交渉人の選択
勉強はかどらず。
今日の昼休憩だったか、一昨日の抗争前だったか、一カ月前の共同戦線解消後だったか、半年前の競争中だったか、去年の絆との交際発覚時だったか。
ある殺し屋とこんな会話をした。
「斑崎って、人殺さないかな?」
「……どういう意味だ?」
「ほら、お前ってヤバいじゃん。存在とか運命とか。……だから、お前の運命つう重力に、斑崎が押しつぶされないかな、って話」
「絆がぼくの巻き込まれた事件に巻き込まれるかもって話か。確かに有り得る可能性だ。だからって、何で殺人なんだよ。嫌みか? あ、僻み?」
「お前相手に僻むことなんて一点もねえよ。俺、女には苦労してないから」
「女癖悪いもんな、お前」
「おい言い方を選べ。大将けしかけるぞ」
「うん。ぼくは言い方を選ぶから、塁、とりあえずお前は手段を選ぼうか。お前は本当に頭が悪いな」
「言い方一ミリも選んでねえよ。有言実行って格言を知らねーのか?」
「で、何でその話を?」
「強引に話戻しやがって……。まあ仮定として話を進めよう。心理クイズだ」
「ああ」
「斑崎が人を殺したら、お前どうする?」
「全力でもみ消す」
「そういう話で済むか? 俺らはいかれてるから人殺しても何も思わないけど、斑崎はそうじゃないだろ」
「その意見には賛同するけど、ぼくとお前を一緒にするな」
「細かいこと気にすんな。それで、人を殺したら、たぶん斑崎、普通じゃなくなるぞ? いや元があれならそこまでは逸脱しないだろうけどよ」
「何が言いたい? 殺し屋」
「普通じゃなくなった斑崎絆を、それまでと同じように愛せるかって話だよ。交渉人」
「…………」
「なあ、交渉人。お前が愛してんのは、何だ? 何で斑崎を好きになった? 『無敵』である権利を放棄してまで、あの女の何に惚れた?」
「………………」
「お前が愛しているのは、斑崎絆か? それとも、自分が絶対に手に入れることが出来ない『普通』の人生を送っている少女か?」
「……………………」
「お前は、『普通でない』斑崎絆を愛せるか?」
ぼくは答えなかった。
答えられなかった。
□
「最初は、騙されてるのかなって思った。だって、守永先輩には、私を庇ってリミットなんかないから」
まあ妥当な感想だ。あいつはどんな人間のどんな相談だろうと受ける。だが、それは相談を解決する為じゃない。相談してきた相手を助ける為じゃない。むしろ、逆だ。あいつは、誰かを不幸にする為に、世界に災厄を撒き散らす為だけに、誰かの悩みに、誰かの苦しみに付け入る。
今回だってそうだ。苦痛を与える対象はぼく。最愛の恋人に、正体を知られるという最悪。バラそうとすればいつでもばらせたが、この状態だからこそ意味はある。
絆が救いを求めている、この状況だからこそ意味はある。
奴は解決以上のことはせず、壊滅以下をしやがる。
小さな支障を大きな問題に変える。最善を最悪に変換する天才。最高を最低まで叩き落とす天災。それが、守永明時なのだから。
色々他に理由はあるが、ぼくとあいつが敵対しているのは、あいつがそういう性格であり、そういう性質の持ち主であるからだ。
つい一昨日も、ちょっとした抗争をしたばかり。おかげで絆とのデートに遅れたことは記憶に新しい。
よりにもよって、何でそんな奴を頼ったんだ。あれだけ注意しろと言っていたのに。生徒会長というレッテルに、騙されるなと言い続けてきたというのに。
「だってしょうがないじゃん」
絆は開き直った。
「他に、どうすれば良かったの?」
その言葉に、ぼくは怒りを覚えた。何に? 絆を陥れた形になった明時に。ぼくに頼ってくれなかった絆に。絆に頼られなかった不甲斐ないぼく自身に。全てに。
