屍笞処刑場
畦道百足。
今はなき、世界征服を目的とした犯罪組織『グロテスク・エッグ』のただ一人の生き残り。屍笞処刑場に収監された(今となってはされていた)囚人。かつて、七千万の懸賞首だった。六年前、『屍笞』所属の裁判官の判決により、懲役二百年の刑に処せられた。
「二百年って、その人、化け物?」
「いや根本的には人間。ただ、相当体をいじくってる。改造人間って言葉がしっくりするかな」
寿命もそれなりに長くなっている。百年では死なないだろうと、『鹿羽』の変態どもが評価していた。
人間も人間以外も裁くことを生業としている『屍笞』の連中は、『鹿羽』とは違った意味合いで狂っている。あの研究者達が好むのは解剖だが、あの裁判官達が愛すのは解体だ。
実験ではなく、実刑。
しかも簡単には殺さない。畦道は元々だが、囚人の寿命を強制的に延ばして、長期間に及ぶ拷問を与える。
長時間ではなく、長期間。
簡単には、殺さない。
あの道化師にも劣らず趣味の悪い、サディスト達。
屍笞処刑場。
「しかし、だからこそあそこには『脱獄』なんて一度もなかったはずでしょ? しかもA級を逃すなんて」
おそらく前代未聞の不祥事だ。
「ああ。だからこそ、貴様を呼んだ。……本来なら『御灯』を動かす事態だが、貴様も知っているだろう。『屍笞』と『御灯』の仲の悪さは」
「熟知してますよ」
第四部署の屍笞処刑場と、第五部署の御灯警備局。
『屍笞』が司法なら『御灯』は警察。
ある意味では、『十戒家』の核のような部署。それ故に、最も多くの戦力を所持し、最も多くの分家を抱えている。具体的に言えば、『十戒家』に所属している人間の四割が『御灯』の直属だ。
しかし、その性格上、どうしても階級の低い人間が多くなってしまう。下請けの仕事、雑用も多くなる。
それ故に、他の部署からは下に見られる。
特に、『壱圏』の次に大きな権限を持つ『屍笞』からは。
それが原因で起きたトラブルも少なくない。
ちなみに、『壱圏』はどの部署も等しく同じく下に見ているので、どこかを特別見下すことはない。
「屍笞階段に頼まれてな。くれぐれも『御灯』には知られないようにしてくれと」
「恥は晒したくないってことですか。まして、見下しているような連中からは」
「ああ。階段の要望など聞いてやる必要はないのだが、相手が相手だ」
この場合の相手とは、屍笞処刑場署長、屍笞階段ではなく、
「……畦道百足」
「ああ。放置しておくには危険過ぎるし、公開できるような案件ではない。貴様もよく知っているだろう」
「知りませんよ……」
「何?」
「畦道百足について知っていることなんて、一つもありませんよ」
だって、ぼくは奴を全く理解できなかったんだから。
全く、これっぽっちも。
ぼくと奴は価値観が違い過ぎる。昔のぼくとか今のぼくとか、そんな問題じゃない。あいつは、ぼくと違った。
いや、違う。
明時以上に、相容れない。なんなら、畦道については明時と話が合うくらいだ。
「……だが、奴の相手に貴様ほどの適任はいない。悪いが、何が何でも請け負ってもらうぞ」
壱圏さんは言う。
「奴を捕まえたのは、他ならぬ貴様なのだから」
□
交渉人を始めたのは、十一歳。
六年前。畦道百足は、ぼくが初めて『交渉』をした相手だ。そして、『監獄』にぶち込んでやった。
初めてにしては上出来だったと自画自賛したのを覚えている。
そういえば、更に一年後に『戦争』が始まったんだよなあ。誰にも予想できなかったよ、あんな大惨事。
予想できても、当時は誰も本気にしなかっただろう。
笑えない冗談どころか、怒れる戯言だったはずだ。
禁忌が四つも消えるなんて。
まして、『神』が殺害されるなんて。
おかげで、期待の超新星として名を上げていたぼくの名前が霞んだ。
薄れたと言った方が正解に近いかもしれない。消えなかっただけマシか。
忘れたくても、記憶に残る。
閑話休題。
畦道百足の話だった。
奴が脱獄して、まず最初にするのは、十中八九、ぼくへの復讐だろう。
奴を諮り、監獄へと突き落とした、ぼくへの。
巷でぼくの噂など聞いていたら、間違いなく、脳みそが沸騰していることだろう。……有名になるのも考え物だ。
まあ、ぼくが監獄に送ってやった罪人は畦道百足だけではないけど。
壱圏さんがぼくを呼んだのは、そういう狙いもあった訳だ。つまりオトリってこと。
ぼくを狙って畦道百足もこの屋敷近くに来るのではないか、という浅はかな予想というか希望。
「しかし奴もそこまで馬鹿ではなかった。単身で壱圏機関に乗り込むなど、自殺行為だからな」
「その自殺行為、歴史上で十三回ありましたけど、畦道はその限りではないでしょうね」
「知能犯だからな、奴は」
「……はっ」
思わず笑ってしまった。
知能犯?
