傘
ぼくの通う高校には、校庭の端の方に旧校舎がある。四階立て。木造建築。不良の溜まり場になったりしている。
新校舎が何年か前に出来てからは、正式な用途では使用されなくなった。
明時が生徒会会長になってからは立ち入りが完全に禁止されている。実は、あの旧校舎の地下には見られたら困るものを一時的に隠しているのだ。
まあ、いつまでたっても片付かないんだが。本人曰わく、「大晦日の掃除と同じだよ」だそうだ。
ぼくもいくつか死体を隠しているし、塁や前夜も故障した凶器を廃棄している。七丁目はどうなんだろう。業火は多分、存在自体を知らない。
それなりに重宝していた。時々、裏世界の交渉場所に使わせてもらったこともある。
そんな旧校舎が今、燃えていた。
□
「はあ……、はあ……、はあ」
私、斑崎絆は今、修羅場にいる。
それは色んな意味で修羅場なんだろう。
「ちょこまか逃げないでくださいよ、殺せないじゃないですか」
場所は立ち入り禁止の旧校舎の教室。恋人にメールで呼び出されてここに来た。普段は封鎖されているのに、今日はそれが解除されていた。
「それとも、まだ生きるつもりなんですか? 図々しいですね」
目の前には、冷めた目をして、彫刻刀を両手に持った同年代の少女。
名前は確か、敷石初夏。
恋人の知り合いで、満礫美術館という組織に属している。認めたくはないが、私より美人だ。
どうも、私の恋人に気があるらしい。アタックしてくる。嫌な女である。その行為に恋人も悪い気がしていないようだから、尚更気分が悪い。
「さっさと死んでください。飛翔さんと私の為に……いえ、私の為に」
そして、今、私を殺そうとしていた。
「ず、図々しいのは、どっちよ!」
旧校舎に入った私は、まず恋人を探した。だが、背後から何者かの気配を感じて、振り向くと彼女がいた。
そして、襲われた。殺傷されかけた。うまくコチラの逃げ場を塞ぐように攻撃してくるので、旧校舎から逃げられない。これが裏世界の実力か。 助けを呼ぼうにも、ポケットから出した携帯をさっき壊されたので電話もメールも無理だ。
ん? 何だが、煙たい?
「ああ、気付きましたか? 先程、この校舎に火をつけさせてもらいました」
「……っ!」
この女、マジで何を考えている! 頭の中腐ってんじゃないの!?
何で自分が中にいる建築物に放火してんの!?
「だって、アナタの死体を残す訳にはいかないじゃないですか。私の今後の為にも」
そんな自己中な発言を笑顔でするな、気持ち悪い!
まずい。
このままだと、本当に殺されてしまうんじゃないの?
……嫌だ。まだ恋人と和解していないのに、死ぬ訳にはいかない。
「ねえ、アンタ」
仕方ない。
私は彼女にしか使えない『奥の手』を出すことにした。本来ならフェアじゃないから使いたくなかった。だが、死にたくない。
「本当に、ひっくんが……唯原飛翔が好きなの?」
「……どういう意味でしょうか」
彼女の顔から笑みが消え、真顔で聞き返された。
私はそのまま続ける。
「そのままの意味よ。凪茶ちゃんから聞いたわ。アンタは昔、畦道とかいう変態に犯されそうになったけど、それをひっくんに助けてもらったって」
「ええ。それは私と飛翔さんの大切な思い出です。アナタ如きが訳知り顔で語らないでいただけますか?」
だが、私は止めない。
「アンタがひっくんのことを好きなのは、その事件がきっかけでしょう? 自分の清純を守ってくれた。自分を恐怖から救ってくれた。自分を異常から助けてくれた。確かに好きにはなるでしょうよ。我が彼氏ながら、惚れるわ」
ヒーローだなあ、本当。
私はそんな経験を、両親を殺したあの日までしなかったけど。未だに悪夢でうなされる日がある。今は前夜ちゃんの家に居候しているから、うなされる声は彼女に迷惑を掛けているだろう。
彼はいつか、私の地獄を破ってくれるのだろうか。
「だけどさ。アンタの気持ちって、恋なのかな?」
「…………」
相手は黙った。