「……明時」
まだ切れていない通話で、電話の向こうの明時に語り掛ける。
『ん?』
明時は怪訝そうな声を上げるも、
『何だい?』
と応じた。
「もしも今回のことを水に流して欲しかったら……」
いや、明時相手にこれは逆効果か。なら反対に、
「もし今回のことでこれ以上ぼくに憎まれたくなかったら余計なことはするな」
『余計なことって?』
声、弾んでやがる。
「警察への根回しとか、あの家の惨状の証拠隠滅とか、情報操作とか」
『何でさ。面倒事は僕に任せればいいじゃん』
「お前に借りを作りたくない」
数秒間の沈黙。
息さえも聞こえず、道化師が何を考えているかは不明。いや、予想は簡単につくけどさ。
『ひ、ヒヒヒヒ』
予想通りの、引きつったような笑い。家出人こと藍もそうだが、何故、ぼくの周りには笑い一つ普通に出来ない奴らばかりなんだ。
『ひひゃひゃ! 悪いな、交渉人よ! 僕はやるなと言われたことは絶対にやる主義なんだよ! 僕に借りを作りたくない? 残念だな! 僕は嫌がられると分かっていると俄然やる気が出るんだ! 元々そういう約束だしね! 絆ちゃんの過ち、全力で隠蔽しよう!』
明時は言いたいことだけ言って電話を切った。
…………よし、馬鹿で助かった。おそらく奴は、『隠蔽をした事実』さえ隠蔽してくれるだろう。
気を取り直して絆と向き合う。ちなみに教授はいつの間にかいなくなっていた。あのおっさんには珍しく、気を使ってくれたのだろうか。雨でも降りそうだ。
絆が何か言おうとしたが、ぼくが先手を取った。
「絆、ぼくのこと聞いて、どう思った?」
「え?」
予想外の質問だったのか、絆は呆ける。そういう顔は、久しぶりだ。可愛いねえ。好きだよ、そういうマヌケ顔が似合うところ。
「ほら、教授から聞いたんだろ。一高校生ではなく、不戦の交渉人、唯原飛翔の話を」
「…………うん」
絆は、気まずそうに相槌を打つ。
「ねえ、本当に、ひっくんって『交渉人』なの? その、裏世界の交渉人って、よく分かんないけど」
うん。
実はぼくもそう思う。
「まあ、『交渉人』って便宜上そう呼ばれているだけでさ。確かに『表』で言う交渉人のイメージでも間違ってないけど、正確じゃない……ぼくはただ、暴力無しで、言葉だけで裏世界を渡り歩いているからさ」
実を言えば、あの道化師もその類いの人間なんだよなあ。大変、不本意ながら。
人外と呼ばれる怪力もなく、摩訶不思議なる魔術もなく、他人を操る邪眼もなく、傷が超回復する体質でもなく、天下を知り得る知識もなく、世界を飲み込む頭脳もなく、因果に逆らう信念もなく、運命を支配する霊力もない。その他一切の戦闘能力、異常能力、超能力も所持しない。
自分の言葉と他人の感情のみを武器とする。
「だから『不戦』?」
「まあね」
格好良くはないけど、気に入っているよ。だって。
「君がいてくれなかったら、ぼくはまだ『無敵』のままだったよ」
「それ、褒めてる?」
「うん。感謝している」
あの頃のままだったらぼくは、きっと死んでいた。いや、生きていないだけか。
母さんに捨てられたあの日から、ぼくは死んでいた。それを生き返らせてくれたのは、絆だ。
「ぼくは死にたいと思ったことはない。昔は死人当然だったから。今は、君がいるから」
「…………」
「君がいたから、ぼくは救われた」
だから。
「君を助けたい」
「…………」
「ぼくと一緒に、生きてくれ」
あるいは、ぼくと一緒に死んでくれ。
好きな方を選んでくれ。君と同じ選択肢を取るから。
ぼくが好きなのは、斑崎絆だから。