表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

チコちゃんと黒犬

作者: むさきち

 夏のある日曜日、チコちゃんが留守番をしているところへ、宅配便の車が入ってきました。

荷物を受け取った後、チコちゃんは青い帽子をかぶったお兄さんを見上げて言いました。

「どこかで、白いネコ見なかった?おでこのとこだけ黒い毛があって、

ちょうどVの字みたいに見えるの」

お兄さんはちょっと考えて、

「そう言えば1ヶ月くらい前、荷物を取ろうと思って後ろのドアを開けたら、

急にネコが飛び出してきてびっくりしたことがあったね。確か、あれ白いネコだったな」

そう言うと仕事で使っている紙を1枚破り、そこにその家の地図を描いてくれました。


それからチコちゃんは、お母さんが作ってくれたおにぎりと麦茶を入れた水筒をリュックにつめ、

自転車で家を出ました。

お父さんが長く出張中で、チコちゃんはお母さんと2人で暮らしています。

そのお母さんも、急の仕事が入って夜まで帰ってきません。

走りながらチコちゃんは、1ヶ月前の9才の誕生日の事を思い出していました。

その日、宅配便のお兄さんは、お父さんからのプレゼントの

うさぎがプリントされたピンクのワンピースを届けてくれました。

そのワンピースを着て、お父さんに送るための写真を一緒に撮ろうとブイを探したところ、

それまで庭に居たブイがどこを探しても見当たらなかったのです。


門の閉じた小学校を通り過ぎ、何人かの大人の人が釣竿を下ろしている沼を抜けると、

一面のぶどう畑が広がっていました。

そのかたわらに、今は使われていないバス停のベンチを見つけて、

チコちゃんはそこでお弁当を食べる事にしました。

ぶどう畑を背にして、栗の実が2つ並んだような山を見ながらおにぎりを食べていると、

背中から「おいしそうだね」という声がしたので、

チコちゃんは驚いて、ベンチから飛びのきました。

白髪頭のおじいさんが、ネット越しに優しそうな笑顔を浮かべて言いました。

「驚かせちゃったね。ごめん、ごめん」

そう言って、タオルで額の汗をぬぐうと

「お弁当を持って、どこへ行くんだい?」と、聞きました。

チコちゃんはおじいさんに地図を見せて、ネコを探しに行く事を伝えました。

「まだかなりあるよ、大丈夫かい?山を少し登らなきゃならないし、いのししも出るよ」

「いのしし?」

チコちゃんは、いのししを見た事がありませんでした。

「黒っぽい毛の生えた豚みたいなやつさ」

「こわいの?」

「牙があるからね。まあ、めったに出会う事はないだろうけど」

チコちゃんはその動物を想像してちょっと怖い気もしましたが、

せっかくここまで来て、引き返す気にはなれませんでした。

「行くのかい?じゃ、気をつけてな。これを食べながら行くといいよ」

おじいさんは、手に持ったはさみで目の前に垂れている一房のぶどうをチョキンと切ると

ネットのすき間から渡してくれました。


おじいさんにお礼を言ってしばらく走ると とうもろこし畑が左右に広がり、

真ん中にお地蔵さんをはさんで道が2つに分かれていました。

その左側の方の道の先に、一匹の大きな黒い犬が地面に顔をつけて寝ていました。

地図にはお地蔵さんの絵がかかれ、犬のいる方に矢印が引いてあります。

チコちゃんは左側の道に少し入ったところで自転車を止め、

リュックの中から残ったおにぎりを取り出しました。

おそるおそる犬に近づくと、犬は地面にぺったりと顔をつけたまま片方の目を開けました。

チコちゃんはおにぎりを犬に向けてコロコロと転がしました。

犬はもう一つの目も開くとゆっくりと起き上がり、大きな口を開けておにぎりを食べ始めました。

チコちゃんは急いで自転車に飛び乗ると、犬の横を一気に通り抜けました。

しかしすぐに上り坂が始まりペダルが踏めなくなると、

とうとうチコちゃんは自転車からおりました。

後ろを見ると、おにぎりを食べ終えた黒犬がゆっくりとした足取りでついてきます。

「もう、おにぎりないよ」

そう言って足早に自転車を押し、さらに進むと、傾斜もきつくなり

やがて大きなごつごつした石や太い木の根っこが、地面に顔をのぞかせました。

大きな松の木が空を隠すようにどこまでも立ち並び、せみと鳥の声以外聞こえないこの山の中に

本当にお兄さんの言っていた家があるのか不安になりかけていた時、

茂みの間から赤い屋根が見えてきました。

「あそこだ」

そう叫んだチコちゃんが走りかけた時、先の方のがさやぶが音を立てて左右にゆれました。

次の瞬間、一匹の動物が姿を現したかと思うと、チコちゃんめがけて猛スピードで向かってきました。

逃げようとしてチコちゃんがあわてて背中を向けた時、

黒犬が勢いよくチコちゃんの方に走ってきたかと思うと、

