第百三十七話 包囲
「最も高く飛ぶカモメは、
最も遠くを見通す」
リチャード・バック
「……どういう事ですかね」
流石に少しばかりの驚きのため絶句をしながらも、洸はそう聞き返した。
「お前さんも奴が商売の面で問題を抱えているのは掴んでいるだろ? それを打開するには何か新しい商品を扱うようにしなけりゃいけない。だがこの町ではそう簡単にはいかんのさ。何しろ利益を見込める物は殆ど誰かが既に扱っているものばかりで、ゼニアスのようなそれなりに長く商売をしていても中規模程度の商人がどうこう出来はしない。なら誰も扱おうとしていない物とはなんだとなると、違法品しか無いだろう?」
そう説明してくれたのは、意外と言っては失礼かもしれないがロイだった。
されど洸にしてみればさほど意外でもない。組織のトップを務めているのならば、この手の頭脳労働のような事柄からは絶対に無縁ではいられないからである。
ロイは見た目のいかついいかにもな脳筋ではないが、やはり体を使う方が得意そうな印象がある。しかし実態はこのような文武両道な男なのだった。本質的な意味で頭の悪い男が組織を運営する事などとても出来ないのだから。
「そんな訳で何かないかと嗅ぎまわっていたヤツは、どこかの頭のおかしくなった薬師が開発したという薬を手に入れたのさ。その薬ってのが酩酊というべき状態が結構長く続くのに、醒めたらすぐにまた次が飲みたくなるというとんでもない代物なんだそうだ。酒と似たようなモノだが、あれよりも遥かに金の周りは早いだろうな」
「そうです。そして当然儲けも大きくなりますからね。多分ですが今までの奴の商売など子供の遊びに思える程に稼げるでしょうよ」
メリアスとロイの説明が続いているが、レイラ達三人は未だに混乱から回復しきっていなかった。ジェイルとファルステンは剣の切先を地面に触れさせたままだし、レイラに至ってはその場にぺたりと座り込んでしまっている。
洸から見ても些か以上に間抜けだが、その心理自体は理解できるのでもう暫く放っておく事にした。
「しかしそんな違法品を扱うならば、お二人のどちらかに話を持ち掛けるものではないのですか? 表では絶対扱えない商品です。ましてそれまであの男はこの手の商売をしてこなかったのですから、あなた方に協力を求めるくらいはするのでは?」
洸のこの質問に、メリアスもロイも実に楽しそうに返事を返した。
「お前さん、本当に頭が切れるな。その通りで最初は俺の所にもメリアスの所にも話を持ち掛けてきたのさ。だが俺達二人とも断った。確かに先程も言った通り利益はでかいのは確かだ。しかし言うなれば疫病を操るようなものだろう? 俺はそれで故郷の家族や親戚を一人残らず失った身でね。どうにもいけ好かない商売に思えて手を出したくなかったのさ」
「私も似たようなもんです。そもそも私が商人だったのはご存知ですな? 裏社会との付き合いからこんな立場にいつの間にかなってしまいましたが、なるべくこの手の商品は扱いたくないんですよ。いえ、少し違いますね。扱うにしても下手に広げたくないんです。こういう商品は手に入る場所を限定しないと、ロイさんの仰った通り疫病みたいに広まってしまいます。それを制御するのは、どう考えても人の身では無理でしょうな。」
それを聞いた洸は至極素直に感心した。
二人の言う事は真にその通りで、こういう薬のたぐいは一度広まってしまえば個人であろうが組織であろうが、制御する事など夢物語でしかないのだった。
単純に供給を独占すればよいと考える者もいるだろうが、徐々に肥大化していく儲けを知れば、他の誰かが新たな抜け道というか供給ルートを開拓していくだろう。
そしてそれを製造する側も拒みはしまい。そいつらも金銭的に豊かになりたいのは他人と変わらないのだから、他より高い値を付けたならば遠慮会釈なく供給するに違いなかった。
かくて下手をすれば、疫病ですらかなわぬような速度で社会に蔓延していくだろう。
