常識人の罪状
試験がひとまず終わりました。
何で、こうなった。
□
一人の少女がいました。
少女は普通でした。
平凡でした。
一般でした。
取り立てて裕福ではありませんでしたが、貧しい生活でもありませんでした。
少なくとも少女は自分が不幸であるなんて思ったことはありませんでした。親友や恋人もいて、順風満帆な、特徴のない恵まれた人生でした。
しかし、ある日、逸脱してしまったのです。
道を踏み外してしまったのです。穴に落ちしてしまったのです。何かを間違えしまったのです。
いえ。
もしかしたら、最初から何もかも、彼女は間違えていたのかもしれません。少女は普通で 一人の少女がいました。
少女は普通でした。
平凡でした。
一般でした。
取り立てて裕福ではありませんでしたが、貧しい生活でもありませんでした。
少なくとも少女は自分が不幸であるなんて思ったことはありませんでした。親友や恋人もいて、順風満帆な、特徴のない恵まれた人生でした。
しかし、ある日、逸脱してしまったのです。
道を踏み外してしまったのです。穴に落ちしてしまったのです。何かを間違えしまったのです。
いえ。
もしかしたら、最初から何もかも、彼女は間違えていたのかもしれません。少女は普通でも平凡でも一般でもなかったのかもしれません。
何故なら、普通の人間は、平凡な少女は、一般な学生は、人を殺したりしないでしょう。
少女は父親を殺してしまいました。少女は母親を殺してしまいました。少女は、両親を殺してしまいました。
きっかけは些細なことでした。例えばそれは、少女の人間関係によるものでした。
恋人だったり友人だったり、その辺りのことで、少女は両親と口論になりました。
少女の父親は言いました。
「あの男はおかしい」
と。
少女の母親は言いました。
「あの子は、危ない」
と。
両親の意見は、とてつもなく何も間違っていない、ただただ正しい意見でした。
実際、少女の友達の大半、特に恋人経由で知り合った友人には、変わった性格の人間が多いのでした。そして、少女が気付いていないだけで、それらの人物のほとんどが、変人奇人の枠には収まらないような、悪人ばかりだったのです。更に言えば、少女の恋人だってそうでした。
しかし、少女にはそんなことは分かりませんでした。いえ、分かっていましたが、関係ありませんでした。
変人だろうと奇人だろうと悪人だろうと、
少女の恋人に、あるいは友人に違いないからです。
人間性に問題があろうとも、少女は彼らの問題の無さをよく知っていました。彼らの、人間らしさを知っていました。彼らの素晴らしさを知っていました。
ですが、両親にどれだけそのことを伝えても、伝わりませんでした。耳には届いても、心には通じなかったのでしょう。いえ、耳にさえ、届かなかったと見るべきでしょう。
少女の言葉を聞こうと、両親の意見は変わらなかったのですから。
悲しいくらいに。
少女の言葉や感情は、何も届かなかったし、何も通じませんでした。
他人の意見を聞かず、自分の意見を無理にでも通す。それもまた、『普通』の特徴でした。皮肉なことに。
ついに彼らを非難し始めた両親を見て、少女は理解しました。
ああ、この人達とは分かり合えないんだな、と。
そう、理解してしまいました。自分のことなのに、自分の両親のことなのに、他人事のように、そう思いました。
この時点では家出をしようと思いました。少女がよく知る、笑い方の下手な少女のように。
ならば何故、殺してしまったのか。
要因は色々ありますが、最終的な決め手となったのは、父親のこの言葉でしょう。
「あんなクズのどこがいいんだ!」
その言葉に、少女は我を忘れてしまいました。
あんなクズ? ひっくんのことを、あんなクズ?
