交渉人の最悪
やはりシャーペンより、携帯をいじる手が止まらない今日この頃。
結果、いつだって最悪の結果になるんだ。
□
「おやおや、噂をすれば影を差す、だな。不戦の交渉人、唯原飛翔本人のご登場じゃないか」
何で、こんな事になっている?
扉を開けてみたら、信じられない光景があった。いや、想像していたのとは違う光景、か。
場所は『鹿羽研究所』応客室。鹿羽研究所と言っても、本部ではない。世界中にたくさんある地方拠点の一つだ。
あ、『鹿羽研究所』ってのは『十戒家』っていう馬鹿でかいコミュニティーの下部組織だ。勿論、裏世界の組織。全体の勢力が巨大過ぎて、末端では規模さえ把握出来ないのだから、ふざけた話だ。 何でぼくがそんな場所にいるかと言えば、細かく話すと長くなるので要約して、要点だけ話す。
塁がバイトに戻った後、ピザを食べながら、ある死神の存在を思い出した。塁と同じ組織に属している、関西弁の死神だ。ついでに言えば、見た目だけは年下の少女だ。死神だけあって人間の魂を探すことは朝飯前。人捜しにはもってこいだ。
その手の部類の能力を持つ知り合いは他にいないでもないが、ぼくの頼みを、それもすぐに受けてくれるような当ては、彼女しかなかった。まして、絆に逢ったことがあるとなれば。
そこで彼女に絆の魂を探してもらったところ、この研究所に絆がいると言うのだ。
正直、気が気じゃなかった。だって想像してご覧よ。最愛の恋人がマッドサイエンティストの巣窟にいるってんだから。あの死神に縁起でもないことを言われたってのもあるが。
とにかく、後のことは花さんに任せ、ぼくは絆の家から全速力でここまで来た。
しかし、何だ、この空気。誘拐とか拉致とか捕獲とか、そんな雰囲気じゃないぞ?
「しかし唯原。何故肩で息をしている? ドーベルマンにでも追いかけられたか? だとしたらすまんな。あれらは吾輩の作品……もといペットだ」
「あんな国際法に違反するようなペットいるか。あんなの番犬どころか狂犬でもねえよ」
一応、ツッコミを入れておいた。
実は、研究所に入って早々、さっきまで、犬つうか狼に襲われた。追いかけ回された。しかも何匹もいやがった。てかあれは遺伝子レベルで改造された何かだ。むごいことしやがる。
こんなことを言ったら動物愛護団体から動物差別と非難を受けそうだが、敢えて言う。あれと同じようなことを、人間相手にもやっている。……正気の沙汰じゃない。
「失敬な。吾輩の実験に辟易している程度なら、本家の人間の諸行はどうなる」
「あいつらは、人間じゃない」
それに、アンタもな。
人間が人間相手に、あんな真似が出来るはずがない。
「随分な物言いだな」
ぼくの真正面にいる白衣着た五十代のおっさんは、久留井境樹。マッドサイエンティスト。ぼくの知り合いでも、かなり悪人な部類。通称、教授。
そして、この研究所の所長。
だが、問題なのはこのおっさんでもこの研究所でもない。
「ひっくん……」
「絆……」
斑崎絆が、この研究所で、このおっさんと話していることだ。しかも普通に接客待遇で。ソファに座らされ(ぼくの時は床に座らせられる)、お茶を出されて(ぼくの時はビーカーで水が出される)、お茶菓子まで出ていた(ぼくの時は怪しい物体Xが出される)。
「ん?」
互いの名前を呼び合って固まったままのぼくらを見て、教授が興味深そうな顔をする。
「なるほど、このお嬢さんが君の知り合いだというのは本当だったようだな、唯原。しかし唯原、君の知人にこんな魅力的なくらい普通な人間がいるとは知らなかったぞ。君も人が悪い。その反応、もしかするともしかするが、このお嬢さんが、斑崎絆さんが君の恋人かい?」
「…………」
「その反応は、『当たり』だな」
畜生。こいつにだけは知られたくなかったのに。いや、他にもいるけどさ。絆の存在を知られたくない奴らは。
「な、何で、絆、こんな場所に?」
ここは、君がいていい場所ではないはずだぜ?
