第十六話 偶然
「戦場ではどんな事も起こり得るものだ。指揮官に要求される能力とは、偶発的に起こった状況をどれだけ咄嗟に利用できるかだと言って良い」
ある士官学校教官の言葉より
現実が思い通りにならないのは世の常だが、大抵の人間はそれを受け入れるべき事として受け止めている。いや、そう受け止めなければやっていられないというのが正しい。
だが中には何故かそれを受け入れられない馬鹿野郎が偶にいる。
どうにもならない現実を受け入れず、誰か他人の所為にして、自分の責任では無いと自分を慰める。
非生産的だがこれも現実では起こり得る事なのだ。
今回の事件でもそれは発生した。
近視眼的な行動を取った事によるツケは容赦なく取り立てられる事となるのだが、彼らはそれを全く認識していなかった。
「畜生、何だってんだ」
盛大な怒声が響いた。
場所は「狩人部隊」の詰め所である。ただ部隊の騎士団内での序列を反映して、建物のかなり隅の最も小さい部屋があてがわれていた。
しかもいつの間にか、ここはこう呼ばれている。「屑篭」「ゴミ箱」と。
勿論面と向かってではなく陰口でではあるが、徐々に騎士団内部に浸透しており、今では兵士達ですらこう呼ぶようになってしまっている。よってさらに部隊は士気が落ち込んで行き、それに伴って悪評も増すという悪循環に陥っていた。
「ビルゾン隊長も含めて、十八人が死んでるんだぞ。なのに上は動くなだと。俺達は栄光あるミランダ騎士団だ。これでは騎士団の名折れではないか」
先ほどから卓を叩いて文句を垂れ流しているこの男は、部隊の残り五名の内の一人、イゾル・ベルガンティアである。
周りの四名も同僚かつ親族の者であり、一人は実の弟だった。
彼らは完全にイゾルに同調して怪気炎を上げているが、その実態は騎士の集まりというよりは不良少年が徒党を組んでいるといった方が事実に即しているだろう。
騎士団云々などというのも明らかに誇大なのだが、彼等はその点に気付いていない。
完全に建前の筈なのに、愚かしくもそれを強固に信じ込んでいるのだった。
「兄さん、もう十日も経つのに、まだ下手人は見付からないのですか?」
傍らで同じように不満をぶち上げている彼の弟、ベルグが聞いてきた。この二人は実に顔がよく似ており、初対面の人間でもすぐに兄弟だと分かるほどである。この時もそのよく似た顔を怒らせて文句を言い合っていた。
「ああ、ルベル伯が調査を続けてるが、全く分からんそうだ。誰か怪しげな冒険者がいたそうだが、証拠が無くてそれ以上追求は出来ぬとさ。ふん、面白くない」
「ふーむ、ならばですね」
ベルグは何か思い付いたらしく、唇を歪める。イゾルはそれを見て弟が何か妙案があると察した。
「ベルグ、何かあるのか?」
「ええ、手っ取り早い手段があります」
ベルグは得意そうに話し出した。
「簡単ですよ、その冒険者とやらを下手人にしてしまえば良いんです。これなら皆が納得しますし、我々も面目が立ちます。今までやってきた事と大して違いは有りません。ルベル伯にはまた後で報告すれば問題は無いでしょう。ねっ、これでどうです?」
それを聞いた他の団員は、全員が同じ反応を返した。
「面白い」
「いいな、それで行こう」
「賛成だ」
「これで解決だな」
反対意見無しで議題は可決され、続いて行動の時が訪れる。
「だがその冒険者をどうやって特定する? 伯は俺達にそれが誰だかは教えてはくれんだろう」
イゾルの疑問にベルグは問題無いとばかりに首を振った。
「ガルガがいますよ。あいつが裏で手を回してる筈です。金さえ出せば、奴なら簡単に喋ってくれるでしょうよ」
「成る程、それもそうだ」
かくてガイアスの懸念した事態が発生した。
経験の足りない若造どもの暴走は、それなりに考え抜かれたガイアスの対応を、簡単に踏みにじってしまう事となる。
では真犯人である洸は何をやっていたかというと……、本業を頑張っていた。
