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大旦那様

「これを親父のとこに持っていってくれ」

「…っあ、は、はいっ!」


差し出された書類を受け取ったメアリは、心なしか頬を紅潮させて頷いた。いつもつきっきりで指導してくれるロアが出掛けており、気分はまさにはじめてのおつかい状態だったからだ。緊張で上ずった声で応じると、リュッカは手元の資料に目を落としたままひらりと手を振ってみせた。


「悪ぃな」


この人は、ロアが関わらなかったら、見た目は怖いけど言葉遣いが少し乱暴なだけのいい方だなぁ、とチラリと考えたメアリは、それを誤魔化すようにぺこんとお辞儀をして急いで部屋を出た。何はともあれ、この任務を完遂しなければ。




転がるようにして部屋を出ていったメアリを見送ったリュッカは、頬杖をついたままあくびを噛み殺した。リスのようにちょこまか動き回るメアリが出ていった部屋がようやくいつもの落ち着きを取り戻す。こんなに穏やかな昼下がりには昼寝に限る。いつも隣にいてそれを許さないロアもいない。

ふわぁ、と今度は殺しきれなかったあくびをこぼしながら、リュッカは窓の外に目をやった。心地良い微睡みが意識を包み込む瞬間、何故かロアの顔が思い浮かんだ。確か今日家を出る前、滅多に見せない真剣な表情で、なにかを言われたような気がする。


『いいですか、まかり間違ってもメアリを一人であの方の部屋に向かわせないでくださいね。これだけならあなたのその足りない頭でも覚えていられるでしょう』



「……あ」







「君がメアリだね。よくやってくれていると聞いているよ」


さて、そのようなやり取りなど露とも知らないメアリは、初めて間近で見た大旦那様の姿ににドギマギしながら書類を渡していた。

現当主であるダリエスは、男ならば誰もが羨む美丈夫である。快活な笑みが常に浮かんでいる顔ははっとするほど美しい。引き絞られた身体にはスーツの上からでも分かるほど惚れ惚れするような筋肉がついていて、メアリの倍ほどもある体躯は決して愚鈍ではなく、しなやかに上品に動くのだ。リュッカより赤みの強い髪の毛は一筋の乱れもなく後ろに撫で付けられており、格好はストイックなはずなのに色気という色気が滝のように噴出しているような男だった。


「いえ!私なんてまだまだです!」

「そうかい?とっても頑張り屋さんだと聞いたよ。大変だろうけど、ゆっくり学んでいっておくれ」

「ありがとうございます…!」

「そういえば、こうして話をするのは初めてだったね」


リュッカの年齢を考えると、どう考えても40は軽く超えているはずなのに、まるで年齢を感じさせない。緊張で痛くなってきた心臓を抑えながら、メアリは声もなく頷いた。

ダリエスはますます嬉しそうに笑った。海の色をした瞳がきゅっと細まり、妖しく光る。ただそれだけの事なのに、何故かメアリの手足はしびれたように動かなくなってしまった。


「どうしてそんなに遠くにいるんだい?こちらにおいで」


遠くと言ったって机を隔てたすぐそこにいるのだが、そんなことを疑問に思う余裕はすでにない。心臓が肋骨を叩き割りそうだ。段々とぼやけていく意識をそのままに、メアリはダリエスに向かってふらふらと歩いていく。何故かその言葉に抗えない。


ダリエスの手が、メアリの頬に触れようとした、その時だった。




「…その辺にしとけよ」


メアリとダリエスの間に、何かが割って入った。特徴的な髪型が視界に入る。メアリは、冷水でも浴びたかのように、一瞬で我に返った。


「遊ぶのは構わねぇがメイドはやめろっていつも言ってんだろ。一年も経たずに辞められちゃたまらねぇ」

「心外だな、私はもうちょっと近くに寄ってくれと言っただけだよ」

「それで何人のメイドが辞めていったと思ってんだ」


リュッカは、言い合うのも面倒くさいとばかりにメアリの腕を掴んで歩いていく。まだ何が起きていたのか把握しきれず、何を言う暇もなく引きずられるようにして部屋を出ようとするメアリの背に、低く震える笑い声が投げかけられた。


「メアリ、私の部屋に一人で来てはいけないよ。君みたいな娘は、すぐに食べてしまいたくなるからね」


ぎょっとして振り返った瞬間、ダリエスの部屋の荘厳な扉が、音もたてずに閉まったのだった。







「すまねぇ、身内の恥だ」


自分の部屋についた途端、泣く子が息を詰まらせて死んでしまいそうなほど不機嫌な顔で、リュッカが低く唸った。


「あれの女好きは病気だからな。迂闊に近寄ると身籠るぞ」

「みごも…!?」

「お前の前任もそれで辞めていった」


辞めた理由は本当にそれだけだったのかは定かではない。むしろ他に山ほど原因があったに違いないと思ったが、メアリはぐっとこらえて口を閉じた。吐くほど言いたいが、今はそんな事を言っている場合ではない。


「あの…先程のは一体…」

「詳しくは分からねぇが、親父は女を狂わせるらしくてな。どんなに真面目で堅物な女もアレの前では簡単に脚を開く。気をつけろよ」


それはもう人知を軽く超えた現象なのではないだろうか。メアリは身震いしながら頷いた。遠くから見ている分には、快活で使用人思いのとても素晴らしい人だったのに。


「ともかく悪かったな。もう一人であの部屋に入るんじゃねぇぞ」

「はい、身を持って知りました」

「何か用があるときには俺かあの牛女を連れて行け」

「ロ、ロアさんですか?」

「この屋敷の中で親父とベッドインするくらいなら死んだほうがマシだと思ってる奴は、俺とあいつくらいのもんだ」


メアリは純粋に驚いた。ロアもれっきとした女性である。まだ幼いメアリでさえその毒牙にかかったのだから、ロアなんて格好の餌食だろうに。

メアリがそんな疑問に気を取られていると、疲れたから俺は眠ると言い捨てて、リュッカは長椅子に寝そべってしまった。朝から机の上に置いてある書類は一向に減る気配を見せていない。主人と書類を交互に見やり、とりあえず散らばっていた書類を片付けることから始めたメアリは、やはりキリキリと痛んできた胃を撫でさすった。色々考えるべきことはあるけれど、とりあえず最初の給料が出たら、まず最初に胃薬を買おう。



帰ってきたロアが、まるで減っていない書類と堂々と眠るリュッカを見て、輝かんばかりの笑顔でリュッカの顔に書類を叩きつけて起こすまで、あと1時間のことである。

筋肉お化けの色情魔が登場!

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