絆はじっとぼくを見て、沈黙したままだった。代わりとばかりに、教授が口を挟む。
「こんな場所とはご挨拶だな。実は彼女、守永の紹介でね」
「……明時の?」
間の悪い殺し屋や涙もろい死神の上司で、世界に災厄を撒き散らしている、あの道化師だと?
嫌な予感しかしない。あいつの名前を聞いた日には、ろくな事が起きないんだ。
「ああ。つい昼間の話だ。急に守永から電話があってね。『今日の夕方、ある少女に裏世界の話をして欲しい』と」
「……………!」
あの野郎、何考えてやがる! つうかやっぱり五食同盟が絡んでんじゃねえか! 塁も前夜もたぶん本当に知らなかったんだろうけど敢えて言う。使えねえな!
「明時の奴、何やってくれてんだ……!」
人の恋人に、物騒な世界の話聞かせてんじゃねえよ! しかもよりによって、何で教授に説明させんだ! もうちょっと適任いたろう!
「あの野郎、マジ許さねえ」
ついに気でも狂ったか。自殺志願は、妖刀遣いの方だろうに。
ぼくが握り拳を固めたのを見て、絆が取り乱す。
「ひ、ひっくん、ま、待って」
「大丈夫だ、絆」
君は何も悪くない。君は何もおかしくない。君は何も知らなくていい。
君は何も、変わらなくていいんだ。ぼくなんかと違って、君は君でいいんだから。
君は、君でいないといけないんだから。
「明時やそこのおっさんに何を言われたが知らないけど、すぐに忘れるんだ」
ダメなんだ。
君がそれを知ったらダメなんだ。
君が君で、なくなってしまう。
だが、ぼくの心中を見抜いたかのように、教授が言う。
「残念ながら、このお嬢さんには禁忌のことも、お前のことも話した」
「……!」
「色々大ざっぱで、途中ではあったがな」
澄ました態度の教授。
な、な、な、
「何やってくれてんだ久留井! 『十戒家』もろとも潰されてぇのか!」
気付けばぼくは、教授の胸倉を掴んでいた。鬼気迫るぼくの顔を見て、教授は怖がるどころか、笑っていた。
これが見たかったとばかりに。
「ククククク。実に良い顔をしているじゃないか、『無敵』よ。いや、『不戦』だったか? まあ同じ事だ。この裏世界で、この世界で、そんな流儀が、そんな享受が、そんな生き様が通せるなど、どちらにしろ異常なことなのだから」
「てめえ何を言って……」
教授が顎で絆を差す。
しまった。
ぼくは何をやっているんだ。これではもう、ごまかしが効かないではないか。壊れるのか? これまであった日常が。失うのか? 絆を。
嫌だ。嫌だ。嫌なんだよ。それだけは、本当にそれだけは。絆だけがぼくの全て大事なものとは言わない。でも、ほとんどなんだ。絆を失えば、ぼくは空っぽに近くなる。
あの頃に戻ってしまう。
戦っていた、誰を傷付けても何を壊しても何も思わなかった、あの頃に。
それでも、絆の方を見た。見てしまった。
絆の表情を見て、ぼくは愕然とする。
これまでの行動が、思考が、心配が、恐怖が、全てが間違いであると思い知らされた。
絆は泣いていた。
泣きながら、笑っていた。
□
このタイミングを狙ったように、二つの電話が立て続けに入った。
まずは、絆の家に待機してもらっていた花さんから。
『ただ待つのも退屈だったんでね、改めて家の中に手掛かりかないか探していたんだけどさ。さっき洗濯機の中に、面白い……面白くない物を見つけたんだ』
「面白くないもの?」
『血染めのセーラー服』
「…………」
『血が落とそうと洗濯したみたいだけど、血って落ちにくいんだよねえ』
「…………」
『で、これが絆ちゃんの物だと仮定しよう。そうすると、可能性が二つ見えてくる。可能性一、絆ちゃんがけがをしている』
絆を見た。見た感じでは、着ている服が血だらけになるような、そんな大けがをしている様子はない。
『んで、可能性二』
それは、ぼくも考えていた、いや……。考えたくなかった可能性。