ろくに父親らしいこともせず、私に習い事から高校まで、何一つ自由にさせてくれなかった癖に。私のことを考えてくれたことなんて一度もない癖に。私のことなんて、愛してもいない癖に。自分のことしか考えてない癖に。何もしてくれなかった癖に。私が小学校でいじめられていても助けてもくれなかった癖に。私が中学受験に落ちても慰めてもくれなかった癖に。
愛を、一度も向けてくれなかった癖に。
ここで一つ、訂正をしなければいけません。
傍目からは幸福であった少女でしたが、少女自身はそんな風には思ったことがないようです。
少女は、幸福ではなかったようです。『普通』であっただけです。ただ、不幸だけではないようです。
父親よりも母親よりも、自分を愛してくれる少年のおかげで。
だから。
そんな少年を否定されて、少女は、『普通』でいることを放棄することにしました。
「お、落ち着くんだ、絆……は話を聞くんだ!」
「や、やめて、絆ちゃん、お願いだから、その包丁を置いて」
「と、父さんはお前のことを思って……」
「よく言うわよ……私のことなんて、どうでもいい癖に!」
実際、少女の両親は少女の身を案じた訳ではありません。
ただ、少女の恋人である少年の、目が怖かったのです。だから、自分達から遠ざけたかったのです。他の理由は後付けであり、嘘みたいなものでした。
少女の思った通り、少女の両親は少女のことを愛してなどいませんでした。しかし、それは『異常』などではなく、『普通』なのです。
なのに。
少女は両親を殺したことを、『普通』を放棄したことを、悔やみました。
本気で後悔しました。
それも『普通』なことでした。人を殺して後悔するのは、当然のことでした。
そんなのは勝手な言い草だと責める人もいるでしょうが、人を殺して後悔するのは、当たり前のことなのです。
後悔するくらいなら最初から殺さなければいい、なんて戯言は、人を愛したことのない偽善者の台詞でしかないのです。
少女は、誰かに懺悔しようとしました。隠すまでもなく、己の罪を告白しようとしたのです。
最初は恋人にしようとしました。
しかし、何かに躊躇いました。昨日喧嘩したこともありましたが、何か、少年に言ってしまうと、全てが終わってしまいそうに思いました。
だから、気が変わりました。逃げようと思いました。少年にはどうやっても、知られてしまうでしょうから。そんな現実逃避も『普通』のことです。
逃げる準備をしました。必要だと思うものを手当たり次第、旅行用カバンに詰めました。混乱しながら行ったので、泥棒か家宅捜索が入ったように、部屋は散らかってしまいました。しかし、また戻ってこられるとは思えません。
服は返り血で汚れていましたから、荷造りの前に着替えました。しかし血は落ちにくいようで、洗濯機に入れても、綺麗になりません。仕方ないので、諦めて洗濯機の中に放置しました。
恋人の代わりに、少女はある少年に電話をしました。少女の通っている高校の生徒会長です。少女の恋人は何故か道化師と呼んで毛嫌いしていますが、少女は恋人の次に信頼している人物です。先ほど殺害した両親などより、余程信頼できてしまう人物です。常にふざけていますが、人の相談を進んで解決しようとする優等生です。
殺人犯の逃亡など手伝ってくれるはずもないが、誰かに罪の告白だけはしておきたかった。そんな思いで掛けた電話だったのだが、
『えー? 絆ちゃん、人殺しちゃったの? そいつは大変だね。そうだ。絆ちゃんが僕の頼みを三つ聞いてくれたらその殺人、なかったことにしてあげられるんだけど、どうかな?』
と、吹っ飛んだ返答が返ってきた。
『言っておくけど、僕は真剣に君の話を聞いているし、真面目に君に提案をしているんだよ。あ、頼みってのは別にほっぺをつねらせて的なものは要求しないし、コスプレして恥ずかしい台詞を言ってとかじゃないから安心して。勿論、足裏をなめたいなんて死んでも言わない』
はっきり言って引いた。そういうことを要求しないと口に出すとは即ち、そういう性癖があるからだ。
そういう人だとは思わなかった。
『ちなみに』
引きっぱなしの少女に、道化師の少年は言います。
『頼みってのは簡単さ。一つ目、このことはバレるまで誰にも言わないこと。二つ目、町の外れにさ、「鹿羽研究所第九支部」ってあるじゃん。夕方の五時くらいにそこ行って教授の話を聞いて欲しい。難しい話じゃなくて、暗い話。あ、十二時くらいには家から出た方がいいね。勿論、出来るだけ人に見られないように。最後に、その研究所に入る前に唯原に電話して伝えて欲しいんだ』
何故か、少女は電話の向こうにいる道化師に強い恐怖を抱きました。いや、悪い狂気と表記した方が正確かもしれません。初めて、恋人が彼を嫌っている理由が分かった気がしました。
それでも少女は、勇気を奮って聞きました。そんな変なタイミングで、信じる恋人に何を言えばいいか。
『簡単だよ』
道化師の嫌な感じが伝わってきました。そんなことはないでしょうが、笑っているように感じました。
『「助けて」って言えばいい』
最悪だと思いましたが、少女は道化師の言う通りにしました。
だって。
助かりたかったから。
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