「その事件がきっかけだというなら、アンタのその気持ちは愛じゃない、恩だ。唯原飛翔へ抱いている感情は、恋慕じゃなくて、感謝だ」
対等なんかじゃない。
子供が憧れるヒーローような、少女が思い描く白馬の王子様のような、ただの幻想に等しい。
「そんな思い入れに、私や私の愛する人を巻き込むな。迷惑だ!」
彼女は依然として黙ったままだったが、不意に、口を小さく開いた。
「………………は、はは」
やがて、そのかすれたような小さな声は、
「はははははははははははははははは」
壊れたステレオのように増幅していき、哄笑となった。
「アーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」
彼女は天井を仰いで、しばらく笑った。手に持っていた彫刻刀は床に落として、その両手で顔を覆っている。
「…………何を言い出すかと思えば」
ひとしきり笑った後、彼女は手をダラリと下ろして、私を見た。
その表情は、何故か、これ以上ない程に勝ち誇っていた。
「そんなくだらない戯言が、私を止める最終手段か何かでしたか?」
声音が心底愉快そうだった。
「斑崎絆さん。私はね、確かにあの事件で飛翔さんに恩を感じました。感謝しました。あの人を王子様だと、ヒーローみたいだと思いました」
彼女は床に落ちた彫刻刀を拾った。そして、その間も勝ち誇った笑顔は消えていなかった。
「でも、私のヒーローは、あの事件の前から私のヒーローだったんです」
その言葉と同時に、彼女は笑みを一層濃くして、はにかむようにさえする。私に見せつけているようだった。
「どういうこと?」
「ええ。特別に話して差し上げましょう。尊敬するみいら様にも、親愛なる凪茶にも、信頼する春夏にも話したことのない、私と飛翔さんの物語を」
□
私の名前は敷石初夏。『十戒家』第三部署『満礫』の分家の一つ、『敷石』前当主の第一子にして、本家『満礫』務めの者です。
私には春夏という妹がいます。しかし私と春夏は父親が同じなのに、母親は違います。所謂、腹違いです。
私の母親は、今は亡き七大禁忌『残骸財団』から当時の『十戒家』に出された、人質のようなものでした。そして、好きでもない男と契り、私を産んだのです。しかも妾だったようで。それは春夏にしても同じことでしたが。
母は、私が七つの時に自分で首を吊って死にました。父は、何も言いませんでした。
双堀訓練校を知っていますか? あそこは、『十戒家』の子供のみが育てられる機関です。だけど、小等部の内は、多少内容がハードなだけで普通の小学校とやっていることは、大して変わらないんですよ。
だから。
普通の学校のようにイジメが起きますが、それも当たり前ですよね。
私は、いじめられる側でした。
今思い出しても、あれは陰湿でしたよ。クラス中が私を標的にしていました。母が死んだ以上、私に人質としての価値はありませんでした。何より、妾の子ですからね。血統を重んじるのが『十戒家』です。親が親なら、子供も子供です。彼ら曰わく、私は、穢らわしいそうですよ?
一年続きました。
二年経っても終わりませんでした。
三年目に突入しました。
毎日が地獄でした。
春夏も私と同じような目に遭っていたと知った時は、姉妹で泣きました。あんまり大声で泣いたから、父の正妻から『うるさい!』と怒鳴られて冷水を掛けられましたね。
そして、あれは小等部四年生の、梅雨のことでした。ああ、もうすぐですね。あの日までは。
その日、朝から雨が降っていました。当然、私は登校中、傘を差していました。ですが帰宅時、傘立てにあるはずの私の傘はありませんでした。誰かが隠したんだと、すぐに分かりました。だけど見つかりませんでした。担任に言っても、『そんな傘は最初からなかった』と言うんですよ? あの時の、ゴミを見るような目は今でも忘れられません。
私は泣く泣く、濡れながら帰りました。後ろから大きな笑い声が聞こえました。振り返りませんでした。雨で誰にも分からなかったかもしれませんが、私は号泣していたのですよ?
