第百三十八話 無能
「人間は誰しも、自分の事が一番分かっていないものなのだ。
だから自分で鏡を持つか、他人を鏡とするかのどちらかを行わねばならない。
そうでない者は、大抵途中で取り返しようのない失敗を犯すものさ」
ある哲学者の言葉より
「何だって? それは、どういう、意味だ?」
ジェイルの疑問に対するゼニアスの返事に、ファルステンが続けて問いを発する。
ただどうにも彼らしからぬしどろもどろな調子だった。話術に長けたファルステンは普段は男女ともに耳心地の良い喋りを得意としている。なのに今の彼の台詞は、聞く人によっては不快感さえ感じさせかねないほどの違和感を漂わせていた。
つまりは彼も相当なまでに混乱しているのだった。
まあ無理もない話である。九分九厘まで想定通りに動いていたと思っていた事態が最終段階でひっくり返され、その上に想定外にも程がある状況に陥れば、大の大人でも精神的衝撃からは逃れられまい。彼らのような若者であればなおさらである。
「どういう意味も何も言葉通りですよ。私は例の魔薬を売りさばいて利益を得たいのに、この町の裏組織の頭目お二人はそれを拒否しました。ならば消えてもらうしかないじゃないですか。それから話の通じる人に跡を継いでもらえば、私は自由に薬を売りさばけるでしょう? 実に分かりやすい構図じゃないですか」
「ほう、つまりは俺の跡を継ぐのはお前って訳か? バングス」
静かな口調でありながらも明白な怒気をにじませながら発されたロイの質問に、バングスと言うらしい男はにやけながら返答した。
「そういう事っすよ、頭。おれはもっと金をかせいで遊びたいのに、あんたはどうにも締め付けてばっかりでしょ。もう勘弁してほしいんす。生まれた以上は思う存分遊ばなきゃ損でしょうが」
「莫迦野郎、だからお前はうちの中でも出世できてないんだろうが。お前は精々そこにいる手下どもを率いる程度の事しか出来ねぇ。そんな奴にそれなりの頭数がいるうちの組織を任せられるか」
ロイの実に真っ当な返答に、洸が自分の直感が当たっている事を悟った。
バングスという男は、見た目も喋り方も若い下っ端というか正に半グレにしか感じられなかったのだ。言うなれば典型的な身の丈に合わぬ野望を秘めた若造で、口では立派な大言壮語を吐きながらもどこまで行っても自分の事しか考えられない小物なのである。
こういう奴は数人程度の配下には面倒見が良く映るだろうが、それも傍から見れば類は友を呼ぶの典型例でしかない。つまりは同レベルの連中が群れ集っているだけで、その中でリーダーが務まろうと外からすると団栗の背比べでしかないのだった。
だというのに当の本人は自分に他人を率いる才覚があると勘違いしやすいのだ。十人を纏める事と、百人千人を纏めることは、根本的に話が違う事などこういう連中に分かる訳がない。詰まるところ身の程知らずの最悪の見本でしかないのだった。
「会頭。いや、メリアスさん。そんな訳なんで貴方には引退してもらいますよ。勿論この世からですがね」
メリアスに向けて慇懃無礼な物言いをしてくる見かけはさほど目立たぬ小男に対して洸の抱いた感想は、微妙に小物臭いなという身も蓋もない者だった。
身なり自体はきちんとしているし、不潔さなど欠片も感じさせないのだが、どこか小物的と言うか小心さを感じさせるのである。裏社会の人間に似合わぬ丁寧さの口調からして、メリアスの配下の中でもそれなりに地位の高い男だと推測できるのだが、どうにもこれ以上の出世が望めそうにないように見えるのは洸の気のせいだろうか。
「ミゲルさん、貴方でしたか。まあ今のうちの組織でそんな野望を抱いてそうなのは貴方だけですから不思議じゃありませんが、でもどうしてです? 他のみんなは貴方が私に成り代わったからといって、はいそうですかと従う程、間抜けでも正直でもありませんよ?」
最後通牒を突き付けられたメリアスはというと、不思議な程に落ち着き払った声でそう返していた。いや実の所ロイもメリアスもそれなりの大人数に取り囲まれているというのに、ひどく落ち着いた態度をとっていた。たとえ手練れの護衛が二人ずつ付いているからといって、これだけの人数を相手にするのは難しい筈なのだが。ただこの場でそれに気が付いているのは、当人たちとその護衛を除けば洸だけだった。囲んでいる連中は誰一人として思い至ってすらいないようである。ある種の興奮の極致にいるのだから、無理もないのだが。
「やかましいんだよ、俺は組織の為に、途轍もない苦労をしてきたんだぞ。だというのにあんたは俺を蔑ろにした。俺より力もない金も稼げない奴らを優遇して上に引き上げて、この俺を大して重要でもない役に留めさせやがって。もう我慢が出来ないんだ、優秀で力もある俺のような奴が組織を率いるに相応しいんだ」
がらりと口調を変えて罵ってくるミゲルに対して、それを耳にしたメリアスと洸の反応は、互いに知らぬ仲だというのにひどく似たようなモノになった。
具体的には盛大に溜め息を吐いたのである。
洸の場合は第一印象が殆ど間違っていなかった事を確認できてしまった事による呆れが多分に混じっていたが、メリアスの場合はもう少し深刻でもある。
組織を率いる者として、このミゲルという男は一番厄介な性質の持ち主であるからだった。
いかなる組織も個人の集団である事に変わりはない。そこには正に十人十色を地で行くもので、表面的には似たような見かけや雰囲気になったとしても、奥底にある個人の本質までは変えられはしない。
