交渉人の日常、その二
第一章みたいなものが終わります。
改めて、ぼくの話をしよう。
ぼくの名前は唯原飛翔。
裏世界の交渉人だ。
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「また俺の買った限定品がなくなってんぞ!」「今度は何ですか?」「ケーキだ! 駅前の『ロッドカット』の限定チョコケーキ!」「最近知ったけど、ちーさんって甘党?」「嫌いな奴がいるのか! あまいもんだぞ!」「花さんは苦手ですけどね、辛党ですから」「んなことはどうでもいいんだ! 犯人は名乗り出ろ! また流水か!」「流水さんは昨夜からドイツですから、除外していいのでは?」「じゃああの変態か!」「正義さんも甘いお菓子は苦手じゃなかったでしょうか?」「それよりゆっきー、早く朝ご飯ー。腹ペコだよー」「あとは味噌汁だけですから、もうちょっと待ってください」「へーい」「おぉい! 待てお前ら!」「もう何ですか千影さん! 騒々しい! 盗聴器の調整中です、静かにしてください!」「うっせえ! だいたいお前盗聴されてる七丁目の身になって考えろ! 自分の私生活監視されるのがどんだけ気持ち悪いか考えたことあるかぁ!」「えっ……私が一言に盗聴されているとしたら……つまり私のやっていることが一言に筒抜け……つまりいつでも以心伝心!」「何でそうなる!?」「最高です!」「さ、最高か?」「うーん。私みたいな魔術師には分からない感覚です」「俺みたいな妖怪にも分かんねーよ。つうか誰にも分かんねーよ」「受信機プレゼントしないと!」「すまん、七丁目。どうやら俺は余計なことを言ったらしい……」「まあまあ。なっちょはそんなこと気にしないよ、今更」「『今更』。かなり諦め臭の強い言葉だな。あまり好きではない」「うわぉ! いつからそこに!」「てめえ変態! お前、俺のチョコケーキについて何か知ってんじゃねえのか?」「ギクッ……………………何のことだ?」「今ので何かごまかせたとでも思ってんのか? だとしたらお前はとんでもねえ馬鹿だ」「馬鹿ではない、テロリストだ」「やっぱり馬鹿だ」「馬鹿だね」「馬鹿です」「馬鹿なんですねー」「黙れ。貴様らに我らの理想は理解出来ん」「理解しようと思ったことはないし、理解したいとも思わねーよ」「ふん、そうか。しかしお前のチョコケーキだが、あれは俺が頂いた」「おい急に白状すんな。対応に困る」「あれ? 甘味は苦手じゃなかったでしたっけ?」「まあな。しかし美味そうだったんで、つい」「『つい』、じゃねえぇ! あれを買うのに俺がどんだけ苦労したと思ってんだ!」「ゆっきー、お味噌汁まだー?」「はいはい、出来ましたよ」「ふむ。食べるか」「では私も。受信機はネットで買おかっかな」「頂きます!」「何で何事もなかったように!?」「え? だって何事もなかったじゃん。いつもの朝じゃん」「言われてみれば……って違うだろうがぁ!」
「…………」
どうも、毎度騒がしいシェアハウス『ホームズ』からお送りします。
魔術師が作った朝食は本日も絶品。魔術師が作ったにしては普通の和食。でもめっちゃ美味い。うちの母親とは比べ物にならない。その他も日常だ。妖怪は怒っていて、トレジャーハンターは海外で、医者はいなくて、家出人はマイペースで、殺人鬼は出勤していて、ストーカーは危なくて、テロリストは気持ち悪くて、秘密結社構成員はまだ布団の中で、交渉人は彼らのテンションについていけない。
いつもと、何も変わらない。
絆が『こちら』に関わっても、『こちら』が変わる訳もないのだから。
「そういえばさ」
藍が思い付いたように話し掛けてきた。味噌汁を飲みながら。
「何だよ」
「きずなん、ひっしょんの『正体』を知ったってホント?」
「…………」
「しかも、かなりヤバい状態だとか」
おや? 何故知っているのかな?