惨めで、悔しくて、情け無くて。
ただただ辛かった。
途中、道にある大木の影で、雨宿りをしました。その間も、涙は止まりませんでした。
泣きじゃくっていると、雨音に紛れて、足音が聞こえました。あいつらだと思って身構えました。
だけど、そこにいたのは初見の少年でした。少なくとも同じ学年にはいませんでした。
鋭いけど、優しい目をしていました。
少年は私の隣に腰を下ろしました。彼は古びた唐傘を持っていましたから、木陰で雨宿りする必要はなかったのに。
ちょっと恥ずかしかったのを覚えています。こんな自分しか見せられなくて。
でも、少年は私にこう言いました。
『気にすることはない』
『自分を白鳥だと思っているアヒルを、君は美しいと思う?』
『違うよね』
『でも、自分をアヒルだと思っている白鳥は綺麗だろ? 白鳥に対して、君は綺麗な白鳥だよって言ってあげられるだろう?』
『君は白鳥だ』
『大丈夫。ぼくが保証する。君は素晴らしい人間だよ』
『君を馬鹿にする連中より、ずっと素晴らしい。きっと「十戒家」で一番いい女になれるよ』
涙が溢れました。
悔しくてではありません。嬉しくてです。嬉し涙なんて初めてでした。それまでの悔し涙を全て忘れるくらい、嬉しかったんです。
涙が止まった時、少年はいませんでした。でも、幻でもありませんでした。少年の唐傘が、置いてあったからです。地面に、指で書かれていました。
『これ、つかって。またあおうね!』
思い返すに、妹の春夏以外から物を貰うのはあれが初めてでした。
翌日、私のいじめの主導者、つまりクラスのリーダー格が連絡なしで休んだことに、あの少年が関係していると考えるのはご都合主義でしょうか?
関係ない話ですが、あの時のメンバーでクラス会は出来ません。私を除いて、全員死んでいますから。大半の死因は、自殺か不明です。
□
「そして、あの事件で私は飛翔さんに再会しました。見違えましたが、すぐに同一人物だと分かりました。そして、運命だと思いました。あの事件後、飛翔さんと親しくしていた当時大学生のみいら様や極地様とも出会い、その縁で私は『満礫』本家務め、春夏は『壱圏』でメイドになることが出来ました。私は、飛翔さんにあの地獄から救ってくれたのです」
恍惚とした顔で思い出を語る彼女。
「馬鹿みたい。それこそ幻想じゃない。言葉や傘はただの優しさで、壱圏さんや満礫さんのことはただの偶然で、アンタなんかの為に、人を殺すはずないじゃない」
「何故そうも自信を持って断言できるのか、私には疑問です。飛翔さんならやってくれる、と思うのが普通では?」
知ったようなことを。
「だ、大体、ひっくんが人を殺すはずないじゃない!」
彼は『不戦』なのだから。命を無闇に奪うような行動をするはずがない。していてたまるか。
だが、目の前の彼女は、私の言葉にきょとんとしていた。目を丸くして、首を傾げている。
「アナタは、それを本気で言っているのですか?」
「あ、当たり前じゃない!」
「飛翔さんを、『神殺しの共犯者』の片割れと知っていながらそう言うんだとしたら、どうかしていますね。あれだけの人間が死ねば、直接だの間接だのはとっくに次元の外だと思いますが」
「か、神殺し? 何のことを言っているの!?」
「今すぐ知る必要はありません。死んだらどうせ、『殺神犯』に下ることで『戦争』を生き延びた悪魔どもに自慢話のように聞かされるんですから」
だから。
「だから、『戦争』ってのに、ひっくんがどう関係してんのよ!」
「知らないのなら、教えたくはありませんね。悪魔だって知りません。飛翔さんや七丁目一言といった本人達を除外すると、私を合わせても三人だけの秘密なんですから。明時さんだって知らないんですよ?」
また、はにかむようにする彼女。
「も、守永先輩や七丁目先輩の名前が出てくる理由は分からないけど、アンタは根本的なことを忘れている」
「へえ、それは何でしょうか?」
まるで言葉の敗北を予想していないような態度だ。
「アンタ、私を殺してひっくんが、アンタを愛してくれるとでも思ってんの?」
「思っていますよ」
即答しやがった。
「少なくとも、そのことで飛翔さんが私を憎むなど、有り得ません」
断言しやがった。
「何で、言い切れるの?」
「茜ちゃんのことがあります。アナタには、藍ちゃんと言った方が分かり易いですか?」
井伊藍。本名、藤代茜。『酒呑童子』の娘。つまり、恋人の妹。
「彼女の抹殺命令を出した極地様や明時さんを、飛翔さんは何だかんだで許していますから。まあ、茜ちゃんが生きているというのもありますけど」
「え?」
井伊藍は、いや藤代茜は生きている?