「明時より最悪な知能犯なんて存在しませんよ」
奴と比べれば、どんな知能犯もどんな確信犯も、しょうもない、ちっぽけな小悪党だ。
「ほお、頼もしいな」
心なしか、壱圏さんも笑っていた。不敵に笑っていた。
実にらしく、『絶対』らしく。
「あの頃のぼくとは違います」
今のぼくには、絆がいる。
「畦道百足を捕まえましょう、『不戦』の名前に誓って」
今度は、誰も傷付けずに。
□
『もしもし姉さん?』
「何よ、春夏。まだ仕事中でしょ? 極地様のお世話をサボって電話なんかしてくるんじゃありません。そんな子に育てた覚えはないわよ」
『そんなことより聞いてください姉さん。唯原様に恋人が出来たんですよ』
「そんなことよりって貴女……、は? 唯原さんに恋人?」
『はい。月並みな容貌でした。年は唯原様と同じか、下のようです。姉さんと同じだと思います』
「な……、唯原さんに恋人なんて……、そんな……」
「んや? どうしたよ、初夏ちゃん。そんな世界の終わりでも迎えたみたいな顔して」
「ゆ、唯原さんが……」
「飛翔ちゃんがどうした?」
「唯原さんが、唯原さんが……、ひ、ひっく、ひぐ」
「急に泣くなよ! 僕が泣かしているみたいじゃないか!」
「あ、蒐さんが初夏さんを泣かしてる」
「うわ、最低」
「ち、違う! 勘違いするな! 初夏ちゃんも泣いてないで、説明してくれ! 何故泣いている!?」
「うぐ、えっぐ……唯原さんが、恋人を作ったそうです……」
「交渉人の兄さんが?」
「は? 飛翔ちゃんが? 恋人? タチの良い冗談にしか聞こえないんだが」
「嘘だと思うなら春夏に聞いてください!」
「ああ、うん……。もしもし? 蒐だけど」
『これは蒐さん。ご無沙汰です。早速ですが、唯原様に交際相手がいたことが判明しました』
「わお。その驚嘆に値する事実に、お前の姉は打ちひしがれているぞ」
『ええ。予想はしていました。しかし、早めに教えておくべきだと思いまして』
「このこと、極地様は知っているのか?」
『先程、ご本人達にお会いになられました』
「……一応確認しておくが、極地様はいつから知っていたんだ?」
『つい一時間前のようです。ちなみに、もうすぐ交際一周年と言っておりました』
「飛翔ちゃん、極地様にも内緒にしてたのか」
『そのようで』
「あいつ、馬鹿だったんだな。いや、賢明なのか?」
『両方でしょう。そうでないと交渉人など出来ませんよ。では、私はこれで』
「うん。頑張れ、メイドさん」
『はい。あ、このことは内密にお願いしますよ』
「了解。それじゃバーイ……。おーい、みんなー、飛翔ちゃんに彼女がいたんだってー」
「唯さんが!?」「あの小僧に?」「えー……。あの人がデートとか想像できねー」「あの交渉人、いつからそんな色惚けしたんだ?」「わ、私という者がありながら!」「くっくっく。あいつに人を好きになる神経があったのが驚愕だぜ」「あれも人間だったってことじゃないですか?」「いやいや。一週間ももたないっしょ」「飛翔だもんな」「ああ。どうせ三日で別れる」
「もうすぐ交際一周年らしー」
「はあ!?」「……マジで?」「今日って四月一日でしたっけ?」「えー……」「世界七不思議が増えた瞬間だぜ……」「その女、大変興味がある!」「どんな変人なんだろうな」「とんでもないド変態だろ」「想像したくもねえ」「変態どころじゃ語れませんよ、きっと」「いいえ詐欺師みたいな女に決まっていますわ!」「でも本当に誰?」「『十戒家』の人間ではないだろう」「だな。俺達も知らんし」「秘密なら『百鬼夜行』とか?」「もっとないだろ。あいつの連中への憎悪はハンパないから」「でも小さな組織の人間なら、公表されてないのはおかしいよねー」「とんでもないジョーカーだからな。公開してこその戦力だ」「まさかとは思いますが、一般人……?」「…………」「………………」「……………………………………」「いやいや! 絶対にねえよ!」「あんな偏屈な人間を好きになる人間なら、絶対偏屈な人間でしょ!?」「一般人どころか常識の欠片もない人間に決まっていますよ!」「いや人間ではない可能性もあるがな!」「むしろ人間でない可能性の方が高い!」