壱圏機関
『仕事をくれてやる』
鍋パーティーがあってから四日。
その間は勤勉に学校に通った。出席日数は稼げる日に稼いでおかないと。今はそうでもないが、いつ大胆な無断欠席に陥るか分からない。幸い、しばらく仕事の依頼はなかった。
住人が一人増え、『ホームズ』は更に賑やかになった。
絆も、普通に学生生活を楽しんでいた。とても人を殺したとは、『こちら』を知ったとは思えないほど、今までの絆だった。救われる話だと思う。
バイトを始めたいと言っていた。完全にぼくに養われている状態が嫌なんだそうだ。……なんだかなあ。もうちょっと甘えても構わないんだが。
花さんと由紀さんとやってること同じなのに。由紀さんは家事をやっているから何か負い目を感じているのかもしれない。
そんな訳で土曜日の授業が終わったら、午後には街に出て、バイト先を探すことになった。
午前中だけの授業を終わらせ、借りていたノートを業火に返し、塁とつまらない話をして、明時や七丁目の様子をそれとなく探って、『ホームズ』に帰って、藍に遊ばれて、由紀さん特製の餃子定食を食べている時だったと思う。
そんな電話があった。アドレスに表示された名前で嫌な予感はしていたが、最悪のタイミングだ。何で今日なんだよ。
『拒否権はない。急ぎの用だから延長もない。保留も認めない』
相変わらず自己中な野郎だな。
『七丁目ではないが、二者択一だ。素直に請け負うか、拒んで貴様の秘密をバラされるか』
なんて分かりやすい恐喝。いや、命令か。
『待ち合わせは四時だ』
請け負うとも言っていないのに、それで通話は切れた。
「誰?」
藍が目ざとく聞いてくる。
「……壱圏さんだよ」
「なんだ、壱圏さんか。つまんないのー」
先程の電話の主は、数少ない藍があだ名で呼ばない人物。つまり嫌いってこと。嫌いというか苦手なのかな。
「誰? 壱圏さんって」
「あれ? 教授に『十戒家』の話は聞いただろ?」
「え? 関係あるの?」
「…………」 あの吾輩野郎、丁寧な説明なんてしてやがらないな。
ここで、絆を含めた裏世界の素人にも易しい『十戒家』の説明をしよう。
裏世界には三つの禁忌がある。
そのうちの一つが『十戒家』。
あらゆる個人、組織や団体、概念、種族や眷属、世界など、おそらく『神』を除く全てを支配する、馬鹿げた規模と桁外れの支配力を持つコミュニティー。妖怪や幽霊さえ、その支配力は有効である。
名前こそ十だが、九の部署から構成されていて、それぞれにそれぞれの役目がある。
壱圏機関。
双堀訓練校。
満礫美術館。
屍笞処刑場。
御灯警備局。
鹿羽研究所。
亡名星商会。
奴鉢病院。
朽邦神社。
人数に差はあるが、どの部署も曲者ばかり所属している。一筋縄ではいかない連中だ。比較的善良な人間もいるが、まあ少ない。
裏世界関係者の八割が『十戒家』のいずれかの部署と直接的な関係にあり、間接的な関係を言えば全員と言っても過言ではない。
極端なことを言えば、『表』の人間でも彼らと関わりを持つ人間は多い。無意識に、無自覚に、生きていれば『十戒家』と関わる可能性は大きくなる。いや、生きていれば必ず『十戒家』に支配される。
例外は、他の二つの禁忌だけ。厳密な意味にはその二つも微妙だから、実質、世界の全てを管理しているようなものだ。
それこそ、神のように。
その『神のような』組織の頂点こそ、壱圏機関。
更にその壱圏機関の機関長こそが、先の電話の相手、壱圏極地。かなり自分勝手な支配者である。
あの人に限った話ではなく、『壱圏』は分家を含めて偉そうなのばかりだから、そう考えてたらむしろ謙虚な生活なのかもしれないが。
「あの人はぼくのお得意様の一人でさ。時々、面倒くさい依頼や極秘で処理すべき依頼なんかを押し付けられるんだ」
ぼくは『十戒家』の所属じゃないからな。面倒事は部外者に任せるに限るって話だ。
「だから、その、非常に言い辛いんだけど、今日は……」
「私も一緒に行く」
「そう、絆も一緒に……はい?」
「だから私も一緒に行く」
「な、何で?」
話聞いてた? 遊園地に行くんじゃないんだぜ? むしろお化け屋敷に行くんだぜ?