その動物に向かって「ワンワン」と何度も吠え立てました。

その動物はチコちゃんの手前で急に角度を変えると、犬の横をすり抜けて松林の中に姿を消しました。

おじいさんが話していた、豚のような顔をして牙の生えた、

全身がこげ茶色の毛で覆われた動物でした。

黒犬はその動物の姿を消した松林に向かってまだ吠えていました。

「ありがとう いのししから助けてくれたのね、ありがとう」

チコちゃんはそう言って、犬の頭や背中を何度もなでおろしました。


黒犬と一緒にその家の玄関に立った時、壁に打った釘に輪ゴムと一緒に

ブイのノミとり用の首輪がぶら下がっているのを見て、チコちゃんは喜びました。

「こんにちは」

3度目に呼んだ時、中から腰の曲がったお婆さんが出てきました。

「はい、こんにちは 誰?」

「宅配便のお兄さんから聞いたの。私のネコが、ここで車の後ろから飛び出したって」

「ああ、いつだったか そういう事があったね」

「そのネコ、ここに居るの?」

「飛び出して、どこか行っちゃったよ」

「これは?」

「その時落としたんだね、きっと」


チコちゃんはがっかりしてその家を出た後、さらに少しだけ山を登り

下の家並みが見渡せる開けた場所まで来ると、くさむらに座り込みました。

「ブイ、どこへ行っちゃったの?」

身体を倒して、おじいさんから貰ったぶどうを食べながら、ぽっかりと一つだけ浮かぶ

動きの無い白い雲を見ているうちに、

山を登ってきた疲れから次第にまぶたが重たくなってきて、そのまま寝てしまいました。

どれくらいの時間か、チコちゃんは犬の鳴く声で目が覚めました。

チコちゃんが身体を起こすと、黒犬はネコの首輪をくわえて歩き出しました。

「だめ、それ返して」

黒犬は構わず、来た道を引き返していきます。

「ねえ、お家、帰るの?じゃ、それ置いてって」

黒犬はチコちゃんがついてくるのを見て首輪を放すと、

時おり地面に鼻を近づけては、松林を下っていきました。

「もしかして、ブイのこと探してくれているの?」

犬の様子を見てそう感じたチコちゃんは自転車をそこに置いて山道を離れ、

生い茂る熊笹の葉っぱに見え隠れする黒い尻尾を追いました。

山を下りてたばこ畑を突っ切ると、その先にわらぶきの古い家があり

広い庭の中ほどまで入ると、黒犬は歩くのを止め尻尾を大きく振りました。

「ここなの?」

チコちゃんは「ブイ」と、少し遠慮気味に呼びました。

四方八方で油蝉が競って鳴いています。

もう一度、今度はそれに負けないくらい大きな声で呼びました。

辺りを見回していた黒犬がチコちゃんから離れ大きな切り株の上に寝そべると、

一匹のネコがチコちゃんの元に走り寄りました。

ニャーニャーと激しく鳴きながら、さかんに身をよじらせてチコちゃんの足元にからみつきます。

チコちゃんはネコを両手で抱き上げると、その身体に思いっきり頬擦りしました。

「ブイ、毎日探してたのよ。こんなに遠くに居たんだもの 見つかるわけないよね」

その時、しょうじが開いて小柄なもんぺ姿のお婆さんが顔を出しました。

「お嬢ちゃんのネコ?」

「はい」

「そう 良かったね見つかって。いつからか居ついちゃってね」

そう言った後、お婆さんは人差し指を口に縦に当てその指を床下に向けました。

チコちゃんが耳を澄ませると、かぼそいネコの鳴き声が聞こえてきます。

10センチ程開いた木の隙間から中をのぞくと、暗闇に4つの目が光っていました。

「子ネコだよ」

「ブイの赤ちゃん?」

ブイが床下に近づいて2・3度鳴くと、隙間から2匹の小さな真っ白のネコが出てきました。

「ここで産んだんだよ。子供が居るから、帰りたくても帰れなかったんだろうね」

それからチコちゃんは、お婆さんが1人で暮らしている事、

そして毎日ご飯にかつおぶしを混ぜて、ブイに食べさせてくれた事を聞きました。

「連れていっちゃっていいの?」

「いいよ お嬢ちゃんのネコでしょ」

「さびしくならない」

「ずっと1人だったんだもの。寂しくなんて無いよ」

そう言った後お婆さんは切り株のほうを見て、

「さっきまであそこに居た犬、お嬢ちゃんの犬?」と、聞きました。

そう言われてチコちゃんが庭を見回すと、どこにも犬の姿はありませんでした。

「お地蔵さんのところに居たの」

「やっぱりそうかい。ずいぶんやせちゃったね」

「知ってるの?」

「この下の1人暮らしのおじいさんが飼っていた犬なんだけど、先月病院で亡くなってね。

それを知らずに、いつもお地蔵さんのところで帰ってくるのを待っているんだよ。

可哀想だからって、近所の人が連れて帰ろうとしたんだけど動かなくってね。

良くお嬢ちゃんについてきたね」

「夜もああして待ってるの」

「さすがに夜は帰るんだろうけどね。家はそのままだから」

お婆さんはとうもろこし畑に隠れたお地蔵さんの方向に目を移すと、