しかもこの手の麻薬の地球世界の現実を一端でも知っている洸に言わせれば、それを根絶するのは不可能だと断言できる。どれほどの絶対的強権をもってしても、一度根を張ってしまった社会的病根を断ち切るのは難しいのだ。
よって治安組織と犯罪組織のほぼ永遠に続くいたちごっこがアースガードでも始まるに違いなかった。
その点を鑑みると今回は運が良かったと言えるだろう。
ゼニアスは恐らくだがメリアスとロイの二人のどちらも断るとは考えていなかっただろう。特に本来は商人であるメリアスは飛びついてくると思っていた筈である。
しかし非常に冷静かつ深謀遠慮を巡らせられるメリアスは、この魔薬があまりにも危険だと判断したのだ。裏組織の長として、何かこういう違法品の顛末を知っているのかもしれないが。
そしてロイは個人的経験からこれを忌避した。完全に彼の個人的好みによってだが、底なし沼に入ってしまうのを回避したのである。
二人とも誰かの上に立つ者として実に素晴らしい人物だと判断せざるを得ない。惜しむらくは社会の日の当たらぬ側だというのが難点だが。
(まてよ? そうだとすればゼニアスが今回の事を企んだ目的は……)
洸の脳裏にある想定が閃光の如く思い浮かぶ。それはろくでもない企みだが、確かに筋は通る代物だった。
ただしあの男が想定している通りに物事が進むかと聞かれると、洸は言下に否定しただろう。
こういう奴等の不可思議な思考の一つに、己が最も優れていて他者が劣っているという根拠の無い傲慢さがあるのだ。
自分のやることは常に成功して、他人は失敗をしてばかり。だからこそこれからも自分は成功し続けられるだろうという考え方である。
無論単なる妄想に過ぎない。
確かに思考速度やら知識の量やらに個人で差があるのは確かだ。
しかし余程の莫迦でない限りは、各々が自分の思考と知識をもって懸命に考え行動している。
それだけという点においても、優劣は全く決まっていない。
頭の良い者が考えぬいたやり口が無残な失敗に終わる可能性がゼロではないように、能力が劣る者がとった同じ行動が見事に的を得ることも絶無ではあり得ない。
生きているという事は、果てしなく平等に死から逃れられぬという事なのだから、詰まるところ人間とは平等に不平等なのだ。世の中の大抵の人は不賛成だろうが。
不意に扉が開かれ、倉庫の中に何人もの人間が入ってきた。
人数はざっとだが二十人程だろうか。それぞれ棍棒やら短剣やらの得物を手にして、ロイとメリアスをその護衛、更に洸やレイラたちも囲んでしまう。
「な、何が起こっているの?」
素直な疑問に埋め尽くされたレイラの質問に答えは返ってこなかった。
洸達八人を囲む円が完成すると、男共は全員が円の内部に視線を向ける。それはどうにもぎらつくような欲望に彩られた、ケダモノじみた代物だった。
「おい、バングス。てめえ何をしてやがる?」
その中の一人を目にしたロイが、実にお似合いな低い声で質問を発する。ただし返ってきたのは沈黙だったが。
「おやおや。ミゲルさん、あなた何をしているんです?」
メリアスも同じように知っている顔を発見して質問をしているが、同じく答えは返ってこなかった。
どうやら知り合いというか物言いからして二人の配下の者らしいが、それではこの所業はどういう事なのか? そう感じたのは無論洸一人ではなく、ようやく精神的衝撃から立ち直りつつあるジェイルが大声を上げた。
「何なんだよ。一体何がどうなってるんだよぉぉ」
ただどうにも切羽詰まっているのが丸わかりな、威厳など欠片も感じさせない子供のような声だったが。
ただし一つだけこれまでと違いがあった。それに対しての返事があった事である。
「ジェイル様、簡単な事ですよ。私が貴方方をはめたんです」
ゼニアスがにこやかな顔をしながら入ってきて、実に楽しそうな口調で答えたのだった。
どうにか書き上がりました。
どうにも生臭い真相ですが、現実とはこんなもんですよね。
殆ど説明会みたいなものでしたが、次回はその後半戦みたいになるかな。
今後も気長にお付き合い下さい。
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