第六十話 隙間
「海は穏やかに見えても、決して止まっていない。
凪いでいようとも、海中では激流が動いているのだ。
日常であろうとも、同じだ。
人間一人が見えるモノに、全てが含まれている事などありえないさ」
ある老人の警句より
宿場町であるアウストの一角。具体的には宿屋の食堂で、ユーリ達四人組は昼食をとっていた。
ただしそのペースはひどく緩慢である。
別にこの宿の食事は別段不満の聞こえてこない十分に美味な代物なのだが、四人はフォークやスプーンをゆっくりだらだらと動かしている。
周囲に人はいないのだが、時折通りかかる給仕の女性は、その様子に首を捻っていた。
彼らはここに逗留してもう長いので、とっくの昔に顔見知りであり、すでに家族染みたところまで来ているのだ。
それなのに今の彼等は、明らかにおかしい。
声をかけても反応はするのだが、心ココにあらずという雰囲気で、会話も長続きしない。
大体あのユーリが黙りこくっていると言うのが、特に異常に感じられる。
原因不明の珍事に頭を捻りつつ、彼女はその場を立ち去った。
「アイツらは一体なんなんだ?」
一体何度目になるか分からない疑問を口にするユーリに、センガイは同じく全く変わらない返答を返す。
「分からん。大体あれから三日も経ってるんだぞ。もう考えるだけ無駄に思えてきた。あんなとんでもない力を持っている奴なんて、見た事も聞いた事も無い」
「そうよねぇ。あのエルフもダークエルフも、はっきり言って滅茶苦茶だったわよ」
そう呟くソウラを横目に、セッカは別な考えに浸っていた。
(いや。言っちゃ何だが、あの二人はそれほど奇異じゃない。エルフなら別段おかしくはないんだ。問題はあの男の方だな)
脳内で先日の信じられない光景を再生しながら、一つ一つ検証していく。
何よりも異常だったのは、彼の身体能力だろう。
セッカは仲間内では、ポジションとしては斥候を勤めている。
だからこそ洸の動きが、どう考えても人間離れしている事に気付いていた。
(俺のような斥候職は、動きは素早くともどうしても直接的な攻撃力は戦士系に劣るもんだ。だがアイツはさほど筋肉質ではないのに、あの速さと攻撃力を両立させている。どういう事なんだ?)
普通はこの二つを並び立たせるには、何か特殊な武道を修めた拳法家でなければ不可能なのだ。
ただその分彼らは、素手か金属製の爪を付けた手甲のような、軽量で動きを阻害しない武器を使う。
なのに洸は大振りな物ではなくともナイフを使用していた。
ついでに言うと、少なくとも素手で何かしていた様子は一切無い。
(どう考えても道理に合わないな)
セッカはもう何度も考えては辿り着く結論に、内心で溜息を吐いた。
(それに皆には話していないが、もう一つあるんだよな)
実は彼はあの現場に着いた後、仲間と別れて周囲の偵察を行っていた。
単純且つ簡単なモノではあったが、その事自体を忘却していなかったあたり、チームの頭脳役としては合格である。
だが見回っていた際に、別の意味で奇妙な物を発見する事となってしまう。
全体から見れば極小数なのだが、訳の分からない死に方をしているゴブリンを発見したのだ。
体のあちこちに小さな穴が開き、そこから出血もしていた。
一つ一つは致命傷にはならないが、それなりに多数であればまず確実に生きてはいられない程のものである。
中には額のど真ん中に一つだけという死体もあった。
「あれなら一撃で終わりだな」
「んっ? 何だ? セッカ」
つい漏らした一言をセンガイに聞かれて、セッカは曖昧に首を振った。
自分の考えている事を仲間に話しても、更なる混乱を招くだけだと分かっていたからである。
ユーリもセンガイもソウラも決して頭が悪い訳では無いのだが、チームで最も頭脳派の自分にも説明出来ない事が、彼らに分かることは思えない。
「考え過ぎても仕方が無いわね。あいつらと余り関わりあいを持たない方が良いと思うわ。助力を得られれば心強いけど、絶対に碌でもない事に巻き込まれそうだし」
ソウラの独り言に近い台詞に、男三人は大きく頷いた。
洸達の存在は余りにも不気味であり、なるべく接触したくないというのは極めて常識的な判断でもある。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
そう決意したパーティーを嘲笑うかのように、運命は歯車を回し続けていた。
その頃洸達が何をやっていたかと言うと……相も変わらずチマチマと仕事に精を出していた。
リーアは王都に居た時と同じく、インフラ系の問題解決役として、あちこちに顔を出している。
お陰で住民達に非常に人気があり、特に影の支配者である奥様方に受けが良い。
この為、その美貌に魅かれた男共も、おいそれと手が出せない存在に成りつつあった。
ローザは以前は組織のトップだった経験を生かして、表裏を問わぬ交渉役を引き受ける事が多い。