「犬が、言葉が解ったらねえ」と、1人言のように言いました。

チコちゃんが自転車を取りに行っている間に、お婆さんが箱を用意しておいてくれました。

みかんの絵が描かれた段ボール箱の何ヵ所かに穴が開けられています。

その箱に3匹のネコを入れて自転車のサドルにひもでいわえつけると、お婆さんが言いました。

「乗れなくなっちゃったけど、これでいいかい?」

「へいき ありがとうお婆さん」


チコちゃんはお婆さんの家を出ると、箱の中で不安げに鳴く子ネコたちに時々語りかけては

とうもろこしに囲まれた小道を下っていきました。

そしてY字路の近くまで来た時、黒犬がお地蔵さんの台座に頭を乗せて

お尻を向けて寝ている姿が見えました。チコちゃんが近づくと犬は頭を上げ

差し出した手をぺロッとなめました。そしてネコの鳴き声がするみかん箱に少しの間首を向けると、  再び台座の上に頭を持たせて目を閉じました。

チコちゃんは、犬の頭をやさしく撫でながら言いました。

「ねえ聞いて おじいさんは死んじゃったの。もう帰って来ないのよ。

だって天国に行っちゃったんだもの。お家に帰って食べる物あるの?

私と一緒に、私のお家へ行こう?」

犬は少し尻尾を動かしただけでした。

「死んじゃうよ 死んじゃってもいいの?」

チコちゃんの目から涙がこぼれて犬の鼻先に落ちると、黒犬は悲しそうな目をチコちゃんに向けました。

「行こう 一緒においで」

チコちゃんは立ち上がって自転車に手をかけると、ゆっくりと押し始めました。

しかし犬はチコちゃんをじっと見つめているものの、起き上がろうとはしません。

「行っちゃうよ」

少し行ったところでチコちゃんがそう言っても、犬の頭は台座に吸い付いたままでした。

「本当に行っちゃうよ」

チコちゃんが自転車を押しかけた時、

急に風が出てきて、畑のとうもろこしがぎしぎしと音を立てたかと思うとチコちゃんの方に倒れ掛かり、

驚いたチコちゃんは自転車ごと道の上に投げ出されました。

箱の中では3匹のネコが激しく鳴いています。

チコちゃんは自転車を起こすと、箱の中から不安な目を覗かせているブイに顔を近づけて言いました。

「ごめんね 大丈夫?」

その時ひんやりとした物を感じ足元を見ると、

倒れたチコちゃんを気遣って、黒犬がチコちゃんの足首をなめてくれていました。

「ありがとう ねえ一緒に行こう?ちゃんとついて来てね」

チコちゃんはそう言うと歩き始めました。

黒犬はそこに立ったまま、遠ざかる自転車をしばらく見ていましたが

チコちゃんがもう一度「おいで」と呼ぶと、ゆっくり歩き出しました。

黒犬は時々立ち止まって後ろを振り向くものの、少し離れて自転車の後をしっかりついてきます。

ぶどう畑にはその日の仕事が終わったのか、おじいさんの姿は無く

沼も最後の釣り人が竿をたたんでいるところでした。

小学校を過ぎたころには犬はもう振り返る事も無くなり、

チコちゃんの押す自転車の後をゆったりとした足取りでついてきます。

家に着いた時にはもう陽が落ちかけていました。


「ここが私のお家 今日からここで一緒に暮らすのよ。でもね、お母さんにはこれから話すの。

お母さんは、私やお父さんみたいに動物好きじゃ無いの。だけど、私の事いのししから助けてくれたし

ブイのこと見つけてくれたから、きっといいって言ってくれると思う」

ネコ用の食器で牛乳を飲む黒犬に、ブイが子ネコと共に寄ってきて犬の鼻先に自分の鼻を近づけました。

「そう そうやって仲良くしてね」

やがてお母さんが帰ってくると、チコちゃんは今日あった事を全て話しました。

庭の真ん中で我が物顔で寝ている黒犬に最初びっくりしたお母さんも、チコちゃんの話を聞くと

「いいわ 犬なら、番犬になるから。今日みたいにお母さんが居ない時

かえって安心だわ。それよりも、あれ何とかして」

お母さんは2匹で遊んでいる子ネコの方を指差しました。

2匹の子ネコはまるで木登りの練習をしているようにしょうじに絡み付き、

すでに下の方の紙に穴を開けていました。


次の日の朝、チコちゃんは4匹分の食事と水を用意しました。

世話はチコちゃんが全部することを、お母さんと約束したからです。

「どこへも行っちゃだめよ。私みたいに皆のことも守ってね 今日、名前考えとくからね」

黒犬にそう言った後、

「お母さん 行ってきます」と、元気よく言って走り出しました。

お母さんは、干したばかりのシーツに飛び掛って遊んでいる子ネコを両手で引き離しながら

「まっすぐ帰ってちゃんと世話しないと、捨てちゃうからね」

笑いながらそう言うと、角で手を振るチコちゃんに

さらに大きく手を振って送り出しました。




                  おしまい

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