第二十話 終局
「死ぬことは何でもない。しかし征服されて、名を失ったまま生きながらえるのは、毎日死ぬようなものだ」
ナポレオン・ボナパルト
「畜生、何たる事だ。こんな事があって良い筈が無い」
ルベル伯爵ガイアスは自室で半狂乱になっていた。
頭を掻き毟り罵りの声を上げても、事態が改善するはずは無いのだが。
ついさっき報せが届き、「狩人部隊」の残り五名が真昼間の王都のど真ん中で奇怪な死を遂げたというのである。
「よりにもよってあんな衆人の目がある中で死によって」
罵倒が口をついて出てくるが、今更どうにもならない。
ならば今やるべき事は、己の今後の事であり、平たく言えば生き残りを計るべきなのだ。
だが混乱の極みにあるガイアスはそこまで考えが及ばなかった。
いや、逆にもう自分が終わりだという未来が迫っているのを、彼なりに自覚してのこの狂態なのかもしれない。
「くそう、畜生」
止めど無く溢れる焦燥と後悔に溺れかけていたガイアスだが、それでも現実は容赦無く追い付いてきた。
「旦那様、お客様が参られました」
唐突に告げられた来客に報せに、ガイアスの狂態は中断を余儀なくされた。
「来客だと?」
興奮しすぎた後に特有の妙に落ち着いた口調で質問を返すが、それを報告に来た執事の返答も妙に落ち着かなかった。
「それが、そのう……」
「何だ、早く言え」
不機嫌な口調で返された執事は、覚悟を決めて言い切った。
「テシアス侯爵がお見えになりました」
「さ、宰相閣下がか?」
どうにも予想外な来客にガイアスはまともな返答が出来なかった。
だが宰相が直接訪ねてきたという言うのに、門前払いを喰らわすなどという選択肢は有り得ない。そんな非礼過ぎる事を貴族たる者が出来る訳が無かった。
「応接間にお通ししろ。私もすぐ行く」
「はい」
指示を受けて退室した執事を尻目に、ガイアスも慌てて身なりを整える。
このいきなりの訪問が吉兆なのかそうで無いのか、ガイアスには見当が付かなかった。
淡い期待を抱かないでもなかったが、どうにも思考はそれを肯定してくれない。
不安と疑問を抱えたまま応接間に向かうガイアスだが、自分の行く先が断崖絶壁なのではないかという予測が頭を離れてくれなかった。
現宰相であるテシアス侯爵ライエルは、まだ四十代と若いが油断のならない男であると、国内外で見られている傑物だった。
その見た目に反した老獪な空気を纏っている彼は、卓越した政治手腕と調整能力を駆使して、ミランダ王国の国力を堅持し続けている。
それどころか王国を地道ながらも発展させ続けている現状は、未来に於ける名宰相という尊称をほぼ確定させていた。
そんな男がルベル伯邸の応接間のソファに堂々と座っている。
出された茶にも手を付けず背筋を伸ばしているが、眼光の鋭さと口元の微笑はガイアスにとってとてつもない嫌な予感を覚えさせた。
それをおくびにも出さず対面のソファに腰を下ろしたガイアスは、今日の天気でも訪ねるかのような軽さで切り出す。
「これはこれは宰相閣下、本日はどのようなご用件でしょうか?」
通常なら本題を切り出す前にちょっとした雑談をするのだが、どうにも焦っているガイアスはそれを完璧に忘れていた。
「本日はあなたに陛下からの言伝がございまして」
別段咎めもせず、ライエルは話し出す。口調は柔らかなものだが、眼光の鋭さと微笑は消えていない。
「へ、陛下からですか? それで……」
「此度の件の責を負えとのことです」
それを聞いたガイアスは雷に打たれたかのごとく硬直してしまった。数瞬の後どうにもしどろもどろに声が出る。
「……そ、それは何の事ですかな?」
「お惚けになっても無駄ですよ、ルベル拍」
一切の抵抗は無駄だと言わんばかりに、ライエルは畳み掛けて来た。
「あなたの創設した例の狩人部隊が、何の罪もない冒険者を殺しているのは既に分かっています。今更取り繕っても遅いですな」
正に青天の霹靂だった。部隊の悪行が既に露見していたなどという事実に、ガイアスの体の震えは激しさを増していく。さらにライエルの言葉は続いていた。
「何処から明るみに出たかというとですね、数か月前に部隊が手にかけた冒険者の一人が、重傷を負いつつも王都に辿り着いたからです。連中は止めを刺すのを怠ったようですね。結局死んでしまいましたが、何があったのかは全て話してくれたそうです」
ガイアスは説明を聞いているのかいないのか、際限なく汗を掻きながら震えている。終いには顔色まで目に見えて悪くなってきた。