あの教授がまともに見えるような、ド変人なんだぜ?
「とにかく行く。絶対行く。もう決めたから」
何が君をそこまで言わせるのか分からない。だが、あのド変人は遭わない方が絶対に良い部類の人間なんだよ!
変人である以前に支配者だから!
裏世界の共通認識として、あの男は絶対に顔を合わせたくない人間の一人なんだよ! あの守永明時さえそう思っているくらいなんだから!
あいつから敬遠されるって、ある意味すげえことなんだぜ? 悪い意味だけど。
「でも行く」
「………………」
「ひっしょん、きずなんは諦めないと思うよ?」
いつから、こんなに頑固になったんだ?
ぼくとしては、絆を壱圏さんに逢わせたくないというか、壱圏さんに絆を知られたくないんだけど……。
置いて行くって選択肢もあるが、明時あたりから情報を聞き出すことも出来るしな……。こうなったら連れて行くしかない、のかなあ?
「ひっしょん、きずなん連れて行くならあたしも連れて行って」
「ダメに決まってんだろ」
「ケチー」
つまり、お前はついて来ないってことだな? 曲がりなりにも納得してくれた訳だ。
素直で大変よろしい。頭を撫でてやろう。
「うきゃー」
嫌がると推測していたが、身をよじりながら嬉しそうな悲鳴を上げられた。
可愛い奴だな。本当に。
何か絆からの視線が厳しかったからすぐに止めたけど。
頭撫でただけじゃん。
□
「何? 唯原飛翔の恋人だと?」
『ええ。細かい事情は知りませんが、何故か、守永明時から紹介を受けまして。噂通り、表の人間だったのですが、こちらの話を軽くしました。ああ、唯原のことも』
「ほう。つまり、その『恋人』は『裏』に足を入れてしまった訳か」
『ということになるのでしょうな。どこかで唯原のことを聞いたのか、違うベクトルから裏世界に関わったのか。それとも裏も表も関係のない方面で問題を起こし、それを知った守永の悪意によって引きずり込まれたのか』
「一番可能性が高いのは三番だろう。興味が湧いた。貴様が見た感想を教えろ」
『そうですね。簡潔に申し上げるなら、「普通」でした。それから、唯原にゾッコンでしたね』
「……どうも矛盾を感じるな、その意見には」
『吾輩もそう思わなくもないですが、しかし事実です。貴方様のことですから、すぐに呼び出して確認するおつもりでしょう?』
「そうだ。しかしタイミングが悪かったな、久留井」
『はい?』
「今し方、唯原を呼び出した。もうすぐ来るはずだが、まさか『彼女』を連れて来るはずもない。急ぎの用事故、折り返しは出来ん。貴様からの電話がもう四時間早ければな」
『申し訳ありません、と言いたいところですが、心配は無用かと』
「何? それはどういう……何だ、春夏」
「お電話中、申し訳ありません、ご主人様。その、唯原様がお見えになりましたが、どういたしましょう?」
「そうか。俺が呼んだ。通せ……そうだ、春夏。貴様知っているか? 唯原の奴に彼女がいるという話」
「噂には聞いております……あ、じゃあ、もしかして……」
「どうした?」
「はい。実は、唯原様に、お連れ様がおりまして……そのお連れが、その、女性なのです」
「女性だと?」
「唯原様は助手だと申しておりましたが」
「……久留井境樹、これはどういうことだ?」
