第四十九話 離別
「苦境は友を敵に変える」
ガイウス・ユリウス・カエサル
怒涛の様な変化が「マナの子等」を襲っていた。
次々と網に掛かった魚の様に捕らえられていく構成員たちと、恐ろしい勢いで減り続ける組織の資産。
どちらもセグスト達の必死の補強を嘲笑うかのような調子で、彼らの牙城を崩していく。
それはまるで繰り返し波を受け続ける砂浜の城の様だった。
構成員達はそれでも組織を保たせようと、我武者羅に足掻いた。
しかし全ては徒労以外の何物でもなかった。
どれほど私財を注ぎ込もうと資金の流出は止まらず、官憲の手はゆっくりと確実に端から構成員を捕らえていった。
こうなってしまえば、どれほどの私財を持つ者であっても、取り得る手段は磨り減っていく。
それは堤防の穴を塞ぐのに、岩石や土嚢ではなく砂や小石を使おうとするようなやり口とでも言うべきか?
そして徐々に趨勢は明らかになっていく。
ある日、勧誘に行った構成員がその場で勧誘対象の魔導師に捕まり、そのまま治安局に引き渡されると言う喜劇が引き起こされたからである。
これには残された者達の間に、深刻な絶望感を抱かせるには十分だった。
それ以来組織は人員の補充など夢物語と化した現実を、ただ無気力に見続ける事しか出来なくなっていた。
資金面でも同様だった。
締め付けが更に厳しくなり、既に裏家業の者ですら組織に金銭的援助をしようとしない。
当然の事ながら、表の世界における金貸し達はとっくの昔に組織を見限っていた。
これまで少しばかりであろうと金を貸してくれた者達は、沈没船から逃げ出す鼠の如く組織との繋がりを断って行った。
まあ、彼等の心情も商売人としては当然であろう。
金を貸す事自体はひどく簡単な事であるが、その貸した分を回収する事が何時の時代も難しいのだ。
つまり今の組織に金を貸す事は、どう考えても溝に金を捨てるのと同義である。
利に聡い商人達の中でもその点に関して最も明敏な感覚を持っているのが金貸しであり、そうであるからにはその点を見誤る事など有り得なかった。
かくて火の車などという表現が生易しく思える程の状況に組織は陥りつつある。
既に崩壊は誰の目にも明らかになりつつあるが、他の事例と同じく一番にそれを示したのは金銭の問題であった。
だが常に諦めの悪い者は存在する。
特に組織のトップである者は、諦めの悪さが美徳にも成り得る。
しかし闇雲にただ組織の維持に奔走しているようでは、組織の長は務まらない。冷静さを失ったトップなど、害悪以外の何者でもない。そしてそれは組織の内外を全く問わない。
「なぁ、頼むよ、ビーン。俺とお前の仲じゃないか。大々的に協力してくれ」
「…………」
夕暮れに染まり始めた街の一角にある住宅の一室で、会話が交わされている。
ただし会話と言うには、事の始めから成り立っていなかった。
威勢良くと言うかどうにも金を借りに来たようには見えないセグストに対して、ビーンと呼ばれた恰幅の良い同年代らしき男は無言だったからである。
ビーン・スーク。
キアドラで最も規模が大きく歴史の長いスーク商会の跡取りである。
ただ跡取りとは言っても、父親である現会頭は殆ど引退しているような状態であり、実際に商会を動かしているのはビーンであった。
その父親もそろそろ完全に引退する事を決意しており、名実共に会頭となるのも近いとされている。
清濁併せ呑む正にやり手の商人として、周囲の信望と敬意を集める人物である。
では何故そんな大物が、潰れかけた秘密組織の頭目と会談しているかと言うと。
「ガキの頃から一緒に育ってきたんだ。友人の頼みくらい聞いてくれたって、罰は当たらないだろう?」
そういう事である。
この二人は幼馴染なのだった。
ただしそれ自体は事実であっても、内心の温度差に明確な違いがあるのだが。
無論の事、この口角泡を飛ばしている禿は気付いていなかい。
「はっきり言おう。断る」
「な、何だと?」
「では、もう一度だけ言ってやろう。断る」
ビーンの返答を聞いて一言だけ言葉を搾り出したものの、更に重ねて断ち切られたことで、ついにセグストは絶句してしまう。
ついでにビーンは理由の説明を始めるが、実の所セグストはその半分も頭に入っていなかった。
「お前、今の状況が分かっているのか? お前等が世間には絶対受け入れられない理由で女性を攫っていた事は、もう既に子供ですら知っているんだぞ。治安局はお前等を血眼になって探し回ってる。今日お前と顔をあわせたのだって、俺からの決別を伝える為の特別な措置なんだからな」
最後の一言に、呆けていたセグストは覚醒した。
「決別だと…………」
「そうだ。お前が関わりがあると知れたら、様々な意味で俺にとって命取りになりかねないんだ。商会の応接室でなく、この家を指定したのはその為だ。何も知らない他人に、一切知られないようにするためなんだよ」
ここはスーク商会の持ち物ですらない、今は住人が王都に行っている為に誰も住んでいない空き家である。
ビーンは知り合いである家主から、留守の間の管理を依頼されたのだった。
立地的に実に目立たない場所にあるため、今回都合良く使わせてもらっているだけである。
