表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

始まり

散々迷ってジャンル:恋愛にしたけどやっぱり例のごとく恋愛しないです

名門クラフォード家の新米メイドとして厳しい研修を終えたメアリの配属先は、なんと長男リュクシオラスの専属メイドであった。




名門貴族の長男であるリュクシオラスには、すでに専属メイドがついている。つまりメアリは正確に言うと彼の専属メイドのそのまた部下となるわけだが、それでも名誉あることには変わりない。身に余る光栄に喜び、真新しいメイド服に身を包んだメアリは、案内された部屋の前で大きく深呼吸した。勤務初日、彼女の胸は、希望で満たされていた。


しかしながらメアリは、残念ながらこのときまだ何も分かっていなかった。この家において、長男とその専属メイドの近くに身を置くということがどういうことなのか、新米メイドには知り得るはずもなかったのである。







「あなたがメアリですね。私はロアといいます。これから一緒に頑張っていきましょう」


リュクシオラス専属メイドであるロアは、初めて顔を見合わせた時から微笑みを崩さない穏やかな人だった。20代の前半くらいか、黒髪が長く美しい素敵な女性で、ガチガチに緊張していたメアリに優しく笑いかけ、いろいろな話をして和ませてくれた。女同士の争いも覚悟していたメアリは感動に打ち震え、なんて素敵な環境で働けるのだろう、と涙ぐみさえした。


「慣れねぇこともあるだろうが、よろしく頼む。名前が長いならリュッカでいい。みんなそう呼んでる」


主人であるリュクシオラス――リュッカも、驚くほどキツい目つきと少々乱暴な言葉遣いではあったけれど、こちらに心を砕いているのはよくわかった。綺麗に切りそろえられた金の髪は目に眩しい。社交界でも人気の高い彼は、25歳にして上に立つ者の風格を兼ね備えていた。上司と主人、2人とも素晴しい人間である。メアリの胸はますます希望に膨らんだ。




ここまでで終わっていれば、きっとめでたしめでたしで終わる素敵な物語だったのだろう。しかしながら人生はそう簡単にいくものではない。ロアがふとリュッカの机の上に目をやり、山になって置かれた紙の束をつまみ上げたその瞬間から、メアリの命運はおかしな方向に進み始めたのであった。




「―――ご主人様、書類が溜まっておりますが」

「片付けておけと言ったはずだぞ」

「誠に申し訳ありませんが、冗談はそのキノコ頭くらいにしておいて頂けます?」


あまりのことにうっかり聞き流すところだった。メアリは思わず目を見開いてロアを二度見する。気のせいかもしれないが、なんだか使用人にあるまじき暴言がその口から吐き出されたような気がする。メアリはあくまでも聞き間違いだと思い込もうとしたのだが、その努力をぶち壊すかのように、主人であるリュッカの表情が一気に険しくなった。


「あ?てめぇ今何つった?」

「頭だけではなく耳も悪くおなりに?ご愁傷様です、これで貴方が他人に勝る所は態度のデカさのみになりましたね」

「殺されてぇのか」

「滅相もない、私の代わりに貴方が死ねばよろしいのでは?」

「てめぇに俺が殺せるわけねぇだろうが、一回死んで出直してこい」

「私が殺すとは一言も申し上げておりませんでしょう。ただこの世で一番苦しい死に方でしねばいいのにと思っているだけです」

「死ねデカチチ」

「死ね能無し」


衝撃のあまり胃が痛くなってきた。彼らの背後でドス黒い何かが蠢いている。リュッカは不機嫌全開の表情だからまだいい。眉間に城壁もかくやと言わんばかりの皺が寄っているが、まだ身が竦むくらいで済む。問題はロアの方だ。まるで仏のように穏やかに微笑みながら、こちらの度肝を抜くようなとんでもない毒舌でリュッカを挑発する。聖人君子から暴言がスラスラと吐き出されるのを見るのは恐怖を通り越して自分の正気を疑うレベルだ。思わずひいっと漏れた悲鳴は、リュッカの痛烈な舌打ちによってかき消された。


「主人に向かってその口の聞き方は何だ」

「生憎、書類一枚片付けられない人間を主人だと敬うおめでたい頭はしていないものですから、貴方と違って」


ロアは、人間を殺せると紹介されてもまともに信じてしまいそうなほど鋭いリュッカの眼光に睨まれてもどこふく風で、机の上に積み上げられた書類をさらに積み上げて絶望的なタワーを作り上げていく。いつの間にこんな書類が溜まっていたのか検討もつかない。メアリがぼんやりしている間に、書類の壁がいつの間にかリュッカの姿を隠してしまった。あまりの珍事態に言葉を無くし続けていたメアリに、ようやく書類を積み終えたロアが優しく微笑む。


「メアリも、このようなダメ人間になってはなりませんよ。上品に、優雅で、色気の溢れる、大旦那様のように育っていただきたいものです」

「何言ってんだ、てめぇ親父の事この屋敷の中で一番嫌いだろうが」

「なぜご自分が一番嫌われているとお思いにならないのかは甚だ疑問ですがまぁそれは置いておくとして、私が申し上げているのは部下に頼らず己の力で職務を卒なくこなす能力のことですよ」

「まさしく俺じゃねえか」

「寝言はベッドでねんねしてから仰ってくださいます?意味もなく目玉を抉り出したくなりますから」

「無意味に自傷行為か?とんだドMだな」

「てめぇのだよ坊っちゃん刈り」

「はぁ?ご自慢の髪の毛毟り取ってケツから生やしてやろうか?」

「自ら家畜に擬態を?とんだド変態ですね」

「てめぇのだよ牛女」


ストレスで胃に穴が開くことがあるとかつて母親が教えてくれたことを、メアリは思い出した。それが本当なのであれば多分もう3箇所くらい開いている。書類の壁の向こうかリュッカの声が聞こえているが、心なしかそのあたりが薄暗くなってきたような気がする。ロアは入室当初から寸分違わず穏やかな微笑みを浮かべているが、おそらく今日悪夢に出てきて魘されるであろうことは明白なほど怖い。全く途切れることなく続く暴言のドッチボールを聞きながら、キリキリ痛み出した胃を押さえて、メアリはちょっと泣いた。このいつまでたっても終わらないやりとりが、おそらく自分の日常生活に組み込まれる事になると、直感していたからだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