たまに月光草を採取したり、郊外に出現するゴブリンやオークの小集団を殲滅したり、あるいはちょっとした重要書類を配達したりという細々とした依頼を片付けている。
リーアはリーアでその種族的特性を生かして、精霊魔法を駆使してのちょっとしたインフラ整備に毎日駆け回っていた。
水の流れの調整だとか、横道の舗装だとか、この手のお上の手の回らない箇所を次々と整備して回っている訳だが、評判は上々で住人たちは感謝しきりである。
その容姿からろくでもない欲望の対象になるのは避けられなかったが、この仕事の効果もあって、手を出すことが危険な女性として周囲に認知されつつあった。
お陰でこのまま王都で冬を越しても問題が無さそうな程に手持ちの金は貯まっているが、洸はどうするのか具体的に決めていない。
暦では青の六月となり、あと一月もすれば王都でも雪が降り始める。
雪中の行動は危険極まりないので、大抵の冒険者は何処かに拠点を定めてそこで冬を越す。
何か依頼をこなすにしても拠点の近場で済ましてしまい、決して遠出はしないのだ。
よって春までは王都で過ごす事になるだろうと、リーアは予想している。
今回の事件がそこまで長引くかは分からないが、お互いまだまだ新米の冒険者なのだ。無理をして何処かで凍死するなどという死に方は御免である。
そんな訳である意味だらだらと日々を過ごしているのだが、事態は酷く唐突に動き出した。
洸は勿論として、ガイアスですら予想もしていなかった方向へと。
「くそっ、あの野郎。どうしても口を割る気が無いらしい」
「よほど伯から口止めされているようですね」
ベルグとイゾルは連れ立って歩きながら、また文句をぶちまけていた。
王都のメインストリートは相変わらずの賑わいで、行き交う無数の馬車や、歩道を練り歩く人々で溢れている。
その渦中にあるというのに、二人の周りはちょっとしたエアポケットが出来ていた。
何しろ上質の普段着を着たいかにも貴族と分かる若者二人が、微妙に酒臭い息を吐きながら歩いているのだ。
触らぬ神になんとやらで、まともな市民ならお近付きになりたくないだろう。
会話に内容から分かる通り、ガルガに件の冒険者が誰なのか教えろと迫った二人だったが、そう上手くは行かなかった。
ガルガもガイアスからの指示を無視する気は毛頭無かったし、二人もそれを覆せる程の対価を提示できなかったのである。
しかし二人はどうにも面白くない。
貴族である自分たちの命令に背く存在というのが、この阿呆共にとって不愉快以外の何者でもないからだ。
無論バックにルベル伯がいる事は分かっているのに、それでも不満は溜まる一方だった。
要するにこいつらは成りがでかいだけの子供でしかないのである。
親の躾の失敗と言ってしまえばそれまでだが、本人達の素質がその程度でしかないのも一因である。
いまさら矯正は不可能な所まで行ってしまっているので、彼等は死ぬまでこのままだろう。
「んっ?」
ベルグのこの一言にイゾルも反応し、視線を兄と同じ方向に向ける。
その先には一人のエルフが歩いていた。
金細工の極みと言って良い長い金髪、貴族の令嬢でも滅多にお目にかかれない美貌、どんな高級娼婦でも敵わないであろうスタイル。
それを目にした二人の顔が嫌らしく歪む。
視線を交わして頷くと、早速とばかりにその後を尾行し始めた。
それが破滅に至る分かれ道だと知らずに。
二人が追っているエルフとは、勿論のことリーアである。
本日の依頼を終えて「青の高原亭」に向かっていた彼女は、自分が尾行されている事にとっくに気付いていた。
エルフとして元から感覚の鋭さを誇るうえに、この騒動が勃発して以来この可能性を警戒していたからに他ならない。
しかも彼女に言わせれば、この尾行者は素人もいい所だった。
酒でも飲んでいるのか足元がふらついており、周囲と歩調を合わせないものだから、気配が目立つ事この上ない。
(これで気付かれずに尾行している積もりなら、この人達は馬鹿ですね)
そんな感想を抱きながらも、リーアはある場所に二人を誘導しつつあった。