「馬鹿な。友人である俺を見捨てると言うのか?」
「当然だろう。お前と友達付き合いをしていたのも、お前との関係が家の商売と何の関わりも無かったからだ。だがもう違う。お前とそういう付き合いだという事が世間に知られたら、俺は身に覚えの無い打撃を受けちまう。しかも物心両面でだ。そんな関係は即座に断ち切る以外に如何しろと言うんだ?」
「待ってくれ。俺には、いや、組織にはもう金が無いんだ。お前に断られたら、完全にお先真っ暗なんだよ。頼む、少しでも良いんだ。援助してくれ」
泣き言まで漏らし始めたセグストだが、頼まれた本人はそんなものには全くほだされなかった。
「無理だ。はっきり言えば、お前の組織がどうなろうと俺には関係が無いね。さっきも言っただろう。今回で俺とお前の付き合いも終わりだと。別れの挨拶くらいはしてやろうと思ったから、直に会ってやったんだ。出来るなら何もせずに済ましたかったよ」
取りつく島の無い言い様に、セグストは再度の絶句を強いられる。
ヒィヒィというどうにも情けない呼吸音を響かせながらも、どうにか大声を上げた。
「き、貴様。 それでも親友か! この恩知らずめ」
「もう友人じゃないし、これ以上何かしてやるような恩も無いんだよ。大体お前、全然理解してないんだな」
心底呆れた様子でビーンは呟いた。
「俺達はもう子供じゃないんだぞ。俺には家族と、跡目を譲られた家業があるんだ。その重さはお前との友情とは、比較にならないほど重いんだ。お前との関係は、それに対する最も排除すべき懸案事項なんだよ。邪魔になった物があるなら、普通は如何する? 決まってるだろうが。とっとと打ち捨てるんだよ」
そこまで口にしたビーンは、話はこれで終わりだとばかりに両膝を両掌で同時に叩く。
「さあ、俺の言いたい事は言った。だからさっさと出て行ってくれ。ああ、此処の表口は使うな。裏から出ろよ。まあ、表口にはウチの用心棒を張り付けてるから、出ようにも出られんが。そら、早く行ってくれ」
怒りと絶望と失望を一緒くたにした表情で裏口から出て行ったセグストを見送る事など勿論せず、ビーンはそのまま椅子に座り続けていた。
ただしその表情に憂いは一切無い。
それどころか重しが無くなったかのような、爽やかな笑いさえ浮かべていた。
「会頭、あの野郎は帰りましたが、それほど嬉しいのですか?」
室内に入ってきた若い男が、不思議そうに尋ねる。
彼はスーク商会の情報部門を司る、ビーンの懐刀と言うべき存在だった。
「まあね、昔なら兎も角として、今はあいつとの繋がりなんて害悪以外の何物でもなかったからなぁ。あとついでに言っておくが、俺はまだ会頭じゃないぞ」
「失礼しました。次期会頭」
悪びれもせずぬけぬけと言ってのける腹心に苦笑しつつ、ビーンは続ける。
「まあこれで商会にとって最も緊急の問題は片付いた。これで後はあいつが死んでくれれば万々歳なんだがなぁ」
それを聞いた若者は、主の意思を確認すべく質問する。
「暗殺を依頼しますか? それとも治安局に奴を売るとか」
だが帰ってきた答えは意外な物だった。
「治安局に知らせるのは、恐らくだが無駄だ。昨今の手管を見る限りだが、既にあの阿呆共の情報は十分過ぎるほど持っているな。そうでなければあそこまで手際良く捕縛は出来んだろう」
唇を片方のみ引くつかせながら答える。
その仕草がこの現状を面白がっている事を示しているのを承知している若者は、無言で頷いた。
その反応を見たビーンは続きを開陳する。
「それに暗殺も意味が無いね。リッツ商会を襲おうとしたろくでなしがどうなったかは、当然知っているな? 何かとんでもない存在に奴らは目をつけられているな。恐らくあいつ等の余生はそう長くはあるまい。つまり金の無駄だな。うん、これも根拠は全く無いがね」
若者は暫し考えてから、自身の見解を口にする。
「いいえ、面も裏も情報屋の間では、あなたと似たような考えが圧倒的多数派です。私も貴方に賛成ですな」
「そいつは重畳」
それを聞いて実に嬉しそうな笑みを浮かべたビーンは、一応は友人であった男に関して一言だけ口にした。
「決して頭の悪い奴では無かったんだ」
それだけでは足りないと判断したらしく、更に語を重ねる。
「いや、今でもその点は変わってない。だが折角のそれを、とんでもなく間違った事に使っちまったんだな。うん、せめて苦しまずに息絶えてほしいもんだ」
そして背凭れに上体を預け、目を閉じる。
傍らに立つ若者がそこから読み取れたのは、ただ純粋な憐憫だけであった。
「畜生、どいつもこいつも恩知らず共め」
裏通りを悪態を吐きつつ歩くセグストは、どうにも焦燥感に煽られていた。
「何でだ、何でこんな破目になったんだ?」
近頃そればかりを考えてしまうが、無論答えなど出るものでは無い。
無論の事、洸の件も覚えてはいる。
だがそれだけでは現状の説明がつかないと、セグストは考え出していた。
治安局の動きが明らかに手際が良過ぎるからである。
まるで完全に組織の内情を知り尽くしているとしか思えない鮮やかさだった。
(まさか誰かが内部の情報を漏らしているのか?)