「彼を見つけた門の衛兵はすぐに騎士団の衛兵部に報せました。そして衛兵部長が直接彼の話を聞いて、その犯行が狩人部隊によるものだと看破した訳ですね。何しろその日は騎士団は演習を行っておらず、外に出ていたのは彼等だけでしたから。そしてずっと内偵を進めていたのです」
さらに顔色を悪化させているガイアスを無視して、ライエルの説明は続く。
「しかしまあ、簡単には処分できないだろうと苦慮していた時に今回の事件が起こりました。王国にとっては実に都合良くね。ならばこれに乗じて始末してしまおうと、陛下の裁可を得てこうなったのです。ここまで迅速に進むというのも予想外でしたが」
聞き捨てならない一言に反応して、ガイアスは目を剥いた。
「まさかあやつに依頼したのか!」
「一応私の手の者が、あなたも接触したあの冒険者に依頼したんですがねえ」
ライエルはあっさりと肯定した。
「しかし彼が手を下したという証拠が一切無いのです。あなたも監視を付けていたでしょうが、簡単に撒かれましたね? 誰も彼がやった事だと証明できないんですよ。まあ、金を対価にしての依頼ではないので、こちらは構いませんがね」
「金では無いだと?」
「はい。対価は自分たちを放っておく事、つまり自分達の冒険者としての権利だけだそうですよ。もしもあの五人が何らかの形で死んだ場合の報酬は」
ガイアスは絶句した。
もしも暗殺依頼が出ていたなら、それを明白な証拠として洸を処分できた可能性もある。
しかしそんな物が皆無なのでは、こちらは何も出来ない。少なくとも公的には。
「……私にどのような処分が下るのかね」
遂に覚悟を決めたらしいガイアスは、その一言を喉の奥から絞り出した。
「伯爵家は嫡男に譲って、あなたは隠居ですね。ただ余生を過ごすのは無理でしょうな」
(やはりそうか)
ガイアスは虚脱した精神状態でそれを受け入れた。
ここまでの醜態を晒しておいて、隠居だけで済む筈は無かった。
事実が公表される事は無くても、それだけではまだ甘過ぎるだろう。少なくとも遺族たちが納得してくれるとはとても思えない。
結局こういう時が遅かれ早かれ訪れただろう。
あの日息子たちの悪行を受け入れてしまった時から。
項垂れているガイアスを一瞥すると、ライエルは立ち上がって応接間を出て行こうとする。
しかしふと立ち止まると、こう付け加えた。
「あなたも馬鹿な事をしたものですね。昔は王国の内政面で辣腕を振るったというのに。まあ最期くらいは貴族らしく振舞われる事ですな」
そして今度は足を止めることなく出て行った。
しばらく痛いくらいの静寂が部屋を支配する。
その場にいる唯一の人間が、項垂れたまま一言も発しないのだから当然だった。
決定的な敗北を突き付けられたガイアスは、、微動だにせず沈黙を続けている。下手すればそのまま息絶えたのではないかと心配させかねないほどに。
だがいきなり顔を上げたガイアスの目には、先程とは全く違う光が宿っていた。
強烈な意志を感じさせるのだが、どうにも暗い光。まるで鬼火のような不吉な光だった。
「旦那様?」
宰相を見送りもせず部屋から出てこない主人を訝ってか、ついに部屋に入ってきた執事にガイアスは暗い声で命じた。
「ガルガを呼べ」
ガイアスは自室に戻ると、秘蔵の銘酒を取り出して、グラスに移すことなくそのまま口に含んだ。
滑らかでありながら強烈な酒精を宿したその液体は、彼の喉と胃を猛烈に刺激する。
いつもなら快感に感じるはずのそれを、水でも飲んだかの如く無感動に受け入れたガイアスは、黙ったままもう一口を流し込む。
再度の刺激も彼の心に何ももたらしはしなかった。
破滅を避けられぬと観念した心は、もうこのような快感や感動を不必要だと言わんばかりに切り捨てたらしい。生きた屍とはこのような状態を指しているのだろう。
だが目の色は違った。先程からの暗い光は、未だ衰える事無く宿り続けている。
「まだだ、このまま死ぬのは我慢ならん」
腹の中で燻りつづける狂気を反映した呟きが漏れる。それを皮切りにどす黒い怒りが溢れ出して、全身を満たし始めた。お蔭で控えめに響いたノックの音を聞き逃しかけた。
「入れ」
返事を返すと同時に扉が開かれ、ガルガが入ってくる。
そちらに顔を向けると、ガルガは心底からの驚愕を顔に出していた。
実の所雇い主の顔色に驚いているのだが、ガイアスはそれを無視して話し始める。
「宰相閣下が来たのは聞いているな?」
声の響きそのものは平坦だったが、それが逆にガルガに不安を覚えさせる。
