血の伯爵夫人の独白
初めて彼女の存在を知ったのは、まだ幼い少女時代だ。
血と恐怖と闇と。
そして死に彩られた彼女の生涯は、幼い私の心に強い印象を刻みこんだ。
真紅と闇色に満ちた彼女の存在は、私を酷く魅了した。
幼いながら自分で知りうる限りの情報を集めた。
小学校の図書室詣でから始まり、住んでいる町の図書館、行動範囲内の本屋や古本屋めぐり。
古い少女漫画から、悪女と名高い彼女の生涯を扱った歴史小説まで。
彼女について調べるだけ調べ、知識として蓄えた。
何年もかけて貯めたお年玉貯金でノートPCを買った。
もちろんインターネットで彼女のことを調べるために、だ。
成長して彼女を知るごとに、私は彼女になりたいと思うようになった。
中学生のころは、彼女に成りきって文化祭で独り芝居を演じた。
独りよがりの芝居は不評だった。
とことん不評だった。
ごめんなさい、今の私はあなたになれません。ごめんなさい。
遠い過去に生きた彼女に、心のそこから謝った。
貴女になりきるには、私は力が足りない。
圧倒的に足りない。
海よりも深く反省した私は、彼女になりきるためと演劇の道に足を踏み入れた。
それから十数年。
現在は、迫真の演技をする舞台女優ナンバーワンと評価されている。
…私の演劇人生は、彼女とともにあったといえるだろう。
※
冬枯れの荒野に、冷たい風が吹き荒れていた。
地面から巻き上がり枯葉や土ぼこりを供として、小さな竜巻がいくつも通り過ぎてゆく。
轟々と大気を切り裂き、私の周りをふきぬけてゆく。
乱れた髪をまとめなおし、私は遠くの廃城をみつめた。
やっと。
私はここにたどり着いた。
彼女が生きた大地へと。
風の吹きすさぶ荒野へと。
かつては、この風の荒れ狂う荒野も肥沃な大地だったという。
あの見る影もない城も、かつては多くの人々が住まう賑やかな城であったという。
最後の城主であった女伯爵が、自分の若さと美貌を保つため若い娘の生き血を求めた。
その数、数百人。
彼女の使用人たちが、近隣の村や町から平民の犠牲者を集めた。
哀れな彼女らを拷問にかけ、女主人の要望にこたえた。
村も町も荒れ果て、若い娘の姿を見ることはなくなった。
それでも、女伯爵の若い娘の生き血に対する欲望は衰えることがなかった。
ついには、貴族の娘にまで手を出し始めた。
それが女伯爵一味の命取りとなり、使用人は全員、その身をもって罪を購った。
女伯爵は、死ぬよりも辛い結果となった。
搭の部屋に幽閉され、窓も扉も全て封じられた。
生きたまま埋葬されたようなものだ。
女伯爵は死ぬまでの3年間、暗闇の中で生き抜いた。
彼女の名は、エリザベート・バートリー。
「血の伯爵夫人」として名高い、稀代の悪女と呼ばれている。
※
*
なんじゃと、なんと無礼な!
吾をエリザベート・バートリーなどと、野蛮な国の言葉で呼ぶでない。
吾は誇り高き、マジャールの青き血の末裔じゃ。
バートリ・エルジェベトと呼ばぬか。
よいか。
エリザベートではなく、エルジェベトじゃ!
誇り高き青き血の一族、バートリの末裔ぞ。
このチェイテの城の女主人ぞ。
……。
ほほっ、こんなことを申しても誰も吾の言葉を聞かぬわな。
誰も彼も、吾の死を待っておるのじゃから。
日にただ一度、この小さき窓から、食事が差し入れられるだけ。
窓も扉も、全て、隙間なく塗りこめられておる。
陽の光も、月の光も、星の光さえ吾の目には届かぬ。
食事といっしょに差し入れられる、一本の蝋燭だけが。
唯一の慰めじゃ。
誰も吾に声をかけぬ。
吾は生きながら死人として遇されておる。
吾が罪多き女だからじゃそうな。
それならば、吾の命を奪えばよい!
このように、暗闇の中に閉じ込めて、まるで亡き者として遇するならば、それならば!
いっそ吾を殺せばよいのじゃ。
そうする勇気もない、下界の愚かな者どもよ。
全て呪われるがよいわ。
吾が死んだら、吾の財産を、全て自分達の手にするつもりじゃろう。
それぐらい、吾にわからぬと思うてか。
吾は自らの手で死を選んだりせぬぞ。
自害などしたら、神の御許には往けぬからのう。
愚かな者たちの思い通りになってなぞやらぬ。
吾がどんな罪を犯したというのじゃ。
下賎の者どもの血を、少々絞っただけではないか。
あの者どもの血は、高貴なる吾の青き血の中で、吾の若さと美しさの贄として永遠に生きるのじゃ。
感謝されこそすれ、恨まれる事なぞありはせぬ。
そんなことも解らぬ愚かな、欲に目の眩んだ者どもよ。
吾は許さぬ、御前達を許しはせぬぞ。
※
血を吐くような貴女の言葉を聴いたような気がした。
荒れ狂う風の音に混じって、貴女の狂笑が聞こえたように思えた。
禍々しい廃城の、崩れかけた搭。
彼女はあそこに今も居るのだろうか。
ぞくりと背中に走る寒気を感じながら、私はいつまでもその搭を見つめ続けた。
やっと、私はあなになりきれそうだ。
はるばるマジャール人の国ハンガリーの、古びた廃城を訪ねてよかった。
私がバートリ・エルジェべトの役を舞台で演じたのは、この旅行の数ヶ月後の事だ。




