第百六十九話 遠慮
「言葉は上手く、そして大事に使う事だ。
何故なら使い方次第で相手を破滅させることが出来るものである上に、
時には自分自身ですら破滅させることすらあり得るからね」
ある老教師の警句より
食堂に入った洸とローザを迎えたのは、実にかぐわしい香茶のかおりだった。
どうやら女性陣が淹れてくれたものらしい。まぁ洸ともう一人しか男がいない状況ではあったし、この手の作業はプロでない限りは女性の方が手慣れているのは世の常である。つまりは文句を付ける筋合いは何も無いのだった。
三々五々皆が座りだし、洸達も席に着く。
珍しくリーアもローザも洸の両隣を占拠せず、女性の輪の中に混ざっている。かくして洸は男二人席の片隅につく状況になった。
こういう村八分状態になると、お互いに親近感がわくのが人間というものである。なのでお互いに皮肉気に目線を交わしてから、自己紹介兼挨拶をする事となった。
「どうも。冒険者をやっている洸と言います」
「こちらこそ初めまして。僕はオランです。よろしく」
その見た目のゴツさ、言い換えればゴリゴリの肉体労働者並みの体格に反してかなりの丁寧な物言いでオランは返事を返してきた。
洸も少し驚きはしたが、即座に受け入れて平然と相手をする。
「いやはや、どうにも疲れました。普段は子供の相手をする事がまず無いですからね。流石に疲れましたよ」
「でしょうね。僕もまだ小さい頃から慣れていなければとても無理だったと思います。うちは兄妹が多いので、上から二人目の僕は弟妹の世話をするのが当然だったんですよ。勿論姉が一番押し付けられるんですがね」
「そいつは大変ですね。僕は一人っ子なので正直羨ましいです」
「あははは、僕もそうだったらなぁと思った事はありますよ。でもやっぱりそうなったらとんでもなく寂しい気持ちになると思います。昔初めて一人で留守番をした時にそう痛感しましてね」
用意されていた軽食を口にしつつ、洸とオランは和やかに会話を楽しんでいた。
洸がこの世界に来て最も安心した事の一つが、この世界の人々が地球世界の人間とほぼ変わらないメンタルをしていた事だった。
勿論細かな違いはある。特に倫理的というかそっち方面が、二十一世紀の地球世界の先進国と比べると、悪名高き中世時代に近い点だろう。
だがそれは洸にとっては左程問題には感じられなかった。元よりそういうフィクションを散々に楽しんできた身であったし、それが一概に悪い事だと判断する気も起きなかった。
郷に入れば郷に従えという日本人にとっての常識というか観点からすればそういうものなのだと簡単に納得できたからである。欧米人なら話が全く違ってくるだろうが、それを置いておいてもどうにもならないと達観していた。
姦しいという表現のままにペチャクチャと話し続けている女性陣をよそに、洸とオランは静かに会話を紡ぐ。
どうやらオランは親の商売を手伝っており、そのまま跡を継ぐ予定だという。その商売とは木材の加工業で、そうであるならばこの体格も頷けるなと洸は納得していた。ただし商売である以上経理というか金銭面も無視はできないため、そっち方面もしっかり叩き込まれているとの事だった。
ただしそちらは母親の方が教えており、その事からして彼女の方がその方面に強い事はようだった。
洸も全く疑問は抱かなかった。
地球世界の日本でも家族で経営しているような商店や町工場では、夫が商売の実務に携わっている場合、金勘定は奥方が握っている場合が殆どである事を知識として知っていたからである。
だからこそ銀行の営業マンは、仕事の出来る人物ほど取引先の奥さんへの手土産を欠かさないという話を聞いて、心の底から感心してしまった程だった。
この点でも洸は例え世界が違っても根本的な人間関係に違いは左程ないのだと安心していたのである。
「えっ? ライナさんてここの出身の方じゃないんですか?」
ふとそんなリーアの驚きの声を耳にして洸が目線をそちらに向けると、かのじょは少しばかり目を見開いて驚きの表情を浮かべていた。
そんな下手をすると間抜けに見えてしまう顔ですら魅力的に見えるあたり、実に美人というのは得なものである。無論リーアに限った話では無いが。
