第十二話 変転
「たとえどれほど酷い結果に終わった事であっても、
そもそもの動機は善意から始まった」
ガイウス・ユリウス・カエサル
風が出てきたのか、平原に少しばかり埃が立つ。徐々にその強さを増しつつある日の光は、周囲を万遍無く照らしている。だからと言って状況の異常さに変わりは無いが。
「待ってください。あなた方は騎士団でしょう。こんな無法な真似をして良い筈が無い」
だが洸の尤もな台詞はまたも冷笑で返された。
「はっ、だから何だ。この国の守護者たる我らならば、狩りなど義務の一つではないか。ましてこの国の民ではない貴様等なら、幾ら殺しても文句など出ぬわ」
さらに隊長はもっととんでもない事まで言い出した。
「いや、民であろうとも我ら貴族が命じたならば、如何なる命であろうとそのまま受けるのが礼儀であろう。行けと言われれば行き、死ねと言われれば死ぬ。それこそが民の務めという物であろうが」
洸は正直言って呆れた。ここまでテンプレな台詞を吐く馬鹿が実在しているなど、はっきり言って自分にとっても王国にとっても悪夢に等しい。
(この国、大丈夫なのか?)
そんな疑問まで頭に浮かんでくる。
(いや、待て待て。即断は禁物だよな)
そう考え直して頭の中で整理する。
実の所、洸が騎士団の団員と面と向かって会話したのはこれが初めてなのだ。領地の境界線やこれまでの町や村で騎士団や衛兵を見掛けた事はあるが、直接やり取りしたことは無い。
だがこれまで見掛けた騎士たちは、そういう存在に馴染みの無い洸にとっても、別段違和感を覚えるような事は無かった。
騎乗していようが徒であろうがその凛々しさに見惚れている女子供に不足していなかったし、酒場などで耳に入ってくる噂話にもこういうある意味致命的とも言える物は無かった。
ならば目の前のこいつらが特別なだけであり、少なくとも末端の隅々まで腐っているという事は無さそうである。
ではその特別さを裏打ちしているのは何なのか? 問題はそこだろう。
それを確認するべく、洸はなるたけ卑屈そうに質問した。
「で、でもですねえ。こんな事が王室に知られたら如何する気です? 騎士団が無辜の民を狩りと見せ掛けて殺しているなんて、世間に知られれば大問題でしょう?」
「安心しろ。私の父は騎士団の顧問たるルベル伯爵だ。そしてここにいる者達もそれぞれ高位の貴族の子弟だからな。この程度の事は如何とでも揉み消せる」
その発言を聞いた瞬間、洸の覚悟は決まった。
全員の殲滅。それだけである。
理由はここで死ぬ気など無い事は勿論だが、何よりもこいつらの言い分が気に入らなかったからである。
自分を相手より高い所に置いて、好き勝手に行動した挙句に何の責任も負わない。洸はそんな人間を心の底から軽蔑する。
戦場に立つ者は、敵を殺すのと同じように、敵に殺される事も覚悟する必要がある。自分と他人の命が等価であるからこそ、生き残った方は死者に対し敬意を払うのだ。
だが目の前にいる阿呆共は、単なる子供の虐めと同じ感覚でここにいる。
相手は無力な獲物であって、自分たちはそれを狩る猟師である。よってこちらの反撃など一切考慮していないのだ。
ならば現実を教えてやらねばならない。たとえどれほど無力に見える生き物でも何か武器を持っているのだと。まあ自分が無力であるなどとは口が裂けても言えないが。
「リーア、森まで全速で走れ」
叫ぶと同時に自分も踵を返して走り出す。カンストまで上げた身体能力のおかげで、オリンピックの短距離ランナー並みの速度が出た。
すぐ隣をリーアが駆けていく。流石はエルフと言うべきか、駆けると言うより飛ぶとでも表現すべき走り方で、一歩一歩の歩幅が大きい、まるで幅跳びでもやっているかのようだった。
「コウ、この先の事は考えているんですよね?」
口調の険しさからして、明らかに彼女も怒っている。あんなことを言われれば、当然の反応だろう。
「当然さ。一人も生かして返さない」
平然と言ってのけると、さらに続ける。
「現実を知らないガキ共に、たっぷりと教育してやろう」
ルベル伯爵の次男で、この「狩人部隊」の指揮官であるビルゾンは、とてつもない速さで駆けていく獲物二人を余裕の表情で見ていた。
「総員騎乗。獲物を逃すな」
命令を叫ぶと同時に自分も馬に乗り、即座に鞭を当てて駆け出す。周囲の騎士たちが続くのを確認すると、逃げる獲物を見据えたまま唇を歪めた。
(ふっ、逃げ足が速いほうが俺達にとっては面白いな)
身勝手な感想をしながら馬を走らせる。
獲物はすでに森に入ろうとしていたが、彼は全く不安を抱いていなかった。
先程の台詞を心の底から信じているからである。
いや、それだけが彼の真実であり、異論の存在など考えた事すら無かった。
この「狩人部隊」は、ルベル伯が近年全く戦争が無い事で鬱憤を溜めている騎士団の技量向上と士気高揚のために創設した部隊である。
正式に騎士団を動かす演習はそう滅多に行えないので、普段から馬に乗り狩りを行う事による貴族の義務の達成として、国王からも正式な認可を受けた物だった。
最初は創設時の理念を守っていたが、ここ数年で他者の窺い知れない所で変質が始まった。
ある日部隊は、この平原に迷い込んできた冒険者の一団を、その場の戯れで狩ったのだ。
狩られた冒険者達はまだ初級に毛が生えた程度の者達だったため、大した抵抗も出来ずに狩り尽くされた。
変質はここからだった。要するに彼らは血の味を覚えてしまったのである。
そして何よりも彼らのある劣等感が変質に方向性を与えた。
この部隊に所属しているのは、実は騎士団でも落ち零れと言うべき者達だった。
騎士団は国中から人材を募っており、よって平民からでも訓練を受ける事により、騎士候補生としてだが入団が可能だった。当然その先は正規の騎士としての登用である。初代国王の賢明さが最も発揮された事の一つであるこの制度により、平民出身の騎士の割合は未だに増え続けている。
さらに文官にも同様の施策が行われ、近頃はトップはともかくとして中堅以下の王国官僚は平民出身者が全く珍しくなくなっていた。
これは人材不足が建国時のミランダ王国の最大の政治的課題だったからだが、おかげで未だに王国は成長を続けており、初代としては死後であろうと鼻高々であろう。
だがそれにより誰もが利益を得られた訳ではない。それがビルゾンのような者達だった。
彼らは貴族の嗜みとして騎士団に入ったは良いものの、実力主義の極みに達していた騎士団の内部において、その腕が完全に二流以下だった。いや、素人と大して変わりないと上層部に見做されている。
貴族であろうが平民であろうが技量十分な者は次々と昇進して行くのに、何故自分達はそうではないのか? そして何よりも平民出身の者にどうして誇りある自分達が従わねばならないのか?