ガイアスの精神状態が普通ではないことを感じ取ったガルガだったが、それを表情には現さず答える。
「はい、閣下」
どうにか口に出せた台詞はそれだけだった。
「うむ、要するに私に止めを刺しに来たのだ。お前も既に聞き及んでいるとおり、あの五人が死んだ。更に部隊の所業も既に王国には知れていたのだ。よってその責任を全うしろとの陛下のお言葉なのさ」
「な、何と」
場を弁えずに大声を上げているガルガだったが、その脳内ではどうやって己の生き残りを図るかという現実的な計算が始まっているようだった。
その顔つきでだいたいの予測はつく。それなりに長い関係なので、その程度は予想できる。
だがどの道どうあっても無関係という言い訳は通らないだろうが、その点は知った事では無い。。
なのでガイアスの次の一言で、その心配は雲散霧消させた。
「安心しろ。お前には官憲の手は伸びん。王国上層部は実行犯と私にしか興味は無いらしい」
「そ、それは……」
「だからこそお前に頼みがある」
一安心したガルガに、さらに言葉を続ける。
「お前に預けてある金額は幾らだったかな?」
「ざっと五十アークスというところでしょうか」
それを聞いたガイアスは満足そうに微笑んだ。
「ではそれを使ってあのコウとかいう冒険者を殺せ。最高の暗殺者を雇ってだ」
「えっ?」
それを聞いたガルガは呆気にとられる。
「しかしあやつが下手人だという確たる証拠は有りませんぞ。お恥ずかしい話ですが、私の付けた監視の者も簡単に撒かれました」
「それでもだ」
執務机を拳で叩きながら、ガイアスは大声を上げた。瓶が倒れて毀れた残りの酒が机の上を広がっていくが、気にも留めていない。
「それでも誰かを犠牲にせねば、私の気は治まらん。奴が下手人だという証拠が無いのは承知の上だ。私は近いうちに隠居して、その後に自ら命を絶つ。それからだ、その後に動かすのだ。良いな?」
「……かしこまりました」
ガルガの返答に、ガイアスは微笑を浮かべた。心残りを解消できた者に特有の、曇りの無い子供のような笑みだった。
そしてその気分のまま別れを告げる。
「では行け。無論だが、私の跡継ぎとはすぐには接触するな。その内に用があれば、あいつから声がかかるだろう。さらばだ」
「では失礼致します」
ガルガが出ていくとガイアスは立ち上がり、部屋の中を見回した。
自分の過去を振り返り、嘗ての日々を思い出す。
亡き妻との日々、二人の息子達との日々、全てはもう戻らない過去の幸福を想った。
そして目を閉じ再び開いたその時、その顔には全てを悟った老人の笑みだけが残っていた。
目立たぬように裏口から屋敷を出たガルガは、ルベル伯の指示をどうするか思案しながら道を歩いていた。
馬鹿正直にそのままに裏社会に依頼を出すのは簡単だが、その場合の損得も重要なのである。
確かに気持ちは分かるが、下手人だと確定していない者を狙うのも戸惑われるが。
「まあ、いいさ」
ガルガは短い思案の末に、裏社会に依頼を出すことを決断した。
実際に伝手を辿れば不可能では無いし、成功さえしてしまえば心配すべき事は無い。
幸いその為の元手はたっぷり有る。ならばその中から幾らかは手数料として頂戴し、残りで雇えば良いのだ。
これで義理は果たせるし、こちらも儲けになる。
よってどちらにしろ損はしない。
「これで良し。まあ貴族の伝手が無くなるのは痛手だが、それも何とかなるだろう」
ガルガの脳裏にそんな計算が出来上がっていた。
足取りも軽く住処に向かう彼の思い描く未来は、既に薔薇色に染まっている。
その中には何の不安も存在していなかった。
「青の高原亭」の一室、つまり洸とリーアの部屋は闇に沈んでいた。
夜光灯は消されてカーテンも閉じられているが、実の所どちらのベッドにも二人は寝ていない。
では何処にいるかというとこの世界とは別の場所、要するに「ホーム」の中だった。
奥の寝室のベッドで二人とも寝転がっている。
問題は二人とも生まれたままの姿だという点だろう。
ちなみに洸は頭の後ろで腕を組んで天井を見つめているが、リーアは実に幸せそうな表情で眠っている。
世の男共の妄想を具現化したようなその肢体は、うっすらと汗に塗れていて実に色っぽかった。
室内には情事の後に特有の匂いが立ち込めていて、何があったのかを雄弁に物語っている。
そんな中で洸はこの一言を呟いた。
「どうしてこうなった?」
ただ単に最後の台詞が書きたかっただけのような気がしますが。
次は今回の結末の予定ですが、もう一話追加するかも。
感想と評価もよろしくお願いします。