交渉人の正体
受験勉強進まねー。と、思う今日この頃。
「そうだな。まずは自己紹介といこうか。
吾輩の名前は、久留井境樹。知り合い連中は下の名前にちなんで『教授』と呼んでいる。君も同じように呼んで構わない。
正確には教授ではなく、博士なのだがね。まあ似たようなものか。
ところで。
君はここをどのような場所と認識している?
町のちょっとした名物となっている、何かすごい物を造ろうとしている研究所?
ああ、間違いではない。間違いではないぞ。だが、欠如している部分が多過ぎだな。曖昧だし、適当だ。地元の人間にそれほど理解されていないとなると、吾輩もショックを受けるしかないな。
謝る必要はない。誤ってはいないのだから。
ただし、ここは只の研究所ではない。それに、研究している内容も『何かすごい物』なんて話ではない。
うーん。詳しい説明をするとなると長くなるぞ?
ふむ。時間ならあるのか。なら話すとしよう。吾輩は他人に説明をするのが好きなのだよ。相手の驚いた顔を見るのが、心底たまらない。
長い話になると同時に難しい話になるが理解は出来るか? まあ、極力努力してくれ」
□
「まず、世界の話をしよう。
世界と言っても、君の知る『表』の話ではない。
吾輩達の生きている『裏』の世界の話だ。
同じ裏世界でも、殺し屋やマフィアの黒世界、魑魅魍魎や妖怪の闇世界、秘密結社やテロリストの底世界、宗教や歴史の奥世界など異種様々だ。しかし、いくつかの世界に同時に存在している組織もある。故に、下手な区別を付けず、総じて『裏世界』と呼ぶことが多い。
実際、あまり区別など付けられないしな。器具を使わず空気中の酸素を計るに近いものがある。
そんな裏世界には三つの禁忌が存在している。
一つ目は『百鬼夜行』。これだけは一般人相手でも説明の必要がなく、説明のしようがない。
君も名前くらいは知っているだろう?
十四年前、日本を恐怖のどん底に陥れた集団『百鬼夜行』のは。
この世で最も有名で、この世で最も不明なテロ組織。
大きな組織について、表と裏には知識や認識に違いが出るものだが、『百鬼夜行』は例外だ。
裏世界でも奴らに関しては、全く情報が流れていない。全く状態が把握できていない。
末端さえ一人も捕まらない始末だ。幹部なんぞ人数も分からん。
分かっていることは、『百鬼夜行』リーダーの『酒呑童子』が十四年前に死んだことだけ。
頭がいないのに機能しているということは別にリーダーが誕生したことになるが、それがどんな奴かは不明だな。通称さえ分からない。実在さえ疑わしい。
しかし、『百鬼夜行』は実在している。恐怖をばらまきながらな。
他の二つも、そんなレベルだ。
二つ目の禁忌は、吾輩も所属している『十戒家』。
先の『百鬼夜行』が正体不明のテロ組織だったのに対し、『十戒家』は裏世界の政府のような組織だ。規模が巨大過ぎて、正確な勢力は把握できんのが現状だ。
吾輩やこの研究所も『十戒家』の所属の、ほんの一部だ。
吾輩の肩書きは、『十戒家』第六部署『鹿羽研究所』第九分家『久留井』当主、久留井境樹。
全体的に見れば、中の上くらいだな。
このような『鹿羽研究所』は世界中にいくつかあってね。ここもその一つだ。一応、吾輩はここの所長となっている。
別に自慢ではないさ。吾輩程度の地位、自慢にもならない。
研究所の他にも、道場やら美術館やら警備局やら商会やら病院やらが『十戒家』の部署にはある。
吾輩が言うのも何だが、変人しかおらんよ。いや変人ではない、変態か。
さて、三つ目の禁忌だか……、これに関しては教えるのは控えたいな。
いくら説明大好きな吾輩でも、『あれ』に関して説明するのは抵抗がある。
あれぞ本物の『禁忌』だ。
一つ目の『百鬼夜行』は表世界にも知られているから誰に教えようと問題ない。
二つ目の『十戒家』は裏世界で生きていく上で最低限の知識であるから教えなければならない。
だが、三つ目の禁忌は事情が違う。『百鬼夜行』とは違う。『十戒家』とも違う。違って違って、違う。違い過ぎる。『あれ』と違わない存在など、『あれ』と同じ概念など、ない。
裏世界で生きていく上で知っておくべき知識ではある。だが、敢えて知るべき知識ではないとも考えられている。
裏世界の歴史を崩壊させた奴だからな……。
ん? 違うぞ。唯原飛翔ではない。彼は……。
いや待て。
君は何故、唯原飛翔を知っている?」
□
「知り合いか……。
それは知らなかった。というか、想像出来なかった。推測出来なかった。
君は、あいつの知り合いにはいない人種に見えるのでね。
基本的には、唯原の知り合いには変人奇人悪人罪人しかいない。変わり種で廃人もいるらしいが。
類は友を呼ぶ。
つまり、友は類に呼ばれる。
何が言いたいかと言えば、あいつもかなりの変人の類いなんだよ。
そんなことも知らないなんて、本当にあいつの知り合いか?