このようなどう考えても自分達の責任なのに、それを自覚しないあたりに彼らの能力の限界があるのだろう。
そしてその自覚の無さは、容易にある結論に結び付いた。
貴族である我らは無条件に尊く、平民はどれだけ出世しようと下賎の者である。
短絡的にも程があるが、そうでもしなければ自分達の惨めさに押し潰されそうだった。そしてこの考えに部隊の全ての者が染まった時に、最初の人狩りが起きたのだ。
かくて「狩人部隊」の暴走は始まった。
最悪なのは最高責任者たるルベル伯までもが同調した事だろう。
伯は平民の力が増大していくのを危惧していた。このまま時が進めばいつの日か平民が貴族を飲み込み、そしていずれ王家すら消してしまうのではないか? 彼はそれを恐れたのだ。
実際はそこまで事が進むのに、長い時間が掛かっただろう。
彼が危惧を覚える切欠となった現在の事態も、建国以来の八十年という年月を経てこうなったのだ。
つまりもし彼の危惧が現実になったとしても、その頃の彼はとっくに墓に入っている筈なのである。
しかし伯はそこまで考えが及ばなかった。平民への恐れだけが日に日に増大し、彼の精神を痛めつけた。
部隊の「人狩り」が報告されたのはその時であり、報告を聞いた瞬間、伯は罵倒するどころか報告した次男を褒め称えた。
平民達に一撃を加えたと彼の中で昇華されてしまったのだ。
そして後ろ盾を得た「狩人部隊」の蛮行はその後も続き、今に至る。
これまで彼らは幾人もの冒険者を狩って来たが、王国にも冒険者ギルドにもばれた様子は無い。
あまり頻繁に狩りを行わず、適当に間隔を空けてきたからである。
だがお陰で今の彼らは血に飢えた獣そのものだった。ビルゾンも似たような心理状態である。
(へへ、あの男は追い掛け回してから、嬲り殺しだ。あのエルフは殺す前にたっぷり楽しんでやろう)
自分の考えている事がどれほど薄汚いものなのか、彼は考えもしなかった。ただただ自分達の当然の権利として、これから始まる蛮行を楽しむことしか頭に無いのだ。
だからこそある一つの事実も彼には無縁だった。
猟師が獲物に返り討ちに会う事が実は珍しくないという事実を。
獲物二人が森に入り、少ししてからビルゾンたちも外縁に到着する。
馬では森の中には入れないから当然徒になるのだが、誰も問題にしていない。
何といってもここいらは彼らの慣れ親しんだ領分であり、この先に何があるか全員が知っている。
ならば何を恐れる必要があるのか。そんな気分だった。
「急ぐなよ。ケイン、先鋒は任せる。俺の分も取っておいてくれ」
近くの木に馬を繋ぎつつ、ビルゾンは仲間の一人に指示を出す。
「任せてくれ。隊長にはあのエルフを一番先に味見してもらうさ」
「悪くない取引だ」
自分と違って兜をしたままなので顔が見えない同僚に返事をすると、ビルゾンは隊の一番後ろに付く。
この先を少し行ったところに二つの湧き水が溜まった大きな池があり、その間を殆ど直線の岩盤の道があるのだ。まるで一つの池に橋が架かっているようなもので、そこから先はとても人が進入できないほど草木が生い茂っていた。つまり獲物はもうこれ以上は逃げられない。罠に嵌ったのだ。
堪えきれない笑みを浮かべながら、部隊は森の中を進んでいく。
いつしか樹木が途切れ、陽光が地面を照らす。池に到着したのだ。
もう先鋒のケインは橋の半ばまで達しただろう。この橋というか岩盤の道は、自分達全員が載ってもまだ面積が余るほど幅も長さもあり、長年の風雨によって表面も走るのに問題が無いほど削られている。
(これで詰みだ)
ビルゾンも岩盤の道に足を踏み入れた。
そして唐突に先鋒のケインの声が響く。
「なっ、何だ? ありゃああ」
殺戮が始まった。
今回の敵役がいろいろ登場しました。
次回は戦闘……と言うより虐殺? かなあ。
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