「あっ! 人間でないで思い出した!」「何だ!」「前夜ちゃんなら何か知っているのかもしれません!」「根拠は?」「去年の六月くらいから、飛翔さんを寂しそうな目で見ることが多くなっています!」「それはあれだな。飛翔に恋人が出来たから、恋に諦めが……」「前夜さんはそんな軽い気持ちで飛翔さんを愛していません!」「だが怪しいな」「でも何か言いますかね? あの死神、チクリ魔で守銭奴だけど、唯さんに関しては、口堅いですよ?」「だよなあ」「あいつの近親者、口堅いのしかいないし」「守永なら簡単に口を割ると思うぜ?」「明時か」「俺、苦手だわ」「私は好き」「じゃあ電話してみそ?」「おっけー。……もしもし守永さん? はい、ご無沙汰です。ちょっと聞きたいことがあるんですが」『ちょうど良かった。僕も君に話したいことがあったんだ』「え?」『さっきに謝っておくよ。黙っててゴメンね』「は、はい?」
『唯原飛翔には恋人がいるんだ。斑崎絆って名前の、一般人なんだけどね?』
□
「……嫌な予感がする」
「何か言ったか? 交渉人」
ぼくらの眼前を歩く大男が、ぼくの独り言に反応して立ち止まる。
「いや何でもない」
「そうか」
無感情にそう言って、再び歩き出す。ぼくらもそれに続く。
ぼくと絆は今、屍笞処刑場に来ている。
分家ではない。
裏世界の司法を牛耳る『屍笞』の総本山、屍笞処刑場本家だ。
詳しい場所は言えないが、実は壱圏機関が所有している島の地下にある。というか、島の中をくり抜いて作られた、巨大な監獄だ。上の方には、『処刑』が終了した囚人もとい死体が乱雑に放られている。島に近付いただけで、死臭がやばい。
よくもまあ、生活出来るもんだ。囚人はともかく、看守や獄卒は好き好んで住んでいる。
酔狂にも程があるぜ。
「ひ、ひっくん……」
さっきから(島が見えた瞬間から)、ぼくの腕を離してくれない。後、震えている。やっぱ、連れて来ない方が良かったかな……。壱圏さんにも言われたし。でも聞かないからな、絆。特に最近はひどい。
「な、何、ここ?」
「監獄の形をした処刑場」
「あ、あの大きな人は?」
「看守。名前は屍笞有効」
「な、名前負けだね」
「え? ……ああ、友好じゃないよ」
でも確かに、友達になれそうにはないな。
「今からでも乗ってきた船に戻るかい?」
「一人になれって言うの? ひっくん、鬼?」
失言でした。
こんな状況で知らない人間と一緒にいるなんて、考えられないよな。
今この瞬間だって、通路の左右にある牢獄で、やばい拷問が行われているし。血飛沫と悲鳴がすんごいことになってる。
「ううううう……」
分かったから、その捨てられた子犬みたいな目をやめろ。いや、目を開けられているのが驚きなんだけど。せめて悲鳴用にヘッドフォンする?
「着いたぞ」
有効の無感情な声で、いつの間にか処刑場の中核に着いていたことを知る。
部屋の扉には、『署長室』と書かれたプレート。
有効が扉をノックして「署長、交渉人を連れて参りました」と呼び掛けると、中から「おう。入れ」と返事がした。それを受けて、有効は扉を開ける。
嫌な空気が部屋から通路にあふれる。死の匂いが、死そのものが染み付いた、嫌な空気が。
ぼく……ぼくらの姿を確認すると、嫌な空気の発生源、屍笞処刑場署長こと屍笞階段は声を上げた。
死神のような、不吉な声を。
「きゃきゃきゃ。よく来たな、飛翔。その隣のが、今話題なお前の彼女か?」
□
まず驚くというより戸惑った。
「わ、話題ってどういうことだ?」
「きゃきゃきゃ。その反応からすると、嘘じゃないみたいだな。正直、半信半疑だったんだけど。たった今、電話で『満礫』んとこの初夏が泣きながらそんなことを」
「う、初夏が?」
だとすると、ソースは春夏か。あのお喋りめ。
「バレてるなら紹介するよ。階段、こちら、斑崎絆。ぼくの彼女。絆、こちら、屍笞階段。ここのトップ」
「しかしまあ、飛翔。アンタの趣味って変わってると思ったけど、そうでもなかったんだな」
「それ、どういう意味だ?」
趣味が変わっている、は間違いなく誉め言葉ではない。しかし趣味が変わっていない、は果たして誉め言葉だろうか?