ちょっとした喧嘩の仲裁から、裏組織同士の利権調整まで、その内容は雑多を極めている。
勿論中には、その肉体と美貌に魅かれて、邪な欲望を抱く物も当然居る。
ただしこの場合は、どうにも相手が悪過ぎた。
元とはいえ暗殺組織の長であり、精霊魔法を駆使するダークエルフなのだ。
よって何もしなければ円満に解決した筈なのに、気が付いた時にはそれなりの規模の組織や商家が倒れていたという事態が数件起きていた。
今はこの事が知れ渡っているのでそんな不心得者は出ていないが、矢張り愛人契約を持ち掛けられるような事は、偶にだがある。
しかしローザはそんな物は鼻であしらい続けており、裏世界で色んな意味で名を売りつつあった。
そして洸はといえば、えらく地味に冒険者として稼いでいた。
月光草を始めとしたとした薬草の採取。偶にだがある討伐依頼。重要書類の配達といった雑用依頼まで。
それなりに代わり映えのしない依頼ばかり受けているのに、数日でアウストでも妙に有名になってしまっている。
ただその理由は、先日の大発生の件が漏れたからではない。
連れの二人の所為である。
大変な美女を二人も連れていれば、噂にならない方がおかしいだろう。
その為か路地裏に多人数で連れ込まれる事が、最初はかなりあった。
ただしそいつ等がどうなったかというと…………、まぁ、そういう事である。
全員が死にこそしなかったが、それなりに怪我を負い、これでもかとばかりに脅しつけられた。
当然すぐにその場を動けず、妙なうめき声を聞いた通行人が気付いて大騒ぎになった。
しかし理由が判明すると、治安局も一般人も余りの馬鹿馬鹿しさに呆れてしまい、その後も何度か起こった似たような事件に、誰も興味を示さなくなってしまう。
洸も最初こそ注意は受けたが、それ以降は別に何も言われなくなってしまった。
それどころか同情するような視線と言葉を掛けられ、少し微妙な心境に陥ってしまう。
こんな事件こそ起こりはしたが、その他は何事も無く日々を過ごしていた。
それでも厄介な案件は何時だって不意に訪れるモノなのだった。
「ふぅ、やっぱり一軒家だと、精神的に楽ね」
ソファにだらしなく寝そべっているローザの一言に、リーアが同意する。
「ええ。宿だとどうしても他人の目がありますしね。色々と不躾な事もありますし」
「ホントね。さほど値の張る宿じゃなかったけど、いきなり部屋に押し込まれそうになるなんて冗談じゃ無いわ。しかもあの店員、右往左往するどころかよくある事ですのでとかぬかしたのよ。頭にくるったらありゃしないわね」
思い出したら怒りが再燃したらしいローザの声を聞いて、洸は苦笑しつつも一応のフォローをする。
「まあ仕方が無いさ。相手が大金持ちのお得意様ではね。しかもボンボンとその取り巻きだからなぁ。アッチとしてもあまり無碍にも出来ないんだろう」
しかし女性二人は、全く容赦が無かった。
「それは酷すぎる言い訳です。私はそんな宿に泊まりたくありません」
「同感ね。大体ワタシが欲しいなら、堂々と口説いてみせればよいのよ。暴力で女をモノにしようだなんてのは、自分に自身の無い下種のやり口よ」
洸は降参とばかりに両手を上げる。確かに全く反論の出来ない論理だった。
ちなみにここは外観も中身も普通の一軒家である。
話に出てきた騒動の後、宿を引き払った一行は、リーアの伝手でここを借りたのだった。
ある老夫婦の息子一家の家で、その息子が仕事の都合で何年か別の都市に行っているため留守になっていたのを借り受けたのである。
リーアに世話になった夫婦が調度良いとばかりに格安で貸してくれた物件であり、洸達も渡りに船とばかりにその好意を受ける事にしたのだった。
「うん、今後は宿屋じゃなくこういう家を借りた方が良いかな? 言っちゃ何だが、今回みたいな事が今後も起こり得ると思うし」
「そうですね。その方が賢明だと思います」
「ワタシもそう思うわ。お金に困ってる訳では無いし、安全を金で買えるのなら、出し惜しみするべきじゃないわ」
意見の一致を見たところで、三人はそれぞれ動き出す。
洸は本日担当の室内の掃除。リーアは食事の準備。ローザは担当の買い物は既に済ませたので、そのまま寝転がっているが。
一般人としては兎も角、冒険者としては普通の日常と言うべき情景ではあった。
ただし双方共に意図していない事態は、音も無く確実に近付きつつあった。
ある意味でそれなりにその存在が有名になっていたが故の、必然でもあったのかもしれない。
この二組のパーティーの歩む道は、妙な所で再び交錯する事となるのである。
一応は日常回なので、話が相変わらず進みません。
次回は進み始めますが、その分説明回にもなる予定です。
舞台である公国の説明もする必要が出てくる為です。
感想は随時受け付けております。
今回が2015年最後の更新となります。
今年も本作をお読み頂いた読者の皆様に、心からお礼を申し上げます。
来年もanother realをお楽しみいただければ幸いです。