵も食指がそそらない、妙な趣の漫画『火の鶏』を手に取る。
うっわ、本当に全くこれっぽっちも面白そうじゃない。舐めるように堪能するとは言ったものの、これを楽しそうに読む自分の姿が想像出来ない。大体なんだ、火の鶏って。英名はフライドチキンだろうか。
もそもそと乗らない気のまま『火の鶏』のページを捲る。
――数時間後。
読み終えた十数冊の漫画『火の鶏』を前に、俺は世界を囲う真の法に浸っていた。
口が徒然なるままに叡言を洩らす。
「常世は意など介さぬ。意のみが常世を介す。粒子も概念も総て定律の様態に下る。万物の異などマクロとミクロの差なり。自然なるは白にあらず、色によるは我らが眼のみ」
「ど、どうした過去の俺、ちょっと田塚みたいなこと言ってるぞ」
「それは嫌!」
未来の俺の一言必殺により、俺は我を取り戻す。
「や、ヤバかった、意識が何かの位相の境を遊覧してた、ありがとう俺さん」
「どうした、お前の意識を何が襲ったというんだ」
「これ」
『火の鶏』一巻を差し出す。
「読めば分かる。徒然なる世を全力で投じてくる名作だぜ」
「意味が分からん」
俺も言ってて意味分からん。
「けど、これが世に名を残す傑作だと言うことは確かだった。妙な趣ってだけで誤解してたかつての俺を塵殺したい」
「それほどのものなのか」
そして数時間後、案の定、未来の俺も同じく、悟りを開いた気分でそれ風な戯言をぬかすのだった。
◆◇◆◇
いや、あの……ごめんなさい。
例の名作をコケにしたいわけではないのです。むしろ超リスペクトした結果なのです。リスペクトしたものを悪ふざけの対象にしたくなっちゃう病なんです。好きな子にちょっかい出したくなる年頃なんです。
さて、しばらく更新が滞っていましたが、まあ、最後まで書き続ける所存ではあります。ただ、未来の自分ほど裏切りに長けた敵も稀ですので、どうなることやら。
それでは、また会えることを祈ってます。