花さんが喋るはずもないし、ぼくが話した記憶もない。
「ナンノコトカナ?」
「うけけけ……だから分かりやすいって、ひっしょん」
笑顔から真顔になる藍。
珍しい光景である。この家出人はあの道化師のように、基本的にはふざけていて、掴みどころがないのだ。
「……また、ひっしょんが失礼なことを考えている気がする。うーん。めっちゃんと重ね合わせた?」
「おいおい。それだと明時が悪口みたいじゃないか」
いや、事実そうなんだが。悪口っていうか、只の暴言を通り越して、過度な暴力。つまりぼくは十三歳少女に過度な暴力を振ったことになるのか。
……そう考えると、最低の人間だな。最悪の道化師と比べるまでもないが。
漬け物をかじりながら、藍が澄ました顔で言う。
「てか否定はしないんだね」
あ。
「うけけけ」
何度聞いても、下手くそな笑い方だ。決してブサイクでないから不思議だ。
それにしても、語るに落ちるならぬ語らずに落ちた、か。
「上手くねえよ。つうか語っても語らなくても、交渉人が言い争いで負けるなよ」「千影さん、人の心勝手に読まないでください。迂闊にエロいことも考えらんないじゃないですか」
「セクハラです」
「何がセクハラだ。七丁目だって、エロいことくらい考えると思うぞ?」
「そ、そんな、不純なこと、一言が考える訳……」
「なぎちゃん、深く考える必要はないよ。なっちょだって男なんだし。むしろ、誘惑して篭絡させちゃえ」
「それ、意味分かって使ってる?」
「全然」
おい。
全く、先が思いやられる少女だぜ。家出している時点で、先も何も思いやられるけどな。
「てか、なっちょの話はいいの。今はきずなんとひっしょんの話」
「……まあ、あれだよ。問題はない。たぶん、ない」
「あやふやだね」
「情報操作を明時に頼んだからな」
「ええ!?」
藍が目を見開くくらい驚いた。ついでに言えば、妖怪は味噌汁を吐き出し、テロリストは箸を落として、魔術師は開いた口が塞がっておらず、ストーカーは不愉快そうにサンマを食いちぎった。
「何やってんだ、お前。前々から馬鹿だとは思っていたが、馬鹿なだけじゃなかったんだな。いやマジいかれてやがる」
「正直引いたぞ。あいつの正体を知った上で、あいつの性格を熟知した上で、あいつに頼み事とは、愚かだな」
普段仲の悪い妖怪とテロリストが、全力でぼくを非難してくる。何でこんな時だけ意見合うんだ、アンタら。
「大丈夫ですって……」「大丈夫じゃないよ! ひっしょん急いできずなんを保護しに行こ! このままだと、めっちゃんに何されるか分かんないよ! きずなんの貞操がピンチだよ! と、その前に、ひっしょんどうしたの!? 熱でもあるの!? どっかで頭打った!? とにかく病院! かっさん早く帰ってきてー! 何で二日間連続で夜間通勤なんだぁ!」
「うん? 今日は早朝から漫画喫茶に行っているわよ?」
「医者辞めてしまえ!」
尋常でないくらい取り乱す家出人。
なんとなく微笑ましい。初めて逢った頃、つまりは流水さんが拾ってきた頃は、こんなに感情豊かじゃなかったからな。
「何を笑っているか、交渉人め! 恋人がどうなってもいいのか!」
「誘拐犯かよ」
「むしろ誘惑犯になりてぇ!」
何言ってんだ、こいつ。支離滅裂だ。よっぽど混乱しているらしい。
やっぱり微笑ましいなー、と思っていると、魔術師がぼくの肩を指で突いてきた。
「何ですか、由紀さん」
「飛翔くん。もしかして朝食を一人分多く作ってくれって言ったのは……」
あ、バレました? 由紀さんの勘は微妙に鈍いから、もう少し気付かないと思ったけど。
「これから毎日必要だったりします?」
「ええ。……ダメですか?」
一抹の不安を抱えるぼくに、由紀さんはおよそ魔術師のイメージに反する、穏やかな微笑みを向けた。
「問題ないですよ……でも、そういう大事なことは先に話して貰わないと困りますね」
「すいません」
素直に詫びた。この人には世話も迷惑も手間も掛けっぱなしだ。申し訳ないと思う一方で、有り難いと思う。
「話の前後を整理すると、花さんは知っていたんでしょうね」