『はい、壱圏極地様。実は吾輩、たまたま駅前の喫茶店でたたまたま数人の知り合いとコーヒーを飲んでいたのですが、たまたま唯原とその恋人が電車に乗り込むのを見まして。たまたま知り合いの一人が、唯原が拳銃を所持していることを見抜きまして。たまたまもう一人の知り合いが、唯原が拳銃を所持するのは禁忌と対峙する時だけ、という法則を知っておりまして。たまたま更にもう一人の知り合いが、極地様に呼び出されたのでは、などと言い出しまして。そこでたまたま極地様の連絡先を知っていた吾輩が、お忙しい中、こうして失礼なお電話をさせていただいた所存なのであります』
「……久留井」
『はい』
「確信犯過ぎるぞ」
『恐れ入ります』
ブツリ。
「あの、ご主人様?」
「春夏。まだいたのか。さっさと奴らを呼んで来い」
「は、はいっ! ただちに!」
「ふん……それにしても、飛翔の彼女か。ただの噂だと判断していたから放置していたが……。俺の許可無く交際など、許さん」
□
「何か、壱圏さんから理不尽な憤りを向けられているような気がする」
「そんな馬鹿な……と言いたいのですが、ご主人様ですからね……」
有り得ないことはない。
ぼくらを先導しているメイド、敷石春夏は、深々と溜め息を吐いた。
相変わらず苦労しているようだな。学生とメイドの二重生活ってだけでも大変なのに、主人があの壱圏さんだからな……。苦労するなって方が無理か。本人が好きでやってんだから、ぼくがとやかく言うべきではないけどさ。
「うわあ、うわあ、うわあ」
さっきから絆は、『壱圏』本家の屋敷のスケールに驚きを隠せていない。あちこちに目移りをしている。浮ついている。屋敷に入った瞬間からこうだ。
「すっごい! あんな大きな絵、初めて見た!」 大きさ以上にビックリする値段だぞ、その絵。
あと、そのテンション、都会に出てきた田舎者みたいだから止めて欲しい。
そう思っていると春夏が耳元に囁いてきた。
メイドに囁かれるって、何かエロい。
「あの、唯原様」
「飛翔でいいよ。様付けなんて止めてくれ」
「すいません。規則、というか、癖でして……」
難儀な奴だな。
「それで? 何?」
「あちらの方は、唯原様とお付き合いされているのでしょうか?」
「何を馬鹿なことを……何で分かった?」
さっき、助手だと紹介したら納得したはずだ。
「さあ……。ご主人様が、そのようなことを仰っていましたので……」
は? どういうことだ? ぼく、誰かを連れて行くなんて言った覚えはないし、壱圏さんに絆のことを話した記憶はないぞ。
「何で壱圏さんはそんなことを?」
「誰かと電話をしていたようですが、それと関係しているのでしょうか?」
「電話?」
藍や由紀さんが密告するとは思えない。明時か?
「ちょっとひっくん! 何メイドさん相手にデレデレしてんの!」
見れば、絆が憤慨している。
「誤解だよ」
嫉妬深いな。愛されているって実感出来るけどさ。
□
「俺が『十戒家』第一部署『壱圏機関』機関長にして、『十戒家』家長、壱圏極地だ」
現世の『絶対』。
絆を見れば、愕然としていた。当然だ。おそらく絆が見たことのある人間に、壱圏極地のような人間はいなかっただろうから。
壱圏極地は、気迫の塊。
後ろ姿だけでも圧迫される。目線を合わせれば戦慄を覚える。会話すれば冷や汗が流れる。人間を絶対的に圧倒する、支配的な気迫の持ち主。決して強い訳ではないのに。
正に、『絶対』。
だからこそ、明時は、壱圏さんが苦手だ。ぼくもだけど。
「だ、大丈夫か? 絆」
「ひっくん……」
声が震えている。
「思ったより若い」
「は?」
まあ、壱圏さんは今年で二十六で、ぼくらよりは年上だけど、世間的に見ればそれは若いんだろうけど、それがどうした?