今日も仕事で出ている洸の所へ、では無い。
もしも例の件でこちらを付け狙っているのなら、自分で処理してしまう積もりだった。
別にこれは彼女の独断では無い。
洸からの許可も出ているのだった。
あの日、例の胡散臭い商人からの誘いに乗って出掛けた洸は、その日のかなり遅い時間まで部屋に戻ってこなかった。
そして部屋に入ってきた途端に、収集して来たらしい情報を喋りだしたのである。
「色々と分かった事がある。やはりルベル伯本人が接触してきたよ。あっちは僕たちを疑ってはいるけど、確たる証拠が無いので、すぐにはどうこうは出来ないね」
話しながらベッドに座り込むと、水差しの水を一杯飲んで、さらに話を続ける。
「残る五人はベルガンティア侯爵家の一族だとさ。本家の三男イゾルと四男のベルグ、あとはその従兄弟だと。うん、それとねえ」
洸は同じくベッドに座っているリーアに視線を固定すると、声のトーンを低くする。
「実は別口で、ある依頼を頼まれた。何とその五人を始末してくれとさ」
「ええっ? 私たちの事では無く?」
当然のリーアの反応に、またも躊躇無く返事を返す洸であった。
「そうさ、誰だかはまだ明かせないけど、連中を処理するお墨付きが出たんだ。有難く使わせていただこう。という訳でそいつらと対峙したなら、後に死体が残っても構わないから、とにかく処理しちまってくれ」
口調は軽い物だが、その目付きは真剣だった。覚悟を決めた男の目である。
それを察したリーアも頷いた。
反撃の許可は下されたのである。ならば即座に契約を履行しようではないか。
王都の一角に存在する袋小路に入り込んだリーアは、壁を背にすると自分を尾行してきた二人に向き直った。
「で、貴方達は私に何か御用ですか?」
この質問に対して帰ってきた答えは、どうにも下卑た表情と笑い声だった。
「……」
呆れて無言になるリーアに、やっとまともな返事が返ってきた。
「勿論さ、そうでなけりゃお前なんかに用は無い」
「そうそう、俺達の相手をしてくれれば良いんだ。かんたんだろう?」
これを聞いたリーアは、内心落胆した。
自分を追ってきたのだから例の部隊の残り五人かと思ったら、単なる女漁りを目的とした貴族の馬鹿息子だとは。
余計な手間を掛けずにさっさと身を隠してしまえば良かったと後悔するが、次の台詞を聞いて考えを改める。
「なあに、俺達兄弟はベルガンティア侯爵家の者だ。しかも息子だぜ。大人しく相手をしてくれりゃあ、それなりの金を出す。悪い話じゃあねえだろう?」
(予想とは違う展開だけど、当たりですね)
リーアは内心の歓喜を抑え込みながら、今後の事を考える。
問題はここに五人の内の二人しかいない事だ。本来なら五人全員を一回で消してしまって、短時間で解決してしまう積もりだったのだが、それは今回は不可能である。
もしここで二人とも始末してしまうと、残りの三人がどう行動するか分からないのだ。
怒り狂ってこちらに仕掛けて来てくれるなら好都合だが、逆にどこかに閉じ篭ってしまったら手の打ち様が無い。
これまでの連中のやり口からして前者の可能性が高いのは分かっているが、後者の可能性は零ではない。
ならばどうするか?
リーアは即決すると、行動に移る。
「あら、それは都合が良いですね。手間が省けました」
微笑を浮かべると、二人に近付いていく。
「はは、賢明な判断だぜ。ちゃんと可愛がってやるから安心しな」
情欲に満ちた目を向けてくる二人だが、リーアが何を考えているのか見破った様子は欠片も無い。
「一つ確認したいのですが。貴方たちはイゾル様とベルグ様でよろしいですか?」
「おお、その通りだ。何だ、知っていたのか」
「ええ、これで確認が取れました」
リーアはニッコリ微笑むと、表情に似合わぬ一言を言い放った。
「ここで死んで下さい」
お久しぶりです。
ちまちまとですが、更新を再開します。
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