何だ、それは。私は知らないぞ?
「もしかして、死んでいたと思ったんですか?」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取ります。飛翔さんの真意はいつだって不明なので、さして驚きませんが」
瞬間。
彼女は間合いを一気に詰めて、彫刻刀で私に切りかかってきた。私はとっさに腕で顔を守る。
「……っ!」
私の腕から血が飛び出る。彼女は追撃することはせず、後退して間合いを取った。素人が相手とはいえ、警戒しているのかもしれない。
「う……っ。やはり、血は苦手です」
「…………」
どうやら血が苦手らしい。裏世界の人間の癖に。
「アンタ、人を殺したことはないの?」
「ええ。所属する部署の関係もありましてね。ですから、アナタが最初の相手になります」
売り言葉に買い言葉で応じようとしたら、第三者の声が入る。
「そんなことはさせねえぞ、初夏」
唯原飛翔。私の恋人。
さすがヒーロー。出所をわきまえている。でも、もっと早く来て欲しかったな。
「ひ、飛翔さん」
彼の登場に、彼女も狼狽している。当然だ。殺害しようとしていた女の彼氏が現れて、しかも自分の恋する相手なのだから。狼狽もするだろう。
「初夏。お前、ぼくの携帯盗んで絆にメールを送ったな?」
なるほど。
あのメールはそういうことだったんだ。てか、携帯盗まれるなよ、我が彼氏。
「ええ」
「今ならまだ間に合う。窃盗は忘れてやるし、放火は見逃してやるし、絆にやったことは催眠術で忘れさせるから、こんなことは今すぐ止めるんだ」
ちょっと。お咎めなしってこと!? 自分の彼女を殺すつもりの相手だよ…………ってあれ?
舌が回らないというか、声が出ない。意識も朦朧として……、あれ、立ってられない……
「やれやれ。やっと効いてきましたか」
彼女の嬉しそうな声がする。
「っ! お前、絆に何をした!」
彼の憤る声がする。
「この毒を塗った彫刻刀で傷を付けました」
毒?
「あと五分もすれば、死にます」
死ぬ? 私が?
「初夏、お前! 何でこんなことを……!」
「何で? 決まっているじゃないですか! 私の為ですよ、飛翔さん! あなたに振り向いてもらう為に、この女には死んでもらうんです! 傘をもらったあの日から、私の心はあなたの為にあった! なのに! どうして! 答えてよ!」
泣きじゃくる彼女。
そんな彼女に、彼は告げる。
「お前の気持ちは分かるけど、お前の気持ちに応えることは出来ない」
「…………っ! 私は……っ!」
パン。
そんな乾いた音がした。
「ひ、飛翔さん?」
彼女の声が震えている。膝を着く音がした。彼の撫でるような優しい彼の声が聞こえる。
「安心しろ。ただの麻酔だ。しばらく眠ってろ」
「いや、わ、私は……」
彼女の声はそこで途切れた。
足音が近付いてくる。ぼやける視界に、彼の姿が映る。
「ひ、ひっくん」
私は彼の名前を呼ぶ。しゃがれる声だけど、伝わったかな?
「絆」
彼も私を呼ぶ。
だが、何故だろう。そこに優しさはなく、何か怖い。
と、私は顔を掴まれ、口を開けさせられた。そして、口内に黒い塊を突っ込まれる。
その物体はまるで、拳銃だった。
次の彼の言葉に、私は耳を疑った。
「死んでくれ」
え?
結局作っただけで使わなかった設定や複線がかなりありますが、次回が最終話になります。