ん? あいつの周りに変人なんかいなかった? 面白い人やおかしな人はいたけど?
……ふむ。
ならば、君の知っているあいつの知人は誰だ?
麻川塁?
あの殺し屋の名前がいきなり出てくるか……。なるほど、奴は唯原の『親友』と認識されているのか。好敵手の部類なのに、面白い話だ。
ああ、聞き違いではない。麻川塁は殺し屋だ。
確か、『五食同盟』という小規模組織に属する、間が悪い殺し屋だ。有名無名で言えば、無名だが、有能無能で言えば、無能だな。少なくとも殺し屋としては欠陥製品だ。
何でも、仕事の達成度が恐ろしく低いらしい。一割以外だそうだ。
吾輩もそう思う。あいつ、何で殺し屋やってんだろうな?
他には?
花さん? ああ、首塚花道か。
奴は、殺人鬼だ。
いや、『だった』か。過去の話だ。伝説の切り裂き魔『茨木童子』はもういない……。今の奴を見ると、少しだけ感慨深い……。
悪いが花道の話はやめていいか? ん? 君も聞きたくないか。なら良いか。
まだ聞くか? どうせ君の望むような答えは出ないぞ。
井伊藍?
あの家出人か。確かに、あの子は比較的『普通』だな。だが、あくまで『比較的』だ。
あの子だって、根底は狂っている。根本は歪んでいる。出生は不明だが、ろくでもない親に育てられたんだろうな。
何をそんなに怒っている? 事実を述べただけだ。
しかし……君は優しい人間だな。恐ろしく『まとも』だ。表の常識に忠実だ。本当に、本当っに、唯原の知人か?
唯原飛翔が、裏で何と呼ばれているか知っているか?
今は『不戦の唯原』だが、昔は、昔と言っても一年ほど前では、『無敵』と呼ばれていたんだぞ?
戦っていた時代の唯原に、敵はなかった。
宿敵も、天敵も、怨敵もなかった。
いなかったのではなく、なかった。
不滅でも絶対でも、まして最強でもないのに。
奴が『敵』という概念を認識していなかった。戦っていた時代に『敵』がなかったとは皮肉じゃないか?
今と昔で、あいつは違う。違い過ぎる。科学者としてはつまらなくなったと言わざるを得ないが、人間としては非常に面白くなったと言いたいな。
何だと思う? ひどく平凡で、ひどく滑稽な、ひどく例外な交渉人を変えた要因は、一体全体、何だったと思う?
女だよ」
□
「面白い話だろう? 文字通り『敵知らず』だった男が、淡い恋心で人間性を変えたんだ。
漫画みたいじゃないか。
初めてこの話を聞いた時、吾輩は頭がおかしくなったと思った。
人間性が変わるどころか恋をする訳のない奴だとばかり思っていたからな。
恋をする前の唯原は、空っぽだったよ。『敵』を認識していなかったのはその一端だな。好意も敵意もない。そんな奴だったからな。
例えばの話だが、死体を見て興奮する人間と何も感じない人間だと、どちらが人間性に欠けると思う?
ああ、その通りだ。どっちもどっちだ。
つまり、虚無と醜悪は同価値。
無とは、悪なのだ。
あの頃の唯原は、そういう奴だった。正に『無』だった。
生きることは戦いだ。戦いとは敵がいなければ成立しない。ならば、『無敵』だったあいつは間違いなく、生きていなかったよ。
だから、あいつは、唯原飛翔は、
生きていないも、同然だった。
死んでいるも、歴然だった。
そういう少年だった。
だから、誰もが思うまでもなく思い、誰もが考えるまでもなく考えた。
そんな男が恋愛など出来るはずがない。すぐに破綻すると。だが。
今なお交際中だという。本人から聞いた。
驚いたよ。
素直に驚いた。
交際中という事は相手が少なからず、唯原に好意を抱いているという事なのだから。
どんな酔狂な、どんな狂気な女なのか想像も出来ない。
是非とも逢ってみたいが、唯原から逢う事を禁止されていてね。吾輩の興味は尽きないというのに。名前さえ教えて貰えない。
唯原も彼女には自分が『交渉人』であるとは言っていないようだし、裏世界に関わって欲しくないんだろう。と、花道が言っていたよ。
ん? 言ってなかったかい?
唯原飛翔は、裏世界の交渉人なのだよ。
裏世界期待のルーキーの一人。交渉人なんて非戦闘な部類では一番か二番には知られた名前だろうな。『無敵』だった時代の事もある。
奴はその技量を使って、恋人が誰なのか隠しているようなんだ。数名は知っているようだが。
まさかとは思うが、君がその、唯原の恋人じゃないよな?
斑崎絆さん」