第四十六話 序曲
「人間と同じように、組織も何時かは死ぬようになっている。
大きな違いは、残そうと思う者がいれば、それこそ永遠にでも残せる事だろう。
ただしそれを出来た組織など、歴史上にどれだけあるのだろうか?」
ある歴史学者の言葉より。
春とは言っても、日が落ちて真夜中となれば、当然気温は下がる。
よってまだまだ厚着を心掛けねばならぬ時間帯もある訳だが、家の中、それもキアドラ有数の商家であるリッツ商会の屋敷ともなれば、そんなモノは必要である筈が無い。
造りが普通の家とは違うし、暖房器具もそれなりの物が各部屋に揃えられている。
よってこの程度の寒さでは、何ほどの事も無く過ごせるのだ。
しかし今、洸達が居る部屋は、どうにも居心地の悪い空気で満たされていた。
ちなみに洸とローザが組織のアジトから逃げ出してきて、数時間しか経っていない。いい加減に日付が変わろうとしているが、まあぎりぎり当日であるのは確かだった。
この重い空気の原因は、丸テーブルを中心に集まって各自椅子に座っている三人の一人、リーアである。
別に足を崩したり背凭れに寄りかかったりする事無く、行儀良く背筋を伸ばして椅子に座っている。顔にも笑みが浮かんでおり、両手も綺麗に膝の上に揃えられている。
しかし発している空気が尋常ではなかった。
明らかに表情は笑っているのに、怒気を放っているのだ。
これでこめかみ辺りにあのマークが浮かんでいれば、完璧である。
「コウ、どういう事ですか?」
口調と台詞は普段と変わりがないのに、発している空気は氷点下だった。
高価な魔道具の暖房がキチンと動いているのに、洸はどうにも寒気を感じて仕方が無かった。
それに笑いながら怒るというのは、文章表現や漫画でならお馴染みではある。
しかしそれを実地で見聞する日が来るなどとは、流石に想像の埒外だった。
「うん、まあ、つまり……」
「ハッキリして下さい」
「はい…………」
ピシャリと言われて、つい背筋を伸ばしてしまう。
見る人が見れば、完全に尻に敷かれているなと、生暖かい目で見られただろう。
「今回の仕事を、偶然とはいえ手伝ってもらってね。交換条件が僕等の仲間に加わりたいって事なんだよ」
「あら、正確には違うわね。条件なんか付けてないわよ、ただ一緒に連れて行って欲しいとお願いしただけ。まあ貴女の了承を取らなきゃいけないという話なだけね」
「うっ」
正確に訂正されて、洸はグウの音も出なかった。
「うん、兎に角その場の勢いで了承しちまった事は、謝るよ。でもまあ、けして僕等の損にはならないとも思うんだ」
「どういう事です?」
多少は表情を和らげつつもまだ不満そうなリーアに、洸は続けて説明する。
「僕もリーアも、一番の問題は実社会における経験が不足している事だよ。僕は世間的には未だに若造と言われる年齢だし、君は成人しているとは言っても、故郷の森から殆ど出ていないだろう? それに比べてローザは、裏とはいえもう長いこと世間で暮らしているんだ。この差は大きいよ、絶対にね」
それを聞いたリーアも、少し考え込む。
けして頭が悪い訳ではない彼女は、洸の言い分に十分な妥当性があると認めざるを得なかったのだ。
「でもですね、折角これからも二人きりでいられると思ってたのに……」
「あら、エルフもワタシたちダークエルフも、別に一夫一妻でなければならないと厳密に規定してはいないでしょう? 偶にだけど奥さんが複数いる事もあるわよね」
「えっ? あの、その……」
別角度から攻めようと思ったのに思わぬ横槍を入れられて、リーアは言葉に詰まってしまった。
確かにエルフはその点で、うるさくはないのだ。
長寿ゆえに子供が出来にくい事を補う意味でも、奨励こそされないが、別に非難もされないのである。
ただ奥さんが何らかの理由で亡くなった後に、さっさと別の女性と再婚してしまう方が多いのだが。
それに複数とは言っても、三人以上の連れ合いを持ったエルフの男性は今の所だがいない。
絶対数が少ない為に人間社会ではあまり知られていない事でもあった。
「そういう訳で、ワタシが加わってコウとそういう関係になっても、別に問題ではないわよね? まあ、すぐにそうなろうとは思ってないけど、可能性はあるという事でよろしくね」
何時の間にやらこの場の主導権を握り、あっけらかんと言い切ってしまうローザに、洸は呆れるべきか驚くべきなのか迷ってしまっていた。
これだけでも人生経験の差だと思うべきなのだろうが、微妙に理不尽さを感じてしまうのは何故だろう?
「はあ、分かりました。私もこの女が悪い人ではないのは分かります。コウの言う利点も理解できますから、仕方ないけど認めましょう。でも……」
一応は認めつつも、リーアはしっかり釘を刺してきた。いや、ある種の宣戦布告か?