『このセーラー服の血は返り血で、血は絆ちゃんの両親の物。つまり、犯人は絆ちゃん』
「花、さん……」
『分かっている。あくまで可能性の話だ。でも可能性としては、最初の時点から高かっただろう? 君だって視野に入れていなかったとは言わせない。それにそう考えたら合点する部分もあるじゃないか』
「な、何が合点するって……」
『最初に言ったろ? これは素人による犯行だって。絆ちゃんは君に近い人間ではただ一人の「一般人」だ。つまり殺しに関しては、正に素人だ』
「だ、だからって」
『それに、絆ちゃんの部屋だけが荒らされていたのも理解出来る。早い話、絆ちゃんは両親を殺した後、逃亡の準備をしたんだ。ある意味、常識人の彼女らしい行為じゃないか』
「ちょ、ちょっと待て……」
『いいや待たない。最後に、君に掛けた電話だけど、あれこそ決定打じゃないか? 罪から逃げ出し苦しんでいる少女は、この世で最も愛し愛してくれている少年に、助けを求めたんだ。少年の愛を信じて』
「…………」
だとしたら、だとしたら。
『しかし、少女は思いとどまった。愛する少年に、迷惑など掛けられないと。だから通話を切った』
ぼくは絆を見る。
彼女は、ただ救いを求めるような目で、ぼくを見ていた。
だが、その目には、不安と恐怖も混じっているように思えた。
「じゃ、じゃあ何で、絆は鹿羽研究所なんかにいるんですか?」
『何でだろうね。それだけが謎だ。絆ちゃんが教授と知り合いだとは思えないし……。まあ、分かったら追い追い連絡するよ。じゃあね』
通話が切れた。
ぼくは再び、絆を見る。絆が何か言おうとした瞬間、また携帯が鳴る。
画面に表示された相手に、驚愕とする。
花さんが掛け直してきたのかと思ったが、違った。タイミング的に、あの間が悪い殺し屋でもなかった。ぼくは相手が誰であろうとも電話の電源を切っただろう。こいつ以外なら。
二秒だけ躊躇ったが、出た。
「……もしもし」
予期した通り、馬鹿にしているとしか思えないふざけた挨拶で対応を返してきた。
『はっあーい、我が親愛ならない敵、唯原飛翔さんですかー?』
「明時……!」
守永明時。
災厄を撒き散らす道化師。古今東西稀に見る、最悪の集団『五食同盟』のリーダー。
世界の敵とまで表記されることもある、危険人物。
間が悪い殺し屋や涙もろい死神の、形式上の上司。
『おいおい。僕、一応年上だぜ? 呼び捨てにすんなよ』
「てめえに払う敬意なんかあるとでも思ってんのか!」
『んー? あるとでも思っているとでも思ってんの?』
何故、こいつはこんなにも、他人をおちょくるのだろう。ぼくの戦っていた頃とは反対に、明時には敵が多い。
『それはともかくとして、どうやら君、絆ちゃんを見つけたみたいだね』
「てめえ、一体、絆に何をしやがった!」
『何をしやがったとは失礼な。僕はただ、苦しんでいる絆ちゃんに、教えてあげただけさ。君以外にも、人殺しはいるんだって』
「…………」
『もう検討は……、いや、確定はついてんだろ?』
電話越しでも、奴が邪悪な笑みを浮かべていると、手に取るように分かった。
『斑崎絆は、自分の父親と母親、斑崎対句と斑崎結菜を殺した』
「…………」
『今回の結論はそれだけだ。それだけの事に、僕や教授が後付けされて、君やその他が関わっただけの話だ。言っておくけど、僕は親切心でやってあげたんだぜ? 決して、一昨日のことを根に持っていやしない』
「この道化師が」
たぶん、電話の向こうで、守永明時は笑っているだろう。
ぼくの敵意と憎悪を受けて、心底、笑っているだろう。
『細かいことは本人から聞くといいよ。僕も全部を把握している訳じゃない』
聞けと言うのか。語れと言うのか。
ぼくの耳に、絆の口に、両親を殺した話を。『それじゃあ、お幸せにね--出来るものなら』
本当、あいつは最悪だ。
そして世界も、運命も。
誤字などありましたら、ご指摘ください。