どういう感情を抱けば良いのか。分からん。
「早い話、こう言いたいんだ、俺は。月並みだな」
「何だとこの……やれやれ。お前には絆の魅力が分からないのか。まだまだガキだな」
「いや、これは守永の兄ちゃんと共通の評価で……」
「明時の!? 何で明時の名前が出て来るんだ!?」
「裏付けしたんだ。ほら、あの兄ちゃんなら、どんな人間の弱味も知っているからな」
「だとしてもあいつには関わるなよ! あいつがどれだけ最悪かはお前も知っているだろうが!」
てかあの道化師、絆のこと月並みだと思ってやがったのか! 見る目がないな!
「……あの、ひっくん」
絆がぼくの服の裾を引っ張る。見れば壱圏さんと対面した時と、同じような顔をしている。
「うわ、アンタ、『ひっくん』とか呼ばれてんのかよ。意外だな」
「目ざとく反応するな。で、何? 絆」
「えーと、階段ちゃん」
絆が初対面とは思えないフレンドリーな呼び方をする。壱圏さんに関しては名前を呼ぶことなく終わったのに。
「貴女、いくつ?」
階段は、にぃーーと口元を歪ませて答えた。
「今年で、十三だ」
屍笞階段。
六の分家を抱え、裏世界の司法を握り、『十戒家』で二番に強い権限を持つ第四部署『屍笞』、屍笞処刑場の署長。
あまり公の場所に姿を現さず、『十戒家』当主による会議も代理人を立てることが多い。それでも三番目に謎が多い当主なんだから、呆れた話だ。
屍笞階段の正体は、十三歳の少女。
目つきが悪く、意地の悪そうな顔をしているが、顔から幼さが抜けきっていない。海賊船の船長が着るようなコートをしているのだが、どうにもアンバランスで可愛らしい。威厳も何もない。むしろ小物っぽいんだよ。
壱圏さんの例と同じで、件の『戦争』により、『屍笞』も世代交代を余儀なくされた。
全部細かく話すと長くなるから省略するが、先代当主の遺言に後釜の条件がいくつかあって、全てをクリアしたのが、他ならぬ階段だったのだ。まあ、ちょっとだけ、ぼくも助力したのだけど。
就任当時は、十歳。
「そんな反応も見飽きたぜ。謎多き監獄の主が俺みたいなガキだとは、よっぽど意外らしい」
「最年少だしな」
「馬鹿言えよ、飛翔。現段階では確かに最年少だが、史上最年少ではないんだからよ」
「……分家の話だろ?」
「分家でも『十戒家』には違いないさ」
おどけるように、階段は言う。それから視線を移して、絆を見つめる。
「えっと……」
「斑崎絆だっけ? 俺はアンタのことを絆って呼ぶから、俺のことは、さっきみたいに『階段ちゃん』で構わねえぜ」
構わないか。
立場や能力の関係で、階段のことを『ちゃん付け』で呼ぶ人間はレアだからな。基本、変態だけど。
絆みたいな『普通』のキャラクターに『ちゃん付け』されたい欲求が、階段にはあるのかもしれない。
一人称は『俺』の癖にねえ。
「うん。よろしくね、階段ちゃん」
「こちらこそ」
二人は握手した。ファーストコンタクトは成功したようだ。喜ぶべきなのかは、微妙だが。
二人の手が離れたのを見計らって、ぼくは話を切り出した。
「それで、階段。畦道百足のことだけど」
階段が露骨に表情を堅くする。
「ああ、そうなんだよなあ、たく。面倒なことになってくれたぜ」
「よりによって、あの畦道百足だもんな」
「いや、最大の問題はそこじゃないんだ、実は」
「は?」
今ぼくの耳には、畦道の脱獄が最大の問題ではない……、つまり、それ以上の問題が発生していると聞こえたが、聞き違いか?
「これは、最悪のケースだし、まだ確証がないから壱圏の旦那には言ってなかったんだが……。『御灯』に知らせるなと言った本当の理由があるんだ」
「ちょっと待って」
何だか混乱してきたぞ。
「つまり何か? 壱圏さんに内密に処理するように頼んだのは、『屍笞』と『御灯』の間にある確執からじゃないのか?」
「ああ」
階段は首肯する。
「ああ頼めば、壱圏の旦那がお前を寄越すのは分かり切ったことだからな。俺達が下手に動くより、お前の方がこういうのは得意だ」
「な、何が起きているんだ、この場所で」
「正しくは、起きたのさ」
「…………まさか、畦道の脱獄に『御灯』が関与しているとか?」
それは、最悪の可能性だった。確執とか対立とか、そんな甘っちょろい次元の話ではない。
「いや、違う」
階段は首を横に振ってくれたが、それは否定の意味ではなかった。
訂正、もしくは補足だった。
「『十戒家』の誰かが、畦道百足脱獄の手引きをした可能性がある」
それはつまり、最悪を越える最悪。最低を下回る最低。
「『十戒家』の中に、裏切り者がいる」