「えぇ、ライナさんはここのご領主様の遠縁にあたられるお方だそうですよ」
そう話しているのは、引率の女性陣の一人であるアノラという年配の女性だった。常にニコニコとした表情を崩さない見た目はどうにも三十代にしか見えない人である。ちなみにこれは洸が推察したものでしかなく、実年齢が幾つかなどという無粋な質問は少なくとも洸はする気は無い。
ついでに言えば彼女たちがこうもあからさまにライナについて語っているのは、彼女がこの場に居ないからであった。何でも少しばかり在庫を確認しておきたい物があるとかで、この休憩には遅れてくる事になっているのである。さほどお待たせはしませんと本人は言っていたので、そろそろ合流する筈なのだが。
「はぁ、こんな大きなお屋敷に住まわれているんですから、てっきりそういうお血筋の人だと思っていたのですが」
リーアの物言いはどうにも明け透けだが、同時にこれだけの美形からは信じられない程の素直さがあり、洸とオランの男二人は兎も角として、他の女性陣すら何の違和感も抱いていない様だった。
アノラもまるで少しだけ年下の友達に説明をしているかのような調子で、話を続ける。勿論エルフであるリーアの実際の年齢が幾つであるのかを知らないのであるが。
「ふぅん、でもそれだけの身分の方が暮らしていくには、此処は少し寂しすぎるわね。何か込み入った事情があるのかしら?」
ローザがやんわりと疑問を口にする。その世間的経験を積んだ者だけが至れる質問に、アノラを始めとする年嵩の女性たちは、軽く溜息を吐く事で肯定しつつも続きを話し出した。
「どうやらそうらしいのですが、ライナさんは当然として領主様も詳しい事は何もお話しにならないのです。実は私たちも最初はライナ様と呼んでいたのです。ですがそういう堅苦しい呼び名はやめてほしいとおっしゃられたのでそうしていますが、やはり時折そういうご身分の方なのだと思える時がありますね。ですがあの通りとても優しいお方ですし、子供達も非常に懐いています。ですからもう誰も詳しい事を聞き出そうとする人はいなくなりました。少なくとも私たちはそれで良いと思っているのです」
そんなアノラの物言いに、周りの者達も深く頷いている。
それを目にした洸は、やっぱりそういう事かと思いつつも、アノラの話に深く同意していた。
こういう話は世間の主婦たちのかっこうの噂話のタネなのだが、どうやら自然発生的に触れてはいけない話になっているようだった。
まあそれも無理はないなと洸は判断している。
ライナはそういう尊き血筋の暗黒面でもある無自覚な傲慢さという点が皆無だったからである。
常識的に考えて美点としか思えない性格の持ち主を悪し様にののしれるのは、救いようがない程に性格の捻くれた人格破綻者だけだ。そういう奴は他者の同意を得たくてそんな発言を繰り返し、だが結局孤立を深めていくだけなのだが。
そして世間一般の人間は、何か自分にとっての不利益にならない限りは放っておいてよいのならば無暗に手出しはしない。闇雲に手を出せば自分が火傷しかねないという事を良く知っているからである。まして貴顕の関係者であるならばなおさらでもある。
視線をずらすとリーアは素直に頷きながら香茶を口にし、ローザは興味深そうに口元に笑みを浮かべていた。どうやらそれぞれに納得がいったようである。
洸は何時も通り頭の中で色々と思考が渦巻いていたが、一旦全てを棚上げする事にした。
これ以上何らかの質問をしても、アノラ達は勿論オランですら答えてはくれないだろう。
ライナの過去に関しての疑問は残っているが、別にこれは自分に与えられた宿題でもなければ、解かねばならぬ命題でもない。その内にでもまた暇つぶしに考える事としよう。
そう結論付けた洸は、自分もリーアと同じように香茶を口にしつつゆっくりと椅子に背中を預けていった。
話が相も変わらず進みません。
まぁ少しずつ広げていってはいるのですが。
実の所何時クライマックス的な部分に至れるのか作者自身も分かっていないのですが。
勿論プロットはちゃんとあるんですけどね。
誤字報告には毎度毎度助けられております。
報告を下さる方には心よりお礼を申し上げます。
感想は制限なく受け付けております。




