第百二十二話 陥穽
「何も悩まずに歩んできた人生は、軽過ぎて他人を呆れさせるだろう。
だが余りにも重すぎる人生は、逆に他者を黙らせるだけだ」
ある国の警句より
仲間である男二人の様子を見ていたレイラ・ミルトンにとって、それはいささかではあっても不快感を催さずにはいられないものだった。
彼女は世間一般からすれば平均を完全に上回る美少女だと誰もが認めるだろうが、やはりリーアとローザを比較の対象にすると、その他大勢というところに落ち着いてしまうだろう。
だがそれを彼女が自覚したのは、実はついさっきのことだった。
明らかに二人のエルフに対する意識でいっぱいの友人二人を見て、改めて注意深くリーアとローザを観察し、二人が途轍もない美形であることにようやく気付いたのだった。
出会ったのはつい昨日なのだからその時に気付いていてしかるべきではあるのだが、やはりあの時は身の危険を感じるような出来事があって、それから解放されたばかりであったからなのか、それとも洸に対する印象の方が強かったからなのか、ともかく連れの二人に対する印象が希薄だったのである。
改めて見てみると、二人とも溜め息が出るほどの美しさだった。
リーアは貴族の女性達ですら羨むであろう金髪碧眼と真新しい雪の如き白い肌の持ち主であり、そのスタイルはレイラではとても太刀打ちなど出来ぬ程に、出る所は出て引っ込むべき所は引っ込んでいる。
ローザはこの世のものとは思えないほどの美しい銀髪と紅い瞳を持ち、その肌の色は非常に滑らかさを感じさせる褐色をしている。スタイルも人によってはそれだけで下品だと罵りさせかねない程の豊かさを誇っていた。
要するに二人ともどうにもこの世の大半の人族の女性に、重大なコンプレックスをもたらしかねない存在と言って良いだろう。無論その中にはレイラも入っている。
彼女はまだ十八歳ではあるが、その体型は言うなればスレンダー型でバストもヒップも年相応な程度には育っている。少なくとも同年代の女性騎士たちとの着替え中に、己の貧相さを感じて落ち込んだ事など皆無だった。
しかし今生まれて初めて、体型に関しての壮絶な敗北感を覚えていた。
そしてそれだけではなく、顔のつくりに関しても似たようなものだった。
リーアもローザもエルフの特色である美形という点に関しての、全ての長所を煮詰めて生み出されたかのような美貌を誇っているのだった。リーアはまだ二十歳以下のいわゆる少女達のこうでありたいと願うであろう理想そのものであり、ローザはそれ以上の年代の全ての女性達が憧れるであろう艶やかさを持っているのである。
言っては何だがレイラの知る最も美しい女性である、ある伯爵家の令嬢ですら敵うかどうか怪しいものだった。大抵の貴族の令嬢や奥方ですら、美を競おうなどとは考えもしないのではないかと想像してしまうほどに。
そして何よりも騎士団の同年代の仲間であり、似たような悩みを抱える同志でもあるジェイルとファルステンがあからさまに彼女たちに惹かれている現状に、どうにも説明のつかない憤りまで感じていた。
(何よ。そんなにあの二人の方が私よりいいって言うの?)
そこまで考えてレイラは愕然とした。
彼女は自分が男性騎士達と同等以上に働けるとずっと思ってきた。剣術、馬術など騎士の修めるべき武術の類に関して、絶対に劣る事はないと自負する程に。
だが逆にいうと世の女性が貴賎を問わずに重要視する、女としての価値と言うものにほぼ完璧に無視していたのである。
別にその素養が無いわけではない。幼い頃からダンスや礼儀作法はしっかりと仕込まれてきたし、それを心底から嫌った事など一度たりとてなかった。
されど騎士を志してからというもの、その手のものを軽視するようになったのは確かだった。
先輩や同僚の女性騎士達が、パーティーに無骨な鎧ではなく綺麗に整えられたドレスで出席するのを横目に、自分はただただ修練に励んでいた。
その時の心境は、言うなれば哀れみだった。
騎士としての技量を磨かずに、見てくれだけを鍛えている哀れな人たち。そう思って内心で蔑んでいたのである。
だというのに今の自分は何を考えているのだろう?
ほとんど捨て去ったかのように思い、自分では何の価値も無いと断じていた女としての面にこれほどの差をつけられて、何故これほどに心を乱されているのかと。
(私はそれによる価値や評価など必要ないと思ってきたのに、何で今更それを重要視しているかのように思ったの?)