唐突に浮かんだ疑問だったが、瞬く間にセグストの脳裏を広がっていく。
そして毒の如き凶悪さで、負の思考を練り上げる。
いつの間にやら勇み足だった歩調は緩やかになり、怒りに満ちていた表情は穏やかではあるが困惑と疑念に満ちたものに取って替わっていた。
(そうでなければ説明がつかない。だが誰だ? そんな屑野郎は)
ドス黒い感情が全身を駆け巡り、思わず歯を噛み締める。
連鎖反応を起こしたかのように、今度は歩調まで速くなりはじめた。ただし当人は全く自覚していないが。
(誰だ、誰だ、誰だ。裏切り者は誰だ)
果てしなく湧き上がってくる憤怒に踊らされるままに、ただただ頭脳を回転させる。
だがその結果は、ただ否だった。
組織の人間は皆が心の底から魔導師の優越性を信じている者達だけなのだ。
そうでなければ組織には入れていない。
そんな者がこのような形で裏切りを犯す訳が無い。
だがそうでなければ一体誰が?
思考の袋小路に落ち込むしかないのだが、考えは纏まらない。
だがこの無駄な行動は、誰かの呼び掛けによりいきなり断ち切られた。
「セグスト様」
その声に一瞬で現実に帰還させられたセグストは、ついと目線をあげた。
目に飛び込んできたのは、酷く狼狽した様子のギムエルだった。
「何だ? 何かあったのか?」
思わず素で返してしまうが、続く言葉に本日最大の驚愕を覚える事となる。
「本部が、我等の本部が治安局の奇襲を受けました」
そして同時刻のリッツ家の屋敷では、洸達が出立の準備を整えていた。
別に大して嵩張る物も持っていない冒険者であるから、さほど時間も掛からない。
それにしても荷物が少ないのではないか? という疑問も使用人達の中には存在する。
何やら色々と買い込んでいたのを知っている何人かは特にそう思っているのだが、賢明にも口に出しはしなかった。
実はその買い込んだ物品は、殆どが「ホーム」の倉庫と化しつつある洸の部屋に入っているのだった。
大半は地味ではありながらも重要度の高い、冒険者用の道具類である。
ロープや毛布、その他の予備があっても困る事は無い代物ばかりだった。
リッツ商会の伝手で、相場よりかなり安く手に入れられたのである。
バンディ会頭は無料で構わないと申し出てくれたが、洸は律儀に拒否した。
それでも安くしてもらう事だけは喜んで受け入れるあたり、洸もただ素直なだけの男ではない。
「コウ、準備が整いました」
服装を整えマントを手にしたリーアが、そう声をかけてきた。
格好は依然と全く変わっていないが、よくよく見れば使われている生地が新しい物である事に気付くだろう。
他にも下着を新しく仕立ててもらったり、ちょっと贅沢をして余所行きの綺麗なドレスまで手に入れたからか、実に嬉しそうだった。
勿論それなりの対価は払っているが、矢張りお値段はかなり引いてもらっている。
ただしその事を知っているのは洸だけで、彼女は別段気にもしていないのだが。
「ワタシも大丈夫よ」
ローザも準備を終えており、こちらは既にマントを着込んでいた。
ちなみにその下の服装は、以前のどうにも女王様な格好では無い。
少なくとも旅をするエルフの女性なら、まあこんなモノだろうと誰もが納得する程度のものに落ち着いている。
ただしその驚異的なスタイルの良さは隠しようが無く、服が通常になったため余計に目立っている気がしないでもない。
お蔭でメイドの女性陣は色々と気落ちしてしまい、護衛の者を始めとした男性陣は眼福眼福と実に嬉しそうだった。
「それでコウ。連中のアジトは潰されたけど、まさかこれで終わりじゃないわよね?」
ローザの問いに、洸は微笑しながら答えた。
「当然さ。害虫は完全に叩き潰さないと、後が面倒になるに決まってるじゃないか」
色々と都合があって、結局間が空きました。
今後もこのようなペースでの更新が続くと思われます。
気長にお待ち下さい。
次回は決着の前段階になりますかね?
感想は随時受け付けております。