「てっきり五十以上のオジサンかと思ってた……」
一応、裏世界を支配する巨大組織のトップだから、そう思うのも無理はないのか。
「何年か前に派手な世代交代があったんだ。他の部署のお偉いさんも若い人達ばかりだよ」
そう見ると、久留井教授なんかは年寄りの部類だ。
「久しぶりだな、飛翔」
頃合いを待ったように、壱圏さんは言う。……何か不機嫌だぞ? あれ? よく考えてみれば、壱圏さんが頃合いを『待った』? 不自然つうか不機嫌な証拠じゃねえか。ま、まずい。どうやらぼくは、壱圏さんを怒らせているらしい。嘘だろ。
時間には一応遅れてないし、明時や七丁目を連れて来ていないし、手土産(ロールケーキ。あまり高級な品ではないが、壱圏さんの好きな銘柄だ)だって持って来た。
まさか絆のことか? 話したことがなかったから? でもプライベートなことだし、聞いてもいないことを話して機嫌を損ねるのも……。
「飛翔、立っていないで座れ。そこのお嬢さんも」
「あ、はい」
やべえ。超怒ってるよ。他人に気を遣うような人じゃないもん。いつもの壱圏さんなら、『さっさと座れ、見苦しい。俺に気を遣わせるな』とか言うはずだ。絶対に。
「あ、あの、壱圏さん?」
「どうした飛翔。俺の顔に昆布でも貼り付けてあるのか? それとも飛翔、俺に何か言いたいことでもあるのか? 貴様がそんなことを言うなど珍しい。面白い。言ってみろ」
絶対に、絆のことで怒ってるよ。
「こちら、斑崎絆。ぼくの……、助手です」
「恋人です」
絆が訂正を入れた。余計なことすんな! まだ誤魔化せたかもしれないのに!
「ほお。恋人? 恋人か。噂はあるが、大半の人間はデマだと思っているだろうな。俺も今知ったしな」
言っておくべきだったんだろうか。
でもなあ、相手が壱圏さんだもんなあ。
「早速ですが、壱圏さん、仕事っていうのは?」
「いやいや。飛翔。まずは貴様の恋人の話をしようじゃないか。初見であるし、俺には聞きたいことが山ほどあるぞ?」
露骨に話を逸らす作戦、失敗。
「先程も言ったが、俺は壱圏極地。壱圏機関の機関長をやっている。そこの唯原飛翔とは、長い付き合いでな。良い商売相手をやっているつもりだ」
「斑崎絆です。ひっくん……飛翔くんと交際させて頂いています。良い恋愛関係をやっています」
なんて自己紹介だ。見ろ、壱圏さんの隣に立っている春夏を。固まってんじゃねえか。
「飛翔とは商売相手である以前に、子供の頃からの付き合いでね。それなりに親しいつもりだったんだが、彼女がいること一つ言って来ないとは、俺の何に問題があったのかな?」
「あ、いえ、その」
問題しかないんですが。今、この状況下ではっきりした。
「しかしその恋人をいきなり連れて来るとはどういうことだ? 俺は貴様の親か?」
「違いますけど……でも、壱圏さんも知っての通り、父親は死んで母親は蒸発したんで、壱圏さんは兄みたいに思っていますよ」
「仕事の話だ。割に深刻な問題が発生した」
あ、機嫌、直った。
何で?
むしろ言った後で失言だとさえ思ったんだが。それで『俺が貴様の兄だと? 分家のクズが戯言を』とか言われると思ったのに。
交渉人のぼくの台詞ではないのだが、人間の心理って難しいね。
「深刻な問題、しかもぼくを屋敷に呼び寄せたってことは、相当やばいみたいですね」
「ああ。かなりマズい」
「正直、予想は出来てないですよ。『五食同盟』も大人しいし、『百鬼夜行』ならぼくを呼ぶ必要はない。地底人でも復活しましたか?」
「いやひっくん、地底人はないでしょ」
「マジな話、地底人はいたんだよ。ぼくも逢ったことある」
「え?」
「四年くらい前に絶滅したんだけどね」
あの衝撃はまだ新しい。あの時期は珍しくなかったけど、大量絶滅。
「生憎、地底人復活の方がどれだけマシだったろうな」
壱圏さんが似合いもしない、大きな溜め息。
え? 地底人復活って、全面戦争クラスの大騒動なんですが、それよりマズいの?
「本気で怖いんですが、聞かないと仕事が始まらないので聞きます。何が起きているんですか?」
ぼくの質問に、壱圏さんは信じられないような答えを返した。
それは確かに、地底人復活や宇宙人来襲なんて何でもないような、大事件だった。
少なくとも、『十戒家』にとっては。そして、ぼくにとっても。
「畦道百足が脱獄した」