そこまで考えてレイラは止め処無く思考の渦にはまっていった。
幾ら考えても何故? 何故? という疑問を解決できず、まるで迷路の中で力の続く限り走り回っている小動物のように心は鳴動を繰り返している。
「わからない。何で? 何でなの?」
思わずそんな声さえ漏らしている事すら自覚できぬままに。
無論答えは酷く簡単だった。ただし当人にとっての話ではなく、他者の視点からすればであるが。
つまりはレイラも紛れもない女性であるというだけの話なのだった。別にどれほど男と同じ武術にのめりこもうが、それだけで性別が変わる訳では無い。
全ての生物は雄と雌、男女で分かれているのは自然の成り行きであり、その点において生き物としての差など無いのである。ただ単に出来る事と出来ない事が幾つかあるだけなのだ。
男に子供は産めないし、女は子を仕込めない。言っては何だがただそれだけのことなのである。
大抵の者はそれを深く考えもせずただ受け入れている。正確には悩んでも無駄であると無自覚に受け入れているのだ。
ただ偶にレイラのような者が現れて、答えの出ない悩みにとりつかれるだけである。そしていつかはそれを同じく受け入れていくのだ。
勿論その点に関しての何らかの不利益を解消しようとするのは無意味ではないだろうが、どんな事も突き詰め過ぎれば本来の意義すら失いかねないのは変わらない。何事もほどほどが丁度良いのは何処であろうと変わらぬ真理である。
しかし若者はどうしても思考と行動が極端になりすぎる傾向がある。
その点も世界が違おうとも変わらないものなのだ。
だからこそレイラもジェイルもファルステンも悩み足掻いている。
自分はもっと出来るはずであると思い、それをなそうともがいているのだった。
そしてそれは行き着く所まで行かなければ止められない。体力が尽きてもう駄目だと立ち止まってしまうまで。それが己の限界なのだと容赦なく自覚させられるまで。
それこそが自分を知るという事であり、見極めをつけるということであり、さらにその先に進むための悟りなのだ。
ただしそこまで至れるどうかは、やはり個人の資質にどうしても左右される。
冷静さ云々はあまり関係は無い。詰まるところそういうものなのだと割り切れるかどうかという問題である。
そして彼らと彼女がそれを出来るかどうかは……これから試されることとなる。
その頃、御者席で手綱をにぎっている洸も、のんびりと周囲を眺めながら物見遊山気分ではいなかった。
顔は常に前を向いていたが、視線だけは定期的に周囲を見回して警戒を怠ってはいない。
何か野生動物やら何やらがいきなり飛び出してくる可能性は絶無ではないし、ゴブリンやらオークやらが見つかる事は十分に考えられたからである。
心構えが出来ていて、さらに相手より先に発見できれば、格段に優位に立てる。戦闘における常識に、彼は常に忠実だった。まぁ状況やら何やらによっては、その常識が簡単に覆される事も忘れてはいなかったが。
されど今現在の状況では大した心配はしていない。
理由は明白で、左右に陣取っている二人のエルフは、その点において途轍もなく信頼のおけるパートナーなのだった。
何よりもリーアは精霊術において普通のエルフとは比較にならぬ程の腕前の持ち主なのだ。周囲の状況を監視するという点において、これほど優秀な警報機はめったに無いだろう。
ローザもリーアには劣るとはいえ、人族の魔導師よりも遥かに優れている。
つまりはさして緊張する必要性は皆無と言って良いのだった。
だからこそ目線だけはあちこちに向けつつも、頭の中では後ろの三人についてあれこれと考えていたのだった。
洸もかつては若者というか少年だったのだから、彼らの抱えている鬱屈は推測できていた。
ただ現代日本の、しかも特別な能力を持たない正しく一般人の少年であった洸は、彼らほどにはそれに関して悩んだ覚えが無い。
それどころか彼らと同じ二十歳前の時は、そういう事は時たま考えこそすれ、悩むまですらいっていなかっただろう。自分でものんきにも程があると思うが。
まぁ日本の社会ではそこまで悩まずとも生きていく事が困難になる事は無いので、それで済む問題でもある。同じように悩む者もいるだろうが、それはそれで幸せとまで言われかねない、非常に幸運な状況ではあったのだろう。
だがアースガードはかつて日本が、いや地球世界の大部分が今だそうであるように、もう少し逆境的な世界なのだった。
大抵の人々にとって、世界とは狭いというよりも、その外側に想像が及ばない代物だというべきか。
そうなれば若者の思考法も少々違ってくるのかもしれない。
例えばその先が破滅しかないと分かっていても進んでしまうというような。
「いや、それは行き過ぎかな?」
小声でそう漏らした途端、左右の二人に怪訝そうな表情で見られてしまった。
何でもないという態度で首を振るが、自分の変な考えからに自分で苦笑してしまう洸だった。
だがその苦笑も、すぐさま消えうせてしまった。
視界の隅に、道を塞ぐように立っている二人の男を捉えたからである。
色々と書いていたら、またもそれなりの文字数になっていました。
良い事なのか悪い事なのか、判断に悩みますね。
次回からは一応は戦闘の場面に入れると……思います。多分ですが。
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