「まあ、はい」
「困った人達ですね」
嬉しそうに文句を吐き出す由紀さん。ぼく達の会話から、周りの人達も、状況を理解したらしい。
「なるほどな」「となると、明時を嵌めたな?」「やりますね」
「え? 何? どういうこと? だ、誰か説明して」
一人だけ理解していない少女がいた。
しょうがないな。じゃあご本人に登場願おうか。
「おーい、出てきていいよ」
ぼくの声から少しの間があって、リビングに、一人の少女が入って来た。
「んにゃ!」
藍だけが驚く。他の連中はほとんどリアクションもなく、彼女に挨拶を交わす。
「よっす」「久しぶりだな」「おはよう」「元気?」
藍が子犬のように走り出し、彼女に飛び付く。
「きずなーん!」
その少女とは何を隠そう、斑崎絆。ぼくの彼女である。
「うん、藍ちゃん」
絆は何か申し訳そうに、藍を抱擁する。てか藍、泣いている。ガチだ。情報操作を明時に任せたと聞いて、よっぽど絆のことが心配だったんだろう。今更ながら、先に、絆が昨晩から『ホームズ』にいると説明しておけば良かったと後悔する。
ぼくだけの絆じゃないんだなあと、変な実感。
それから、藍の中での明時の印象って一体……。
「何で!? 何できずなんが、うちにいるの!?」
話すと長い。
掻い摘んで言えば、匿っていた。もしくは庇っていた。何から? 警察とか世間とか明時とか、色々から。
鹿羽研究所では結局、絆は結論を出さなかった。ぼく、ほとんどプロポーズに近い発言をしたんだが。
罪を隠して生き続けるべきか、罪を悔い改めるべきか。
考えたいそうだ。期間はしばらく、ひょっとしたら永遠に。いや、ほとんど前者みたいな結論だから、ぼくのプロポーズを受けてくれたに等しいじゃないかとも思うけど。
で、結論が出るまでどうするか。 何故か、『ホームズ』に住むことになった。教授の進言。そして絆の希望。それから、ぼくの提案。
まさかあの殺害現場に住むのは抵抗がある。明時が処理してくれたとしても、人が死んだ空気は簡単に消えるもんじゃない。まして、自分が殺したともなれば。
鹿羽研究所に預けるなど、死んでも嫌だ。どう考えても論外だ。
となると、ぼくの家である『ホームズ』しかない。……いや、そうか? 本当にそれしかないか? もうちょっとどこかある気がするが……。
しかし、その場にいた三人が誰も反対しなかった。花さんに電話で相談したら『いいんじゃない?』と軽く賛同された。
処理や準備で夜遅くになったから、絆が来たことに誰も気付かなかった訳だ。
「ああん? じゃあ何か? ここに同棲が二組み住むようになるってことか?」
そんなただれた生活する訳ないだろ。……いや、やりたいけどさ。
「二階の空き部屋に住んでもらいうことになりました」
ぼくは天井を指差す。真上ではなく斜め右前。あの辺りに、絆に使ってもらう部屋がある。前は、謎を解かない探偵が住んでいた。
「部屋使うってことは、あの男にはもう言ってんのか?」
千影さんが明後日の方向に首を曲げる。その先には、面倒臭がりな秘密結社構成員の部屋がある。大家の部屋とも言う。
「当然ですよ」
リアルに二つ返事だったよ。何がダメなんだ? みたいな。
「じゃあ久しぶりに全部屋埋まるのか……。ふん、喜ばしいな」
「にぎやかになりますね」
「歓迎します」
「わーい」
「………………」
まだ詳しい事情は話していないが。
たぶん、ここにいる全員が、絆が人殺しになったことを何とも思わないだろう。相手が実の両親だとしても。むしろ、無事で良かったとさえ思うはずだ。
はっきり言って、どうかしている。
そんな連中だ。だからこそ、ぼくはこいつらと家族みたいなものになろうと思った。
果たして。
ここで生きることが、絆にとって凶と出るか吉と出るか。それは、神か預言者でもないと分からないだろう。
ぼくと絆が別れなかったことに、出逢ったことに後悔しないことを祈って。
「朝ご飯、食べようか」
「うん」
とりあえず、今日はこれだけ言っておく。
斑崎絆。
ぼくと出逢ってくれて、ありがとう。