他人を率いるという事に向いているかどうかもその点に立脚している。格好が良い者が統率力があるとは限らないし、目立たぬ容姿をしていようとも、意外と他人を率いることが出来る者もいるのだ。
それは能力という点においても似たようなもので、例えば最も腕っ節が強く武芸に優れた者がトップに立つべきかと問われたら、世の騎士団や武芸を教える者達は首を横に振るだろう。
そういう奴等はほぼ全てが個人として強いだけで、他者を率いるカリスマ性や素質を備えている者は殆どいない。もしいたとしてもパーセンテージからすると酷く少数派でもある。つまりは賭けをするにしても分が悪すぎるのだった。
そしてトップに限らず役職というものは、それを務めるに値する能力や人格の持ち主がやる事が望ましい。あるいはたとえ能力が足りずとも、それを補える人物を補佐に据えておけば、余程の問題でない限り対処は可能だ。(無論の事、その能力がゼロでは意味がない)
しかし上記のような事柄も、多分に理想論な部分があるのは否めないのだった。
優秀なトップを頂く組織ですら規模が大きくなっていく程に、いつの間にやら妙というか何でこんな奴がという者が役につく状況が増えていくものなのだ。原因の殆どはトップも単なる一個人である事が原因で、つまりはそいつの眼が全体に行き渡りづらくなるのである。そして少しずつ少しずつ全体に広がっていってしまうのだった。
無論対処は可能だ。その為に各部署には責任者がいるのであり、そいつが組織にとって不要だと判断したのならば比喩的な意味で首を切ってしまえばよい。あるいは別な形でそいつを生かせるのならば配置を変えてしまうのも手だ。「莫迦と鋏は使い様」というのは至極名言なのだった。
ただしどんなトップや上司でも、扱いに困る人材というのは存在する。
俗にいう「無能な働き者」という奴で、字面の通りただ単に働き者に見えるだけな者だ。
現実ではこういう者が一番嫌われる。無能な怠け者以上にである。
何故ならば怠け者はそういう存在であるが故に殆どの場合他者の邪魔をしないからだ。目立つ位置にいると、全体の士気に悪影響があるのは確かだが。
しかし無能な働き者は何よりも他者の仕事にとっての阻害要因にしかならない。何しろ無能であるからには任された仕事を全うできず、それのフォローに周囲が手を貸さねばならないのだから当然だろう。
地球世界でも、軍隊やそれに似たような環境の職場では蛇蝎の如く嫌われる存在である。こういう所では何よりも己の職務遂行を邪魔するものを軽蔑するからだ。
そしてそこまで行かずとも問題のある人物というのはいる。ミゲルのような能力が足りていないのに、上の役職を望む者である。
得てしてこういう奴は自分の能力の客観視が出来ていない。
何で周りの者達は自分の才能を認めないのか? 俺はもっと輝ける筈なのに?
こんな身勝手な思考を募らせて、日々を悶々とすごしている。己を省みることなど時間の無駄としか思っておらず、ただただ認めてくれない周囲を恨みながら生きているのだ。
無論周りからすれば必然でしかない。中途半端な才能にふさわしい仕事をやらせているのに勝手に懊悩を溜め込んでいる訳で、言っては何だが救いようがないのだった。
よってほとんどの者は深い関わりを持とうとしない。恋人関係はおろか友人づきあいすらしたがらず、精々が仕事上の関係に終わる。
つまりは孤独の具合が加速度をつけて進んでいき、それが更に精神的病気を篤くさせていくのだった。
根本的治療法は無理やりにでも現実を認識させる事くらいだが、これをやったところで上手くいくとは限らない。大抵は自信を喪失させて社会的に死亡してしまうのが関の山である。
哀れといえば余りにも哀れだが、同時に滑稽さも極まる情景でしかなかった。
ミゲルも同じで、似たような病を患っている。
メリアスの配下でも優秀な人材であるのは確かなのだが、突き詰めれば己というものを盛大に勘違いしている人物なのだった。言い換えればどうにも分不相応な望みというか野望を抱いているのである。
それは組織のトップになる事である。
まあ男として生まれたからには頂上を極めてみたいというのは、ある意味で分かり易く自然ではある。
ただし世間に揉まれるうちに、それが出来るか出来ないかの見極めがつくものなのだが。
不幸な事にミゲルは三十年ばかり生きてきて、そのような機会に恵まれなかったのだった。
よって鬱憤を溜め込み、今回のゼニアスの企みに、嬉々として飛び乗ったのである。
メリアスは彼なりにミゲルに注意を喚起してきたのだが、それも結局無駄に終わっってしまったようである。
そうでありながらメリアスの表情には、困惑はあっても絶望感は全く存在していなかった。
そしてその事に、さすがは年の功と評するべきだろうが、ゼニアスとミゲルだけが気付いた。
バングスとその他大勢の有象無象は欲望に目が眩んでいるからか、その違和感に全く無関心だった。
最年長の二人だけが疑問を顔に出している中で、メリアスはその場に堂々と立ちながら静かに言い切った。
「まぁいいです。アンタを始末する丁度良い機会でもありましたからね」
本当に前回の続きというか、後半になりました。
文字数も何故か四千字を超えています。
勿論話は大して進んでいません。
ただ次回はそれなりに急展開する予定です。
今後も気長にお付き合い下さい。
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