「何かコウに不利益になる事をやったら、即座に排除します。あとそう簡単に手を出せると思わないで下さいね」
「あら、言ってくれるわね、お嬢ちゃん。精々百年程度しか生きてない小娘が、成熟した大人の女に勝てると思ってるの?」
「あら、男の人は若い方が良いに決まってますよ? 大体成熟したという事は、後は腐るだけですよね。そのデカ過ぎる胸もいずれそうなるでしょうし」
「ふうん、大きさで負けてるからって、悔しがらないの。悔しければもっと成長する事ねえ」
「ウフフフフフ…………」
「オホホホホホ…………」
双方ともに黒いオーラ全開で睨み合いだす女性二人を他所に、洸は正直なところ頭が痛くなってきていた。
美女二人に自分をネタに喧嘩されているのだから、人によってはこの状況自体を誇りに感じるかもしれない。
だが世間一般の常識人として生きてきた洸に取っては、このような状況は頭痛がしてくるだけだった。
今自分が何らかの口出しをしても、さらに拗れさせるか、逆に洸が文句を言われかねない。
そう思って黙っているのだが、どうにもストレスが溜まっていくのが自覚できてしまう。
その内に本当に、胃に穴が空くかもしれない。
(ハーレム物の小説をあまり羨ましいとは思わなかったけど、矢張り現実になってみても俺には合わないなあ)
内心でそんな事を考えてみても、目の前の現実が変わる訳ではない。
要するに単なる現実逃避以外の何物でもなかった。
「それで、目論見通りに接触できたんですよね?」
いい加減に睨み合いに飽きたらしいリーアの言葉に、洸は安堵しつつ答える。
「ああ、ついでに組織の頭とも会えたよ。もう少し時間が掛かると思ってたけど、ローザのお陰で手間が掛からなかった」
「あら、お礼は言葉だけ? もうちょっと別の物で返してくれないかしら」
明らかにリーアをおちょくっているローザの台詞に、洸はため息で、リーアは軽く睨む事で反応を返す。
「ではこの後はどうするんです?」
また睨みあいをする気のないリーアは、さっさと続きをと言わんばかりに質問してきた。
「とりあえず連中の全貌は把握できた。組織の構成員から、末端のちょっとした協力者までね。要するに奴等の全貌は丸裸の状態だ。これを治安局に報告してしまえば、この件は終わりだね」
「じゃあ、そうするんですか?」
「まさかあ。それなりの規模だから、少しずつ山を崩すように削っていかないと駄目だろうね。一撃で全てを決めるには、あいつらは数が多すぎるよ」
「それだけじゃ無いわね」
またもローザが割り込んできた。ただし表情は至極真面目な物であり、口調も同じである。
「少なくとも組織の頭に、あなたの顔を知られてるものね。上手く決着を着けなければ、今後の心配事の種に成りかねないわ」
「だよね。よって情報を小出しにして、まずは周辺の協力者から消していこう。何よりも連中の金の面での糧道を断ちたい。どれだけ高邁な理想を唱えても、金が無ければ何もできないしね」
「えーと、何とも夢の無い話に聞こえるんですけど……」
リーアの論評に、洸は仕方ないさとばかりに肩を竦める。
「現実とはどこまで行ってもそんなもんさ。所詮理想だけでは飯は食えない。まあ、あの阿呆共はそれを丸っきり分かっていないけどな」
かくて洸の考えた作戦は、次の日から早速実行された。
まずはどうという事は無い協力者が治安局によって摘発され、続いて組織の中でも末端の一人が拘束された。
ただその日の逮捕者はそれだけだった。
この為、世間一般は勿論として、冒険者ギルドでも大した評判にはならなかった。
運の悪い間抜けが偶々捕まっただけだと看做された訳である。
これは「マナの子等」でも同様だった。
洸が牢から消えたと分かった途端に即座に別のアジトに逃げ込んでいたのだが、例の場所に張り付けておいた見張りから治安局の手入れが一切来なかったという報告を受けて、拍子抜けしてしまったのである。
よってそれなりの緊張状態にあった組織は、一気に弛緩してしまう。
「あの馬鹿な冒険者は恐らくこの街から逃げ出したな」
頭目の禿のこの一言に、追従笑いではない本物の大笑いがアジトに響き渡った。
だが彼らは知らない。
決して笑っている場合ではなかったのだ。
既に見えない網は、水面に放り込まれていたのだから。
後は徐々に糸を手繰り寄せて行くだけである。
組織の崩壊の序曲は、誰も気付かない内に響き始めていたのである。
修羅場と言うかその数歩手前のシーンと言うのを、初めて書きました。
この程度は書かないとご都合主義にしても行き過ぎだと思ったからですが、実際はもっと酷いことになるでしょうね。
ちなみに敵の力を弱めようとするのは、力任せに殴りかかるよりは賢明だと思うのです。
特に敵の頭数が多いのならば、必須ですらあるでしょう。
己が弱いからこそ、知恵を絞るのです。
戦争なら話は別ですがね。
あと感想は随時受け付けております。
以前後書きに書いていた書き方だと、規約的にグレイゾーンだと思ったので書かないようにしただけなのです。
まあ、なるべくお手柔らかにお願いします。